第三章 ヒュエイ・ミャン
キラゴ・カシナラ
第三章
ヒュエイ・ミャン
荒々しい岩肌を満たすように波が何度も打ち寄せる。そこには男が一人、決死の思いで対峙していた。
「ただでは死にはせん、こうなってしまったら俺もキラゴのようにお前を打ち倒して死んでやる」
男の周りには仲間の死体の破片がゴロゴロと転がっており、海がそれらを喰らうように又は弄ぶように転がせ続けていた。
男と対峙するドラゴンは、最後の一匹をどう楽しんで殺してやろうかと喉を鳴らしながら睨みつける。
「死を覚悟した上で挑んだ任務であったが、よもや部隊が全滅するとまでは考えていなかった。やはりドラゴンと戦うことは神話の領域の話であったな、しかし、鱗を突き抜くことさえ出来ればまだわかるまい」
海水で濡れた鱗は黒く輝き、まるで黒鉄の鎧のように頑丈に見えた。
男は短い直剣を鞘に納め、腹に差してある短刀に持ち替えた。ぬるりと鞘から抜かれた刃には纏わりつく毒が塗布されている。
男が狙うは仲間が剥がすことに成功できた鱗の無い一部、左足の脹脛のみ、そこだけが差し違えられる唯一の場所、恐怖と緊張で息が荒くなることを抑えることが出来ない、しかし力在る者は弱者に準備の時間などは与えはしない、ドラゴンは翼を大きく広げると左手を空間を消し飛ばすが勢いで男めがけて振り下ろした。
「…シッ!!」
男は無心でドラゴンの懐に飛び込んだ。
(まだ…生きている!?いけるっ!!)
男はドラゴンの腹から左足の外側へと踏み込んだ、しかしその次の瞬間には顔面を殴打され倒れこんでいた。
キーンと不思議な音色の龍笛が鳴ると、ドラゴンは首を上げその場から動かなくなった。
「ヒュエイ!殺すなよ」
トリロは馬乗りになり二本の短刀を男の首に押し付けているヒュエイに注意した。
「わかっている。しかし、タフだな私の一撃を顔面に受けてまだ意識があるぞ」
「そいつはただの盗賊じゃない、ジウラ領の兵士で特殊な部隊か何かだろう」
トリロは周りの死体を見渡し、顔を歪めた。
「ドラゴンも随分とむごい、食べもしないのならここまでばらばらにする必要もなかろうに」
「仲間にでも食わせるつもりだったのだろう、そんなことはどうだっていい、敵に情けなどかけている場合ではないだろう」
ヒュエイが男の顔面をまた殴りつけ気絶を確認しながらトリロを叱咤した。
化粧をする戦士、彼女はそう呼ばれることがあった。ヒュエイ・ミャンはフィディラー大陸の東、その大陸の中の極東に位置する国からやって来たと言う。彼女はキラゴの騎士達に心を許し、他の者は自身の過去など話すことは無いのにも関わらず、故郷の話を良く語った。
彼女は10年前に16歳でサルタ岬からカドル島へと渡って来た。驚くことに渡来直後に彼女はキラゴの騎士の入隊試験を行ったのだ。入隊試験は年に一回のみ、一度試験に受かることが出来なければ死ぬことになる厳しい試験である。その試験の最後には途中試験を乗り越えた者同士で殺し合わなければならないのだ。
彼女はその試験を16歳で突破したのである、その時から彼女は化粧をする戦士と呼ばれた。
ヒュエイは戦いをする時不思議な儀式をする、それは左手で顔をなぞり化粧を施す、それはほんの一瞬で、化粧道具、紅も使わず呪術のように行うのである。
化粧後は別人のように殺意をむき出しにし、敵を屠ってしまう。たとえ自分が16歳の少女で相手が訓練を積み重ねた屈強な戦士であってもだ。
ドラゴンの巣に戻ったヒュエイ達はロエオスのもとに捕虜を差し出した。
「一先ず良くやった。詳しく聞くのは、まずはそいつを牢に入れてからだ」
ヒュエイとトリロは承諾すると、捕虜を牢に運んだ。
「トリロ?何だ、先ほどから一言もしゃべらないが」
ヒュエイは不思議そうに尋ねた。
「…何かひっかかる、ただの気のせいだとは思うが…」
「おぉわかった、詳しく聞くのは、まずはこいつを牢に入れてからだ」
ヒュエイは恐ろしく似ていない隊長のマネをして変な顔をして見せた。トリロは難しい顔をしていたが、その後もしばらく無言の時間が続いたせいで笑いを抑えることが出来なかった。顔面を大きく腫らした男を引きづりながら暗い牢へと続く洞窟を二人は腹を抱えながら進むのであった。
男はひどい臭いと共に目覚め、自分の置かれた状況を理解するまで顔の痛みに気付くことも出来なかった。
(…!?口が開かない?)
顔の腫れに気付くと壊れた顎を少しずつ開き口の中に溜まった濁った血を垂れ流した。
(ここは牢か?俺は何故死んでいないのか?)
「なんだ?こいつ起きたぞ、ヒュエイお前手加減しただろ?」
「…あらまぁ、こいつなかなか見ごたえがあるね」
トリロとヒュエイは固いパンと不味そうなスープを頬張りながら男を眺めていた。
(こいつら、何者だ?)
「おい、何か喋れ」
ヒュエイは男に投げかけた。
「まったくお前は相変わらずだな、弱者に対して微塵も優しさが無い、喋れるわけがないだろうお前が顎を壊したんだぞ」
(そうか…こいつらはキラゴの騎士か、俺はドラゴンにやられた後にこいつらに捕まったのか?…しかし顎を壊したのはこの女だと言っている?…だめだ思い出せない)
男は混乱と痛みの中、意識の遮断が火打ち石を叩くがごとく繰り返されていた。やがて、ヒュエイやトリロの問いかけに反応することもできず横たわるだけになってしまった。
「死んだか…?」
ヒュエイはトリロに問いかけると、トリロは顔を引き締め。
「いや、死んではいない。しかし死なれても困るな…医療班を呼んでくる、お前は見張っててくれ」
トリロはスープを喉に流し込むとその場を離れた。
「おーい、おかわりも頼むぞー」
ヒュエイはそう言うと空になった器を叩いた。
トリロは洞窟を進みながら先程までの気にかかる思いについて考えていた。
(あの男、身なりからしてジウラ領の者で間違い無いと思う、それもただの兵では無い、暗部、暗殺専門の部隊であろう、その証拠に毒の塗られたナイフを持っていた。その毒も妙だ、俺の知る限りドラゴンを殺せる毒など聞いたこともない、そんな物がこの世に存在するのか?存在するとしてそんな高価な代物を装備した部隊を派兵して失敗に終わった?こちらは何の情報も対策も取らずに奴らがかってに部隊全滅に追い込まれたと言うのか?巫女様の毒…解毒処置は終わっていると言われた、命に別状は無いそうだ、腑に落ちないな、奴らが目的としている任務が見えて来ない)
考えが纏まらないまま洞窟を抜けるとそこにはペヘリが居た。
「おっと!危ない危ない、なんだ?トリロ食事は終わったの?」
ペヘリは食事を抱えながらそう尋ねた。彼はヒュエイ達からおかわりを催促されることを想定して催促される前に運んでやろうと牢に向かおうとしていたのだ。
「ペヘリ、医療班はまだ巫女様の治療中か?牢の捕虜に一人回してもらいたいのだが」
トリロはそうペヘリに尋ねると。
「さっきの捕虜に?中隊長の許可は取らないとわからないよ」
「ならお前が中隊長に許可を取ってくれ、下手をすると死にかねん、俺は医療班のところで話をつけてくる」
トリロはペヘリの返答を聞かずにドラゴンの巣にある医療室へと向かってしまった。
「ちょっとー、このおかわりどうするのさ、これ持ったまま中隊長に報告しに行くのかよー」
ペヘリは困った表情でトリロの後ろ姿に愚痴をこぼした。
牢の見張りで残されたヒュエイは一人牢の捕虜を眺めていた。
(血が凝固しはじめてるな、呼吸は大丈夫か?)
ヒュエイは立ち上がりうつ伏せの男に近づいた、様子を伺うとやはり口内に血が溢れ返り良い状況とは言えなかった。
「仕方ないな」
ヒュエイは牢の中に入ると男の口の中を掃除をした後左手で男の顔を覆った。そして、ヒュエイの左手が男の顔をなぞると男の顔に奇妙な入れ墨のようなものが現れ始めた。
「目覚めろ、神の力を味わうんだよ」
「…!?」
男は眠りのさなかに熱湯を被せられたように飛び上がり、自身の体に流れる血の逆流を感じつつもがき苦しみ始めた。
「貴様!何をした!?…熱い、体が震える」
ヒュエイは立ち上がると自身の顔に左手を被せた。
「あんた、本当にタフだね、その力を受け入れられる人間はそうはいないよ、とりあえず顎は完治したみたいだ、これで十分だね」
男はヒュエイの顔を見て思い出したようにつぶやいた。
「デビルフェイス?」
次の瞬間男は再び牢の床に倒れていた。腹をえぐられたような痛みの中自分が元の自分に戻ったことを悟った。
「日に何度も使いたくないね、腹は大丈夫だろう?今度は内臓がいっちまったなんて御免だよ」
「お前…」
ヒュエイは牢を出ると椅子に座り直した。
「あんた名前は?」
男は腹の痛みをこらえつつヒュエイを睨みつけた。
「…俺の名前は…」
「え?聞こえないよ、男なら腹から声を出せよ」
男は苦笑いを浮かべヒュエイに首を垂れた。
「命…を助けてくれてありがとう、殺しかけたのはあんたのようだが、俺は…イシス、それが名だ」
ヒュエイは笑みを浮かべると頷いて見せた。
「あんた、事情はどうあれ気に入ったよドラゴンとタイマン張れる度胸、私が顎を壊しても死にもしない、そしてカミユイを受け入れた。唯者じゃないね、今度は不意打ちではなくしっかり決闘をしたいね、私の名前はヒュエイ、あんたの名前はイシスか、そうか」
捕虜に対して妙に慣れ慣れしいヒュエイの言葉を聞いているうちに腹の痛みも治まり、イシスは落ち着きを取り戻せた。
「デビルフェイス…あんたは俺の土地ではそう呼ばれている、キラゴの騎士の女騎士、悪魔に身を売った死神だと…まさかその死神が命を救うとは、しかも俺は捕虜だ、…それと今の俺の力、悪魔との商いは上手なようだな」
「悪魔じゃないよ、もっと酷いものさ、普通ならあの世行きさ、それをあんたは踏み止まれたのさ」
手の平を叩くと、ヒュエイは暗がりの通路を見た。
「トリロが来たね、イシス今あったことは他言するなよ、トリロは気付くだろうがそれ以外にはわからない」
「相容れた」
トリロ達が牢に戻ると、先ほどの光景が嘘の様に捕虜は何事もなかったかのように鎮座していた。
「…?」
トリロは一瞬混乱したがすぐさまヒュエイを見やった。ヒュエイはトリロの目線に対して目で話しかけるように見つめ返した。
「ヒュエイ、危険すぎるぞ」
「私の感は知ってるだろう、こいつはそういう男だったのさ、あんたと同じさ」
今は滅び腐敗した極東の大地を産み育てた神々の中に、人間を好み人間を壊した神がいたと言う。
その神は今も彼女を愛し続けている。
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