Chapter6 -因縁決着-

罪悪の味



「その情報で間違いないのか?」


 西新宿、深夜二時。とっくに就業時間を過ぎ、全ての社員が帰宅した時間帯。

 漆黒の高層ビルに、一つだけ灯った窓から、男は電話をしている。

 黒く澄んだ瞳に反射させる夜景とは裏腹に、その心底には暗いものが沈んでいた。

 

『保証する。これはの情報だ』


「いくら死神の見聞きした情報とて、確実に安心とは呼べない。本当に、そこに彼が居るのか? ……魔壁宗浩まかべむねひろ


 当てつけにフルネームで呼んでも、意に介した様子はない。それどころか相手は、鼻を鳴らす余裕さえある。


『指示通り標的を発見したというのに、随分と不機嫌だな。社長……いや、倉木鉉人くらきつるひと


 意趣返しに呼び捨てにされて、倉木の額にしわが寄る。

 魔壁はとっくに、倉木の心の揺らぎを見抜いているのだろう。今、自分は魔壁に試されている。ここでターゲットを殺すべきか、そうしないべきか。


『こちらの精査に抜かりはない。アレは見紛う筈もなく本物だ。影武者の可能性もない……どうする?』


 痛む頭を抱えながらも、倉木はすぐに頷いた。


「ああ、かまわん」


 魔壁は意味深に押し黙り、『承知した』とだけ返事をして、一方的に切った。

 背筋に流れていた冷や汗は、すぐにおさまった。代わりに、心中に虚しい風が吹き荒ぶ。

 彼を始末するよう、魔壁に指示した自分の声は、果たして震えていなかっただろうか。あの判断は正しかったのか。まだやり直す余地はあるのではないか──善悪の天秤は、決断を下した今でもバランスを崩したままだ。


「すまない」


 それは彼に対してではなく、自分へ向けた気休めだった。

 わかっている。目標の為には手段を選んでいられないなんて、とっくにわかっている。

 それでも、いざ下した決断に、全く恥るものがないか、後ろめたいものがないか……そんな自問自答を繰り返していると、不意に背中に呼びかけられる。


「倉木君?」


 もうこの時間に、社員は誰一人として残っていない。今ここにいるのは、社長である倉木鉉人と──『PROJECTプロジェクト ARKアーク』の主任研究員、夏目綾なつめあやの二人だけだ。

 倉木は一切の感情を封印し、普段通りの笑顔で振り向いた。


「すまない、考えてた」


「ううん、いいの。ごめんね、こんな時間に邪魔しちゃって」


 再び顔を夜景の方に向けて、倉木は進捗を確認する。


は、動かせそうか?」


「うん。もう大丈夫だと思う。でもやっぱりプロトタイプだから……他の二つに比べるとスペックは低いし、動きは鈍いかも」


「他の二人は、少し出力が強すぎるきらいがある。特に三体目、あれはぎょするにも骨が折れそうだ」


「うん。やっぱり魔壁さん達のやってる事、私は無茶だと思う。こんなの、本当に上手くいくの……?」


 夏目はそれとなく反発してみるも、倉木は臆面もなく受け流す。


「ああ、無茶さ。だが、その無茶を押し通せるのが魔壁だ。まだまだ思う存分、彼には働いてもらう」


 椅子に戻り、倉木は話を切り替える。


「用事はそれだけかい? その為だけにわざわざこの時間まで?」


 鋭く、夏目の不審な行動にメスを入れてくる倉木。しかし夏目は、それが疑惑ではなく、仲間への信頼の裏返しだとわかっている。


「心配だったんだもん、倉木君。最近なんか思い詰める顔してるよ? 会議中もずっと冴えない顔してるし」


 倉木は心中を言い当てられて、思わず破顔する。長年仲間として連れ添った夏目には、もう筒抜けらしい。

 倉木は緩んだ口角を引き締めると、書斎に飾っていたコニャックに手を伸ばし、蓋を開ける。久しく嗅いでなかった芳しい香りは、最後に開けた頃と変わらない芳醇さで倉木を迎えた。


「ご一緒しても?」


 夏目が倉木の顔を覗き込む。いつもだったらここで酒を交わしながら大学時代の思い出話に花を咲かせるのだが、倉木は物憂げな目で首を横に振った。


「すまない、今夜は一人にさせてくれないか」


「……どうして?」


 一瞬、この胸中は彼女にだけなら打ち明けてもいいのではないかと魔が差しそうになるが、瓶に口をつけて、酒と一緒に本音を飲み込んだ。

 本音を吐くのに酒は必要な機会は多い。だが時には、決壊しそうな弱さを食い止めるのもアルコールの力なのだ。

 見事なラッパ飲みを披露して、ぷはぁ、と息を吐いた。


「時にはみだりに酒を貪りたい日もある。君にそんな姿は見せたくないんでね」


 夏目は軽く溜息を溢して、いつもより少し弱々しい笑顔で首を傾げた。


「もう、わかった。何があったのかは聞かないから。でも一つだけ」


 夏目は社長室を出る寸前、倉木を振り向かずに一言だけ残した。


「そんなに心配しなくてもいいよ。私、どんな事があっても……倉木君の味方だから」


 直後に重い木の戸が閉まり、部屋が再び静けさに支配される。自分の強がりを見透かしつつも、それでも自分の気持ちを優先させてくれる夏目に、小声で「ありがとう」と呟いた。

 溢れた涙が指を濡らしたのは、そのすぐ後だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る