第2話 天使との邂逅編⑵

 午前中の授業を終え、昼休みのチャイムが鳴るやいなや、私は不自然に思われない程度の速足で教室を出た。すぐに移動しないと他の令嬢達にすぐ囲まれてしまうのが、イザイラ・バートンとして生きていく上で一番の悩みだ。周囲の注目を集める人間を羨んだり憧れたりする気持ちは前世でも多少はあったけれど、実際に自分がその立場になってみると、メリットよりも苦労の方が多いように思う。

 どうにか誰にも引き留められずに目的の場所まで辿りつことができた。校舎の最上階の一番端にある空き教室は、現在は全く使われていないため人が近づかない。こっそり待ち合わせをするにはうってつけの場所だ。

 教室の隅にある埃を被った机に、ナビィが腰掛けていた。

私が来たことに気づいたナビィは「やあ」と手を振る。すっかり見慣れた軽薄な笑みを浮かべて机から降た彼女は、すっかり見慣れたゴスロリ服——ではなく、何故かこの学園の制服を着ていた。

「どお? 似合う?」

 両手を大きく広げて、ナビィが一回転する。

 性格はともかく、ナビィの容姿は美しい。美術品のような見目麗しい少女がふわりとスカートを揺らして回転する姿は、それはそれは様になっていた。が、この程度のことで私の心は動かされない。私はアンジェ一筋なのだ。

「質問の答えになってないから」

 冷静に突っ込むと、ナビィは頬を膨らませて不服であることの意思表示をしてみせる。

「えー釣れないなあ……可愛いよーとか、似合ってるよーとか言ってくれてもよくない?」

「はいはい、可愛いし似合ってるよ」

 投げやりに答えると、ナビィはまだ納得がいかなそうな顔をしつつも口を開いた。

「まあいいや。因みにこの制服はねえ、神的でマジカルでリリカルな力で用意しました!」

「神的でマジカルでリリカルな……?」

 意味不明な返答だが、ナビィは何故かどや顔をしている。ふざけて適当な事を言っているように見えるが、ナビィはいつもこの調子なので本気と冗談の区別がしづらい。

「まあでも、私を乙女ゲームの世界に転生させちゃったり出来るわけだし……不思議な力で制服を用意するのも、ありえなくはないのか……」

「そういうことっ! 細かいことは気にしなーい」

 腹の立つ言い方だが、きっとこればっかりはナビィの言う通り、考えたって仕方のないことなのだろう。今はそれよりもアンジェのことだ。

 私はナビィに、予定通りアンジェが編入してきたことや、彼女が周囲からあまり歓迎されていないこと、そして何よりも私の心を占めていた、アンジェが私を見ていたことについてを話した。

「……僕が思うに、キミとアンジェが目が合ったっていうのは気のせいじゃないと思うよ? 多分二回とも」

 気のせいだと笑われることを覚悟していた私は、予想外の答えが返ってきたせいで暫くぽかんと口を開けたまま沈黙した。

「……ほ、ほんと?」

 ようやく出てきた言葉は、興奮を抑えきれず上ずっている。恐らく、表情も原作のイザイラが絶対にしないようなあられもないものになっているだろう。

「だってイザイラってば、ずーっとアンジェに熱い視線を送ってたんだもん。あんなの嫌でも気づくってば」

「だって、生の推しが目の前にいたらそりゃ……あれ?」

 ナビィの言葉に違和感を覚え、続けようとしていた言葉を止める。

「なんで実際に見てたみたいな言い方なの?」

「なんでってそりゃ、実際に見てたからね」

 さも当然のように言うナビィだが、私の理解は追いつかない。

「見てたって、でもナビィはあの場にいなかったじゃん」

「いたよ」

 戸惑う私とは対照的に、ナビィは淡々と答えた。

「因みに窓側の一番後ろの席」

「何それ一番良い席じゃん! ……じゃなくて! いたってどういうこと? 窓際の一番後ろの席って確か……えっと……」

 その席がもともと誰の席だったのか、どれだけ記憶を辿っても出てこない。誰かが座っていたことは確かだし、クラスメイトなのだから当然知っているはずなのに。名前も顔も性別も、何一つとして思い出すことができなかった。

「……これもマジカルでリリカルな力ってやつ?」

「まあそんな感じだね!」

 半ば予想通りのナビィの答えを聞いて、私はこれ以上深く考えることをやめた。

「ていうか、大丈夫かな……」

「何が?」

「だって私がずっとアンジェを見てたこと、思いっきりバレてたわけでしょ? アイツずっとこっち見てきてキモいとか思われてたらどうしよう……」

 アンジェと同じ教室の空気を吸っていることや目が合ったことに舞い上がる気持ちもあるが、同時に不安も沸き上がってくる。

「えー、大丈夫じゃないかなあ。男がずっとニヤニヤしながらこっち見てたとかならとっもかく、同性なら別にって感じじゃない?」

「うぅ」

 そう言われたって、あの時の自分がどんな顔をしていたかすら分からないのだ。第一印象から最悪なんて事態は避けたかったのに、いざ推しを目の前にしたらこのザマだ。悪役とはいえ美しい容姿に生まれたのだから、できれば第一印象はもっとこう……優しくて気品のあるお姉さまみたいな印象を与えてアンジェに好かれたかったのに。

「あー……イザイラ? 多分心の声のつもりなんだろうけど、全部口に出てるよ?」

 ナビィの指摘も耳に入ったそばからすり抜けていく。今はただ、アンジェにマイナスの印象を持たれていないことだけを願った。

「ほら、アンジェとイザイラはまだ教室の中で会っただけだしさ! 目が合ったとはいえ個人的な接触はまだなワケだし、もし第一印象があんまり良くなかったとしても挽回のチャンスはまだあるって!」

 そう言って、ナビィはガッツポーズをして見せる。挽回のチャンス、という言葉に私はハッとして顔を上げた。

「そうだね。こんな序盤で諦めるわけにはいかないよね」

 せっかく推しがいる世界に転生したのだから、このチャンスを簡単に逃したくはない。

 私は必ず、アンジェを攻略してみる。

 そしてアンジェ攻略のためには、まず彼女との距離を縮めなければならない。ならばまず最初にやることは——。

「まずはアンジェに声を掛ける!」

「目標設定低すぎない?」

 ナビィから至極真っ当な突っ込みが入った。




 第一目標を掲げた日から一か月後。

 アンジェと一切会話をすることもままならないまま、私の時間は過ぎていた。

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