第6話 アイン攻略編⑷

  学園の医務室は、私が知っている保健室のだいぶ違う。ちょっと良いホテルの一室かと思う内装に驚きながらも、それを表に出さないようポーカーフェイスを貫く。医務室の先生に誘導されふかふかのベッドに横たわると、アンジェが心配そうな表情で覗き込んできた。

「イザイラ様、大丈夫ですか? まだ痛みますか?」

 視界一面のアンジェ……なんて素晴らしい光景だろう。これが最期の景色なら本望だなんて考えが過ったが、すぐにその考えは振り払った。

 これで満足しては駄目だ。私にはアンジェ攻略という目標があるのだから。

「ええ、大丈夫よ。ここまで付き添ってくれてありがとう」

礼を言うと、アンジェは安堵の表情を浮かべた。

見た目だけではなく心まで天使のような女の子だ。医務室へ向かう最中も、ずっと私の様子を気にかけてくれた。

「あ」

 何を思い出したようにアンジェが声を上げる。

「そういえばイザイラ様。もしかして私に何か用事があったのではないですか?」

 アンジェに言われ、私は当初の目的を思い出した。

本当なら、私は今日アンジェをランチに誘うはずだった。予想外のハプニングのせいで頓挫してしまったが。

「え、ええ……そうだったのだけど……」

 私がこんな状態では一緒にランチなんて到底無理だ。アンジェと仲良くなる絶好の機会だったのに、あんな間抜けな失敗をしてしまうなんて……。

 言い淀む私を見て、アンジェは何かを察したように慌てて立ち上がった。

「あ、ごめんなさい! きっと今は喋るのもお辛いはずなのに、私ったらイザイラ様に無理をさせてしまって……! 気が利かず申し訳ございません!」

 アンジェが謝罪の言葉と共に勢いよく頭を下げる。

「え? いえ、そんな……」

 あまりの勢いにたじろきながらも、どうにかアンジェに頭を上げてもらおうと気にしていない事を伝えた。しかし、アンジェは下げた頭を固くなに上げようとしない。

「ア、アンジェ様? 私は本当に気にしていないし、寧ろ私を介抱してくれた事にとても感謝していますの。だからお願い、頭を上げて頂戴?」

 諭すように伝えると、アンジェがようやく頭を上げた。しかし視線は下を見たままで、瞳は微かに潤んでいる。

「寛大なお言葉、ありがとうございます……。けれど、イザイラ様もご存じかと思いますが、私は元々ただの平民です。貴族の令嬢として至らないところも多いのは、イザイラ様や他の皆さんも感じていると思います。今だって、私が至らないせいでバートン家のご令嬢であるイザイラ様に無礼なことをしてしまいました」

「無礼だなんて……私はそんな風には全く思っていないわよ? さっきも言いましたけれど、私を医務室まで連れてきて介抱してくださったこと、とても感謝いているの。それにここまでくる最中も、ずっと私の様子を気遣ってくれたでしょう? ありがたいとは思えど、無礼だなんて微塵も思っておりませんわ」

私の言葉を聞いたアンジェは、やっと少し気持ちが落ち着いたらしい。まだ少し俯きがちではあるが表情も穏やかなものに戻っていた。

「取り乱してしまってすいません。イザイラ様はとてもお優しいのですね……私、イザイラ様のことを少し誤解していたみたいです」

「誤解?」

 どういう事だろうと首を傾げていると、アンジェは気まずそうに視線を逸らした。少しの間沈黙した後、意を決したようにゆっくりと口を開く。

「イザイラ様はご自身の家柄やご地位をとても誇りに思っていると聞いておりましたので……私のような平民が突然成り上がって貴族としての立場を手に入れたことを、あまりよく思っていないのではないかと、勝手に思い込んでいたんです」

「そんなこと……」

 そんなことはないと言いかけた口を閉じた。

 少なくとも、原作のイザイラはアンジェの言う通りの人物だ。バートン公爵家の娘として生まれ、幼い頃から上流階級の教育を受け、自信の立場に相応しい振る舞いをしてきたイザイラにとって、自信の生まれと地位は誇りだった。だからこそつい最近まで平民だった娘が、貴族の血を引いていたからという理由で養子として引き取られ、貴族として碌な教育も受けていない癖に自分達の仲間入りをするだなんて絶対に認めたくないものだった。

 だから、アンジェの言うことは全くの誤解というわけではない。

 でも私は——今のイザイラは違う。私はアンジェの事をそんな風に思ってはいない。

私は自然とアンジェの手を取っていた。

「アンジェ様の境遇については勿論存じております。確かにこの学園は、貴族階級の子息や令嬢のみが通うことを許された場所。その中でも私の家は……あまり自分で言うものではないのでしょうが、特に権力の強い家の生まれです。アンジェ様が私の事をそのように思ってしまうのも無理はありません」

できる限り優しい口調で語りかける。アンジェも戸惑ってはいるが、警戒や恐怖を感じてはいないように見えた。

「けれど、私が貴女のことをよく思っていないなんて、そんな事は一切ありませんわ。寧ろ、ずっと貴女と仲良くなりたいと思っていましたのよ?」

「イザイラ様が……私と……?」

 アンジェが驚きの表情を浮かべる。彼女の立場からすればイザイラのような強い権力を持つ家の令嬢が平民出身の自分と仲良くなることを望んでいるなんて、想像すらしていなかったのだろう。驚いた表情のまま固まっていたアンジェが再び口を開こうとした瞬間、チャイムが鳴り響いた。

「あら、もう次の授業が始まってしまいますわね」

「あ……そうみたいですね」

 二人の間に沈黙が流れた。

 アンジェがチラチラとこちらの様子を伺っている。見ていることをバレないようにしているらしいが、明らかに挙動不審なせいで流石の私も気付いてしまう。ちょっと抜けているところも可愛くて思わずニヤけそうになるが、ここで気持ち悪い反応をしてアンジェに嫌われるわけにはいかないのでグッと堪えた。

「私はもう少し休んでいくから、アンジェ様は教室にお戻りになって? じゃないと授業に遅れてしまうわ」

「え、でも……」

「私のせいで授業をサボらせるわけにはいかないもの。あと、悪いのだけど次の授業の先生に私が医務室で休んでいることを伝えてくれると助かるわ」

 私の頼みに、アンジェはおずおずと頷いた。

「えっと、じゃあ……私はこれで。お大事になさってくださいね」

 そう言って頭を下げ、アンジェは医務室を出て行く。彼女の姿が見えなくなったことを確認し、私は勢いよくガッツポーズをした。

 計画とだいぶ違うが、ずっと目標としてはアンジェとの会話ができたのだ。しかもあんなにも自然に。

 これまでアンジェに近づくことすらままならなかったことなど嘘のように、アンジェと普通に会話ができた。

「しかもこれ、アンジェにかなり好印象を与えられたんじゃない?」

 アンジェと交わした会話や、アンジェが見せてくれた表情を想いだす。あれが全て自分に向けられたものだと思うと、自然と表情筋が緩む。

 この成果を今すぐにでもナビィに伝えたいが、いつもならどこからともなく突然現れるナビィの気配は全くしない。

 ……早くこの感情をぶちまけたいのに。

「まあ、そのうち出てくるか」

 深く溜息をついて、私はベッドに寝転んだ。

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