交錯
「……まっず」
毒々しいカクテルに文句を言いながら、それでも浪川は無理矢理に流し込む。舌は肥えていたら、酒の良し悪しもわかったのだろうが、浪川にはどれも同じだ。
その愛想のないレビューに、戸松は特に気落ちもせず、呑気に皿洗いをしてる。
「そんで、この落とし前はどないするつもりや……
浪川はグラスの三分の一まで一気飲みして、隣に座っている
暁夜は美味しそうに酒を
「ええー、落とし前ー? 知らないよー、僕は仕事を
と、あくまでシラを切って茶を濁す。浪川は顔色一つ変えず、しかし目線だけはより強く睨みを利かせる。
「……お前の仲介で請けてやった依頼人が、いつのまにかウチを殺そうとしてきた。地獄耳のお前が何も知らん訳ないやろが」
元々、蛇とファングとの契約関係は、暁夜の紹介で始まったものだった。『恒常的に仕事を与えてくれて、羽振もいいから、他の業者にパイを取られる前に今のうちに契約しといたほうがいい』と
しかし、最初の数ヶ月を過ぎた辺りで、すぐに対応の
それが遂に、刃を向けてきた。契約には人一倍うるさい暁夜が見過ごしている訳ない。
「仮にだよ……もし僕が知ってたとしてもさ、その依頼を引き受けちゃったのは浪川さんじゃない。それで騙されたって、結局は君の情報リテラシーが足りなかったってだけの話じゃない? 僕だって色んな情報を日夜チェックしてるけどさ、全部に気が回る訳じゃないし」
顔色はアルコールで紅潮してるものの、その裏には浪川への断固とした拒絶がある。
これ以上の対話は堂々巡りだ。そう見当をつけた浪川は──無言で、彼の脇腹に冷たいモノを突きつけた。
「しまいなよ、浪川さん。『mercy』が
「今まで数え切れん程、殺してきた。どこを撃てば死ぬのかはようわかっとる……どこを撃てば生かしたまま苦しめられるかもな」
カウンターの下に隠れた拳銃が、より深く脇腹にめり込む。細い腰から銃口を少し上げると、
楽に殺すつもりはないのは、よくわかっている。暁夜も自分の生死には大した関心はないが、自ずから苦しんで死にたいドMではない。
苦痛と真実。天秤に掛ければ、どっちが重いかは自明の理である。暁夜は不承不承切り出した。
「そうだよ。浪川さんが最終的にファングに口封じで殺されるってわかってて、僕はこの仕事を斡旋した。勿論、君が
平坦な声には、自分のやったことを反省する意識なんて微塵もない。それが逆に、彼が真実を話している証左でもあった。暁夜はこういう嘘のつき方はしない。
浪川は一旦銃口を離して、無言の厚で理由を話すよう促す。
「そりゃ、『ファングに密偵して?』なんて素直に頼んでも面白くないじゃん? 第一、浪川さん演技下手くそだから一発でバレそうだし。それぐらいなら『ファングの傭兵として契約してほしい』って頼んだほうが、まだ自然でしょ?」
「ウチらですら知らない内に、スパイにしとったっちゅうワケか?」
「その通り。それにしても殺し屋を外注に任せるなんて、魔壁もああ見えて不用心だね。暗殺なんて極秘中の極秘なんだから、自分でやれば良かったのに」
「……で、ウチらをスパイ代わりにしてまで得たかった情報ってなんや? 大したコトは知らんで」
一応の義理もあったので、要望通り暁夜には現状の業務内容を
「謙遜はやめなって浪川さん。君が麻薬売買の現場を警備してたお陰で、流通の責任者が六人も特定できたんだから。いやーこれも日頃の行いの良さってヤツかな〜!」
「アホ
「えへへ、それはナイショ。こっからは業務機密なんで」
それだけ言い残して、暁夜は椅子から立ち上がり、
「それじゃ、これ以上君に話すコトはないから。仕事、クビにされちゃって大変だね。このご時世、新しい契約先を探すのも大変だけど、まぁ頑張って〜」
吐き捨てるようにして、バーの奥、地上へと続く長い階段へとそそくさと逃げていく。
「……」
あまりにもぶつ切りのまま話がおあずけにされたのを、浪川は訝しんだ。それだけ、その情報には慎重なのか。それとも、ただ出し渋っているだけなのだろうか。
どっちにしても、もう関係ない。
浪川は軽く息を整えて、──一切の
どんな理由があるにせよ、自分を
肉に弾丸がめり込む音。同じ色のカーペットに滴る鮮血。確実に当てたという手応えはあった。
だというのに──それは暁夜の血ではなかった。
「……あん、た」
目の前の事実が消化しきれず、浪川は声を詰まらせる。銃把にかかった指が、危うく滑って落ちそうになった。
鉛を受けたのは、暁夜ではなく、ついさっきまでバーカウンターでカクテルを振舞っていた
浪川が銃を袖から出すより前に彼女の動きを看破して、発砲の瞬間に合わせて飛び出し、弾を浴びたのだ。
まるで事前に知っていたとしか思えないぐらい、無駄のないカバー。そして、更なる驚きを与えたのは──胸に二発喰らったにも拘らず、一向に苦痛に顔を歪ませない事だった。
「そこまでにしてもらいたいな。店の壁を壊したら弁償させるぞ」
穿たれた弾痕から出血しながら、平然と言い放つ。自分自身の肉体なんてまるで眼中にない様は、まるで悪夢を見ているようで頭痛がしてくる。
浪川を現実に引き戻したのは、暁夜の嘲笑だった。
「あっはははは! だから言ったじゃん、ここは
傑作だと言わんばかりに両手を鳴らしながら
聞こえよがしに舌打ちして、浪川は銃を懐に戻す。戸松は「今日は
「っはは、いや、流石に怒るかなぁって僕も思ったけどさ。まさか普通に撃ってくるなんて思わないじゃん! ごめんごめん、そりゃ怒るよね。こんな露骨に隠したら、不審がるのが当たり前だよ」
「……まさか試すつもりで?」
「そう、どこまで食い下がってくるかで、話の続きを考えてもいいかなーって思ったんだけど、まさか殺そうとするなんてねぇ? 浪川さん、やっぱ君を選んで正解だったよ」
「ウチの何が正解や、アホらしい」
「正解も正解、大正解だよ。君は人を殺すのに全く
暁夜は軽妙な足取りで、浪川に近づく。
「でも君は違う。殺し屋なのに、殺人への拘りや
己のプライドを侮辱するような物言いにも、特に怒りは感じなかった。
それで、ようやく長年
足元を見られても、依頼をズルズルと受け入れていた理由。それは殺し屋としての責任感が、そもそも自分には備わっていないからではないのか。ありもしない矜持を踏み躙られたところで、感じるものがないのではないか。
まるで神経が死んだ組織のように、自分の中にある『殺し屋』としての矜持が存在しない。そう結論づけるのが、一番分かりやすかった。
「ほんま、アホらしいわ、なんもかんも」
全てがどうでもよくなり、浪川は手近なソファに身を放り投げる。不思議と虚無感はない。
「そんで、結局何が言いたいんや。ウチを試して、それでどうするつもりや」
暁夜が向かい側のソファに同じように寝転がり、続ける。
「君が『殺人鬼』であるコトが重要なんだ。お金も発生しないのに、気分で引き金を引ける人間だからこそ、頼みたいお仕事がある」
「なんや」
暁夜は浪川に背を向けてスマホを弄る。すぐに浪川のスマホがハッキングされ、三白眼の凶相に、下品な金髪のオールバックが眩しい男が画面に映し出された。
「僕がファングの麻薬事業を探ってる理由は二つあるんだ。一つは、
「神の子?」
「
「……どういうこっちゃ」
「一度モンスターになったら、もう人間には戻れない。僕のお仕事は、人間社会に存在しちゃいけないモンスターを、この世から排除するコト」
つまりこの男が、その化け物なのだろう。浪川は写真をスワイプして、強制的に送られてきたファイルの名前に目を通した。
岸風誦。それがターゲットの名前だった。
「依頼料は君の言い値で構わないし、依頼達成の暁には、君らの身の安全も保証する。あ、ついでに今、前金として五〇〇万も振り込んでおいたから」
契約もしてないのに早とちりで勝手に振り込むな、と言いたかったが、既に浪川の心は決まっていた。
殺し屋だろうが、殺人鬼だろうが、関係ない。今はとにかく金と身の安全が欲しい。殺人に、それ以上の高尚な動機は不要だ。
浪川は戦意を奮い立たせるように、スマホ越しに睨む男の眉間に人差し指を重ね、引き金を絞る真似をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます