【番外編】夢は、薄明のフクロウに潰える
——自分の店を持つのは俺の長年の夢だった。それが叶ったのは数年前のことだった——
俺はガルレオ。ストリングは首都のロメにある歓楽街、ルチード通りの外れにある酒場、『セレステ』の店主をしている。落ちかけた夕暮れが鋭い光で通りを飾るころ、俺は店を開けるのさ。一日の疲れに癒しを求めるロメの人々のために、な。
ただ、今日ばっかしはちょっと事情が良くない。いや、最近言うことを息子が聞かなくなってきた、とか、台所事情が、とかそういう話じゃない。ただ、珍しく開店早々に2人組の客が来てカウンターに腰かけたし、店の灯りの回りを迷い込んだフェリス蝶がひらひらしていたから、今日は繁盛しそうだと思っていたんだがな。
「おい、どうした。何をぼーっとしている。客が来たのだぞ、注文を取り給え」
青い髪に金縁のモノクル。色々とどでかい体。何よりこの鼻につく物言い。これはどう見ても——
「まぁまぁクアンドシウス! 先方にも準備というものがあろう! すまんなぁ、マスター! こいつは今ちょろーっと気が立っておって!」
「その名前で呼ぶなと言っているだろう、ギン。我は今、忍びで来ているんだ」
クアンドシウス。我らがストリングのギルド長。人型に化けちゃあいるが間違いないだろう。この姿で街を歩いてるの時々見かけるし。公然の秘密ってやつだ。ただ、普段のどでかいフクロウの姿と、威圧感自体は変わらない。
それよりこの焦げた魚人は誰だ? この辺りじゃ見かけない顔だ。そう言えばミナセの奴が昨日、魚人を探してルチード通りを駆けまわってたってパン屋のベアードが言ってたな。
「ほら、メニューを出せ。今日は飲むぞ」
「あー、はいはい。どうぞ」
俺はメニューを慎重にギルド長に渡す。こりゃ今日は荒れるぞ。
魚人とギルド長の注文を受けている間、何人かの客が来たが、そのほとんどはギルド長の姿を見て、顔をぎょっとさせた後で店を出て行った。みんなギルド長の手腕自体は評価しちゃいるが、流石に一緒に酒を飲むのは嫌みたいだ。
「ふむ。さっきから冷やかしが多いな」
あんたのせいだよ。
「せっかくわしら2人が久々に揃ったというのにな」
あんたは誰なんだよ。
俺は2人の注文に従って、おつまみと酒を提供した。
「堅苦しい会食から抜け出したことだし、さっさと飲むぞ! 乾杯じゃ!」
「ふん、乾杯」
2人は己が発するオーラによって客足を遠ざけていることなど意にも介さずに酒を飲み始めた。樽ジョッキに入ったエーテルビールはするすると2人の胃袋に沈んでいく。
「ぶはー!! 店長、もう一杯!」
「ふん、我も付き合おう」
「あ、はーい。ご注文ありがとうございます」
あー、早く店閉めてぇ。それかこの2人を追い出したい。いや、別に飲み食いしてもらえる分にはいいんだぜ? 流石にギルド長ってだけあって金払いもいいし。多少客足が遠のいてもその分を補って余りあるくらいには景気はいい。ただ。ただなぁ。
「うぉい! ぬぁにじろじろ見てっだ! 我の、我の顔になにか、ついてるんかぁ!?」
すっげー酒乱なんだよな。噂には聞いてはいたけど。まだこの2人が店に来てから1時間も経っていないが完全に出来上がっている。
「わっはっはっは!! もう1杯!」
焼き魚人は焼き魚人で笑い上戸のようでさっきからずっと笑っている。積み重なった樽ジョッキの数は既に20を超えていた。
「あのー。大丈夫すか。クアン、いやそっちの方はまぁいいとして。魚人さんは——」
「わしゃギンだ」
「あ、はい。ギンさんは、その、大変失礼なんですが、こんなに注文いただいて、お支払いとか——」
既に伝票の枚数は5枚を越えていて、凄まじいペースで酒を飲んでいることが分かる。
「わっはっはっは!! なんだ、そんなことか! 金の心配ならせんでもよい! なぜならわしは!」
な、なんだ。確かにギルド長と付き合いがあるくらいなんだから、とんでもない要人の可能性もある。
「わしは王子様だからな!」
やはり酒の飲み過ぎは良くない。人を高慢にしてしまうのだ。
「ふっへっへっへ! 王子様、王子様って! 貴様今幾つだ?」
「ぴっちぴちの105だぞ?」
「しわっしわの間違いであろう!?」
「そんなこと言うたらお前の方はもうさんびゃ——」
ガチャン! ギンさんが言い切る前にギルド長はグラスをカウンターに叩きつけた。
「何か言ったか?」
「いえ、なんでもないです」
魚人は肩をすぼめた。そうか、もう我がギルド長も300歳。いや300歳!?
「なんだ貴様。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしおって」
「は、鳩って。鳥類に近いのはあなたの方だと思いますけど」
「貴様も我を愚弄するのか!?」
「ひ、ひえ、大変失礼しました!」
「わっはっはっは! やるな、ご主人! もう一杯!!」
そう言って掲げられたエラの張った指は3本立っており、こっちもこっちで相当酔ってることが分かった。
「まったく、ここにはだぁれも気の利くやつはおらんのか」
ギルド長は頬杖をついて店の扉の方をぼんやりと眺めていた。口を開かなければかなり美人の部類に入るだろうに勿体ない。
「あ、そうだ」
ギルド長はそう言うと指を鳴らした。すると突然、店内を飛び回っていた蝶が姿を変えて、大きな狐がギルド長の隣の座席に現れた。
「御用でしょうか。クアンドシウス様」
「今はその名前で呼ぶな!」
「大変失礼しました」
「まぁ、良い。ミナセのやつを呼んで来い」
「は、ミナセ様、ですか?」
ミナセ。ストリングに長らく眠っていた救国の英雄だ。最近目覚めて、記憶は失っちゃいるがその人の良さは変わっていなかった。この前、丁度うちの店に来たからな。愛想もいいし、物腰も柔らかい。ギルド長に爪の垢を煎じて飲ませたいぜ。
「そうだ、早く」
「しかし、お言葉を返すようですが、ミナセ様は今、旅のご準備でお忙しいかと」
「かんけーない! 呼んで来い!」
狐の使用人は、ただいま! と言って店を出て行った。あーあ。酒に酔って部下を呼び出すとか酒乱の極みだぜ。
「相変わらず不器用だのー」
「う、うるさい」
何やらまた小突き合いをしながら、2人はスラ豆をつまんだ。
すっかり夜のとばりが落ちて、徐々に客の数も増えてきた。普段ほど客入りが良いわけじゃないが、そうは言ってもそれなりに繁盛している。長らくバーカウンターを占拠していた2人以外にも、カウンターの前に腰かける客が出てきた。まぁどうやらハシゴしてきた客ばかりで、ギルド長の存在に気付いてないみたいだが。
カランコロン。新しい客だ。
「お邪魔します。あ、ギンさん!」
呼び出しを喰らっていたミナセがやってきた。相変わらず上等な、白を基調とした服を着ている。ミナセは水の天啓と同じくらい服を汚さないで飯を食べるのがうまい。
「おう! ミナセ、やーっと来たか!」
「あれ、クアンドシウスさんは?」
「ここにいるだろ!」
「え!? クアンドシウスさん!? 人間に変身できるんですか! 凄い!!」
割に天然なところがあるのも、ミナセのチャームポイントだろう。唐突に褒められたギルド長は、素面の時ならふん、と言って聞き流しただろうに、べろんべろんの今だと——
「ふっへっへっへ。なぁに、多少練習すれば貴様にもできるようになる」
そう言ってミナセの頭を撫でると隣の席に座らせた。
「せっかくミナセも来たし、一杯やろう!」
魚人はそう言って、また指を3本掲げた。今度は間違っちゃいないな。
「い、いや僕はお酒は——」
「我の酒が飲めないというのかぁ!?」
「じ、じゃあ1杯だけ」
ミナセは遠慮気味に人差し指を掲げた。
「はい、ご注文どうも」
俺は客に背を向けて樽ジョッキにエーテルビールを注ぐ。
「お、ミナセじゃん。こんなところで何やってんの?」
「あら、本当。この前はありがとね、ペット探しに付き合ってもらって」
サーバーの蛇口をひねっていると、他の客がミナセに絡む声が聞こえてきた。
「あ、どうも。何と言いますか、お呼ばれしまして」
「こんな時間に急に呼び出すなんて、どんな奴よ」
樽ジョッキに酒が満タンに注がれる。これで3つ揃ったな。
「え、えとー、それは上司と言いますか……」
「上司ぃ! とんでもないパワハラ上司が、いた、もんだ、あ——」
大切な3人のお客様に注文された商品を提供しようとしたら、ミナセに絡む2人の客が青ざめて固まっているのが見えた。その視線の先では、2人の客を睨みつけるギルド長の姿があった。
「す、すみませんでしたぁ! ほら、いくぞ!」
「お、お邪魔しちゃってごめんなさいね」
2人の客はそそくさと自分の席に戻っていった。流石に人間の姿であっても鋭い眼光だ。一瞬、沈黙が店内を満たす。
「はい、エーテルビール3杯!」
それを切り裂くためにも俺は客全員に聞こえるくらいの声で、3人に飲み物を提供した。
「お、待ってました!」
「ほら、貴様も飲め」
「はい、ありがとうございます!」
お。さっきの反応からして飲めねぇのかと思ってたが、意外と乗り気だな。いける口なのか。
ミナセは隣にいる大酒飲み2人がエーテルビールを豪快に飲む様に合わせて、差し出された樽ジョッキを口に当てて、ぐいと逆さまになるのではないかという角度まで上げる。人間特有ののどぼとけが上下する速度は、ミナセの男らしい飲みっぷりを表していた。
ガチャン!
3つの樽ジョッキがカウンターに叩きつけられた。
「うわー、お酒ってこんな感じなんですね」
「いや、飲んだことねぇのかよ! 大丈夫か、そんなに一気に飲んで!?」
思わず突っ込んでしまった。
「ふん、10年前はもっと豪快に飲んでいたぞ」
ギルド長はミナセを見下ろして言った。
「また10年前の話ですか」
ミナセはというと紅潮した頬でギルド長を見上げる。
「なんだ、何か文句でもあるのかぁ?」
「だって。クアンドシウスさんいっつもそう。顔を突き合わせれば『記憶は戻ったか?』、『10年前のことは思い出したか?』って」
あー、こりゃ完全に酔ってるな。いや、酔いが回るの早くないか?
「そ、それの何が悪いんだ?」
ギルド長はミナセから目を逸らす。お、ちょっと戸惑ってるな。珍しい。
「別に! 悪いわけじゃないですけど!」
ミナセはギルド長の頬に手を回して、その顔をぐいとミナセ自身のほうに向ける。
「せめて今日くらい今の僕を見て下さいよ」
ギルド長が右手に持っていた空のジョッキがぽろりと落ちて、カウンターの上を小さく跳ねる。ギルド長の酒で赤くなっていた顔が、ミナセの手越しに覗くだけでも分かるほど、みるみると真紅に染まっていった。
「き、貴様は本当に油断ならない奴だ! あの時だってそうだ」
「だから、昔の話は、しないで、くだ、さいよ……」
ミナセが最後まで言い切る前に、ギルド長の両頬からずるりと2つの手は零れて、ミナセはカウンターに突っ伏してしまった。
「いや、そこで寝るんかい!」
思わず突っ込んでしまった。
「ふ、ふん。甲斐性のない奴め」
「それはわしのセリフだ。まーったく何を見せられとるんだ」
「う、うるさい」
「「「いやー、いいもん見れた!」」」
他の客たちも騒ぎ始めた。まぁ、気持ちはわかる。タジタジのギルド長なんてもう向こう100年は見れないからな。
「この件は他言無用だぞ」
「えー、どうしよっかのー?」
ギンさんはここぞとばかりにとぼけていた。他の客たちもそれにならっている。
「ぐぬぬ……。分かった、分かった。ここの代金は全て我が持とう。貴様らも! それでよいか!?」
ギルド長は周囲の客に喧伝した。
「やったー! それでこそクアンドシウス様だ!!」
「その名前で呼ぶなと言っているだろうが!」
「フクロウの大親方!」
「ダイナマイトバディ!」
「増税上手!」
「規律の生き写し!」
「頑固の擬人化!」
「貴様ら呼び方を改めれば何でもいいわけじゃないぞ!! 全く、酔いが醒めたわ」
「なら、もう1度、乾杯だ!」
ふふ。思わず笑みがこぼれる。なんだかんだ、一件落着じゃないか。ギルド長の横で寝息を立てる男のおかげだ。今日も『セレステ』の夜はちょっと騒がしくて、だけど平和に幕を閉じることになるだろう。
酔いから目覚めたミナセはさぞ驚いたことだろう。なんせ、自分の周りを客たちが囲んでいるんだからな。
「ミナセェ、やっぱり行かないでくれぇ」
「「「頼むよー!」」」
すっかり酔いの回り切った客たちは、みな一様にミナセとの別れを惜しんでいる様子だった。ギルド長はぽろぽろと泣いていて、それにつられているのか他の客も泣き出しそうな顔つきだった。
「だ、大丈夫ですよ、必ず帰ってきますから」
「うむ、すまんな急な依頼をしてしまって」
ギンさんはそう言ってミナセの頭を撫でた。
「ほら、お前たちはいつまでしょげとるんだ。特にクアンドシウス! ミナセを勇気づけて送り出すためにこの店に呼んだんじゃないのか!?」
「だってー……」
いつもの威厳はどこへやら。ギルド長はすっかりしょげた顔でミナセの方を見た。
「いや、そうだな。本当は、本当は行って欲しくないが……。いつまでもストリングの守護を任せるわけにも行くまい。行ってこい、いつでも、待って、おる、ぞ……」
ギルド長は最後まで言い切る前にカウンターに突っ伏してしまった。
「いや、そこで寝るんかい!」
思わず突っ込んでしまった。
「わっはっはっは! まぁ、クアンドシウスの気持ちは汲んでやってくれ。素面では素直になれんのだ、こいつは」
「ええ。分かってますよ。気持ちは十分伝わりました」
ミナセは照れくさそうに笑っている。なんだよ、良い話かよ。
「おーい、ギルド長、起きてくれ、ギルド長」
他の客がゆさゆさとギルド長の肩を揺らす。
「おい、ギルド長、起きない。やばい、ギルド長が意識を失った!」
あれ? 急に周囲がざわつき始めた。
「そ、そうか! 自身の身体を変化させる系統の天啓は、天啓を発動している者の意識に依存しているんですよね!?」
「と、ということは! おい、何をぼーっとしておるのだ、逃げるぞ!!」
カウンター越しにギンさんは腕を伸ばし、俺を無理やり担いできた。
「ど、どういうこと? なに?」
よく分からないまま店の外に連れ出される。からんころんと扉が音を立てると同時に、めきめきと軋む音が大きく鳴り始めた。
我がギルド長、クアンドシウスは本来巨大なフクロウだ。
——自身の身体を変化させる系統の天啓は、天啓を発動している者の意識に依存しているんですよね!?——
あ、そういうこと?
ルチード通りの外れに飛び出した客たちと俺。振り返る視線の先には膨張した俺の店、『セレステ』。やがてミシミシと店は悲鳴を上げて、限界を迎えたのか壁は剥がれ、刹那に弾け飛んだ。瓦礫が辺りに飛び散る。ミナセがかざした杖からは光が放たれ、それのおかげなのか俺や客に瓦礫の破片が飛んでくることはなかった。ただ、埃と土煙と夜の闇とでしばらく視界不良が続く。それらが晴れた先に見えた景色、俺はどうしてもそれが受け入れられなかった。
お、俺の、俺の夢。俺の夢の残骸を寝床に巨大なフクロウが寝息を立てていた。
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