第7話 思い出
俺、関谷浩史は高校卒業するまでは茨城県常陸南田市の山間部の麓の家に住んでいた。
今のこの家は、俺が二十歳過ぎた時に秀樹兄さんが会社から退職金の前借りをして新しくこの土地に家を建てた物で、俺自身はこの家での生活はわずか数日程度しかない。
高校を出てから今までの十五年間家を離れていたし、帰省したのは兄や姉、従兄妹の結婚式、そしてお袋の葬式だけで、式場や斎場からそのまま東京に戻ったりして居た為、この家には僅か数日しか来ていないので新鮮さは有るが子供の時の想い出は無いのだ。
当然、俺の小さい時から高校までのアルバムや好きだった歌手の聞いていたレコード、テープやCD等も捨てられていて既に無い訳で・・・引っ越しの時に居なかったし呼ばれても帰らなかったのだから当然と云えば仕方がないが、何も言えないし最早諦めている。
それでも俺はこの田舎で生まれた事を誇りに思っているし、今まで一度も忘れたことはない。
忘れようとしても嫌な事が有ればカエルの鳴き声やトンボが舞う田圃や畑、それに家から見えた山並みを思い出せば吹っ切れた。
それに小さい時から近所のお稲荷さんや川で遊んだ幼かった頃の日々を思い出しては、二度と帰らない、俺には帰る場所はないのだと振り返らず頑張ってきたのだ。
俺が通っていた小学校は、裏山を抜けた道を4キロメートル程歩けば学校の門が見えるのだが、幼い子供の足にはすごく遠くて兄さんや姉さんに手を引かれて通っていた思い出・・・・封印した!耳に胼胝(たこ)ができる嫌な思いでしか、なぜかって其れは・・・何れわかると思う。
その古い由緒ある校舎も東日本大震災で被害を受けて、子供の時にたくさん遊んだ御影石で造られた滑り台も壊れて取り外されてしまったとか、多くの卒業生たちが遊んだ滑り台にはお尻の跡が擦り減って窪みが出来ていたのを思い出す。
建物はいわゆる既存不適格建造物と認定され、伝統ある小学校は耐震的に持たないとの判断で校舎自体も壊されてしまったようだ。
新しく出来た体育館を除いては木造建てで、明治時代の構造物を修復しては使用していたけれど、大震災には到底力及ばずだったと思う。
親父の話しでは、小学校がやや高い所にそしてグランドを挟んで反対側に中学校があったそうだが親父の代に中学校は統合されて建物だけが残ってしまったのだとか。
其れも親父の時には一学年二クラスだったそうだが、それ以降は一クラスで17~20名程度だったそうだから、過疎化はそのあたりから始まっていたのかも知れない。
この街はこれと云った商業も工業も無い為過疎化が進み少子化の波も有り、人口も少なくなったと云う事で子供たちは統合小学校と云って機織小学校迄バスで通っているらしい。
中学校も同じように統合で、随分前から七つの小学校の生徒が集まってきていた。
中学校時代に俺は卓球部で汗を流していたが、同じ体育館の隣で汗を流しているバレーボールに所属していた梶谷美由紀さんに憧れを抱いていたけれど、同じ部員の柴田華子さんといつも一緒にいて言葉を掛ける切っ掛けを作る事が出来ずにいた事を思い出す。
あぁあ!あの時が懐かしいなぁ!俺の片思いの初恋だった。
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