Seabed Pianoman——AT YOUTOPIA

 魚みたいな人が、路傍で干上がっていた。昼下がりのことだった。髪の毛を野良猫に齧られていたので、追い払ってやった。


 無情だ。あと少し歩けば大広場の泉があって、そこで水くらいは飲めただろうに。無常だ。誰もが年を取り、死は平等で、でも、だからと言ってこんな街外れの路地裏でそれを迎え入れる必要はないのに。いつか僕だってこうなってしまうのかもしれない。明日の保証は誰にもない。野に倒れて死ぬのかもしれないし、誰にも気づかれず孤独に命を引き取るのかもしれない。それを悲しんでくれる人がどれだけいるだろうかと思うと、どこか心許ない気持ちに襲われる。今、倒れ伏している彼には友人がいたのだろうか? 家族は? 恋人は? 別れの前に挨拶はできたのだろうか? もし自分が同じ立場ならと考えると胸が痛い。せめて彼の立場になって、どのように弔ってあげることができるか、考えつつもこのまま放置するわけにはいかないので、ギルド長に報告を——


「まだ、生きておる……」


 え?

 声のする方を見やると魚みたいな人が僕の足首を掴んでいた。


「み、水を……」


「いやー!! 生き返る!! 助かった! 地上はすぐ渇くから行かんなぁ!!」


 重かった。魚みたいな人は僕よりもうんと背が高く、それに比例して体重もかなりのものだった。頑張って背負おうとはしたけど、かなり足を引き摺ってしまったのは申し訳ないが、この様子ならその心配も無用なようだ。


 ストリングの首都、ロメの中心部、大広場の中ほど、中央に天球儀を据える泉に魚みたいな人を運び込んだ。水を飲ませればいいのか、浴びたいのか皆目見当がつかなかったのでとりあえず彼の体躯をそのまま泉に落とす。溺れてしまわないか心配だったけど、どうにか復活してくれたみたいだ。青黒い斑点のついたテカリのある銀色の体に、とさかのような長い赤髪。まるでリュウグウノツカイみたいだ。


「わしゃギンと言う。お前の名前は?」

「えっと、ミナセです」

「ほーかほーか、ミナセ。改めて感謝しよう、助けてくれてありがとう!」

「いえ、生きててよかったです」


 葬式の挙げ方を考えていたなんて口が裂けても言えない。


「感謝ついでに訊きたいことが幾つかあるんだが、良いか?」

「僕が知っていることであれば」

「実は人を探してこの街にやってきたのよ。背が高くて、恰幅のある女で、ちょっと偉そうなところが鼻につくやつなんだが」

「はぁ。そういう人はいるのかもしれませんが、僕の周りには居ませんね」


 この街に来て日が浅い以上、残念ながら人探しには協力できない。せっかく頼ってくれたのだから力になりたいけど……。


「良かったら、探しましょうか?」

「そいつは助かる! 別に急ぎのようではないから、普段のついでで構わんよ。それともう一つ、こっちはかなり重要なんだが」

「一体、なんですか?」


 鬼気迫る表情に生唾を飲む。


「近くに酒場はあるか?」


 飲み込んだ生唾を返して欲しい。


「いや、違う! 違うからな! わしゃ飲んだくれじゃないぞ! 確かに寝る前に酒を飲まなかった日はないし、かれこれ100年は毎日吞んでいるが、決して飲んだくれているわけではない! 酒場と言うのは人が集まる! 人を探すための情報収集をするなら酒場が一番適切じゃあないか! そのついでにちょろっと飲むだけだ!」


 なるほど。確かに彼の言うことも一理ある。酒場であれば旅人も数多く集まるし、常連の中にはこの街で暮らして久しい古株の情報通もいるかもしれない。この街にはインターネットもテレビ放送もない。であればそうした人づてに情報を収集するのが良いのか。


「なるほど確かに! 酒場ならルチード通り沿いに幾つもあるので、そこを利用してみてはいかがでしょうか」

「相分かった! それじゃあまたどこかで!」


 泉から凄まじい速度で陸に上がると、ギンさんは両腕を全力で振ってルチード通りへと消えていった。彼が滴らせた水の跡は陽の光ですぐに乾いて消えてしまった。


 水の都。そう呼ぶのが最も相応しいであろうレインボーフットのギルドであるストリング。僕が目を覚ましたのはギルドの総本部がある建物の、小さな一室。簡素なベッドと壁一面の本棚に、小さなテーブルとその上に杖が一本と分厚いノートが一冊。昔の自分、というよりはかつてこの肉体を有していた人は、この部屋で日夜天啓に関わる研究をしていたらしい。僕が書いたというノートを読んでも、何について書いてあるかは正直よく分からない。思い出す、というよりは覚え直すという形である程度の天啓を身に着け、多少は水を操ることが可能になった。ゲームのUTOPIAほどはうまくいかないけど。


 コンコン。自室の扉を叩く音。真っ白に碧い差し色の制服を着た、ギルドの構成員が扉から覗く。


「ミナセ様。ギルド長がお呼びです」


 なぜか知らないけど僕はどこかVIPのような待遇を受けていて、けれど時々ギルド長に呼び出されて仕事の依頼や容態の経過観察などを受ける。


「うん、今行きます」


 広大な敷地を誇るギルドの総本部も、その多くがツタに絡まれて自然に浸食されている。石造りの建築を突き破る大自然を歩きながら、見下ろすのは水路を漕ぐ小舟の数々。

 この街での暮らしは存外良くて、時々目を覚まさなければいいのにと思うこともある。どこか見たことのあるような美しい街並みには穏やかな時間と水が流れていて、現実世界での些細な悩みを置いて行ってくれるから。ここのところはいつも、いつ覚醒してしまうのか少し不安になりながらこの街の暮らしを謳歌している。


「入りなさい」


 巨大な扉をノックすると、凛々しい声が入室許可を下す。


「失礼します。クアンドシウスさん」


 中庭と呼んで差し支えない、広大な部屋の中心には天井を突き破るように大樹が伸びていて、その中でもひと際太い枝の上に、声の主は止まっていた。


 クアンドシウス。紺碧の翼を持つ巨大なフクロウ。


「容態は」

「えっと、特に変化はありません」

「記憶は」

「これっぽっちも」

「思い出せぬか」

「はい」

「ふん、なれば仕方あるまい。引き続き時間をかけて思い出してもらう他ないだろう」

「あの、それなんですけど。もう思い出すよりも今のまま新しいミナセとして色々と覚え直すというのは駄目なんでしょうか。この街のためにできることならなんでもしますから」

「ならん。貴様の記憶には、いや、正確には貴様ら、だが。その記憶にはストリングひいてはレインボーフット、いや世界ギルド連盟の存続にすら影響し得る価値がある」


 見下ろしてくる丸い目は鋭い。僕ではなく記憶を当てにしていて、その記憶が完全に欠落している状況に肩身の狭さを覚えないわけではないけど、それでも頼られているだけ嬉しい気持ちはある。


「それと、貴様に人探しを頼みたい。客人がそろそろ現れるはずなのだ。むろん、他の者にも依頼してはいるのだが、如何せん食えない奴だからな。どこに現れるやら。それに本当に来ているのかも怪しいものだ」


 やや体を細くしながら、クアンドシウスさんは言葉を紡ぐ。


「探しているのはある男だ。種族は魚人。銀色の肌に青黒い斑点がある。赤の長髪、名前はギンという。連盟には加入していないが、アンダーカバーの王家の血を引いている。極度の飲んだくれだが、乾燥に弱いことから、酒の飲み過ぎで干上がっているかもしれんな。一応は要人であるし、もう少し自分の身を案じて欲しいものではあるのだが」


 魚人。銀色の肌。青黒い斑点。赤の長髪。名前はギン……


「まさか!」

「ん? どうした? どこかで見かけたか?」

「あの、大変ぶしつけな質問で申し訳ないんですけど、クアンドシウスさんって女性、ですよね」

「ふん、性別の違いなどとうにないようなものだが、生物学上はそうだ」


 背が高くて、恰幅のある女で、ちょっと偉そうなところが鼻につくやつ……


「まさか!」

「さっきから何なのだ」

「いえ、心当たりがあるので、探してきます!」

「ちょっと待て、まだもう一人探し人が——」


 まさか路傍で干上がっていた魚みたいな人が王族だったなんて。何かクアンドシウスさんが言いかけていた気はするものの、慌ててギルド長の部屋を飛び出した。

 夕間暮れ、パンを焼く香り。様々な人がそれぞれの帰り道につく中で、普段は絶対に行かない歓楽街へと走る。


「よぉ、ミナセさん! お仕事かい?」


 広場を駆けていると、獣人の町民に声をかけられる。


「こんばんは、実は人を探していて。赤い髪の魚人の方なんですけど」

「ああ、それならさっきルチードの酒場で見かけたよ! 魚人なのに千鳥足だったねぇ」

「情報助かりました! それでは!」


「あらぁ、もしかしてミナセ? 珍しいわねぇ、こんなところに顔を出すなんて! なんだかんだ英雄色を好むってことかしらぁ?」


 ルチード通りに差し掛かると、今度は踊り子の女性に声をかけられた。


「こんばんは。いえ、実は人探しをしていて。ここらで赤い髪の魚人の方を見かけませんでした?」

「ああ、さっきまでうちの店にいたんだけど、広場の方に行ったわよ。居合わせた客に介抱されていたわねぇ」

「ええ、そうなんですか? ああ、入れ違いになっちゃったか」

「それが、居合わせた客の方がなかなかの色男で。でもあんたに似て、何て言うの、天然って言うか?」

「ごめんなさい、急いでいるので、失礼します!」


「おや、ミナセ君! 丁度良かった。君の好きなパン、今焼き上がったところなんだけど、どうかね?」


 広場に直結する大通りに出ると、老熊に声をかけられる。


「え、それは食べたい! あ、でも今は人を探してまして。赤い髪の魚人の方なんですけど」

「ああ、それなら赤い服の男に肩を担がれて、広場の方に運ばれて行ったよ。どちらも見かけない顔だったから印象的だったね」

「わかりました。それでは失礼します。あ! パン、取っておいてください、後で買いに行くんで!」


 それから子どもたちや老夫婦に声をかけられつつ、広場に辿り着いた。


 日暮れを告げる鐘の音、泉が西日を反射して天球儀に光の波跡を作る。泉の縁には背の高い男とブロンド髪の少女が腰かけ、その奥で先刻よりも干からびた赤髪の魚人が寝転がっていた。


「はぁ、はぁ、良かった、見つかって。あ、ごめんなさい。あなた方がギンさんを介抱してくださったんですか?」

「この男がギンという名前なら、そうだ」


 背の高い男はどこか和装のような服を着ていて、長い弓を背中に携えている。燃え上がるような赤い着物。


「助かりました。実はその人、ギルド長の御客人でして」

「あら、そうなのですか? とてもそうは見えませんが」


 ブロンド髪の少女は、ヒラヒラした豪奢な服を着ていて、この人の方がよほど王族のように見えた。言葉遣いも丁寧だ。


「えへへ、そうですよね。僕も最初会った時は行き倒れて死んだ酔っ払いかと」

「賓客に随分な物言いだな」


 もっともな指摘を受けながらギンさんの方に近づく。まずは水を飲ませた方がいいかな、状態によっては医者を呼んだ方がいいかもしれない。干上がった魚みたいな人は、髪の毛を野良猫に齧られていた。


「こらこら。食べちゃダメですよ」


 野良猫を追い払おうとした途端、地鳴りが辺りに走る。泉に亀裂が入り、足元がぐらぐらと揺れる。


「危ない!」


 男に手を引かれる。刹那、泉の水が顔に跳ねて、視界の先で野良猫が宙を舞う。


「これはまた巨大ですね」


 大きな、チョウチンアンコウ? 生え揃った邪悪で鋭利な牙は一つ一つが人の上背ほどあり、疑似餌に当たる部分にさっきの野良猫があって……。それを認識する頃には干上がった魚人がばっくりと食べられてしまっていた。


「食べられちゃったみたいですね」

「なんでそんなに冷静でいられるんですか! あれは何なんですか!?」

「あれは妖の一種だ。おそらくは陸魚のタイユウヌマネコモドキ。水に擬態して、疑似餌で動物を誘い込み、変身を解いて喰らう。普通は水溜まりに擬態することが大半だが、この泉全体に擬態するほど大きいものは初めて見る」

「なんでそんなに冷静でいられるんですか! 早くギンさんを助けないと!」


 杖を振るって水を操る。魚なら泉から水を抜いてしまえば呼吸が出来なくなるはずだ。


「水の天啓を司る人間。もしかしてあなたがミナセ様ですか?」

「え、なんで僕のことを……? あ!」


 少女に声をかけられた直後、先ほどの巨大アンコウは突如として姿を消した。驚きのあまり力を解いてしまい、水の塊がかかりびしょ濡れになる。


「いや、あそこだ」


 男が指で示す方を顔を拭いながら見ると、野良猫が裏通りへと走り去っていくのが見えた。


「賢いですね。あの姿であれば小回りが利きますもの」

「なんでそんなに冷静でいられるんですか! 感心してないで追いかけないと——」


 言葉を最後まで紡ぐ前に、少女が僕の唇の前に指を立てた。


「心配には及びません。必ず仕留めてくださいます」


 男は弓を引いていた。無理だ。夕刻を過ぎたとはいえまだ人通りはある。多くの歩行者が巨大魚の目撃でパニックになっている中で、もう豆粒ほどになってしまった猫を1匹狙い撃つなんて。しかし、彼の放つ緊張感が矢を射ようとするその手を止めさせてくれない。


その体躯と変わらぬ長い弓は限界まで引き絞られ、一瞬の静寂の後に放たれる。


「この方は。コウジン様は、あなたと同じ運命を辿ったお方です」


 矢は果たして野良猫に直撃し、小さな通りを塞ぐように巨大な魚が出現した。最初はのたうっていた巨大魚も、やがて力尽きたのか動かなくなった。巨大魚の身体からは煙が出ている。コウジンさんはふうとため息をついて、緊張を解いた。


「この矢は、貫いた対象を内側から焼き尽くす」


 魚の身体が焼け焦げていく。凄まじい焦熱だ。けど、これなら、街に被害をもたらさずに仕留められる。あれ、でも、内側から焼き尽くすって。


「あの、中にいるギンさんは……」

「ああ、まず助からないだろうな」

「それじゃまずいんですってぇ!!」

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