真っ白な幽霊——AT REAL

「玲ちゃん、ご飯」


 ドア越しにいる妹の莉子の声で目を覚ます。どうやら机に突っ伏したまま眠っていたみたいだ。せっかくの土曜日だというのに半日損した事実がまどろみにのしかかるけど、睡魔に抗って立ち上がる。


 妹が私を呼びに来たということは、兄は今晩の食卓に来ないということだ。父母も相変わらず仕事中。私と妹だけではあまりに広いリビングで、テレビだけが場を賑やかし、出来の悪い邦画みたいにカチャカチャと食器を鳴らしながら、私たちは言葉なくレンジでチンした晩御飯を食べていた。


 早々に食事を摂り終えた妹が食器をシンクに運ぶ。私は兄の分の食事にラップをして冷蔵庫に入れておいた。


 役目を終えたリビングを立ち去る前に、付き放しになっているテレビの電源を消すためにリモコンを探す。テーブルの上。ソファの裏。クッションの下。祈るようにカーペットをめくったが、当然のように何もなかった。


「あたしが消すよ」


 妹は花瓶の裏に隠れていたリモコンを取り出してテレビに向ける。


「このゲーム、流行ってんよね。まぁ、興味ないけど」


 テレビに映るのは石畳の街並み。どこかヨーロッパを想起させる世界でプレイヤーが銃や剣を携えて冒険している。


「天啓を駆使して新たな浮島へ旅立とう。なりたい自分にきっとなれる! UTOPIAの世界へ——」


 CMの途中でテレビ画面が真っ暗になり、呆けた顔の私と金髪をなびかせてリモコンを片付ける妹の姿が投影された。


「じゃ、あたし寝るから」


 妹はそそくさと部屋へと帰って行った。無造作にテーブルの上に置かれたリモコンと、リビングに取り残された私。残像のように先ほどのゲームのCMが頭を過る。


 私はあの世界を見たことがある。


 正確には、夢の中であの世界に行ったことがある。


 リビングの電気を消して、机の上の基盤や部品を脇に寄せてノートパソコンを立ち上げる。確かタイトルは「UTOPIA」。ゲームのホームページはすぐに見つかった。相当人気みたいだ。


 早速ダウンロードを試みる。容量が足りないと言われたので保存していた写真や動画を削除した。それでもぎりぎりだ。長い長いダウンロード時間を経て、四葉のクローバーをモチーフにしたような顔のアイコンがデスクトップに登場した。


 ダブルクリック。猛烈なファンの駆動音。排気熱。ローディングが終了するとともに、パソコン本体も終わりを告げた。


「……新しいPC組むか」


 お年玉、お小遣い、食費。今時誰も使っていないだろう豚の貯金箱にも犠牲になって頂いて、新たにタワーPCを組み上げた。モニターは兄に譲ってもらった。とにかく、これで要求スペックは満たしたはずだ。理想郷のために再度、件のアイコンをダブルクリックする。巨大な橋が映し出された画面には『PRESS ANY KEY』と文字が明滅しており、それに従ってスペースキーを押下する。すると、IDを入力する画面に遷移した。SNSとも連携できるみたいだが、あいにくその手のサービスを一切利用したことがないため、なんとつければいいのか困ったけど、机の端に転がっているマイコンの名前が『Ghost Orange』であるため、そのまま借用することにした。


 突如として、場面が空中に移り変わったかと思うと、羊のマスコットのような、ぬいぐるみのような機械が目の前に現れた。このゲームのアイコンになっていた顔がついている。どうやらその顔は液晶のようになっているようで、NOW LOADINGと表示されている。顔の液晶が乱れて、ザザ、というノイズが入り、マイクテスト、マイクテストと羊のマスコット越しに呟く声がした。聞き取りにくいのでボリュームを上げる。


「さぁさぁ皆さんお立合い! ゲーム『UTOPIA』の開発者、KODE:LiONだよ! GUIDE越しではあるけど、このあたしが直々に演説してあげよう! え、せっかく世界観に浸ろうとしてたのに、開発者が出てくるのは萎えるって? まぁそうじゃけんにしないでくれよ! これからこの世界についてきっちり解説してあげるからさ!」


 ハスキーな女性の声がモニターのスピーカーを伝ってびりびりと部屋にこだまする。慌ててボリュームを下げた。


「まずこの世界の概観を説明しよう! といっても自分の足で踏み出して、両の眼で価値を見出してこその冒険だから、ほとんどシークレットだけどね! 『UTOPIA』の世界は巨大な橋梁と数々の浮島によって成立している。橋の下は底の深い海だから落ちないように注意したまえ! まず君にはレインボーフットという超巨大な橋梁に存在する5つのギルドから1つ、所属するギルドを選んでもらうよ!」


 先ほどまで女性の声の抑揚に合わせて液晶の顔文字が変化していたが、今はその液晶に街の映像が流れている。


「といってもいきなり選べと言われたら判断に困るだろうから、一つ一つ簡単に解説してあげよう! まずはサムザン! 娯楽と熱狂と鍛冶のギルドだ! 工芸と祭りが盛んな職人の街。巨大な石切り場になっているバルカン山から採掘した鉱物は上質で、サムザンの産業を支えている! ギルド長のユーノは情に厚い男だが、満月の夜には注意とだけ言っておこう! 火を扱う天啓を得意としているぞ!」


 映し出された街並みは赤い屋根で、煙突からもくもくと黒煙が上がっていた。


「続いて紹介するギルドはインデクシアだ! 秩序と光と防衛のギルドで、レインボーフットで最大の版図を誇っている! 石を司る天啓を得意としている。清潔で美しく整った街並みが自慢で、ギルド長のツヴェイラは礼儀正しい女性だが、こういうやつを怒らせるとどうなるかはみんなも理解しているよね?」


 寸分の狂い無く作られた石造りの街並みはとても美しく、ゲームだとは思えないほどだった。


「お次はミドロ! 探求と開拓と薬学を看板に掲げて、巨大な木々の森を開拓して自らの領地としている。ツリーハウスでマイナスイオンに癒される生活もできるだろうが、ギルド長であるエルフのトレモロが地下で行っている凄絶な実験については、あえてここでは触れないでおこう!」


 大樹の中に辛うじてツリーハウスが幾つか見える。街と言うよりは巨大なジャングルのようだ。


「4番目のギルドはストリング! 芸術と調和と占星術のギルドだ。自然の保護を謳っていてやや保守的なきらいのあるギルドだが、水を扱わせたら右に出るギルドはないだろうね! ギルド長は威圧感の凄まじい巨大なフクロウだが、一部ではマスコットとして人気があるみたいだぞ!」


 湖の上に立ち並ぶレンガ造りの建物の数々と、家と家の間を移動するためにボートを漕ぐ一団が映し出される。


「最後はリトリヤだ! 知略と技術と弁証を得意とし、雷を司るギルド! 街のいたるところに電気を供給する装置があり、半人半機械の改造人間が数多く暮らしている。ギルド長のフィブリウムの姿を見た者は未だに誰も居ないが、町そのものがフィブリウムのネットワーク内にあると噂されてるぞ! 悪いことはできないねぇ!!」


 ここだ。私はここに行ったことがある。なぜ存在すら知らなかったゲームが夢に出てきたのかは分からないし、どこか懐かしさすら覚えた。所属先は決まった。


「ということは、リトリヤを所属ギルドに選ぶんだね?」


 確認画面になり、『はい』を選択する。


「そうかそうか!! お気に入りのギルドが見つかって良かったよ! それじゃあお役立ち情報を幾つかプレゼントしよう! まずあたしが君にメッセージを伝えるために使っているこのマスコットはGUIDEというんだ! こいつはものを瞬間移動させる能力があってね。一度触れたことのあるGUIDE間をワープすることができるから、ぜひ活用してくれ! それともう一つ、天啓について君に天啓を授けよう! この世界における天啓と呼ばれるものは、ありていに言ってしまえば魔法みたいなものだ。UTOPIAの世界において、万物に大いなる計算式が刻印されていて、君はそれを取り出して扱うことができる。風を起こしたり、雷を落としたり、罠をしかけたり、あるいは武器にまとわせてその威力を上げたり、まあ使い方は人それぞれだ。君の創意工夫に全てがかかっている!」


 画面上では人や動物や妖怪のような生き物やロボットが、火を起こしたり、料理をしたりと天啓を生活に役立てている。


「もちろんあたしたちはこのゲームにエネミーや宝ものやイベントを仕込んではいるが、このゲームをプレイする目的は君自身が見つけるんだ! 最も高い位置にある浮島を目指してもいい、一番強い剣士になってもいい、トロフィをコンプリートしてもいいし、愛しのあの子と同棲してもいい。い・ず・れ・に・せ・よ!! もう君のこの世界での生活は始まろうとしている! なりたい自分にきっとなれる! UTOPIAの世界へようこそ!!」


 それではさらばだ! という号令を合図にGUIDEは消えて、鳥瞰していた街並みがどんどん近づいてくる。いや——


 落下している!


 画面左上に表示されていたHPの残りを示すバーは真っ赤に点滅し、私が虫の息であることを告げていた。手荒い歓迎に若干の苛立ちを覚えつつ、キーボードとマウスでどこへ行くでもなくうろついてみる。


 落下した場所は第2管区と呼ばれるリトリヤの街らしい。見覚えのある家並みではあるものの、破壊されたアパートはどこにもなかった。街には沢山の人がいて、頭の上に文字が羅列されていた。おそらく私の頭上にも『Ghost_Orange』と記載されているに違いない。


▶もしかして、このゲーム始めたばかり?◀


 私の前で立ち止まった、ひげを蓄えている男性のキャラクターからメッセージが送られてきた。IDには『TROY』と書いてある。藁にも縋る思いで私は返信した。


《はい、どうしたらいいのか分からなくて》


▶最初は何から始めればいいのか判断に迷いますよね。このゲーム、目的があってないようなものですから。もしよかったら僕たちとパーティを組みませんか? 今、初心者と混成でクエストを行うと経験値が倍増するイベントをやってまして◀


≪よく分からないですけど、ぜひよろしくお願いします≫


▶では、パーティに誘います。僕の他にもう一人メンバーがいるのですが、それでよろしければ申請を許可してください◀


 パーティに誘われたことが通知される。どうせここで右往左往しても何も分からなさそうなので、許可ボタンをクリックした。


 場面が変遷して、まるで熱帯のジャングルのような世界に移動した。『——DYNOSCAPE——』とでかでかと文字が映し出される。どうやらこの場所の名前のようだ。それと同時に画面が変化して、『職業を選択してください』と表示される。画面には十数個の職業のアイコンが表示されていて、それぞれの特徴などが羅列されていた。よく分からないのでカーソルに一番近い罠猟師を選択した。


▶参加できたみたいですね。Ghost_Orangeさん、宜しくお願いします◀

[よろしく]

≪よろしくお願いします≫


 もう一人のプレイヤーの頭上には『twilamp』と表示されている。派手な柄の服を着た少女だ。


[ま、タイプ速度は速いしゲーム慣れはしてそっすね]


 身に余る期待をされている。裏切るような結果にならなければいいけど……。

 3度目のゲームオーバー画面が表示された。よく分からないまま巨大な恐竜に蹂躙され、全く成す術がなかった。


[あのさ、罠猟師なんてトリッキーなキャラ使うんなら役割くらい覚えてこいよ!]


 チャット欄では先ほどから怒り心頭の『twilamp』さんの悲痛な叫びが2秒おきに更新されていた。


▶まぁまぁ、Ghost_Orangeさんは初心者なんだし◀

[いいや、だとしてもこれはあんまりだね! 俺のタイプスピードでも間に合わないくらい言いたいことあるわ!]


 もう既に山ほど罵声を浴びせられた気はするが、言い足りないことがあるみたいだ。申し訳ないとは思うけれど、謝罪を差し込む隙間が無い。


「あのなぁ、お前は罠猟師なんだから先に前線で罠を張った後、素早くタンクとスイッチして後衛に回る! トリッキーなジョブ使ってんだったら役割ぐらい覚えろよ、そんなんでマイオナ廚してんじゃねぇって!」


 急に甲高い男性の声がスピーカーから流れる。どうやら『twilamp』さんが喋っているみたいだ。矢継ぎ早で放たれる言葉のほとんどは理解不能。ただ罵倒されていることくらいは分かった。


「た、たんく? まいおな? 難しい言葉使わないでよ!」


 ついカッとなって私もボイスチャットをオンにしてしまった。

▶二人とも落ち着いてください!◀

「お前、マジでこのゲーム向いてないよ。女だからってブースティングして貰えると思ってんの? そういうゲームじゃねぇから!」

「何をやってもいいゲームだって、開発者さんが言ってたけど!」

「だったら大邑の河原で石でも積んでろよ! 腰の高さまで積めたら俺が直々にぶっ壊してやんぜ!」

「なんで私が賽の河原紛いのことしなきゃいけないの? 鬼にしては随分可愛らしい見た目だけど!」

「それはサンキュー! 10時間かけてキャラクリした甲斐があったわ!」


 もう二度とこの人とは『UTOPIA』で遊ばない。そう決心することで、小一時間かかった口論は終わりを迎えた。それと兄にはイヤホンをつけろと怒られたし、妹には男はちゃんと選んだ方がいいよ、とよく分からない気を遣われた。

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