Rude prelude——AT REAL

——風下にいるのは楽なことなのだと思い込んでいた。決して自分の後ろについてくる人たちのことを恨めしく思っていたわけではないけど、みんなのためになるならと思って前を歩くよう心がけていたのは確かだ。今、僕は明確にある人の後ろをついて行っている。それで気付いたこととして、誰かに前を預けることはとりもなおさず先行きも視界も相手に委ねてしまうということが挙げられる。共に栄光への道を歩むことも、一緒に崖に落ちることも、許容しなくてはならないのだと思うと、誰かのためにと思っていた自分が如何に傲慢だったかと気付くのだ——


 これは冒険じゃない。大学の手伝いでコウジンさんについてきたはいいものの、まさかそれがサークル活動の一環に過ぎなくて、しかも肝試しだなんて、それも幽霊屋敷だなんて!


 冒険とは無鉄砲に何のあてもなく出立する自殺行為ではない、前もって行き先の事前勉強と準備をして行うものだ。しかも幾ら廃墟とはいえ敷地内に無断で入るのは良くない。でも、怪しげな雰囲気で日の当たりにくいこの屋敷の前に待たされるのも嫌だし、これで勝手に帰ってコウジンさんを困らせるのも良くないし……。


 色々考えた結果、結局は幽霊屋敷の中に入ることにした。


「あの、やっぱり、着いて行きます。その、やっぱり、あそこで一人はちょっと」


 恐る恐るドアを開き中を覗き込む。まだ玄関にコウジンさんがいて安心した。


「ちょっと、何だ?」

「いや! コウジンさんが心配だったんで来ました!」


 別に怖かったわけではない。ただ後ろにも行けないなら前に進むしかないだけだ。


「とにかく、さっさと調べちゃいましょう」


 ガラスが落ちていたら危ないので、靴を履いたまま一歩目を廊下に上げる。



 ガタガタガタ。



 物音がした。思わず声が上ずる。


「ひ! こ、これは何ですか?」

「二階からだな」


 コウジンさんは物おじせずに二階へ向かう階段へと歩みを進めた。すると、今度は右の方から音が聞こえてきた。



 ガシャン。



 今度は金属音だった。


「こ、これはやばいんじゃないですか!?」


 明らかに尋常な事態じゃない。幽霊なんて存在しないことくらい分かっているが、それでも誰も居ないはずの屋敷でこれだけの物音がしているとなると、ここはかなり怪しい。不良のたまり場になっている? 動物でも住み着いている? それとも、本当にお化け——


「とにかく原因を探るぞ。調査だ」


 コウジンさんはまたいつもの通り素知らぬ顔で、屋敷内を歩き出す。完全に我が物顔。まるで自分の家に帰って来たみたいだ。いや、土足で自宅には上がらないか。


「まずは1階だ」


 薄暗い廊下を歩くコウジンさんは、玄関に入って右側にある扉を開くとずんずんと進んでいった。1人になるのは心細いから、コウジンさんの後ろについていく。扉の向こうにはやや広い空間、がらんどうな部屋があった。おそらくはリビングだったのだろう。うっすらと埃は積もっていたが、外観に比べて小奇麗に感じる。


「音はこっちからだったな」


 かかとを蹴り上げる度に埃を舞い上げるコウジンさんは、リビングの奥にある部屋に進んでいった。置き去りにされた備え付けの戸棚や、やけにスカスカな正方形のスペースがあり、キッチンであろうと推察できる。


「なるほど、先ほどの金属音の原因はこれか」


 先にキッチンに入っていったコウジンさんが、しゃがんで蓋の開いたコンロ台の下のオーブンを覗き込む。


「そ、それが一人でに開いたってことですか?」


 窓は開いていない。そもそも風で開くほどやわな蓋には見えない。そして、僕らがやってくるまでに誰ともすれ違っていない。


「これは、恐らく人為的なものだ」


 コウジンさんはそう言ってオーブンの蓋を上げた。ガチャンと音が鳴って蓋が閉まる。


「そ、それは何でですか?」

「分からん、勘だ」


 またこれだ。コウジンさんは僕の横を通ってリビングへと戻っていく。


「ちゃ、ちゃんと説明してくださいよ!」


 僕はコウジンさんを追いかける。彼がこういう態度をとる時は、説明を面倒臭がっていることが多いと最近分かってきた。


「む。オーブンの蓋に細工が施されている形跡があった。このポルターガイストもどきは、恐らくは誰かによって仕組まれたものだ。犯人はおそらく2階にいる」


 コウジンさんが蓋を閉じてしまったので、実際のところがどうかは確認していないから分からないが、コウジンさんに嘘をついている様子はなかった。というかこの人は多分そもそも嘘をつけない。ただ、犯人が2階にいるというのはどういうことだろうか。


「なぜ、犯人が2階にいると分かるんですか?」

「……勘だ」

「結局それですか!?」

「人がいると分かった以上、声は抑えた方が良い。行くぞ」

「もう今更意味ないですよ……」


 コウジンさんはそう話しながらずんずんと足音を立てて歩いていた。もう今更意味はない。2階にいる犯人とやらに、僕らがいることはばれている。


「とにかく、一刻も早くこの屋敷から脱出しましょう!」

「なぜだ?」


 本気で疑問に思っている声のトーンだった。


「いや、だって。2階に不審者がいると分かったんですよ? 丸腰の僕らが行って、向こうが武器を構えて待ち伏せしていたらどうするんですか? どころか、1階にいる僕らに襲い掛かってくるかもしれない」

「別に身の安全が確保されていないのは最初からじゃないか。むしろ人間が相手と言うことが分かってリスクは低くなった」

「低くてもリスクはリスクですよ!」

「でも、ついて来てくれるのだろう?」


 ため息が出る。底なしの好奇心だ。それかあるいは蛮勇だ。ただ、僕とてここに足を踏み入れてしまった以上、1人でリタイヤするのも気が引ける。折衷案を出そう。


「いいですか。廃墟を勝手に改造してお化け屋敷にするような人の頭が正常なわけありません。そして、僕らは今、夢の世界にいるわけではないから天啓も使えないんです。危なくなったらすぐ逃げましょう」

「ああ、そうだな」


 コウジンさんは軽く返事をすると、リビングを出て階段に足を乗せた。軽く軋む音。その後ろを僕もついていく。


  薄暗い2階には幾つか扉があった。コウジンさんは一つ一つをがさつに開けては、がらんどうな部屋をちらと見て閉じる。


「ここじゃないな、ここでもない」


 部屋を物色している間に、ガタガタと一番奥にある部屋から音がした。明らかに、何かがいる。


「居場所が分かったな」


 コウジンさんはズンズンと音のした方へ歩き出していく。


「本当に行くんですか」

「何をいまさら」


 迷いのない直進で扉を開く。開いた窓からそよぐ風がカーテンを揺らしていた。

 カーテン。二段ベッド。並んだ勉強机。小さな本棚。


 ここだけ先ほどまでの部屋と比べて異質な空間が広がっていた。まるで、ついさっきまで誰かが住んでいたような。それも、恐らくは利発な子供が2人。さっきまでそこで勉強していたのが絵に浮かぶような空間だった。流石のコウジンさんも思う所があったのか、歩みを止めて顎の下に右手をやった。


「ほ、本当に誰かがここに住んでいるのでしょうか?」

「まさか。電気もガスも水道も通っていない、到底暮らして行けやしない場所だ」


 コウジンさんが部屋に一歩踏み入れると、ばさばさと音が鳴った。


「や、やっぱり幽霊が!」


 思わず叫ぶ。何事かと音のする方を見やると、本棚から本がぼとぼとと落下したみたいだった。コウジンさんは物怖じせず本棚の方へ向かって行った。


「いや、ただの悪趣味ないたずらだ」


 本棚に残っていた本をむしり出しながらコウジンさんは言う。


「見てみろ」


 コウジンさんが本棚を指差す。正確に言えば、本棚の裏の板だ。暗くてよく見えなかったけど、それでも背板が動くような細工がしてあって、それで本が押し出されて落ちたみたいだった。


「俺たちがこの部屋に入ってくるタイミングを見計らって、本を落としたのだろう。ということは逆に言えば」


 そう言ってコウジンさんはベッドのシーツを捲ったり、机の下を覗き込んだり、部屋中を捜索し始めた。


「必ずこの部屋にその犯人が隠れているということだ。さあ、幽霊の正体を見せてもらおうか」


 コウジンさんは本棚の向かいにあるクローゼットに手をかけた。ただ、それを開くことは叶わなかった。唐突に視界が真っ白になったからだ。太陽光かと紛うほどの強烈な光がどこかから差し込んでいる。コウジンさんの姿も消えてしまったのではないかと錯覚するほど眩しい。


「コウジンさん、居ますか!」

「ああ!」

「こ、これは流石に人為的なものと言うのには……」


 光が徐々に落ち着いて行って、段々視界が開けてきた。そこに横たわっていた違和感も、同時に見えてくる。


先ほどまであった家具が消えているのだ。


二段ベッドも、勉強机も本棚もない。どころか、クローゼットを残して扉や他の部屋との間を塞ぐ壁すらなくなっていた。そこにはだだっ広い空間があり、そしてその中心に、誰かが居た。


「コウジンさん、あの人! 人がいますよ!」

「待て、様子がおかしい」


 部屋の中央で胡坐をかく、僕とそう変わらなさそうな年齢のボブカットの少女はこちらのことなど全く気にも留めずに、何かをしている。左手にはハンダゴテを持っていて、彼女の周囲には小さな部品が沢山転がっている。


「僕らのことが見えてないんでしょうか?」

「のようだな」


 コウジンさんはその少女の前に歩いて手を振るが、全く反応が無い。次第に少女の周りにロボットやその残骸が増えていく。


 唐突に、僕の隣を誰かが横切った。背の高い男性だ。


「うわ、びっくりした! あれ、この人も反応が無い」


 男性は少女の隣に立ち、機械をいじっているところに声をかけているみたいだ。何を話しているのかは全く分からない。その少女は男性の方を見ると何かを話し始める。男性はずっとこちらに背を向けているので、顔を伺うことができない。


「まるで、ホログラムの映像を見せられているみたいだな」

「ですね。それか、VRみたい」


 精巧に作られた立体映像。次第にがらんどうだった部屋に物が増えていく。いや、物だけじゃない。人も増えて行っていた。まるで早送りの映像のようだ。先ほどの背の高い男性に加えて、明るい毛色の男性、黒髪で背の低い少年、4人でテーブルの上に何か図面のようなものを広げて話し合いをしていた。そこでようやく背の高い男性の顔がこちらに露わになった。


 長いまつ毛、高い上背、黒っぽい服。その男性は、コウジンさんそっくりだった。


「コウジンさんが、二人?」

「この男もお前そっくりだぞ」


 そう言ってコウジンさんは図面を見ながら何かをメモしている、明るい毛色の男性を親指で指差した。


「え、いやいやそんな。僕はそんなに格好よくないですよ」

「中々に高度な嫌味だな。しかし、似ていることは確かだ。ただ、こちらの方がいくばくか歳をとっているように見える」


 確かに、鏡で見る僕の顔とやや似ているような気もしなくもない。だとしたらなぜ僕が映像に映っているというのだろうか。記憶にない場所。記憶にない人々。ただ、目の前に映し出されている少し大人びた僕は、どこか充実感があって楽しそうだった。僕の知らない人とやり取りをしている。最初に見た時よりもちょっと大人っぽくなった、機械をいじっていた女性に紅茶を淹れてもらったり、コウジンさんとは別の男性と議論をしていたり。なんだか、胸が痛い。


ふと周りを見ると、そこには多くの家具があり、まるで研究施設か秘密基地かのようになっていた。勉強机や小さな本棚には到底仕舞い切れないような量の書籍が、壁に設けられた本棚にぎちぎちに詰められている。人型のロボットが何体も並べられていて、観葉植物も窓辺に飾られていた。真ん中にあるテーブルには沢山の資料が所狭しと拡げられているが、その内容は複雑そうで、ぱっと見では何について書いてあるのか理解できなかった。4人が議論しているのを傍目に観葉植物に水をやる女性が現れる。5人目。


「一体、何をしているんでしょうか」

「全くわからん。だが、図面を引いていたり、こうして試作品のようなロボットが並べられたりしている以上、おそらくは機械を作っているのだろう」

「コウジンさんって工学の知識あります?」

「ない。ミナセは?」

「僕もさっぱりです」

「じゃあなぜ我々とよく似た人物がいるんだろうな」


 分からない。そもそも、僕たちは何を見せられているんだろうか。これは未来なのだろうか。ただの幻覚なのだろうか。それとも、幽霊が見せる幻なんだろうか。パラレルワールドにいる別の自分たちなんだろうか。どれも眉唾で、胡乱で、不確かだ。


 やがて映像空間は変遷していき、また最初に機械をいじっていた女性1人になる。気付けば女性の髪は伸びており、後ろで結わえていた。女性と同じくらいの背丈、精巧に作られた人型のロボットと向かい合っている。


 女性は、何かをロボットに差し出した。ペンだろうか? ロボットの左胸の辺りにそれは飲み込まれて行く。そして、まぶたを開く。次第に光が強くなっていく。映像は遷移していた。あれは、地球儀? 5人がそれを囲むように見下ろしている。ただ、眩しくて良く見えない。地球儀から何かが飛び出してくる。目映い光の中でも見えるほど、暗い影。駄目だ、何も見えない。視界がホワイトアウトしていく——




「おい、大丈夫か?」


 コウジンさんから声をかけられて目を覚ます。どうやら、辺りが光に包まれた後、気を失ってしまっていたようだ。


「お、おはようございます。あれ、ここは?」


 辺りを見回すと、幽霊屋敷の外、門扉の前で寝ていたことが分かった。


「俺も気がついたらここに居た。ただ数分ミナセより早く起きただけだ」


 ただでさえ陽の光が入らない場所にある幽霊屋敷は時間帯も相まって真っ暗で、ただ木々の間から時折差し込む落日の余光だけがちらちらと坂道を照らしていた。


「あれは、何だったんでしょうか?」

「さあな。ただ1つ言えることがあるとすれば、幽霊屋敷なんてちゃちなものじゃない、とんでもない秘密がこの家に隠されているかもしれないということだ」


 土埃のついた表札を、コウジンさんは撫でた。そこには『春日』と書かれていた。

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