Seabed Pianoman——AT REAL

——人の上に立つことは難しい。それは、学業であれリーダーシップであれ権力闘争であれ徒競走であれ。誰かをリードするという言葉の響きは良いが、その背後にいる群像はいつでも僕のことを恨めし気に見ていた。それでも僕は力の限りを尽くした。支えて、励まして、鼓舞して、助けて、教えて、導いた、つもりだった。ある朝、気付けば僕の背後には誰も居なくて、僕自身はと言うと誰の背中についていくこともためらい、夢の幻想だけを追いかける哀れな人間になってしまっていたのだ——


 魚たちは群れを成したり、一人ぼっちで流れて行ったり、それぞれの仕方で水槽を優雅に泳いでいた。まるで映画のスクリーンのように、薄暗い館内でひと際光を放つ巨大なガラスの向こうでは、別の世界が広がっているように見える。それに対して重力に縛られて、僕らは地に足をつけたまんまだ。スマートフォンを向ける大人たち、水槽にべったりと手を着けエイとにらめっこをする子ども、水槽に一瞥をくれたらそそくさと立ち去っていく老人、力なく僕の手に指を絡める森さんもそうだ。


「ねぇ、すごく綺麗だよね。お魚たちは自由でいいなぁ」


 森さんは魚たちを見つめながら呟く。


「そう、かな? 確かに綺麗だけど、彼らは本来の住処からここに連れてこられたわけだし、この水槽と海の広さなんて比べるべくもないわけだし」


 どれだけ水槽の中で美しく遊泳しようが、あるいはイワシのように統率の取れた魚群を成そうが、きっとこの魚たちと比べたら幾分かは僕の方が自由だ。新宿で彼女と待ち合わせて、片瀬江ノ島駅から歩いて水族館に来た。この水槽の長辺よりもうんと長い距離を移動してここまで来た。けど、巨視的に見ればこの魚たちと僕はさして変わらないのかもしれない。僕は、この世界では自由じゃない。


「そうだけど! でも、こんな風に泳げたら素敵でしょ?」


 森さんは髪を揺らして問いかける。


「えへへ、そうだね。僕は水泳が苦手だし」

「そういう意味で言ったわけじゃない、けど……。あはは、可笑しい。ね、そろそろ行こっか」


 どうして森さんが笑ったのか、僕には理解ができなかった。歩き出す彼女に連れられて、大型水槽を後にする。


「ねぇ。私たち付き合い始めてもう半年だね! 色んなところ行ったよね、初めて一緒にお出かけしたのも水族館だったね! 今日みたいにまた今まで行ってきた場所にもう一度行ってみたいなぁ。ねぇ、次はどこに行きたい?」


 手を引きながら森さんは話しかけてくる。せっかく水族館に来ているというのに、彼女はもう次の話をしていた。カレンダーに空白を作りたくないのだろう。来週の予定が僕らを繋いでいるから。

 きっと僕も森さんも、この関係がやがて千切れてしまうことなんてわかっていて、あえて解けていく二つの手に気付かないふりをしているだけなんだ。


「森さんが行きたいところなら、どこでも良いよ」


 我ながらズルいと思う。自分から関係性を断つことは怖くて、彼女が自分から仲を別つようなことをする人じゃないのも分かっている。


「えっと、じゃあさ! 今度は遊園地に行こうよ」

「それは、どうして?」

「どうして、って。楽しそうでしょ? 夢の国。もうしばらくすると中間テストだから、それが終わったら目一杯遊ぼうよ! 最近疲れてるっぽいし、リフレッシュできると思うから、ね?」


 夢の国。もうちょっと前の僕ならば、それが幾分かは魅力的に感じられたのかもしれない。でも、今は本物の夢の国を謳歌しているから。ここ最近では現実の方がイミテーションに感じられてしまう。


「うん、わかった。スケジュールを空けておくよ」


 せめて、精一杯の笑顔で。僕たちは駅で別れて帰路についた。




 部屋に入って、荷物をピアノのふたの上に置いて、椅子に腰かけてスマホをタップしてアプリのUTOPIAを起動する。二人で出かけて、家に帰ったらUTOPIA内で話をする。それが僕らの日課だったのだが、最近はゲームが合わなかったのか飽きてしまったのか、森さんは滅多にログインしない。僕だってこんな小さな画面で覗くのより、夢の中ではうんと臨場感のある世界で暮らしているのだから、わざわざゲームをする必要なんてないのだけれど。どうしてか習慣としてアプリをつけてしまうのだ。結局、ろくにゲームを進めもしないでアプリを閉じるのだけれども。


 映し出された巨大都市。100万ドル以上の値が付けられそうな夜景。あちらこちらでネオンや巨大なモニターの光が目をチラつかせ、摩天楼の間を縫うようにUFOのようなドローンが飛び回り、巨大な橋梁——リベラドミニオンが街を見下ろしている。


「大邑vsSCRAPLEX、島間戦争イベント実施中!」


 GUIDEの顔にディスプレイされた文字列。どことなくGUIDEの姿も近未来的な流線形に変化しており、SCRAPLEXに順応しているように感じる。


 夢の世界ではSCRAPLEXに行ったことはない。ただ、このゲームのUTOPIAと同じく大邑と揉めているという話はクアンドシウスから聞いた。クエストを受注するためにリベラドミニオンの中核へと移動する。道中、絡んでくる半人半機械の人々、いわゆるサイバネを倒しながら。


「ああ、minase212。君のことをずっと待っていたよ。さぁ、このくだらない戦争を終わらせて、このSCRAPLEXを栄華へと導いてくれ」


 厚手で糊の利いたスーツを着ている白髪の老人、マクスウェル大統領はSCRAPLEXの首長だ。クエスト受注画面に移行する。


『【総仕上げ】

 間もなく、リバティに仕組まれた回路が起動する。大邑の連中はただの麻薬の類だと思い込んでいるだろうが、これは快楽を引き起こして熱暴走を誘引するだけの嗜好品ではなく、吸い込んだ者を知らぬ間に制御する電子回路だ。我々の見立てでは大邑の連中の1/3がリバティによる制御の支配下にある。あとは大邑に侵入して、リバティに命令を送る装置を起動すれば、戦争は瞬く間に終わるだろう——マクスウェル大統領』


「エージェントである君にはリバティを制御する装置の秘密裏での運搬と、いざという時のための護衛をお願いしたい。なに、連中が完全に信用しきっているARCSTEAMの輸送飛行船を装って西慶の港から密入国して、装置の起動スイッチを押すだけの簡単なお仕事だよ」


 SCRAPLEX。やっていることはどこか卑怯で、ただ彼らにも彼らなりの大義があるみたいだった。この世界のいわゆる国家はギルドと呼ばれていて、世界ギルド連盟と言う共同体がある。ほとんどのギルドが加盟しているが、大邑は加盟を拒否しているらしい。大邑は浮島の中で最も広大な版図を誇っていて、しかも低層域に位置していて、更に都合の悪いことに絶対王政を敷く君主国家だから、例え現在の皇帝である盤帝が穏健派だったとしても次の皇帝がそうである保証がないので、この世界のギルドたちは大邑の機嫌を伺いながら営みを続けなくてはならない。大邑は歴史の長いギルドで、その上に軍事力も強大。大邑と世界ギルド連盟の間に走っていた緊張は、SCRAPLEXが仕掛けた策略によって限界に達した。それが、リバティの密輸というわけだ。


 SCRAPLEXのエアポートから、確かにARCSTEAMの飛空艇そっくりの輸送飛行船に乗り込む。SCRAPLEXがどこかサイバーパンクな様相を呈しているのに対して、ARCSTEAMの飛行船はどこか前近代的で、蒸気機関で動くものらしかった。タラップに足をかけ、飛行船に乗り込む。ガレオン船のような見た目で、全くもって隠密行動には不向きな気がした。がりがりと歯車が軋む音が響いて、飛行船は滑走路がなくても宙に浮く。帆が広げられて、冷たい夜風を受けて、ド派手な密輸船は大邑へと向かう——


「船長! 帆が燃えてます!」

「敵船か!? どこの空賊だ?」


 トラブル発生。ARCSTEAMの紋章を掲げた巨大な帆が炎上し、船内に燃え移ろうとしている。いよいよクエストが始まったみたいだ。天啓を起動して、水の塊を作り出して鎮火する。


「あそこ! 8時の方向! ありゃ大邑の船だ!」

「あんだって!? 大邑とARCSTEAMは同盟関係にあるから攻撃はしてこない約束だろ!?」


 船員のサイバネが指をさす方向を見ると、確かにそこには小さな木造の帆船があり、そして舳先に人影が見えた。なるほど、あれが今回の対戦相手というわけだ。男は巨大な長弓を目一杯振り絞り、燃え盛る矢を放つ。


「頼む、大邑につくまで持ちこたえてくれ!」


 クエストの趣旨が分かった。大邑まで持ちこたえれば勝ち、航路中に船を焼き尽くされれば負け。それならばと船内の飲み水や大気中の水分をまとめ上げて、船を薄い水の膜で防御する。男から放たれた業火を纏う矢は、水の膜を通り船のマストに突き刺さる。


「火がついてなければ矢の1本や2本の威力なんて、たかが知れているはずだ」


 実際、船の残りの耐久力を表示するバーにはまだまだ余裕がある。そして、航路はもう半分を過ぎようとしている。


 不気味な射手はなおも矢を番える。今度は先ほどよりもさらに巨大な火の玉。水の膜を集中させてそれも消火する。大小さまざまな矢が火球のようにこちらへ飛ばされてくるが、やはり相性が良いのか簡単に攻撃を防ぐことができた。向こうは馬鹿の一つ覚えみたいに何発も矢を撃って来るが、残念ながら消耗戦に持ち込んだとしても、まだたっぷり水にも船の耐久力にも余裕のあるこちらの方が圧倒的に優位だ。


 ドン、という低い音に続けて、また見掛け倒しの大きな火の玉。何度やっても無駄だろうに。火の飛んでくる方向に水を集中させて、最後にプレイヤーの顔を拝もうと敵船の方を見やる。木造の船。大邑の船であることを示す紋章。舳先には誰も居ない。


誰も居ない!?


「まずい、このまま火が燃え続ければ船は沈没するぞ! 早くなんとかしろ!」


 船長の号令。振り返るとそこには燃え盛る帆。今にも折れそうなマストの物見やぐらの上に、大邑の着物を装備した男がこちらに向けて弓を構えていた。


「どうやってここまで!?」


 思わず口に出す。


「別に飛び道具は弓だけじゃない。砲弾の上には人間1人が乗れる分の判定がある。水壁の天啓は鎮火や射出物の勢いを殺すことはできても物体の通過そのものを防ぐことはできない」


 スマホのスピーカーから抑揚のない男性の声が聞こえてきた。


「砲弾の上に乗って来たってことですか……!?」


 離れ業だ。そうとう器用なキャラクターコントロールをしなければ、途中で砲弾から滑って落下するだろう。


 みるみる内に船の耐久力が減少していく。駄目だ、これじゃ鎮火は間に合わない。何より、このプレイヤーからの攻撃に備えなければ——


「いやぁ、エージェントさん助かったぜ! 無事、大邑の港に辿り着いた!」


 突然、船の火が全て消えて元の状態に戻る。緊迫感のあったBGMはいつの間にか穏やかなそれに変化していた。どうやら辛うじて船の耐久力が減少しきる前に、目的地に到着したみたいだ。


「良かったぁ、クエストクリアだ! 対戦ありがとうございました」


 相手プレイヤーが聞いている手前、大っぴらに喜ぶこともできず、礼を伝える。


「ああ……。お前、もしかしてミナセか?」

「いや、アカウント名はそうですけど、それがどうしたんですか?」

「俺だ。コウジンだ」


 文字通り夢中になってしまっていた夢と、半ば逃避していた現実が突然つながった。大邑の港で、ポチャリと魚が跳ねる音がした。

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