石壁——AT REAL

——冒険は好きだ。自分にはまだ知らないものがこれだけあったのかと知ることができるからだ。世界のすべてを知ることはこの人生ではおそらく不可能だろうから、少なくとも一生の間冒険に飽きることはないと考えてはいるが、ただ自分が知るだけで満足する一生も退屈だろうと思う。俺はきっと与える側になりたいのだ。——


 オカルト研究会の部室は雑然としていた。スチール製の無機質な本棚にはファイルや雑誌が詰め込まれており、そこから零れ落ちたものが床に落ちたままになっている。部屋は、狭い。ただでさえ狭い部屋の四方に本棚を敷き詰めているのだから、余計に狭くなる。本棚も散らばった雑誌も、部室の窓への道を阻んでいるから、この部室の窓やカーテンが開け閉めされているのを俺は一度も見たことが無い。


 部室の真ん中には、これまた無機質なスチール製の事務机が5つ、向かい合うようにくっつけられており、一番窓に近いところの机に足を乗せて、どこかから拾って来たらしいボロボロのオフィスチェアにのけ反りながら腰かける女が居た。雑誌を読んでいるみたいだ。会長と自称しているが、本当にそうなのか俺は知らない。初めて会った時にアベと名乗っていたので、便宜的にアベさんと呼んでいる。しかしそれが本名なのかも、何ならこの人の国籍すら定かではない。学年は3年。浅黒い肌。長い髪はボサボサだ。


 別に活動など碌にしていない。サークル会員も何人居るか分からない。ただ、時々気まぐれでこうして呼び出される。来るか来ないかは各会員の自由。そして今回は俺しか来ていない。みなゴールデンウィークで忙しいのだ。


「あんたが来るとは思わなかったよ」


 入室した俺をちらっと見て、再び読んでいた雑誌に目を落として、アベさんは言った。


「他の人は、来ないんですか?」

「挨拶」

「……おはようございます」

「はい、おはよう。今が集合時刻ぴったりだから、もう来ないんじゃない?」


 アベさんは伸びをしながら肘の辺りまで落ちてきた腕時計で時間を確認しながら言った。俺も時間を確認する。午後6時15分。おはようというよりかはおやすみの時間だ。


「ほら、座りなよ。久しぶりだね、阿波君」


 雑誌を事務机の上に置いて、アベさんは俺に着席を促した。それに従って、アベさんの隣の席に座る。椅子は木製で、脚の高さが合っておらずガタガタしていた。


「それで、今日は何をするんですか?」


 アベさんに要件を尋ねる。突然招集をかけたのだから、何か理由があるはずだ。


「まぁ、とりあえずお菓子でも食べなよ」


 机の上に乗せていた足を下ろして、いつ開封したのかも分からない、くちゃくちゃの箱を机の下からアベさんは取り出し、その中から袋入りのクッキーを俺に投げ渡した。


「……頂きます」


 袋を裂いて、クッキーを取り出す。まだ食べられそうだったので、口にくわえた。


「ワタシが思うにね、阿波君。机上の空論とは何の意味も為さないのだよ」

「さっき読んだ雑誌にでも、書いてあったんですか?」

「書いてあったっちゃー、書いてあった」


 机に投げ置かれていた雑誌は、月刊ムートンの5月号だ。表紙にはでかでかと『UTOPIA』のロゴが描かれていた。


「表紙のゲームの話でしょうか?」

「いんや、そっちじゃなくてね。いやまぁ、雑誌の話はどうでもいいんだ」


 そう言って、アベさんは雑誌の上に肘を置き、頬杖をつく。


「ワタシが言いたいのはね、研究にはテーブルじゃなくて足を使うべきってこと」


 先ほどまで足を机の上に乗せていたくせに、よく言えたものだ。


「じゃ、宿題出して」


 アベさんに促されたので、ファイルを鞄から取り出す。昨日に招集をかけておいて、調べ物までして来いと言うから人が集まらないのではないか。


「お、本当にやって来てるとはね」


 そう言って俺の手からアベさんはファイルを奪い取る。


「ふむふむ、どれどれ」


 ファイルの中身をぺらぺらとアベさんは物色し始めた。

 宿題と称して要求されたことは、心霊スポットの情報収集だった。あくまでも霊現象に限定して、加えてここ1年以内にそういった現象が発生したホットなスポットに限る、とのことだった。


「いや、お見事。真面目だね、阿波君は。たった1日でこんだけ集めて来るんだから」

「6件しか見つけていませんが」


 そんなにたくさんの情報は得られなかった。もっと聞き込みをすれば情報は得られたのだろうが。


「ふんふん、3号棟の地下室の話は結構有名だね。これはワタシが調べよう。それと興味深いのは、これかな?」


 アベさんは人差し指と中指で紙を一枚摘まみだして、俺の前に提示した。


「山の手の幽霊屋敷。場所は神奈川の月吉。よく見つけてきたね。目撃情報も3週間前と非常にホットだ。じゃ、阿波君はここに行ってきて」

「なぜですか?」

「我がサークルの名前は?」

「オカルト研究会」

「そういうこと。じゃ、よろしくね。ゴールデンウィークが明けたらまた招集するから、その時までにレポートにまとめておいて」


 ほれ、ほれ、と眼前で俺の宿題をぴらぴらとされたので仕方なく受け取る。


「ネットで調べても、心霊スポットとしては出てこないね。一応事故物件扱いにはなってるっぽいけど、どうやって見つけたの?」


 アベさんは俺から強奪した宿題を、本棚にあるフォルダーに無理やり押し込みながら訊いて来た。


「以前勤めていたバイト先で、そんな話を聞きまして。それを思い出しただけです」

「へー、阿波君がバイトねー。続かなそう」

「実際、なぜか最近はシフトを入れてもらえなくて」

「わっはっはっは! そりゃ、ワタシも店長ならあんたみたいな朴念仁お断りだよ」


 ひどい言われようだ。


「今は来てないけど、多分我がオカルト研究会の面々ならついて来てくれると思うから、誰かに冒険、いや調査の助手でも頼むんだね」


 にたにたとアベさんは笑いながら言った。

 それから、しばらくアベさんの愚痴を聞いて俺は帰路についた。




 結論から言うと、俺の助手探しは失敗に終わった。


 アベさんの助言に従い、オカルト研究会のメンバーに声をかけていったが、大多数の人から返信は来ず、唯一返って来たまともな返事は「ママの妹の旦那の友達の息子が死んだから法事で参加できないの」だった。仕方がない、1人で行くか。明日の”冒険”の準備をしていると、着け放しにしていたパソコンの通知音が鳴った。


『UTOPIA』で、個人チャットが来たみたいだ。


#コウジンさん。CARAVANのクエストなんですけど、遠距離を攻撃できるプレイヤーが1人欲しくて、もし時間あればお手伝いして欲しいんですけど。どうですか?#


 ミナセからだ。ログインしっ放しになっていたから、プレイ中だと思ったのだろう。


 そういえば、ミナセが居たな。


/ミナセ、明日は暇か?/

#? 特に予定はないですが、それがどうかしたんですか?#

/ミナセ、冒険は好きか?/

#? 好きか嫌いかで言ったら好きですけど#

/そうか。それでは取引成立だ。これからお前のクエストを手伝うから、明日は俺のクエストを手伝ってくれ/

#いいですよ! 冒険ってことは、まだ行ってない場所のクエストですかね? 楽しみだなー#

/ああ、そうだな/


 ミナセも楽しみにしてくれている。俺も明日の”冒険”は義務感ではなく、楽しむという気持ちで挑みたいものだ。




 ゴールデンウィークの最終日。快晴の夏日で、俺もミナセも半袖を着ていた。月吉本町駅前の人通りはそこまで多くなく、簡単にミナセを見つけることができた。


「えと、コウジンさん、ですか?」


 無言で近づいて行った俺のことをミナセは見上げる。


「そうだ」

「色々言いたいことはありますけど、そういえば、こっちでは初めましてですね」


 夢の世界での姿と比べて、ミナセは一回り小さかった。それと、髪も短い。


「そうだな。それでは行こう」

「いや、ちょっと待ってください。今日はどこに行くんですか?」

「? 冒険だ」

「いや、昨日のチャットの感じだったら、『UTOPIA』でのクエストかと思うでしょ! 集合場所と時刻を聞いた時に、地名で気付かなかった僕も僕ですけど」


 なるほど。無用な誤解を招いてしまったわけか。次からは待ち合わせ場所を伝える時に地名の前に日本であることを付け加えておこう。


「なに、ちょっとした調査だ。別に一人でも良かったのだが、助手が欲しかったからな」

「何の調査ですか」

「実地研究だ。大学の宿題で調べる必要がある」

「フィールドワークってやつですか! それは、確かに冒険だ。そういうことならいいですよ、楽しそうです」


 ミナセは納得してくれたようだ。俺たちは目的地に向かって歩き出す。”冒険”が始まった。


「コウジンさんは学部はどこなんですか? 理学部とかですか?」

「いや、俺は文学部だ」

「なるほど。じゃあ、フィールドワークは民俗学研究とかってことですかね。そっちも全然興味あります」

「まぁ、広義ではそうなるな」


 ミナセと話しながら、小高い丘を上がっていく。太陽はそろそろ南中を迎える。影が短い。


「段々と雰囲気が出てきましたね」


 林を左手に、右側には民家が並んでいる。


「誰かとお話しするんですか? 僕はどんなお手伝いをすればいいんでしょうか?」

「いや、恐らくは誰かと話すことはないだろう。話せたらそれはそれで興味深いが」


 幽霊屋敷と言うのだ。本当に喋れたらそれだけで研究成果としては上々だろう。


「手伝いについては、そうだな。退路だけ確保しておいてくれ」


 もし本当にポルターガイストでも起ころうものなら、想定される最悪の事態は閉じ込められることだ。別に霊現象など発生しなくても、廃墟であるのだから倒壊する恐れがないわけではない。


「よく分からないですけど、頑張ります」


 ミナセはそう言いながら、周りをきょろきょろと眺めている。


 丘をしばらく歩いて行くと、突き当りに二階建ての家が見えてきた。目的地の幽霊屋敷だ。屋敷というにはやや小ぶりだが。それに、割と新しい建物に見える。ただ、庭には雑草が伸び放題になっているし、周囲に家がないことや林によって陽の光が入りにくくなっていることから、いわゆる雰囲気というものはかなりあるように見える。


「あれを見ろ」


 俺は屋敷を指差した。


「あの、コウジンさん。これは?」

「山の手の幽霊屋敷だ。さ、入るぞ」

「いやいやいやいや、ちょっと待ってくださいよ! 廃墟じゃないですか!?」

「ああ、廃墟だ」

「ああ、って! てっきり僕は民俗学かなんかの課題かと」

「違う、オカルト研究会の宿題だ」

「なんでそれを先に言ってくれなかったんですか!」

「訊かれなかったからな」


 ミナセは何かが納得いかないのか、頭を抱える。


「不法侵入です。僕は行きません」


 しばらく悩んだ後、ミナセはそう結論を出した。


「そうか、なら仕方がないな。ここで待っていてくれ」


 ミナセを置いて、俺は立ち入り禁止と書かれた鉄扉を押し開けた。敷地内に入り、玄関の扉を調べる。ドアノブは多少の引っ掛かりはありつつも真っすぐに下ろすことができ、鍵はかかっておらず簡単に開けることができた。

 当然だが、照明は灯っていない。玄関の脇にあったスイッチを押したとて、だ。玄関から見える範囲では、居間と二階へ続く階段があることしか分からない。さて、どこから調べたものか。考えていると、玄関の扉が開いた。


「なんだ、ミナセか」


 開いた扉の隙間からは、腰を曲げたミナセの姿が見えた。


「あの、やっぱり、着いて行きます。その、やっぱり、あそこで一人はちょっと」

「ちょっと、何だ?」

「いや! コウジンさんが心配だったんで来ました!」


 法を犯してでもついて来てくれるとは、ミナセは優しい奴だと思う。


「とにかく、さっさと調べちゃいましょう」


 ミナセが一歩踏み出す。すると、二階から物音が鳴り出した。


 ガタガタガタ。


 物と物がぶつかる音だ。


「ひ! こ、これは何ですか?」

「二階からだな」


 物音の正体を探るために、二階へと向かおうとすると、今度は右手から音がする。


 ガシャン。


 金属音だ。何かが落ちた音だろうか。


「こ、これはやばいんじゃないですか!?」


 暑さとしては申し分ないが、幽霊が出るにはまだ3か月は早い5月のこと。現実世界での最初の”冒険”、成果を持ち帰るのに十分な場所に来たみたいだ。

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