UNTIL


 同時刻、同じく東京。

 池袋のロマンス通りで、淡いネオンのきらめきと共に佇むバー、『mercyマーシー』の地下クラブの一室にて、彼もまた選択を迫られていた。

 もっとも、それは殺すか殺さないかではなく、の選択なのだが。


『なんやと?』


犬飼氷実いぬかいひさね。君がこの間捕まえたっていう銀髪のヤバい子。彼も始末して欲しいんだよねー」


 片や男娼、もう片方に娼婦を抱き締めた暁夜奏多あけよかなたは、双方に蠱惑なウインクをしながら、右肩に挟んだスマホに喋っている。

 電話の向こうに居る殺し屋──浪川海砂なみかわみさは、その唐突な無茶振りに、普段にも増して剣呑けんのんだ。


『話が違うやろ、お前。岸風をるだけうたやろ』


「ごめんごめん、ちょっと予定変更。マジでシャレにならない事態になっちゃってさー。はんむっ」


『キスやめぇや、汚い』


「んむっ……なにさ、僕だって今夜はアバンチュールしたい気分なのに」


『電話中やろが、殺すぞ』


 最後の一言が冗談でも何でもないのを知っている暁夜は不満気にピンクの唇を尖らせ、左右交互の口付けを取りやめ、二人に別れを告げる。

 生きてる内にこの世の快楽を出来るだけ味わい尽くしたい暁夜にとっては、性別の垣根など邪魔なだけだった。男を愛せばどんな味がするのか、女を愛せばどんな法悦が得られるのか、ゲイは、レズビアンは、その他様々な性別の人は──どうやって愛し合い、たかめ合うのか。それを二つ同時にやったらどうなるのか。

 確かめる絶好の機会をお預けにされたものの、彼(便宜上、そう呼んでいる)はすぐに情報屋の仮面を被り直す。


「ごめんごめん、わかったよ。それで、不満なら聞くけど? 一応追加報酬は支払うつもりだけど」


『なんで犬飼まで殺す必要がある?』


「それは至って簡単なお話。犬飼氷実も『神の子』をキメたってだけのお話だよ」


『……それだけとちゃうやろ、お前』


「ん?」


 あくまでシラを切り通そうとする暁夜の首根っこを掴むように、浪川は追及する。


『犬飼が『神の子』をブチ込まれたんは岸風よりも先や。手術中にビルを警備しとったからよう知っとる。お前『神の子』を吸った奴らは全員消す言うたやろ。せやったら、最初っから犬飼氷実もターゲットに入っとらんとおかしいやろ』


「……だとして? それがどうかした?」


『お前は元々、犬飼を殺すつもりはなかった。せやけど、何かしらの理由で、泣く泣く犬飼も処分せざるを得なくなった。そんな所やろ』


「……うーん。ま、八十点あげるよ。大体ご名答、おめでと〜、ぱちぱちぱち〜」


 無駄にうるさい拍手の音がいささか不機嫌さを強調してる気がしたが、暁夜はすぐに元のテンションに戻る。


「犬飼氷実には使い道があるかないか半々だった。もしも彼が『神の子』の力を手懐けられれば、同じモンスター達への数少ない対抗手段になると思ってね。でも……」


 暁夜はくるりとその場で一回転して、ソファに頭からダイブする。


「ダメだね、彼。あんなイカつい顔してる割に心がナイーブだから、力に魅入みいられるとすぐにブレーキ壊れちゃう。あれじゃ生かしておくだけ害でしかない。殺すしかなくなっちゃった」


『……』


「それだけだよ。犬飼は不良品。どうせ岸風もポンコツだし、折角なら二人まとめて処分しちゃおっかなーって思っただけ。それ以上の他意はないから安心していいよ〜」


 そこに居ない筈なのに、殺気で場の雰囲気が限界寸前まで張り詰める。しかし、その沈黙に先に耐えられなくなったのは、浪川の方だった。


『……了解。せやけど、もうこれ以上の注文はナシや。ウチの手に負えん』


 一方的に電話を切られ、無機質な音が鳴る。しかし、まだ肌のヒリつきは治らない。

 浪川海砂。つくづく長生きするなら敵に回したくないと思いつつも、数十秒後にはその事はさっぱりと頭から消え去っていた。

 思い浮かべたのは、抱けなかった娼婦と男娼の二人──正確には、その二人の中に見た灯火ともしびだった。


「あーあ、あの子達が死ぬところ、ちゃんとこの目で見たかったのに」


 不道徳は発言をするも、それを咎める当人はもうここにはいない。

 もっと言えば、


「珍しいな、帰したのか」


 戸松浩二とまつこうじが入室し、もう不要になった三人分のシャンパンを机に置き、暁夜に尋ねた。


「うん、仕事の電話が入ったせいで気が萎えちゃった。自殺する寸前の男と女って抱いたらどんな味するんだろうなーって気になってたのにお預けだよ? マジ萎えるわー」


「死因まで視える訳じゃないだろう、お前のは」


 暁夜はケロリと反論する。


「確かに僕のUNTILアンティルは、寿命を目視するだけで死因は視えないけどさ……でも自殺だよ、アレ。今時の若い子は健康だから病気もしないし、交通事故にも遭わない。あれだけの若さの子が死ぬ方法なんて自殺しかないんだよ、このご時世」


 物憂げな横顔には、しかしこれから悲惨な末路を迎える二人の若者への同情は絶無だ。

 暁夜にも、微力だが異能の力が存在する。

 UNTILアンティル──異能以外の人間を目視すると自動的に発現して、その人間の残りの寿命が蝋燭ろうそくの形で表示されるという、それだけの異能。力が弱い故に、自分から言わなければ同族にさえ察知されないレベルの能力だが、暁夜は産まれながらに授かったこの力を大層気に入っていた。


「あ、それ片付けていいよ。もう帰っちゃったし」


「その前に一つ聞かせて欲しい」


「ん?」


 珍しく呼び止める戸松を不審がりながら、暁夜は振り返る。

 表情をつぶさに観察するが、これといったものは解読できない。


「あの二人を殺してどうするつもりだ?」


 言うまでもなく、さっきの電話の内容だろう。どうして筒抜けになってるのかは知らないが、そんな疑念はおくびにも出さない。


「どうするっていうか、何というか……シンプルに殺すしかないんだよね。ファングの手元に二つも強い駒を持たせておくのは、僕にとっても部が悪いじゃん?」


「つまりあの二人を殺せば……えっと、飛車角取り、というやつか?」


「う、うん……なんかビミョーに何とも言えない例えを出すよね、戸松さんって」


 苦笑いしつつも、暁夜は次にどう発言すればいいのかを先回りで計算してた。

 今まで暁夜の行動に一つも関与してこなかった戸松が、不意に干渉してきた。語気の節々から、暁夜の判断への批難が読み取れる。

 

「戸松さんはさ、あの二人をとっ捕まえてどうこうしたいって訳?」


 戸松は「いや」とサッパリ否定して、それ以上は主張はしてこなかった。


「邪魔して悪かった」


 ボトルをすぐ盆に戻し、何事もなかったかのように戸松は消え去ってしまった。

 暁夜はその後も戸松の意図を色々と考えてはみたが──結局、わからずじまいだった。

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