第3話 アイン攻略編⑴

「ごきげんようアンジェ。良かったら今日の放課後、一緒にお茶でもどうかしら?」

 手鏡に向かって笑顔を作り、脳内に生み出した架空のアンジェに話しかける。鏡に映る私の笑顔は完璧。妄想の中ではアンジェも同じように微笑み、親しげに会話をしてくれる。あくまで、妄想の中では。

 鏡越しに、呆れ顔のナビィと目が合った。

 ナビィの言いたいことは聞かなくたって分かる。「いい加減それを本人の前でできるようになれ」と、そう言いたいのだろう。

「いい加減それを本人の前でもできるようになりなよ」

 想定していた言葉をそのまま言われてしまった。

「そんなこと言われたってぇ……」

 私だってできるものならそうしたい。妄想ではなく、本物のアンジェと話をしたい。

 というか、最初の頃は直接話しかけようとしたのだ。

 しかし、それは悉く失敗に終わった。

 アンジェが編入した翌日、私はアンジェをランチに誘う計画を立てた。午前中に脳内でアンジェを誘う工程を何度も何度もシュミレーションし、いざ話しかけようとアンジェの目の前にまできたのだ。目の前に現れた私を不思議そうに見つめるアンジェはそれはそれは可愛らしくて、その名の通り天使そのものだった。画面越しに、ただ一方的に見つめるだけだったアンジェが、私の存在を認識し、見つめている。改めてこの事実を実感すると、喜びと同時に強い緊張が生まれた。

 口を開こうとすると唇が震え、それを抑えるために唇をぎゅっと噛む。しかしこの状態では喋ることができず、私はただアンジェをじっと見つめているだけになってしまう。アンジェも突然目の前に現れたかと思えば無言で自分を見つめてくる私に戸惑っているようで、宝石のように美しい瞳には僅かに怯えが混じっているように見えた。この状態を続けていてもアンジェを困らせるだけだとどうにか第一声を発しようとするが、推しが目の前にいて、自分を認識しているという状況に耐えられなくなった私は、結局一言も言葉を発することができないままその場を去ってしまった。

 それ以降もアンジェに話しかけようと挑戦してはいるが、一度も成功しないまま、いつの間にか一か月の時が過ぎていた。

「話しかけることもできないって、もう攻略以前の問題じゃない?」

 グサリと、ナビィの言葉が突き刺さる。分かってはいたけれど、直接口にされてしまうとダメージが大きい。

「分かってる……分かってるけどさ、いざ推しを目の前にすると緊張して……表情も声を固くなってしまうというか……」

 我ながら言い訳がましいと思う。けれど推しを前にして緊張せず普通に話せる人間などいるのかとも思う。今まで推しは二次元でしできたことが無かったが、三次元の推しを持つ人間はこんな気持ちなのだろうか。

「だからっていつまでも妄想上のアンジェと喋ってても仕方ないよ。ほら、今日こそアンジェと一緒にランチするんでしょ?」

 そう言って、ナビィが私の背中を押す。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

心の準備が出来ないままナビィに促され、半ば強引に空き教室から廊下に出された。ナビィに文句を言おうと振り向いたが、彼女が訝しげな表情で何かを凝視しているのを見て、言おうとしていた文句を飲み込んでナビィの視線の追う。。

 どうやらナビィは、窓から見える中庭の様子を伺っているらしい。

「あれってアンジェじゃない?」

「え?」

 ナビィの視線の先には、確かにアンジェがいた。私とナビィのいる位置からは後ろ姿しか見えないが、間違いなくアンジェだ。温厚な彼女の性格を表すような柔らかい薄ピンクの髪を揺らし歩く姿は、可憐という言葉がこれ以上ないほど似合う。

「後ろ姿すらこんなにも愛らしいなんて……さすが私の推し……」

 あまりの尊さに手を合わせる私の横からナビィが声をかけた。

「うっとりしてるとこ悪いんだけどさ、いいの? アンジェ、男と並んで歩いてるけど」

「うえっ!?」

 ナビィの言葉に、他の生徒達が近くにいるにも関わらず淑女らしかぬ声が出てしまう。突然響いた奇声に驚く生徒はチラホラいたが、まさかイザイラが発した声だとは誰も思わなかったらしく、ただただ誰の声だと戸惑うだけだった。

「ほ、ほんとだ……」

 ナビィの言う通り彼女の隣に男子生徒の姿があった。しかもアンジェと肩が触れ合いそうなほど近い距離で、並んで歩いている。私だってまだ一度もあんな至近距離で話せたことないのに。

「だ、誰よあの男……!」

「その台詞、初めて生で聞いたよ」

 突っ込みを入れつつ、ナビィはアンジェの隣を歩く男子生徒をジッと観察する。

「あれ? あの人ってもしかしてアインじゃない?」

「えっ?」

 アンジェの隣を歩く男子生徒をもう一度よく見る。炎を連想させるような鮮やか赤髪、時折見える端正な横顔、ただ歩いているだけなのに一目を惹くオーラ。紛れもなく、彼はこの世界——「天使のアリア」の攻略対象キャラクターの一人。アイン・レンジャーだ。

 攻略対象キャラの一人が、ヒロインのアンジェと並んで歩いている。会話の内容までは聞こえないが、仲睦まじい雰囲気が感じ取れた。

「あーあ」

 ナビィが溜息交じりに呟く。

「イザイラがぐずぐずしてるうちに先越されちゃったみたいだねえ、これ」

 攻略対象キャラであるアインに先を越された。それが意味することを考え、血の気が引いていく感覚がした。辿り着いた答えを否定してほしくて、私は縋る気持ちでナビィに問いかけた。

「ね、ねえ……アンジェとアインが出会ってしまったら、どうなっちゃうの……?」

 私の心情を察したらしいナビィは困ったように眉を寄せながら、口を開いた。

「ヒロインと攻略対象キャラが出会っちゃったワケだからねえ……このままいけば、多分アインルートに入っちゃうんじゃないかなあ」

 杞憂であれと祈った予想はナビィによって肯定され、世界が暗転したような錯覚を覚える。乙女ゲームの世界で攻略対象キャラのルートに入る、これはつまり、二人が恋愛関係なるストーリーが今後展開されていくということだ。

 そうなれば、私のアンジェ攻略は難しくなるだろう。

 私はアンジェとアインがいる方へ再び視線を向けた。並んで歩いていた二人はいつの間にかベンチに腰掛けており、アンジェは可憐な笑顔を浮かべてアインの話を聞いている。本来なら見ているだけで幸せになれるはずのアンジェの笑顔も、向ける相手がアインとういうだけで私を絶望させた。

 私だって、アンジェにあんなふうに笑いかけてもらいたい。肩が触れ合うほどの至近距離で並んで歩きたいし、仲睦まじくベンチでお喋りを楽しみたい。

 現実世界にいた頃、画面越しでアンジェを見つめていた時からずっと願いながらも叶わなかった私の願望を、アインはいとも容易く叶えている。

 ただ攻略対象キャラであるというだけで。


 やはり、悪役令嬢がヒロインと結ばれるなんて無理なのだろうか。

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