ジャイアントキリング


 犬飼は人形のように垂れ下がったまま動かなくなった頓野見て、困惑した。

 殺せば、直る。そう告げられた。誰から告げられたかなんて、この際重要じゃない。それを疑うなんてできない。

 しかし、それでも音は止まない。

 そしてそれ以上に、犬飼の心をざわつかせる音の方がうるさい。


「……ころ、した」


 人を殺した。

 紛れもなく自分の手で、自分の意思で、一つの生命を絶やした。

 口にするのは簡単だった。実行するのはもっと楽だった。

 だが──いざ終わった後で、どうしてこうも胸が騒ぐのか。


「……ああ」


 止まった瞳が睨んでいる。

 恨めしげに見つめる瞳が、自分を糾弾する。

 お前のせいだ。

 お前が殺した。


「ええ……ちがう、ちがう……?」


 自分がやったんじゃない。そんな言い訳できない。

 どう自分を正当化しようとしても、胸の中のノイズは収まらず、外と内との騒音に板挟みにされる。

 罪悪感。

 その感情を理解する事は、自我を『首輪』から送られる興奮剤で刺激されている今の彼には不可能だった。


「ちがう……ちがうちがうちがうちがう!!」


 これを、粉々にしよう。原型がわからないぐらいに裁断して、燃やしてしまおう。

 稚拙な理性でそう早合点し、早速触手を彼女の全身に巻き付け、


「そこまでにしてもらおうか、兄貴」


 突然、耳元で囁かれ──直後、左耳の聴力が痛みとともに途絶えた。


「──ッッあああああ!!」


 犬飼は頓野を投げ捨て、左の耳を押さえながら悶絶する。

 宙に浮かんだ頓野を、雲村基くもむらもといはしっかりと両手に受け止め、お姫様抱っこの形でキャッチする。ぐったりと動かない彼女を抱える右腕、その手の中では、リボルバー拳銃が硝煙しょうえんを漂わせている。

 弾は誰にも命中してない。ただ犬飼の耳元で発砲しただけだったのだが、それでも効果抜群だ。


「遅くなってソーリー、頓野さん。中継基地まで行くの大変でさ……っておい、もう死にかけてんのか」


 アパートの壁を蹴破り、意識を失った頓野を中庭の木にもたれさせ、「もう少し辛抱してくれよ」と彼女の両手を握ると、すぐに雲村は振り返り、怪物と化した犬飼と視線を交わらせる。


「お前と頓野さんの戦闘は盗聴させてもらったよ。その中でお前は何度も『うるさい』と叫んでいた。多分、聴覚が異常に研ぎ澄まされていたんだろうよ。──だから、。時間稼ぎにはなるかと思ったが……どうやら効き目はあったみたいだな」


 雲村はラットパークの仲間を逃して、アパートに戻る途中で区役所の電子制御室に入り込んで、アラート受信機に細工をしかけた。お陰で今、街中に警報が鳴っている。


「……ちがう、ちがうちがうちがううううあああああ!!」


 犬飼は全速力で雲村の元へと迫る。

 ベランダの格子をショルダータックルで吹き飛ばし、そのまま雲村を触手で貫こうとして──


「────おおおおおおおお!!」


 突如割り込んできた巨大なモノに阻まれ、犬飼は真横に吹き飛び、土の上を何度も弾んで転ぶ。


「……っああ!?」


 犬飼は不愉快げに口に中の土を吐き捨て、犬飼はぶつかってきたモノの方を向く。

 何か、硬く大きなものが飛んできた。ぶつかったというよりは、飛んできたと形容した方がしっくりくるぐらい、その質量は圧倒的だ。

 三メートルはあろう巨躯。その身を守る鋼鉄の鎧は、ポンコツやガラクタの寄せ集めのようにも見えるし、ホラー映画に出てくる機械の怪物にも思える。

 その巨躯は、顔らしい位置にある窓から赤光を放ち、犬飼を真っ赤に照らす。


「殺すんじゃないぞ、ネモ。生きたままハントしろ」


 雲村の指示を受け、機械仕掛けの巨人──ネモは、重厚な唸り声を上げながら突進していく。


「──ッッ!?」


 犬飼は変な方向に曲がった足を立てて、ネモの猛進から逃れようとするも、間に合わない。

 機械の右腕は犬飼の首根っこを掴み、そのまま持ち上げる。

 重機の駆動音とも、怪物の雄叫びともとれるその声は、怒りで荒くなっている。

 うるさい。

 その声がうるさい。


「うううううるせええええぇぇぇ!!」


 掴まれた首根っこから触手を生やして、巨大な拳を貫通させる。赤黒い糸はそのままネモの五指に絡みつき、引き離そうとする。

 ネモの赤い光が点滅てんめつする。激痛に握力が緩んで──


Qきゅー!」


 今度は、小さな子供の声だった。

 その声を認識した途端、犬飼を倦怠けんたい感が襲う。


「……ッううう!?」


 全感覚が、内側から外側にひっくり返る。五感全てが渾然として、意味がわからなくなる。

 雲村の背後から、真龍まろんは犬飼に念を送るように右手をかざす。徐々に意識を失いながらも、それでも犬飼は手負ておいの獣のように暴れる。

 叫びながら、全身から触手を突き出し、辺り一帯を突き刺す。もう標的の区別はしていない。無差別に周囲の物体に襲いかかるソレは、ネモの胴体を何度も串刺しにし、雲村の左肩を貫いた。


「ぐあっ……!」


「お兄ちゃん!?」


 真龍は思わず雲村に意識を向けてしまい、犬飼に放っていた念が緩む。


「おまえら、ころせば……ぜんぶなおるううぅぅ!!」


 感覚が一瞬元に戻った隙に、ネモの巨体を投げ捨てる。

 そして残った触手、そのきっさきが、倒れ込んだ雲村と真龍の二人に狙いを定めた。


「……ここいらが限界ってやつか」


「お兄ちゃんだめ! にげて!」


 肩からの流血を抑えもせず、雲村は諦めたように目を閉じて、真龍はそんな彼を見捨てられず、必死に揺する。

 犬飼は無防備となった二人に触手を向けて、一気に解き放つ。

 万策尽き、これまでかと覚悟した真龍は、雲村の身体を抱きしめて目を閉じる。

 ──しかし、対象的に雲村はニヤリと笑った。


「もうこれ以上注意を引くのは無理……やっちゃっていいよ、十成さん」


 その言葉と共に、一つの影が、太陽の逆光を浴びて跳躍する。


「……あ?」


 犬飼は驚きで目を点にする。雲村に号令を出されるまで、今の今までモグラのようにNEIGHBORネイバーで地面に潜っていた十成が、手に握った注射器を、着地と同時に、犬飼の首の静脈に突き立てた。

 緑色の液体が、ドクドクと犬飼の中へと注がれていく。

 人間の生と死の均衡きんこうを取り戻す為の特効薬、CUREキュア。本来は死に瀕した者を蘇生させる為に使われる劇薬だが、そのメカニズム──死の世界の物質を中和するという薬効を利用すれば、『死の世界』の物質に染まり切った犬飼を止められるのではないか。

 一か八かの、出たとこ勝負。その一縷いちるの望みは、吉と出た。


「あ──れ──」


 赤黒い触手が蒸発し、消え去る。全身に漲っていた獣性が、消えていく。

 犬飼は自分の中にあった様々な感情の正体を忘れ、そのまま白眼を剥いて気絶した。


   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る