第1話 天使との邂逅編⑴
人生でこんなに緊張したことはあっただろうか。
就活中の面接だってそりゃ緊張はしたけれど、もう少し落ち着いていられたように思う。
「お嬢様、今日は何か特別なことでも?」
いつになくそわそわと落ち着きのない態度に、身の回りの世話をしていたメイドの一人、パメラが声をかけた。
「え、ええ……ちょっとね。そんなに態度に出てたかしら?」
令嬢らしい言葉遣いは未だに慣れず、自分で言っていて気恥ずかしくなってしまう。
イザイラ・バートンとして生きていく以上、貴族の令嬢らしい振る舞いはしなければいけないとナビィから言われた。確かに元の私の振る舞いは公爵令嬢のそれとはかけ離れているが、生前の私は貴族という制度すらない現代日本で生きていたのだ。無茶を言うなと思ったが、いざやってみると思いのほか上手くやれている。というより、喋り方や立ち振る舞いは意識をすれば自然とできた。ナビィ曰く、イザイラがこれまで身に着けてきた習慣やスキルは体が覚えているから、私自身が意識すれば問題なく振る舞えるらしい。
お蔭で、元一般庶民の私が公爵令嬢イザイラ・バートンとして生活していても周囲から不信に思われることはない。因みにイザイラのこれまでの記憶も共有されているらしく、家族や使用人たちの名前も顔を見ればすぐに分かった。
「ええ、なんだかそわそわしていらっしゃるようなので。今日は何か特別なことでも?」
「そんなところよ。ずっとお会いしたいと思っていた方と会えるかもしれないの」
「まあ、それは楽しみですね」
笑顔を見せるパメラに釣られるように、私も笑う。真面目で仕事もできて、誰にでも優しく愛想の良いパメラ。同僚達からの信頼も厚いらしく、私も彼女をとても気に入っている。私の記憶では、名前は無かったものの原作にも彼女と似た設定のメイドがいたはずだ。恐らく、それがパメラなのだろう。イザイラのような悪役令嬢に仕える原作のパメラは、一体どんな気持ちでイザイラの傍にいたのだろう。もしかしたら、我が侭放題のイザイラに酷い扱いを受けていたのかもしれない。
良い子には幸せでいてほしい……私は絶対パメラに優しくしよう。
そんな私の内面を知る由もないパメラがテキパキと仕事をする姿を眺めながら、密かに決意を固めるのだった。
「おはようございます、イザイラ様」
「イザイラ様、おはようございます。とても良いお天気ですわね」
「おはようございます。イザイラ様、今日もとてもお美しいですわ」
一歩学園に踏み入れるなり、私の姿を見た令嬢達が次々と声をかけてくる。
声を掛けられる度に、私は一人ひとりに笑顔で応えた。
最初こそ戸惑ったものの、この一週間でどうにか令嬢達への対応にも慣れてきた。
この学園に通う生徒達は皆上流階級の人間ではあるが、バートン公爵家はその中でも特に強い権力を持つ家だ。だからバートン家の令嬢であるイザイラは学園の中でも特別扱いされ、敬われる。
イザイラの高慢で自己中心的な性格は、もしかしたら彼女の置かれた特殊な環境が大きな要因になっているのかもしれない。イザイラ・バートンとして生活する中で、私はそんな事を思い始めていた。
いや、今はイザイラの境遇なんてどうでもいい。
私にはもっと大切なことがある。
私は今日、本物のアンジェ・クラークに会えるのだ。
次元に阻まれ、画面に遮られ、触れることすら許されない彼女にずっと恋焦がれてきた。
諦めるどころか望むことすら出来なかったこの恋を、私はこの世界で叶えるのだ。
***
「ア、アンジェ・クラークと申します。えっと、その……どうぞよろしくお願いします!」
編入生として紹介されたアンジェは、たどたどしい挨拶の後にぎこちない動きで頭を下げる。上流階級の教育は一応叩き込まれてはいるのだろうが、まだ不慣れであることに加え、緊張もあるのだろう。とてもではないが貴族らしい振る舞いとはいえなかった。教室内にアンジェを歓迎する空気はない。そんな空気を感じ取ったのか、アンジェは緊張しながらも真っすぐ前を見ていた顔を次第に俯かせた。この場の空気に耐えるように、ぎゅっとスカートの袖を握り締めている。
戸惑いと冷ややかな視線がアンジェに刺さる中、私は心の中でひたすらアンジェにエールを送っていた。
アンジェ、頑張って……! 負けないで……!
今は辛くても、きっと私が幸せにしてあげるから……!
伝わらないとは分かっているけれど、想いを込めてひたすらアンジェに熱い視線を向ける。大丈夫、大丈夫と何度も心の中でアンジェに伝える。
ふと、俯いていたアンジェが視線を上げ、きれいな青い瞳を不安で陰らせながら私の方を見た。……ような気がした。
推しと目が合った、なんてシチュエーションを二次元の推しで体験する日がくるとは……などと感動で打ち震えたのは一瞬で、すぐに冷静な自分が突っ込みを入れる。考えてもみろ、これだけ生徒がいる教室内でピンポイントで私を見る理由がどこにあるんだ。偶然私が座っている方向を見た、と考えた方がずっと自然だ。
そう考えると、このまま飛び出してしまうのではないかと思う程跳ね上がっていた心臓が少しだけ落ち着いた。とはいえ推しと同じ空間で同じ空気を吸っているというのは紛れもない事実で、それだけでも卒倒しそうではあるけれど。
教師に促され席につくアンジェを視線だけで追いながら、にやけそうになる表情筋に力を込めた。彼女の席は私の席の右斜め前だ。この場所なら自然にアンジェの姿を眺めることができる。アンジェにあの席をあてがった教師に褒美を取らせたいなどと考えていると、アンジェが不意に振り向き、今度は間違いなく私を見た。
え、と声を出しそうになるのを寸前で抑える。
アンジェはすぐに視線を逸らし前を向いてしまったけれど、二度目の視線は気のせいで済ませられないくらいはっきりと交わった。一瞬の出来事で、彼女が私を見た理由も、どうし私を見たのかも分からないけれど。
早くも推しからの認知を貰えた……かもしれないこの状況に、喜びよりも戸惑いが勝る。その日は一日、一瞬交わったアンジェの瞳が脳裏にこびりついて離れなかった。
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