石壁——AT YOUTOPIA
『【手紙を届けてくれ】
いやはや、危うく丸焼きになるところだった! 火加減にだけは注意した方がいいぞ。まぁでも探し人を見つけてくれたのは感謝だ。感謝ついでにもう1つ、頼まれごとを聞いてくれんか? なぁに、そんなに難しいことではない、マイラスのアルクにこの手紙を届けて来て欲しいんだ。ん? 音の天啓を使って通話すればいいじゃないかって? いやいや、それができる設備もないし、書面の方が格式が高くて良かろう。それに、わしはクアンドシウスと呑むので忙しいからな! お前たちも聞けば記憶がすっぽり抜けとるという話じゃないか、色々と見て回れば思い出すこともあろう!? それじゃ、頼んだぞ。さてどの酒瓶を開けようかな……』
もしギンの依頼をゲームの『UTOPIA』で受注したら、こんな感じの文章が表示されるのだろう。ミナセと合流した俺とドーヴァは、ストリングに来てほとんど滞在することなく、マイラスにむけての道を進んでいる。ドーヴァはというと、もっとゆっくりしたかったですし、挙式もしたかったです、と頬を膨らましていたが、ストリングのお菓子屋で売っていたフォーチュンクッキーを買い与えたら機嫌を取り戻した。ミナセはと言うと、所在なさげにきょろきょろとあたりを見渡していた。
「どうした、ミナセ。何か探しているのか?」
「いえ、ただロメを出たこともないので、落ち着かなくて」
「それは、目が覚めてからということですわね?」
「ええ、そうなります」
目が覚める前の記憶は、やはりミナセにもなさそうだ。
「なんだか、不思議な感じですわ。あなたたちで連れ添って、ステラグラードにいらっしゃってくれたのに、どちらもわたしのことを覚えていないなんて」
「えっと、その、ステラグラードというのはどこにあるんですか?」
「遥か上空にあるらしい。浮島の中でも、な」
空を見上げる。東側にある巨大な島が大邑、その下にある小さな島がダイナスケープ、大邑とは反対側、今向かう方向に浮いているのがアークスチーム、曇り気味の現在の天候も相まって、肉眼で目視できるのはその程度までだ。
「そんな場所まで行ってたんですか? すごい」
「あなたの話ですわよ、随分と他人事ね」
「実際、こいつから聞かされる話は全て他人事のようだ」
「まぁ、ひどい!」
記憶がないのだから、致し方あるまい。延々と汽車の中で聞かされた昔話だって、ドーヴァの作り話ということもあり得る。確かめようがないからだ。
「そ、それで、昔の僕はどんな感じだったんですか?」
「そうですわね、うーん、姿はあの時と変わらないですけれど。正直、あの時の方が男らしくてかっこよかった気がしますわ」
「そんな」
これも、疑問と言えば疑問だ。なぜ俺やミナセの肉体は10年の月日を経ても老けていないのだ? 他の顔も名前も知らない2人の方はどうなのだろうか。
見た目の歳をとっていないという観点で言えば、ドーヴァもか。彼女の話を信じるのであれば、ドーヴァも10年間、いやもっと長い時間この姿を留めているということになる。
「お前は、もう歳をとらないのか?」
ミナセと言い合いをしているドーヴァに質問をする。
「え、ええ。おそらく。スピリットとはそういう種族ですわ」
「それは、辛いですね」
先ほどまでドーヴァと言葉の応酬をしていたミナセは、彼女に同情しているのか、そう言った。
「辛いことも、もちろんありましたけれど、わたしはこう見えてスピリットであることに概ね満足しているのですよ? スピリットでないとステラグラードからレインボーフットに降りて来るのは難しかったでしょうし、こうしてコウジン様やミナセ様に再会できた。何より体が自由ですもの」
くるくると中空を飛び回りながらドーヴァは言った。
ロメを出て数日。ストリングに来るときに使った汽車は位置関係的に使えない。馬車を乗り継ぎつつ、基本的には歩いてストリングの町を行脚していく。行く先々で立ち寄った宿では、どの店主も快く接客してきた。特に、ミナセに対して特別に好感を持っているように見えた。そろそろ国境だ。
「お足元にだけ気を付けて! ありがとうございました!」
今日の店主はペンギンだった。宿泊費を支払い、宿を出た。民家のほとんどない、草原地帯を歩く。
「ストリングの外れでも、ミナセの名は知れ渡っているようだな」
「えへへ、なんだか嬉しいですね、何も覚えてないですけど」
ミナセはにこにこしながらこちらを見上げてきた。
「その名声が通じるのも、そろそろ終わりかもしれませんから、気を付けてくださいませ」
ドーヴァはミナセの前方を飛んで、逆さまになって注意してきた。
「それは、どういうことだ?」
「マイラスは本来であればどのギルドにも属さない中立な地域ですが、現在はインデクシアが警備をしています。半ばインデクシアの領土と言ってもいいでしょう。そして、インデクシアには唯一、あなたたちと境遇を同じくする英雄が住んでおりません。サムザンやストリングほど、歓迎されるとは限りませんわ」
マイラス。確かにゲームの『UTOPIA』の方でも中立地域として設置されていた。拡大政策を続けるインデクシアと、ミドロ及びストリングの間に設置された緩衝地帯のようなイメージだったが。確かにそこにはアルク総督という老人がいて、レインボーフットのギルドを統括している。
「で、でも。依頼を受けてやってきてるだけですから、多分大丈夫ですよ」
「コウジン様もミナセ様も、英雄としての自覚がないようですわね。いいですか、今は記憶がないから本領を発揮していないだけで、あなたたちには一人一人が一つのギルドの命運を左右するほどの強大な力があるのですよ? その軍事力を拡大政策中のインデクシアが、欲しないとお思いですか?」
ミナセがごくりと生唾を飲む音が聞こえる。
「だとしたら、なぜギルド長は俺たちを自由にする? お前の話が正しいのであれば、ギルドに縛り付けておいた方がいいんじゃないのか?」
「それは、分かりません。記憶を取り戻してもらうためではないですか?」
「だとしたら、監視の1人もついてないのはおかしいだろう?」
「それも、そうですわね。でも、あなたたちがこの世界において稀有な存在であることは、ゆめゆめ忘れられぬよう注意してくださいませ。あ、足元、気を付けて下さい」
ドーヴァに注意勧告をされて、それと普通に危ないから俺は足を止めたが、ミナセは間に合わなかった。
「どわあああ!!」
悲鳴を上げて、ミナセは落下する。すんでのところでどうにかミナセは崖に手をかけたようだ。
なるほど。レインボーフットが巨大な橋梁であることがよく分かった。ミナセが掴んでいるのは、何らかの要因で崩落してしまった床板で、ミナセの向こうには海が広がっている。海との距離、つまるところの橋の高さは1000mでは利かない程度はありそうだ。このままミナセが手を離せばまず助からない。
「いや、早く、助けて下さいよ!!」
ミナセの助けを求める声がした。手を伸ばして支える。
「霊力で引き揚げます、気をしっかり持ってくださいませ!」
ミナセの周囲の空間が歪む。ミナセを支えていた俺の腕にかかる負荷が緩み、ミナセは一瞬だけ宙を舞って橋の上に帰って来た。
「はぁはぁ、なんか、くらくらしたけど、助かりました」
ミナセはしりもちをついて、海を見下ろした。
「しかし、巨大な穴ですね」
「いや、穴なんてものじゃないな、これは」
足元に気をつけて下さい、と宿屋の店主が言っていた意味がよく分かった。橋は、下手をすれば小さなギルド1つ分くらいの面積はあるだろう。これは、穴と呼ぶには大き過ぎた。レインボーフットの断面は、巨大な鉄橋のそれと同じだった。話に聞かされてはいたが、ゲームでも見てはいたが、実際に目撃すると強烈な違和感がある。橋の上に、草原があり、建物があり、生活があり、闘争があり、文化がある。
ミナセに再び手を伸ばした。ミナセは俺の手を取り、立ち上がる。
「あ、ありがとうございます。というか! ドーヴァさん、僕の目の前を飛ばないで下さいよ、前が見えないじゃないですか!」
「ですから、足元に気をつけて下さいと、申し上げたではありませんか?」
「それが遅いんですよ! なんであと半歩進んだら落下するタイミングで言うんですか? 危うく死にかけたんですよ?」
「生きてるからいいじゃないですか? 誰が助けたんだと思っているんですか?」
「それはありがとうございました! でも、未然に防げた危機じゃないですか!」
「楽しそうに話しているところ悪いんだが」
「「楽しくないです!!」」
二人の声が揃う。仲睦まじ気で良いことだ。
「あれを見ろ」
南の方角を指差す。遠くにうっすらと、塔が見えた。真っ白で細い塔。二人とも指をさす方に顔を向けた。
「あれは、尖天塔。我々が目指す、マイラスの本部の建物です」
「ていうことは、もうすぐ到着するってことですね!」
別に当てがなかったわけではないが、目標がこうして目視できるとそれだけの距離を進んできたのだと実感する。
「さ、行きましょう! マイラスはもうすぐそこです」
ミナセは俺の前に踏み出し、歩き出した。俺もそれについていく。
「あ、あの」
ドーヴァが声をかけてきた。ミナセはそれに気付かず前を歩いていく。
「なんだ?」
振り返り、ドーヴァの方を向く。ドーヴァはと言うと、俺よりも俺の後ろを見ていた。数秒の沈黙の後に、
「いえ、なんでもないです」
と言って俺をすり抜けてミナセを追いかけて行った。よく分からないが、別に大して言う必要のないことだったのだろう。俺もドーヴァの後ろをついて行った。
「あの、まだ、着かないんですか?」
あれから、一週間が経った。未だに尖天塔は俺たちの視界の前に聳え立っている。ミナセは流石に限界ですと言って、切り株に腰かけた。
「あんなに近くに見えるのに、いつまで経っても辿り着けないのは何ででしょうか?」
「実は、あの尖天塔はかなりの高さがありまして」
「ぐ、具体的には……?」
「大体、アークスチームに届かないくらいの高さです」
なるほど、遠近感の問題だったのか。それだけ巨大な塔だったのなら、いつまで経っても辿り着けないわけだ。
「どうしてそれをもっと早く教えてくれないんですか!? アークスチームってサムザン上空にある浮島でしょ!? めちゃくちゃ高いじゃないですか!?」
「別に教えてもそれで距離が変わるわけじゃないでしょう!」
「気持ちは変わりますよ!」
「それで気分を削がれても困りますもの!」
「そりゃ、多少は落ち込むかもしれないですけど。でも、移動手段も変わります! そんなに遠いんだったら馬車でも拾えば良かったじゃないですか!」
「楽しそうに話しているところ悪いんだが」
「「楽しくないです!!」」
二人の声が揃う。仲が良いのは良いことだ。
「あれを見ろ」
石の塔の下部を指差す。尖天塔の足元をぐるっと囲むように城壁が出現した。石の壁。建物の設えはインデクシアの仕事だとすぐに分かる。
「あれは、マイラス領を取り囲む壁ですわね」
「ということは、今度こそ! 長い旅路でしたね」
「ああ、のようだな」
ミナセは意気揚々と切り株から立ち上がり歩き出した。ここから更に二日がかり歩くことになるとは、この時は思っていなかっただろう。
確かに石の壁でマイラスは覆われていたが、巨大な門は開いており、容易に中に入ることができた。マイラス領内は石畳で舗装されており、サムザンやストリングとはまた違った、しかしどこかヨーロッパのような雰囲気を感じさせる街並みが広がっていた。街の街路はどうやら中心にある巨大な塔から放射状に広がっているようだった。
「美しい街ですわね」
「そ、そうですね。とりあえず一回宿を取りませんか?」
「む、何故だ? 手紙を届けるのが我々の任務だろう?」
「い、いやそうですけど、ここのところ野宿ばかりでへとへとなんですよ」
ミナセは背を丸めて疲れを露わにしていた。
「そうだな。しかし、まずは中央広場の方まで行こう。ここらよりは宿を探しやすいだろう」
ミナセは俺の提案に対して了承した。巨大な塔を見上げる。ここまで近づくと、顔をどれだけ上げて腰をのけぞらせたところで、全くもっててっぺんは見えやしなかった。
通りを歩いていく。ここは普通の人間が多いようで、ストリングに居た知能を持つ動物や、サムザンに居た獣人のような種族はほとんど見かけなかった。人通りは多く、かなり賑わっていた。
「あ、人間以外もいるんですね」
ミナセは通りの反対側を指差す。そこには、小さな羊のような生き物が居た。それは、こちらを一瞬見た後に細い路地へと駆け込んでいった。
「あ、いっちゃいましたね」
「追いかけよう」
肩を落とすミナセの腕を掴み、小動物の逃げて行った方向へ向かう。
「な、何でですか?」
ミナセが疑問を呈してきた。
「分からん、直感だ」
小動物は日陰の小道を抜けて、建物と建物の間を潜り抜けて、用水路を跨いで、いつの間にか小さな公園くらいのスペースに出た。石でできた建物に囲まれた空間。しかしどこか荘厳な雰囲気がある。その中央には台座があり、地球儀が置いてあった。何の変哲もない、わざわざ崇め奉るようなものではない、古そうな地球儀だ。その足元で先ほど見つけた動物は、ごろごろと寝転がっていた。やはりこれは——。
「GUIDEだ」
「やっと追いついた……、え? GUIDE?」
後からついて来たミナセは肩で息をしていた。
「え、なんですか、それは?」
ドーヴァはと言うと、耳馴染みのない言葉に首を傾げている。
「えっと、GUIDEというのはですね、こことは違う世界で流通しているゲームに登場する、マスコットみたいなキャラクターで——」
ミナセの説明が終わる前に、文字通り横やりが入った。
「お前たち、何者だ!? ここは立ち入り禁止区域だぞ!」
鎧をまとった人々が突然俺たちを取り囲む。数は2本の手についている指でぎりぎり数えられる程度。この狭い空間でこの人数では、対処の仕様がなさそうだ。
「い、いや、僕たちは怪しい人間では」
事情を説明しようとするミナセを制する。
「俺たちは怪しい人間ではない。ただアルクに用があるだけだ」
「ア、アルク総督に用だって!? 怪しい奴だ、ひっ捕らえろ」
弁明もやむなく捕まってしまった。
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