不安


 その後も岸風は、己の失態をカバーするようにあちこちを奔走した。携帯には電源を切りたくなる程の着信とメッセージ通知が集まり、直接集まってきた部下にも口頭で事細かに指示をする。何事も丁寧に伝えなきゃ気が済まない几帳面さが仇となり、一区切りつく頃には、もう疲労困憊ひろうこんぱいどころではなかった。

 神経の痛む腕をおして時計を見やる。十時。十成を囲んだのが朝八時過ぎなので、二時間を徒労に費やした計算になる。


「フゥゥゥゥ……」


 今日一日分の疲れを抜き取るように、紫煙を吐く。

 詰まりそうな息を、煙草タバコを吸って無理に吐き出している。そんな気分だった。

 今こうして休んでいる間も、散らかる思考はどうにもならない。魔壁が告げた新事実が、いまだに岸風の心を突き刺していた。

 十成がファングの人体実験の被験者だった事実は、衝撃ではあったものの、まだ他人事で済ませられる。問題は、妹が強姦されるよう仕向けたのが魔壁宗浩という事だ。


「魔壁は、俺にシルバーバレットのガキをなぶり殺しにさせて、戦争の引き金を弾かせようとしてた……」


 いざ口にしてみた推論が空疎すぎて、思わず笑いそうになる。

 状況証拠だけで言えば、魔壁が裏で下知してたのは確定的だろう。だがそれでも、「じゃあ魔壁が全ての元凶ですね」と納得するには、色々と突飛すぎる。

 それだけの謀略を巡らせてまでファングを乗っ取り、池袋のグレーゾーンに麻薬の道を開通させたにも拘らず、魔壁本人は富や地位に執着している傾向が全く見えないのも不気味だった。岸風に言った「ファングを退しりぞく」という口約束にも、嘘くささは全く感じなかった。

 地位を求めない理由は、そう多くは思いつかない。


「そもそも魔壁には名声欲がないのか……もしくは、誰かに操られてるのか」


 あの魔壁を手籠てごめにできる力の持ち主が、果たしてこの世にいるのか疑問だが、その可能性はゼロではない。だが、どうロジックを組み立てようとしても、余計な雑念が邪魔をしてゴールがぼやけてしまう。不安に駆られているせいで、考えがまとまらない。

 妹は、今も無事なのだろうか。妹を利用しようとしてたのなら、今でもファングの誰かが彼女を監視してても、なんら不思議はない。


「……ックソ! 仕方ねぇ」


 あの魔壁が取り決めを反故ほごにするとは思えないが、そんなのはどうだっていい。妹が未だに危険に晒されているのかもしれないという推測は、彼女に電話する動機として十分だった。

 数度コール音が鳴り、スマホから妹の声が流れる。


『もしもし、お兄ちゃん?』


「……今、どこに居る?」


 余りにも単刀直入に尋ねる岸風に、『?』と電話越しに疑問符が投げかけられる。

 岸風は質問口調ではなく、今度は脅すような口振りで言った。


「チッ、ああ……だから、今どこに居るかっつってんだ」


『ど、どうしたのお兄ちゃん、怖いよ……今、池袋のパルコだけど』


 丁度すぐ近くで遊んでるとわかり、岸風は「今すぐ駅前のロータリーに来い、すぐだ!」と一方的に要件を告げて、そのまま電話を切った。

 岸風は東口前、客待ちのタクシーが多く駐車してるロータリーで待っている間中、ずっとソワソワしていた。壁に寄りかかりながら、かかとで地面を叩くのを止められない。

 やがて、人垣の向こう側から小柄な少女がこちらに走ってくるのが視界に映った。顔も見えない距離だが、走り方で妹だと一目でわかった。


「お待たせ、お兄ちゃん……ハァ、はぁ、ねぇ急にどうしたの? またなんか変なトラブルにでも絡まれた?」


「そりゃこっちの台詞だ。お前、最近なんか妙なのに巻き込まれたりしてねぇよな?」


「妙な、の……?」


 妹は、あざとく首を傾げて上目遣いを送る。惚けているのか、単に身に覚えがないのか。どうか後者であってくれと祈りながら、岸風はここ数日の間、何かおかしな事はなかったか、夜道で他人に尾けられてるような気配はないかと問いただす。

 それでも、彼女はずっと間の抜けた顔色で「えっと……なんの話してるの?」とはぐらかすばかりで、一向に事態の深刻さを察しない有様だった。

 岸風は妹の危機意識の低さがもどかしかったが、同時にかすかな安堵もあった。襲われた当初の妹は、神経質を拗らせて体調を崩し、食事もまともに摂れないぐらい追い詰められていた。そんな彼女が、今では立派に平和ボケしているのだ。

 それはここしばらく、妹の身に危険は何もなかったという何よりの証拠だ。

 岸風は溜息を吐き、頭を撫でた。妹は、キョトンとした顔でそれを受け入れている。


「とにかく、お前が無事でよかった。ほら、池袋は最近物騒だろ? 交通事故とか、チンピラ騒ぎとか。用心しろよ。親父とお袋にもそう言ってくれ。なんならこの街をしばらく出てっても……」


「お兄ちゃん? 待って、出てくってどういう意味……!?」


「え、ああ、いや」


 ついうっかり口を滑らせてしまった。なんとか取りつくろおうとしたが、妹は肩を怒らせ、岸風を壁際に追い詰める。


「はぐらかしてないで答えてよ! 出てくってどういう意味!?」


「だから、この街は物騒だって」


「……普通は物騒なだけで出てけなんて言わないよ。お兄ちゃん、何か変な事知ってるんじゃないの?」


 喉元にナイフを突きつけられているような気持ちで、岸風は慎重に言葉を選ぶ。

 妹には、自分がファングのメンバーである事実はずっと伏せていた。彼女はあくまで、『親との不和が原因で家出してるだけの不良』だと思わせている。

 言える筈もない。こんな自分を信頼してくれる唯一の家族に、半グレの幹部である事を自白するなんて、口が裂けても御免だ。

 しかし責め立てる妹の舌鋒ぜっぽうにやがて観念した岸風は、嘘になり過ぎない程度に事実を白状した。


「俺の知り合いが、近々この街でかなりヤバい事が起こるっつってんだ。多分、半グレが動き出すとかなんとか、とにかく、色々危ない時期に入ってるんだよここは。お前の為を思って言ってるんだ」


「…………」


 まだ納得し切れていないのか、彼女は涙目で押し黙ったまま、無言で駅へと大股歩きで去っていった。別れの言葉の一つもない、訣別けつべつするような去り際。

 お為ごかしを見抜かれていたのは、去り際の恨みがましい顔を思い出せば明白だ。


「……じゃあ、他にどう言えやいいんだよ」


 岸風は自分の不甲斐なさを誤魔化すように、また内ポケットから煙草タバコの箱を拾い、一本吸い出す。

 魔壁に『神の子』の施術を受けて以来、吸う本数が増えているのは自覚していた。ヤニ歯の黄ばみは、今はまだ大したことないが、一年後にはもっと酷くなっているだろう。

 近頃、妙に自分の中にある血気盛んな部分が、肥大化してる気がする。今までの慎重な自分が風に吹かれて消えいそうな感覚に陥り、気がつけばぼんやりしている時間が増えたような気もする。

 そんな思考をさえぎったのは、皮膚を掠めた死の気配だった。

 耳を立てて、周囲をさりげなく見回るも、怪しい影はない。


「……気のせいか?」


 気配が潰えたのを感じて、岸風はまた煙草タバコを吸い始める。

 十成綾我がついさっきまでそこに居たという事実を、岸風は知る由もなかった。

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