Ever sky grays——AT REAL

——恵まれた人生だ。兄妹がいて、いつも忙しそうではあるけど両親の仲も良い。学校には友達だっている。アルバイトをしていてお金だって高校生としては十二分にある。進学にも不自由はしていない。身長は平均くらいあるし、趣味だってある。だというのに、どうしてかいつも胸をつかえる感覚があって、みんなと同じように振舞っているのに、みんなになることができない。いや、それも驕り高ぶりに過ぎなくて、きっとみんなそんなものなんだろう。私は幸せ者だ、私は幸せ者だ、そう言い聞かせてまた今日を迎える。——


 今朝は兄の瑠偉がリビングに居た。それはつまり今日は、妹は朝食をここで食べないということだ。兄は大学生で、この時間に起きているのは珍しい。テレビを見ているようだったが、私に気付くとソファ越しにこちらを見た。


「おはよ、玲」

「うん、おはよ」


 私も挨拶する。時間帯が合わなくて、それと妹と兄のそりが合わなくて最近は顔を見ることが減ってきてはいるが、私と瑠偉の間に限って兄妹仲は良い方、だと思う。


「スクランブルエッグと目玉焼き、どっちがいい?」


 兄はそう言って冷蔵庫を開けた。器用に卵を片手で二つ取り出す。


「じゃあ、目玉焼きで」

 兄も妹も料理が得意だ。私はと言うと、2人に阻まれてキッチンに立たせてもらえない。物心がついた時には兄が両親の料理を手伝っていて、両親の帰りが遅くなるようになってからは、妹もそれに負けじとキッチンに加わって、思えば掃除にしろ料理にしろ、私は家事が苦手なままだ。


「おっけー。座ってていいぞ。適当に作るから」

「うん」


 兄は手早くトースターに食パンを入れて、コンロに火をつけてフライパンを温める。何も変わらない、いつもの朝だ。テレビではニュースが流れていた。もうすぐゴールデンウィーク。街行く人々にインタビューがなされ、長い休暇を何に使うのか作戦が報告されている。旅行に行く人、帰省する人、ゆっくり家で過ごす人、様々だった。


 食卓の前に座った直後、フライパンがジューと音を立てていて、卵が落とされたのだろうと悟る。程なくしてトースターがチンと鳴って、食パンが焼き上がったことを告げた。兄が戸を開け閉めする音がする。


「玲は、ゴールデンウィークどうするんだ? また友達とお出かけ?」


 兄は私の前の席に腰かけ、サラダとハムとトーストと目玉焼きが乗った大皿を私の前にことりと置いて、訊いてきた。


「ありがと。うーん、どうするんだろうね?」


 トーストにバターを塗りながら、学校の友人たちを頭に思い浮かべる。


「どうするんだろうね、て自分のことだろ?」


 兄はピッチャーから水をコップに注いで、私に渡してきた。


「ありがと。そういうの、私から提案することはないから」


 いつも、私はついていく側だ。行く場所も服も友人に選んでもらってばかり。でも、それでいいと思ってる。


「でも、この前に代官山行ったときは自分で誘ってたんじゃなかったっけ?」

「なんでそれを!」

「なんでって。いや、たまたま部屋の前通った時に会話が聞こえてきたから」


『UTOPIA』で光輝くんと話していたのが聞こえていたのか。声のボリュームには慎重になる必要がありそうだ。


「人の会話を盗み聞くなんて、悪趣味だよ」

「ごめんごめん。いや、実のところ嬉しいんだよ、奥手な妹が積極的に人を誘うなんて。ただ、ネット上の顔の見えない相手とほいほい会うのはどうかと思うぞ」

「あの人は変わってるけど悪い人ではないから、大丈夫だよ……多分」

「それ、本当に大丈夫か? 悪い男に引っかかって、貢いだりだけはしないようにしろよ」


 悪い男、か。光輝くんは口は悪いけど素が悪い人間かというとそんなことはないと思う。まだ1回しか会ってないから、予断かもしれないけど。そんなことを考えながらトーストを口に運ぶ。


「ま、玲は成績もそれなりに優秀だし、友達もたくさんいるし、何も心配してないよ」


 兄のことは嫌いじゃない。むしろ尊敬すらしているけど、ただ、この何でも学校の成績で判断するところは苦手だ。勉強ができればいい人とは限らないし、その逆も然りだ。妹は確かに口が悪かったり、学校に行かなかったりする、常識的に言えば社会不適合者予備軍なんだろうけど、どうして学校の成績が悪いだけで不適合だという判を押されなくちゃいけないのか。


 兄は、誰でも名前は聞いたことがあるような大学に通っている。それを羨ましいと思ったことはないけど、学校に通うのも覚束ない妹と兄を無遠慮に比較する人には正直うんざりしていた。それはお盆と正月にしか会わないような親戚だったり、隣人であったり、様々ではあるんだけど。


「それに比べてあいつは、いや、そんな話している場合じゃないか。そろそろ、出ないとじゃないか?」


 連日の曇り空を告げるニュースの右上、表示されている時計を確認する。


「うん、そうだね。そろそろ行くよ」

「帰りは何時ごろになる?」

「うーん、部活もあるから20時過ぎかな?」

「あんまり根詰め過ぎるなよ、いってらっしゃい」

「うん、いってきます」


 兄が座ったままぶっきらぼうに手を振る。私は廊下に出て、私の向かいにある部屋をノックし、


「いってきます」


 と声をかけた。はいはい、と気だるげな返事が聞こえた。


 椅子に掛けてあったブレザーを羽織って、ローファーを履いて、ドアノブに手をかけて押し開いた。扉の向こう、いつもと変わらない日常。どこか東ヨーロッパを思わせる街並み。曲線的な金属でできた、義手や義足をつける人々。街中にある巨大な蓄電装置、グロム。どこでギルド長が見ているか分からないということさえ気にしなければ、美しく便の良いギルドだ。快晴の街は賑やかで、様々な人種が道を歩いている。私の前を高速で金属ウサギが駆け抜けていき、それを追いかける制服を着たサイバネの人々。多分、法外な改造が金属ウサギに施されたのだろう。いつも取り締まりご苦労様。



 いや、おかしいな?



 一度、扉を閉めた。いつもと変わらない玄関だ。まず自分の身辺から確認する。着ているのは小泉高校の制服。義手じゃない、ちゃんと素の左腕だ。靴は揃っている、兄の分と妹の分もちゃんとある。


「どうしたの、玲ちゃん? 忘れ物?」


 部屋から出てきた妹が、スウェット姿で声をかけてくる。ちょっと安心した。


「い、いや。ちょっと見てよ」


 妹を玄関まで誘導して、扉を開けた。


「見てって、何が?」

「いや、ほら。全然違う街に、あれ?」


 扉を開くといつもと変わらぬ、マンションの共用廊下がそこにはあった。


「あたしより早く起きたくせに、まだ寝ぼけてんの? ほら、しっかりしてよ」


 妹にリボンの位置を直される。


「うん、ごめん。じゃあ、いってきます」


 釈然としない。見間違いだったのだろうか、夢の見過ぎだろうか、ゲームのし過ぎだっただろうか。それとも、潜在的にあった変身願望でも扉の向こうに預けてしまったのだろうか。


「はいはい、いってらっしゃい」


 今度は妹に見送られて、家を出ることになった。




 結局、ゴールデンウィークはグループで原宿に遊びに行くそうだ。たまたま、私のバイトのシフトと被らない日だったので助かった。これらは全て、先ほどの放課後に会議して決まったことだ。


 会議が終了して、友人は散り散りになる。部活に行く人もいるし、帰る人もいるし、バイトに行く人もいる。そんな中で、私に声をかけてくる人がいた。


「玲ちゃん! 今日は部活ないやんなぁ? 一緒に帰らへん?」


 東京の地でも構わず関西弁を喋る癖毛の女の子。篠宮彩音さんだ。


「あ、ごめん。私、この後でちょっと予定が」

「そうなん? ゴールデンウィークのお出かけに向けて、服屋さんに寄りたい思ったんやけど。どうせ、夏服も買うてへんやろ?」

「い、いやまだ春だし」

「それじゃあかんねんて。早め早めに見繕わないと! でも、用事があるんならしゃーないなー。誰かと遊ぶの?」

「あ、いや。今日はそういうわけじゃ」

「今日は? じゃあ前は誰かとお出かけしてたん?」


 篠宮さんはこういうところが鋭い。それに、ファッションにも詳しいし、おまけに生徒会もやっていて、人当りもいい。正直、私にないものを大体全部持ってる。


「いや、ちょっとね」


 嘘をつくのは憚られるけど、どう誤魔化せばいいか分からないから、イエスともノーともとれる返事をする。

 篠宮さんはしばらく私の顔を覗き込んで、


「そ。いや、最近は玲ちゃんテンション高かったから、なんかあったんかなーって。そっかー、男の子、女の子?」


 と迫ってきた。篠宮さんは、こういう時にぐいぐい来るところは苦手だ。


「えっと、一応、男の人。あ、でもね、全然そういう人じゃなくって」

「ええよええよ、分かってるって。ほな、また暇な日があったら教えて? あと、良かったらその人紹介してな」

「う、うん。そのうち、ね。じゃあ、またね」


 結局、変な勘違いをされたまま、誤解を解くこともできずに立ち去ることになった。


 地下鉄から地上に出る。曇り空に夕暮れの月吉本町駅には帰路につく人々が居て、私もその一団に紛れる。私が今住んでいる練馬ほどではないけど、この辺りもそれなりに発展していると感じる。歩きなれた道、ところどころ変わって行ってはいるけど、大本は何も変わってない。

 唐突に、後ろから誰かがぶつかってきた。痛い、というほどではなく、振り返ると手を繋いだ子供二人がいた。


「あの、ごめんなさい」


 不安そうに私を見上げる子どもたち。どちらも同じくらいの身長で、男の子と女の子。


「ううん、大丈夫だよ。気を付けてね」


 子どもたちは表情を晴れやかにして、手を繋いで町の方に去って行った。私の目的地と、逆方向だ。

 小高い丘を上がっていく。雲間から時々見える夕陽はどんどんと沈んで行き、影は鋭角に伸びて行った。林を左手に、右側には民家が並んでいる。段々と家の間隔は広がっていった。


「はぁ、着いた」


 一応運動部に所属してはいるけど、そんなにハードな部活動ではないし、駅は家から近くて高校も駅から近いものだから、気付かぬうちに運動不足になっているのかもしれない。もちろん、最大の原因は『UTOPIA』というゲームにあるのだろうけど。

 立ち入り禁止の文字などお構いなしに、さび付いた鉄扉を開ける。屋敷と形容するには小さい住宅だ。申し訳程度についた庭には雑草が伸びていて、形は家だけど人の住む場所ではなくなっていた。鍵はかかっていない。扉を開ける。


 当然だが、スイッチを押しても明かりがつくことはない。もう、ここに住む人は居ないから。懐中電灯を灯して、家に一歩踏み入ると2階の方から物音がした。ガタガタと、物と物がぶつかる音。


 それから、玄関を土足で上がって右手にある居間の方へ行く。家具の類はほとんどない。一時は落書きがあったり、ものが散らかされたりしたものだが、最近はそういうこともめっきり減った。まだ、2階から物音が響き続けていた。キッチンの方へ行くと、その物音が止む。その代わりにコンロ台の下についているオーブンの蓋が独りでに開いた。


 蓋の中を確認して、異常はないようなので蓋を締め直す。居間を出て、階段を上がる途中で再びガタガタ物音が鳴り出した。


 2階に着く。4つの扉がそこにはあった。ガタガタと物音が鳴っているのは、階段から一番遠くにある部屋だ。念のため、他の部屋も確認してみた。どの部屋も当たり前だけどがらんどうで、ただ3つ目の部屋だけ落書きで汚されていたので、あとで掃除をすることにした。


 懸念の物音がする部屋を開ける。そこには勉強机が2つ並んでいて、二段ベッドが置いてあった。ささやかな本棚とベランダに繋がる窓。そして、手前にある椅子ががんがんと勉強机に自分の体を打ち付けていた。これが、懸念の音の正体。


 椅子に近づくと、本棚から本がぼとぼとと落下していった。文庫本とか漫画とか、そういった本だ。


「うん、大丈夫そうかな」


 私は椅子を裏返してモーターを確認した。それと本棚の裏に施した機構も、チェックし直した。どれも交換の必要はなさそうだ。電池だけ入れ替えておくことにする。


 ベランダに繋がる窓から外の様子を見ると、すっかり陽は沈んでしまっていた。どんよりと灰色の雲が立ち込めて、まるで一雨来そうな天気だったので、急いで退散することにした。いつもと変わらない、日常が今日もまた過ぎて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る