INTERLUDE_0.00000000000000000001

──人生は選択の連続だ。何かをするということは、とりもなおさず何かをしないことでもあって、無限にあるように思えた選択肢の数々のほとんどが、実際には手を伸ばすたびに掴みようのないことに気がつく。自分で選んだつもりなのに、あるいは自分で選ばなかったはずなのに、どうしてか誰かに選択を強いられているような気がして、選ばないことによって逃げ続けた結果、何処にも行けない私が居た。──



 東雲由美香、B。省察は興味深いが出典に乏しく独善的。春日瑠偉、A。考察が簡潔にまとめられており、資料も豊富。やや新規性には欠ける。安藤唯斗、C。引用の仕方から指導し直す必要あり。切り口は斬新。


「これで終わりね」


 気の遠くなる作業も一段落して、伸びをする。パキパキという骨が軋む音が薄暗い研究室で鳴って、そして消えた。私一人しかいない小さな部屋では、パソコンのブーンという駆動音や明滅する蛍光灯の音の方が騒がしく、人一人が発せられる気配などたかが知れていると思い知らされる。


 すっかり冷めてしまった紙コップのコーヒーをすすりながら、レポートを再度チェックする。およそ100枚になろうかという紙の束は全て、学部2年生の子たちが書いた提出物だ。その全てを大学院生である私が採点して、その上でコメントも書き添えている。要は教授の助手のようなものだ。一応これは大学院生への課題でもあり、採点を教授に見てもらいはするのだが、多くの場合そのまま正式な学生の点数として反映される。言うなれば私は赤ペン先生だ。


 正直、いい加減なものだと思う。研究が忙しいのは分かるが、教授の名前が冠された講義である以上は、教授が直接学生のレポートを見て採点するべきだろう。学生だって当然、担当教員たる教授が読んでくれているものだと思っているに違いない。私だって、院生になるまでは1つ1つ先生が採点しているのだと信じて疑わなかった。いや、そもそもそんな疑問すらつゆとも生じなかった。


 例えば、ほとんどアシスタントが描いた漫画だったとしても、作者の名前が表紙に刷られるように。例えば、実際に動いているのは助監督率いる制作陣だったとしても、スタッフロールで最後に名前が出るのは監督であるように。例えば、原稿を書いているのが官僚であったとしても、読み上げるのは政治家であるように。実のところは影で支えている人たちが沢山いて、だけど私たちはクレジットされる名前しか見えていないものなのだ。でも、その人たちは確実に存在する。私もクレジットされぬ存在の1人で、シラバスの担当教員の欄にある、小さな余白に居るに過ぎない。だけど、確かに私はそこに居るのだ。


 残ったコーヒーを一気に喉の奥に流し込む。ほのかな酸味が舌に残り、不快さを紛らわせるために紙コップを握り潰した。なんにせよ、私の仕事は終わったのだ。壁掛け時計をちらりと見る。21時。まだ用務員の人が鍵を締めにこないことが、この時計のズレを証明している。


「追い出される前にこれを教授に届けないと」


 独り言が寂しくこだまする。実際には教授に届ける、というよりは教授の部屋の前にあるレポートボックスに返却する、が正しいのだが。教授とて公務員であり、もう自宅で奥様と晩酌でもしている頃合いだろう。存在しないはずの余白の私が、それに水を差すわけにも行くまい。


 立ち上がろうとして、目が眩む。低血圧でもあり、微睡みでもあり。こうなってしまうとカフェインも効き目がない。早く用事を済ませて帰らなくては。大学の廊下で目覚めを待つことになるのは懲り懲りだ。


 握り潰した紙コップはゴミ箱へ。採点の済んだレポートは教授のボックスへ。あるべきものはあるべき場所に。然るべき居場所に帰るために。 

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