大義には疑ってかかるべし——AT REAL 前半
——全部言い訳だ。あなたのためを思ってとか、世のため人のためとか、そういう誰かのためを枕詞にして大義名分を振りかざして、それでいて結局は自分に得になるように動くやつばかりなのが世の常だ。○○のために、とデカデカと書かれたラベルの裏側に、どれだけ生々しい行動原理があるのかっていうのは、いつだって気を付けて観察しなくちゃならない。それは瞳には決して映らず、そいつの腹の底、いや足元の根っこから湧き出るものだ。だから俺は下を向いて歩く。そいつが根を張った奥に何があるのか見極めるために。ってこれも言い訳か。——
飛び起きて、時間を確認する。ベッドに置いたデジタル時計には「05:15」と表示されていた。早起きは三文の徳と言うが、いつだって損した気分になる。寝ぼけ眼、まぶたの裏、そこにはまだ夢に見た景色が鮮明に残っていた。
空を飛ぶ船。
美しい空模様。
風雅な中華風建築。
落下していく女の子。
届かなかった手。
「そうだ、玲さん!」
慌ててPCを起動する。向こうで言うリトリヤの幽霊、こっちで言う所の春日玲にチャットを飛ばすためだ。
「彼らが賢明であれば、幽霊殿をそのままレインボーフットに叩きつけるようなことはしないだろう。それに、聡明な彼女であればただで死ぬことはあるまい?」
夢での盤帝の言葉が頭の中でこだまする。彼ら——大邑に仇名すという朔班のやつら——が賢明じゃなかったら? それに、あの頭でっかちが聡明だなんて口が裂けても言えない。大邑からレインボーフットまで何千メートルある? あれで死んだんなら手の届かなかった俺のせいだ。
「あっちで死んだからって、こっちでは死なないよな……」
パソコンの起動がやけに遅い。アップデートを勝手に始めやがった。ああ、もう。なんでこんな時に限って。あ、そうだ、スマホ版!
「スマホでは画質荒すぎて滅多にやらねぇけど!」
机の上で充電器に刺さったスマホを無造作に取り上げて指紋を認証する。手汗からか何度タッチしてもスマホは振動を返すだけだった。仕方がないので暗証番号を手で入力する。そして寝ぼけた羊の顔面、ゲーム『UTOPIA』のマスコットキャラクターGUIDEのアイコンをタッチする。
「あ、そっか。最近アプリ開いてないから」
真っ白な画面の中央にはグレーの字で、アップデートを要求する文言が表示されていた。
「なんでこんな時に限って」
結局スマホとパソコン、どっちが先にアップデートを済ませられるでしょう? という世界一不毛な競争が俺の小さな部屋で繰り広げられることになった。窓の外はもう白んでいた。もう5月。空が明るくなればなるほど、街が暖かくなればなるほど、アップデートのゲージが進んでいけばいくほど、俺の頭は次第にクリアになっていって現実も同時に襲い掛かってくる。
今日は、受験生として2か月目を迎えている俺が、受験生じゃなかった3月に受けた模擬試験の結果が返却される日でもある。
正直、億劫だ。学校に行く足取りはさぞ重くなることだろう。ただでさえ歩きにくいローファーだ。成長期で大きくなるだろうと見越して1年時にちょっと大きめの靴を買って、ついにそれにフィットするサイズになることなく3年生になってしまった。上背と同じように模擬試験の成績も横ばいのままだ。手ごたえは、まぁまぁではあったから大丈夫だと思いたいが。
現実に支配されかけていた脳みそを振るって、一足早くアップデートが済んだパソコンのモニターに目をやる。誰に見られるわけでもないのに20字もあるパスワードを手早く打ち込んで、ゲーム『UTOPIA』を起動した。ローディング画面がしばらく続いて、見慣れたスタート画面が表示される。ボタンを連打。早く玲さんと連絡を取りたかった。俺のアバターが大邑のど真ん中、首都の春京にある市場に現れた。そういえば夢の世界で大邑に行くっていうんでリサーチしていたんだっけ。まさかまともに入国すらできないとは思ってなかったが。後ろをついてきているGUIDEに話しかけて、フレンドリストを表示する。『GHOST_ORANGE』! フレンドが少なくて助かったぜ!
[無事か?]
チャットを送る。返信はない。向こうはオフラインのままだ。今度はゲーム内ボイスチャットを繋げようと試みる。応答はなかった。
「くっそ、なんで出ないんだ?」
向こうでパソコンを起動していなくとも、スマホ版の方と連携していれば向こうのスマホにも通知が行くはずだ。まさか本当にあいつの身に何かあったんじゃ!?
コンコン!
ノックの音。また夢の世界に侵されていた脳みそが現実に振り戻される。開く扉。
「あら、今日は随分と早起きじゃない? ちゃんと寝れた?」
扉を開いたのは母親だった。ちゃんとノックしてくれたのはありがたいが、今はそれどころじゃねぇ。
「ま、まぁね。ちょっと目が覚めちゃって。ん、早起き?」
時計を確認した。クソ長アプデを挟んだとはいえ、時計は「05:45」という早朝を示しており、越境して学校に通っているような苦学生以外の健康優良児たちは眠っている時間だった。玲さんにしてもそうだろう。
「ええ、早起きね。お姉ちゃんもさっき起きたところよ。もしかして光輝、あなた夜中ずっとそれで遊んでたの?」
俺のPC画面を訝しげに眺める母。「いや、これはさっき開いたばっかで!」と誤解を解こうとするも、『まあ、遊ぶのは構わないけど、ぼちぼち受験勉強もやってね。ほら、お姉ちゃんも今の時期には勉強モードだったからさ』と窘められてしまった。姉は今大学3年生で、1、2年時に必要な単位のほとんどを取ったのにも関わらず、惰眠を貪ることなくゼミというものに心血をそそいでいる。早朝に大学の門をくぐり、終電と共に帰路につく。俺が起きる時間に家を出るもんだから、少なくとも今年に入ってからは一度も午前中に顔を見てない。あ、いや、amという意味なら深夜に時々遭遇したことはあるが。
すっかり眠気も覚めてしまって、二度寝の夢も叶うことはなく、また家に居る間に玲さんと連絡を取ることも叶わず、世間は連休中だというのに俺は学校に行く羽目になった。模擬試験の返却と進路相談も兼ねた二者面談があるんだと。別に授業があるわけでもないのに3年生だからという理由だけで駆り出される学校。わざわざ制服に着替えなきゃいけないのが面倒くさい。別に大して偏差値が高いわけでもない、みんながみんな大学に進学するわけじゃない。いや、だからこその進路相談、か。
快晴の空の下で自転車を漕ぐ。やけにぽかぽかとしていて、春然としている地元が気に入らない。国道沿いに茂った葉桜は陽の光をチカチカと反射してきてむかつく。ていうか制服暑い。衣替えとかいう謎システムを早く廃止して欲しい。アスファルトの照り返しと、やけに長い登り坂と、ごちゃごちゃと空を遮る電線と、やけに背の高い送電塔と。俺は一度もこの町を好きになれた試しがない。この町の一番いいところは東京に近いところ。この町の一番いやなところも、東京に近いところだ。田舎あるあるも都会あるあるも言えない、どでかいイオンもなければお洒落なカフェもない。いや、あっても困るけど。
正直、本当は出て行ってしまいたい気持ちでいっぱいだ。
自転車を立ち漕ぎする。幾ら力を振り絞っても、少しずつしか進めない。この町に足はくっついたままで、だけどなるべく遠いどこかを求めている。一体なぜ?
くだらない。そんなこと考えたって仕方がない。姉がここからほど近い私立の大学に入った時点で、俺が親に県外の大学で一人暮らしの工面をしてもらえる未来はほとんど潰えたんだ。それに、大学の面接で志望動機を聞かれて、「地元から遠かったからです」なんて言ったところで落ちるに決まってる。空回りしかけたペダルを後ろに漕いで直して、俺は高校の駐輪場へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます