第5話 金の斧、銀の斧
むかしむかし、あるところにそこそこの大きさの泉がありました。
そこそこはそこそこです。大きすぎず小さすぎずのちょうどいい塩梅のサイズをした泉です。
なかなかな森の中にある泉、そのほとりでひとりの木こりが斧を手に木の伐採をしていました。
コォーン、コォーン
木こりが斧を振るい、刃が木肌を打つたびに軽快な音がリズム良く辺りを駆け抜けて行きます。
コォーン、コォーン
時間を掛けて一本ずつ、ケガのないよう、危なくないように気を使いつつも、着実に木を倒して行きます。
「よし、いったん休憩にするか」
朝から木を切り続けていつの間にやらお昼時。汗を拭い、斧の調子を確かめた木こりはお昼ご飯をとります。
泉の周りには穏やかな空気が漂っていて、ゆっくりと深呼吸をするだけで、疲れが癒えていくようでした。
「よし、休んだし始めるか!」
長年使い込んだ愛用の斧を手にし、午後一本目の木を選びます。
「よいしょお!」
コォーン
「よいしょお!」
コォーン
掛け声と共に、テンポよく斧を打ち付けていきます。
「よいしょ……っ⁉︎」
ガスッ
妙な手応えに手が止まります。どうやら振るった斧が食い込んで抜けなくなってしまったようです。
「ふんっ、この!!」
無理をして刃が欠けたり、曲がったりしないように注意しつつ引っ張りますが、斧は微動だにしません。なのでちょっとイラッとします。
こうなれば仕方ないと、木こりは木に片足を掛け、全力で斧を抜きに入ります。
「ふんぬぬぬぬぬぬぬ!!」
額に血管がぽっこりと浮かぶくらい、必死で全身に力を入れます。なんせ貧乏な木こりには予備の斧はありません。愛斧が使えなければ仕事が出来ず、飯が食べられなくなるのです。
「こんのお!!」
食欲に後押しされた木こりが力を振り絞ると、スポン、という音をたてて斧が抜けました。
「あいたっ⁉︎」
勢いよく尻餅をついた木こりが見つめる先、手からもすっぽ抜けた斧はクルクルと弧を描いて飛んでいったかと思うと、
ドボンッ
よりにもよって泉の真ん中へと落下し、水飛沫を上げて沈んでしまいました。
「ああーーっ⁉︎」
木こりは泉へと駆け寄りますが、水面は空と木々を映すだけで沈んだ物はまったく見えません。
己の運のなさにがっくりとうなだれる木こりの耳に、何やら妙な音が聞こえます。
顔を上げてみれば、泉から細かな泡が弾けていました。
木こりが不思議そうに見つめる中、泡はどんどん大きく激しくなり、やがて爆発したかのような勢いで水柱が天を突きます。
「な、なんだ⁉︎」
あたり構わず降り注ぐ水飛沫に、びしょびしょになった木こりが顔を手で拭うと、いつの間にやら泉の上に人影がありました。
いえ、それは果たして本当にただの人なのでしょうか。キラキラとした光を背にした女性の姿は神々しい上に、何故か水の上に立っているのです。
「は?」
木こりは目を疑い何度も瞬きをしますが、女性は変わらず水の上にいます。
すっと視線を木こりに向けたかと思うと、ゆっくりとこちらに歩いて来るではありませんか。
呆然としている木こりの前まで来た女性はニッコリと笑顔を浮かべると、
「てめぇ、何してくれてんだ、コラ、あぁ!!」
一喝しました。
数秒前のたおやかな雰囲気は微塵もなくなります。
「え?」
「えっ、じゃねえんだよ! えっ、じゃ。人の話訊いてんのか、コラァ!」
綺麗な声でドスを効かせてきます。麗しい顔はいつの間にやら、視線で人を殺せるかのように細く鋭く睨みつけていました。
「す、すみません」
「はぁ、謝ってすむなら女神はいらないのよね」
どうやらこの女性は泉に宿る女神のようでした。
それが分かっても、怒鳴られる理由が分からず困惑する木こりでしたが、ようやくピンと来ます。
「あの、もしかして、泉に落とした斧の件、でしょうか……?」
「そうだよ、それだよ。気付くの遅っせーなぁ、まったく」
やれやれと首を振ります。
「まあ良いや。ほれ、さっさと行ってこい」
親指でクイっと背後を指しますが、木こりは意味が掴めずにはてなマークを浮かべてしまいます。
「さっさと拾って来いっつってんだよ、脳みそ入ってんのか、てめーの頭はよう!」
「え、ええ!? 俺がですか?」
「他に誰がいるってんだよ! お前だけだろうが!」
あなたがいます。
そう口にしかけた木こりでしたが、ギリギリの所で喉に蓋をしました。言った瞬間、女神の怒りへさらなる火を焚べる事になるのが明らかだったからです。
「わ、わかりました。行きますよ……」
「それで良いんだよ、それで。あ、ついでに他の斧も拾い上げなさい!」
しぶしぶ承知した木こりへ、女神の口から仰天発言が飛び出しました。
「えっ、他にもあるんですか!?」
頷く女神の口から語られたのは、彼女がどうしてこんなにキレ散らかすようになったか、でした。
遡ることうん十年前、この泉に誤って斧を落とした木こりがいました。
地に膝を付け、嘆く木こりに同情と好奇心を持った女神は、彼の前に現れました。
『あなたが落としたのは、金の斧ですか。それとも銀の斧ですか』
さて、商売道具を失った人間が、それ以上に価値のある物を目の前に差し出された時、果たして正直に答えるのか。
二択で問い掛けておきながら、実はどちらも選ばないようにしないと何ももらえない、という悪質な罠に果たして気付くのか。
『お、オラが落としたのは、そんなピカピカと立派なモンじゃなか』
おそらくこの木こりは正直者の方だったのでしょう。特に悩む様子もなく、金と銀の斧を辞退しました。
木こりの答えに気を良くした女神は、詫びと褒美の気持ちとして、本来落とした普通の斧だけではなく、金と銀の斧の二本も渡すことにしました。
とんだ高額品に戦々恐々としながらも受け取った木こりは、三本の斧を抱えてフラフラと去って行きました。
「ここまでは、良かったのよね……」
あらぬ方向を見つめながら、女神は小さくため息を吐きました。
木こりに斧を渡してから数日後、女神のいる泉に、斧が沈んで来たのです。見ると、以前斧を落とした木こりとは違う男でした。
じーっと水面を眺めていた男は、いつまで経っても何も起きない事に気付くと、今度は膝を付き、掲げた両手を上半身と一緒に下ろして拝みます。
しかし、それでも何も起きません。しばらく地面に額を付けていた男でしたが、何十分経とうがうんともすんとも言わない水面に業を煮やすと、
『なんだよ、何も出てこねーじゃねーか! ちっ、騙されたぜ!』
額に土をつけたまま不機嫌そうに泉から去って行きました。
どうやら、先日斧を渡した木こりから話を訊いた奴らが、真似をして自分も金と銀の斧をいただきに来たようなのです。
そう、奴ではなく奴らです。
その後も不定期に幾度となく木こりの男共が泉に足を運んでは、わざと斧を泉に投げ入れていくようになりました。
最初の内は、女神も自分の不徳の致すところ。好奇心を満たすために行った自分の行いが招いたことで、自業自得だと考えていました。
ところがどっこい、十本、二十本と泉の底へと沈む斧は増え続けました。人との関わりを無闇に持ってはいけないという理を胸に女神は耐え忍びます。
ですが、投げ捨てられる斧が百本に迫って来た頃には、そんな事は言ってられなくなってきました。いいかげんにしなさいよ、と。
そして今日、全然めでたくはありませんが、記念の百本目を泉に落とした木こりに対して、女神の怒りが爆発してしまったのです。
「まったく、私が黙ってれば泉に好き放題してくれやがって!」
「いや、あの、俺はわざと斧を落としたわけでは……」
「だからなに? 私の、泉に、斧を落としたのに変わりはないでしょうが!」
それは確かにそうなのですが。
「つまり、あんたの返事は『はい』か『わかりました』か『行きます』しかないのよ!」
どうも理不尽に思えて仕方ありませんでした。
「首を横に振る権利もないわ!」
「はい、わかりました、行きます」
ですが、いくら嫌がった所で、きっと時間の無駄でしかないのでしょう。木こりは涙目になりながら、ただただ、女神の言葉を復唱するだけです。
結果、木こりは泉へと潜ると、水底にある斧を一本一本回収して行きました。
数時間後、
「ヒーっ、ヒーっ、もう、無理、動けない……」
ゼイゼイと荒く息をする木こりの傍らには、拾い上げた斧で小さな山が出来ていました。それが出来る様をずっと見ていた女神は、ひとり満足気です。
木こりにしてみれば、とにかく斧を持って泳ぐのに必死で、いちいち確認する余裕もない為、もう自分の斧がこの山の何処にあるのかもわからなくなっていました。
それでも、泉に沈んでいた斧百本は全てなくなりました。終わったのです。
後で自分の斧を探さなければなりませんが、泉に入るよりは何倍もましです。
そう思っていました。この瞬間までは。
「よくやったわね、ご苦労さま。それじゃあこの斧全部、さっさと持って帰ってちょうだい」
「え……?」
今、何と言ったのでしょうか、この女神は。耳を疑います。
「だって私は斧なんて必要ないもの。ここに置いといても邪魔にしかならないし。だから、あんたへの褒美に全部あげるわ」
木こりは斧の山に目を向けました。褒美とは言いますが、長年水に浸かっていた斧は、どれもが朽ちて汚れて酷い有り様です。まともに使えるのはきっと、木こりの愛用していた斧だけでしょう。
そんな物を大量に貰っても、鉄屑にしかなりません。
そもそも、
「どうやって、運べばいいんだ……」
泉から、自分の村までは結構な距離があります。それを濡れた重たい斧を背負って、いったい何往復すればいいのか。
「む、むり、死んでしまう……」
疲労困憊の木こりは、想像するだけで気が遠くなり、失神したのでした。
「あ、コラ、寝るな。さっさと運びなさい!」
情け容赦ない女神の声は、木こりには届きませんでした。
めでたし、めでたし。
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