秘色の理——AT YOUTOPIA

 絶好の空旅日和だ。カルロに出してもらった飛空船はぐんぐんと高度を上げて、気付けば大邑の全様が遠目に見える位置にまで来ていた。


「実際に見ると高い山だな、盤石山!」


 中国風、否、大邑風の衣服を身にまとったトワくんはマストの見張り台から巨大な切り立った山を指差す。大邑の言わばランドマーク、盤石山。ゲームの『UTOPIA』ではあの山の中腹辺りにギルドの本部があるんだっけか。


「トワさん、幽霊さん! 申し訳ありませんが、わたくしたちが案内できるのはここまでです!」


 船のデッキから私を見下ろして、饒舌な敬語で話しかけてくるのは狐の獣人カルロだ。


「ここから先は小舟をお出ししますので、そちらで大邑の方まで向かって下さい! 唯一開かれた港のある西慶は、ここから正面に行けば着きますので!」


 高い位置にある見張り台にいるトワくんに聞こえるように配慮しているのだろうか、声を張って事情を説明してくれた。


「うん、分かった! ここまで連れて来てくれて、おまけに着替えや小舟まで出してくれてありがとう!」

「ふん、おかげでまた素寒貧だけどな」


 マストからふわりと降りて来ながら、トワくんは言った。確かにお金がかかったのは事実である……。


「いえいえ! またご利用くださいませ! キャラバンはいつでもあなたたちを待っていますよ! あ、そうだ」


 律儀にキャラバン式の敬礼をした後、カルロは懐をごそごそとし始めた。


「えっと、こっちだったかな、あいやこっちのポケットだったかしら、ああ、あったあった」


 そう言ってカルロは内ポケットから何やら手のひらと同じくらいの大きさのモノを取り出した。黒くて、てかてかしている縦長の、なんだろう、昔の携帯電話みたいな見た目だ。


「それ、ピッチか!?」

「はて? そんな風にも呼ばれているのですか? これはスクラプレックスの最新の通信機器——」

「これが最新なわけあるかぁ!! Personal Handy-phone System、略してPHS、通称ピッチだろうが!! お前は分かるだろ!?」


 トワくんがこっちを見て言う。ピッチ? そんな魚が跳ねる擬音みたいな名前の装置——


「私は知らない」

「なんで知らねぇんだよ! 古沼真監督の名作、『いんせきのうた』で主人公の女ケ沢が、隕石に掴まってやってきた宇宙人のヒロイン小山が自分の惑星に帰還してしまった後にピッチで地球にいる間に伝えられなかった愛の告白をする名シーンを知らないのか!?」

「ご、ごめん。監督の名前も作品名も初耳。えっと、それは映画か何か?」

「古沼真をご存じない!? い、いや、それはいいや。ようするに、携帯電話とかが普及する前に使われてた通信装置があって、それをピッチって言うんだよ」

「へー、そうなんだ。そんな昔から宇宙と電話できる装置があったんだね」

「いや、できない。ピッチが1つの基地局から通信できる距離は精々500mだ」

「え? では、どうやって映画の主人公たちは通信を……?」

「うるせぇな! 別に何だっていいだろ!? 本来ならできないことを愛の力でやってのけるのがロマンなんじゃん!! とにかく、変だって言ってんだよ、ピッチがこの世界にあるのは!」


 それは、確かにそうだ。トワくんの言う通り、これが私たちの世界に、現実世界にあるのだとしたら、それがこっちの世界にあるのは不自然だと思う。


「でも、これはピッチじゃないんでしょ?」

「ええ。これはスクラプレックスの最新の通信機器、プレクシアグリッチ」


 カルロは一呼吸おいて私たちに装置を差し出す。


「通称、プッチです」

「ニアミスじゃねーか!!??」


 突っ込むトワくんを無視して、カルロは説明を続けた。


「スクラプレックス以外では基本的に流通していませんので、あまり使い道はないかもしれませんが、一応ここにある2台のプッチ同士と、あと私のプッチについても登録してあるので、ボタン1つで音声通信ができますよ、なんて画期的!」

「あの、お金とらないよね?」


 完全にセールストークモードに入っていたので、確認をする。


「いえいえ! まさか命の恩人からプッチ本体の料金を頂くようなことはしませんよ」


 それ以外の料金はふんだくられたけどね。


「まぁ、ありがたく受け取っておいてやるよ。連絡手段はあるに越したこたぁないもんな」

「それじゃあ、行こうか」


 私たちはカルロと固い握手を交わして、用意してもらった小舟に乗り込んだ。プロペラはついているけど、小ぶりな飛空船。


「それではお気をつけてー!!」


 乗り込んだ矢先に振り返ると、もう既にカルロの飛空船は霞みがかかるほどの距離にあった。


「いや、遠いな!!」

「それだけ、大邑に警戒しているってことじゃない?」


 ここで大邑についておさらいだ。


「この世界の大小多数の浮島、その9割以上が所属している世界ギルド連盟に加盟していなくて」

「だけどこの世界で最大の浮島を有するギルドで」

「女帝である盤帝は暴君だ」

「ゲームの方では聡明そうな女性だったけどね」

「現在は西慶以外の港を閉めていて、実質鎖国状態」

「そして世界ギルド連盟で最大の経済力を持つ、スクラプレックスと戦争中」

「しかも内乱中って話だよな、大邑は真っ二つに割れている」

「そんな場所を最初の目的地として示すなんて、随分だよね、君も」


 私は人差し指でGUIDEのほっぺをつつく。


「とにもかくにも、そんなに危険な場所だって前情報で分かってるのはでかいな。さっさと入国して、さっさと次のGUIDEを見つけて、さっさとこんな危ないギルド、出ちまおーぜ?」


 段々と船は西慶に近づいて行き、街の様子が明らかになっていく。港に浮いている巨大な船の数々は中空に差し向けられた桟橋の横に停泊していて、港街はというと巨大な木造の瓦屋根の建築群が、港湾に沿うように張り巡らされている。


「さっさと出ちまいたい気持ちも分かるけど、とっても綺麗な街だし、ちょっとくらいは見て周りたいね」


 遠くから見ても分かる、古都の旅情を誘う趣。


「おいおいおいおい、正気か!? もうゲームの方で死ぬほど見ただろ」


 船首で胡坐をかいているトワくんがこちらを振り返って言う。


「ゲームで見るのと実際に歩くのとでは違うでしょ、それにゲームの方との違いを確認しておきたいし」

「それはしたいけど、身の安全を確保してからの話だ、それに——」


 トワくんは武器を構えた。


「そもそも安全に入港できるとは限らないしな」


 周囲から遠巻きにこちらに近付いてくる、飛空船。先ほどまで乗せてもらっていたカルロの飛空船はガレオン船のような見た目だったけど、接近してくる船は3本のマストが目を引く、ジャンク船のような見た目をしていた。1艘や2艘じゃない、両手の指では数えられないほどの船の数々が不気味にも私たちの船を取り囲んでいた。


「なるほど。カルロさんはこれを恐れていたってことだね。国境警備隊なのかな?」

「言ってる場合かよ、これは圧倒的にこっちの方が不利だぞ!」


 急いで船尾に走り防御壁を張る。とほぼ同時に弾丸が防御壁を鋭くノックした。ゴーグルを装着。側面についた歯車を回してズームで弾丸が飛んできた方向の船を確認する。


「おいおいおいおい、気付かぬうちに随分と近代的な兵器を使うようになったんだな、大邑も!!」


 船には数人の乗組員が居て、全員が銃をこちらに向けて構えていた。またこちらに撃ってくる! 私が見ている方向だけじゃない。四方八方から銃撃が行われた。


「話の通じそうな相手では……」

「ないな、どう見ても!」

「防御壁を張るための体力ならまだ保つけど、如何せん材料が無さ過ぎるよ、どうする?」


 どれだけ天啓を扱えたとしても、防御壁の元となるモノが空中では確保できない。辛うじて船体から少しずつ拝借したとしても、それでは船が沈むのも時間の問題だ。


「とはいえ、流石にこの距離を人1人抱えて飛ぶのは、うおっと!?」


 トワくんが身を翻す。防御壁の隙間を縫うように弾が飛来し、マストに突き刺さる。


「おいおい、冗談はヨシコの姉ちゃんだぜ!!」


 マストから火の手が上がった。どうやら弾が発火したようだった。


「い、急いで消火しないと!」


 得意じゃないけど、水の天啓を。


「いや、そんなことしててもジリ貧だ! ワンチャンに賭けて、西慶に飛び移ろう!」

「飛び移ったところで西慶だってこの人たちの仲間で一杯なんじゃ」

「今落下して死ぬよかいいだろ!! ほら、手を貸せ——」


 トワくんの方に手を伸ばそうとしたその時。船はメキメキと音を立てて、縦に真っ二つになった。一瞬の出来事だったけど、下から砲撃を喰らったことは分かった。なるほどね、周囲にある船は私たちの気を引くために遠巻きに攻撃していて、本来の目的はこうやって船底から攻撃することだったのか。そんな関心をしている間にもみるみるとトワくんとの距離は離れていった。


「せめて、この子だけでも!」


 私は共に落下していたGUIDEを掴んで、義手で目一杯トワくんの方へ投げる。トワくんは躊躇い気味ではあったけど、GUIDEを受け取って飛び立っていった。


 そのまま落下させて静かに役目を終えさせてくれるほど、連中は甘くないみたいだった。レインボーフットにそのまま落ちると思っていた私の背中に衝撃が走る。地上ではなく、甲板に叩きつけられたことによるものだった。ぼやけた視界で見上げる3本のマスト。それを汚れた軍靴が遮る。何人かの兵士と思しき人物たちが私を取り囲んでいた。


「よお、お嬢さん。絶賛戦争中の俺たちのギルドに、一体何の用があって来たんだい? まさか観光じゃないよな」


 1人の男がしゃがんで私の方に話しかけてくる。見たところ船には10人も居なさそう。これくらいなら頑張れば対処できそうだけど、ここをどうにかしたところで同じだけの人数が乗っている船を10艘は相手しなくちゃいけない。


「用って。こんな手荒な歓迎をされるほど大仰な用事はないよ。ただ探し物をしにきただけ」


 とにかく大邑に上陸する必要がある。このまま大人しくお縄についていた方が良いだろうか。わざわざ拾ったってことは少なくとも今この場で私を殺めようとしているわけではないだろうし。


「信用ならないねぇ、船はキャラバン製で服装はわざわざ大邑の衣装を着て、それでいて装備はアークスチーム製と来た。随分とちぐはぐな奴だ。お前、一体何者だ?」


 男に顔を覗き込まれて、顔を横に向ける。


「私は……リトリヤの、幽霊」


 自分からこの名前を名乗るのは嫌なんだけど。この世界ではこう呼ばれているのだから仕方がない。


「リトリヤの幽霊って、なんだそりゃ。 俺は名前を聞いてんのよ? 分かるか?」


 立ち上がった男に無理やり靴の先で顔を表に上げられる。お嬢さん呼びするのなら顔くらい丁重に扱って欲しいものだ。


「待て、あんた、リトリヤの幽霊って言ったか?」

 無精ひげを蓄えた、船長格と思しき人物が近付いてきて言った。


「結わえた白髪、奇怪なゴーグル、夕焼け色に光る義手、間違いない。最近、永い眠りから目を覚ましたという話は風のうわさで聞いちゃいたが」


 船長は仰向けの私を頭から見下ろすようにしゃがむ。


「あんた、まさか——」


 ここにきて過去の自分の威光が役立つとは、ね。


「リトリヤの幽霊の熱狂的なファンか?」

「いや、本人だわ! わざわざこんな手の込んだコスプレするか!」


 勢い余って起き上がった結果、船長の額に頭をぶつけてしまった。




 結局、手に縄をかけられてはしまったが西慶の港に降り立つことはできた。船長曰く、わしの一存では判断できんから、頭と面会してくれ、とのことだった。


 船長に縄を引かれて、桟橋から街の方へ、夕暮れの最中を歩いて行く。完全に連行だ。とはいえここで抵抗して突き落とされたら一巻の終わりだし、何より盤帝と出会う千載一遇のチャンスをふいにするわけにはいかない。でも、わざわざギルド長のことを頭って呼ぶのかな?


「頭って、盤帝のこと?」


 疑問に思ったので、一応訊いてみる。


「馬鹿言え! それはわしらの敵だ」

「あれ、ということはあなたたちは国境警備隊ではなくて」

「ああ、そうだ。わしらはその盤帝の悪政から大邑を解放するために立ち上がった、言わば革命軍、『朔班』だ」


 そっちか。この様子だと唯一開いている港を実効支配しているみたいだ。そして、その港街の西慶はというと——。


「ひどい有り様だろ?」


 私がきょろきょろと街を見回すのに、船長は反応したみたいだった。確かに、船からは見えなかったけど、よく見ると随分と荒廃してしまっている。寂れた観光地が行き着いた先のようだった。遠くからでも木造と一目でわかったのは、本来は朱に塗られていた建物の塗装が剥げてしまっていたからだったのだ。瓦も落ち、今にも崩れそうな建物もあった。整備の行き届いていない石畳は鬱蒼と苔が生えている。一歩踏みしめるごとに足元が沈み込むような嫌な感覚がした。人影もまばらだ、時折見かける人々はみな一様に痩せていた。確かにこれでは、ピカピカの大邑の衣装を身に纏って訪れるなんてことは、西慶の人々の神経を逆なでるだけだ。


「これも全部、盤帝のせいだ。鎖国状態にあった大邑を開国しようだなどと宣ったからこうなったんだ」


 ゲームの方では、急激な公共事業に民が苦しめられたのが原因って言ってたっけ。どっかで似たような話を聞いたことがあるんだけど、思い出せない。


「さぁ、こっちだ。大邑に代わる独立ギルド、朔班の本部。秋月堂という。ちょっとボロッちいがな」


 目の前には巨大な木製の門があった。朽ちてはいるが、立派だ。灯台の役割と、城としての役割を両方とも果たしているのだろう、盤石山があっては霞むがそれでも背の高い建物だ。門には衛兵が4人いて、船長が敬礼すると衛兵たちも敬礼を返した。


 衛兵はギシギシと音を立てながら、木製の門を押し開く。窓がほとんど閉め切られた光の少ない建物内は薄暗く、ただ質素ではあるものの上品な内装になっていることが伺えた。城というよりは、寺に近いものを感じる。建物は吹き抜けになっていて、最上階まで見渡すことができた。


「頭ぁ! いるか!?」


 船長のしゃがれた大声が秋月堂内に響き渡る。その後、再び訪れる静寂。上階にわずかばかりある開いた窓から漏れる光が、建物内を舞う埃を照らす。それらが、ちらりと揺れた刹那。


「そんなにでかい声を出さんでも、ここに居る」


 耳元から声が聞こえる。振り返ると間近に眼鏡をかけた男の顔があった。


「うわぁ! びっくりした!」


 思わず声が出てしまった。


「そんなにでかい声を出さんでくれと言っているだろう」


 男は悩まし気に眉毛を八の字にして、私の額を人差し指でつついた。痛い。


「なんだ、頭。居たんですかい、あんまり老骨をからかわないで頂きたい」

「いや、すまない。からかったわけではないのだ、我も先刻帰って来たばかりでな」


 私の視点に合わせて屈んでいた背を伸ばして、男は船長と話している。普通の人間としてはかなり背が高い。真っすぐと伸びた長い髪が時折揺れている。何より目立つのは、左手に備えた巨大な盾だ。


「それで? この可愛らしいお嬢さんは?」

「へい。先ほど近づいて来た怪しい船から拿捕したもので」

「ほう、そうか。ふむ、遊女にする器量もなさそうだ、適当に人足か百姓にでも当てれば良かろう。我がギルドは零細だ、人手は幾らあっても足らんのだから」


 男はそういって、しっしと手を払う。どうやら、船長ともどもお堂から出て行けという合図のようだ。正直、私の苦手なタイプの人だから出て行ってやりたい気持ちも山々だけど、今回はそうもいかない。


「あ、それが頭、こいつ、リトリヤの幽霊を名乗っていまして……」


 船長の言葉に、男の眉根がピクリと動く。


「まさか。リトリヤの幽霊はこんな気立ての悪そうな女じゃないぞ」

「さっきから随分と失礼な物言いだね」


 流石に苛立ちを覚えたので言い返す。


「ふむ、だがその結わえた白髪、奇怪なゴーグル、夕焼け色に光る義手、何よりこのぶっきらぼうな口ぶり、まさか——」


 どんどん近づいてくる男から後ずさりして離れる。


「リトリヤの幽霊の双子の妹か?」

「いや、本人だわ! 義手とゴーグル生やして産まれてくるわけないでしょ!」


 私は縄で結わえられたままの腕で男を押し返す。


「はっはっは! 冗談だ、これは失礼した。立ち話も難だ、上がりなさい。10年ぶりだな、改めて自己紹介と行こう」


 私の腕をひらりとかわすと、勢いのまま男は右手を振った。それに呼応するようにお堂の窓が開く。すっかり陽は沈んでしまったのか、青白い夜空が姿を現す。


「我は朔班のギルド長、明だ」


 ろうそくの灯すらない秋月堂で、月明かりだけが彼を照らしていた。

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