悪辣


『一手、見誤ったようだな』


 電話越しの声音は、相変わらず冷酷で、まるで猛獣にでも睨まれている気分だった。

 岸風は特にそれに動じる事もなく、淡々と事後報告をする。


「俺が先走ったのが原因です。部下も、三十人以上がやられました」


 死者や重症者はいないが、それでも十成だけの手で多くの部下が手も脚も出ずに敗北を喫した。どこかで、彼を侮っている自分がいたのが反省点だろう。


「功を焦りました。犬飼に十成まで来たら、もう鴨がネギ背負しょって来たようなモンだと思って、一気に畳み掛けようと」


『その結果、頓野が割り込み、犬飼と十成を連れてまんまと逃げおおせた。バイクでねられたと報告が上がっているが?』


「轢かれる寸前に、ETERNALエターナルで盾を作ってガードしました。一歩遅れてたら、ヤバかったかもしれません」


 神経を熱で灼かれた事による右拳の不調は、この際伏せた。あまり魔壁に自分の弱みを、必要以上に晒したくはない。

 そんな岸風の強がりを看過してるのかいないのか、魔壁は続ける。


『三人はどこに逃げた』


「調査中ですが、まだ池袋から出ていないと思います」


『何故そう思う?』


「……その説明の為に、俺の質問に答えてくれますか」


 以前の岸風では考えられない、反駁はんばくするような物言いに、電話の向こうの声が消える。

 ほんの数秒の沈黙。そして魔壁は『言ってみろ』と、質問を促す。


「十成綾我がファングの実験の被験者だったのは、間違いないんですか?」


『その通りだ』


 間を置かず、魔壁は肯定する。まるで、岸風からいずれそれを問いただされるのを予期していたかのような態度で、岸風は余計に困惑する。


「どういう事ですか。以前からアイツの存在を知っていたと?」


『それがお前のすべき目標と、どう関係がある』


 為すべき目標──ファングの浄化の一件を盾にされて、岸風は息を詰まらせたが、それも一瞬だった。そうまでして隠したがるという事は、十成がファングの密輸襲撃に関わっていたのも、ただの偶然では済まされない。


「直接的な関係は、まだ何も。ですが、過去にAWAKEアウェイクを吸わされた人間が、どうして今ものうのうと生きているのかが気にかかるんです」


 AWAKEアウェイクを暗殺目的で流通させているのは、魔壁から聞かされていた。だが殺されかけた上で、今も生きている人間がいるというのは、初耳だ。

 それでも魔壁は知らぬ存ぜぬで押し通すつもりなのか、高圧的な態度を緩めない。


『何事にも、例外はある。仕事には失敗がつきものだ』


「どんな例外です? 一度殺して駄目だったなら、もう一度試みればいい筈でしょう。けど、十成綾我は今の今まで生き永らえている。あまつさえ、俺らに喧嘩売ってるんですよ。これを単なる偶然で片付けろって方が──




『例外はある、と言っただろう。本来死ぬ筈だった者が、生きている。そんな事はいくらでもあり得るのだ、岸風。例えば、貴様の家族もな』




 家族。

 その言葉を告げられて、背中に拳銃を押し付けられたような死の実感が、岸風の心の隙間に入り込む。

 自分の家族が、本来死ぬ筈だった。どういう意味かと記憶を巡らせたが、思い当たる節は一つしかない。

 妹が、シルバーバレットの構成員に強姦されかけた、例の事件。犬飼がファングから去る引き金となった、忌まわしき事件。

 まさか──と、末恐ろしい憶測が脳を去来し、絶句する。つまりあの事件はそもそも、魔壁が犬飼を失脚させる為に全て仕組んだというのか。

 そうなれば、ファングが魔壁の支配下に置かれた意味が、百八十度変わってしまう。そもそも岸風の妹が襲われた所から、既に魔壁の毒手が伸びていたというのか。


『……何を黙っている』


 想像を中断させたのは、魔壁の声だった。こんな真冬の屋外で、岸風は顎に汗が滴るのを、全く不思議に思わなかった。

 辛うじて口から出たのは、事実確認を兼ねた質問だった。


「俺の妹が襲われたのも……まさか全部、アンタが仕組んだのか、魔壁」


『俺がそれに答えても意味はないだろう』


「御託はいいから俺の質問に答えろや、魔壁ェ!!」


 肺から全ての息を吐き出しかねない絶叫が反響し、周囲の部下達の視線が集中する。

 その場の凍りついた空気を確かめるように、魔壁はしばし沈黙し、不意に鼻で笑った。


『仮に、俺が仕組んだとしよう。それがお前にどう関係がある? お前が一定の成果を果たせば、俺はいさぎよくファングを去るのだ。もう二度と、お前とその家族に手出しはしない。それで充分ではないのか』


「……犬飼を、殺せば」


『それを果たせば、ファングからは手を引く。密輸も、実験も、全てな。平穏を取り戻したいのなら、今は目先の仕事をこなせ』


「……」


 岸風は、もう何も言い返せなかった。激情のまま叫んでしまったせいで、かえって頭が空っぽになってしまい、反論が浮かんでこない。

 今更どうしようもなかった。真実を知ったところで、魔壁に犬飼の死を約束した以上、撤回はできないし、するつもりもない。それ以外に、ファングを元に戻す手段はないのだから。

 岸風は息を整えながら、不満に蓋をした。


『……話の続きをさせてもらう。何故、三人はこの街に残っているとわかる?』


 十成は池袋から離れないだろう、という岸風の推測の話まで戻る。岸風は会話の脈絡を思い出しながら、続きを話す。


「十成はファングの内情を──特に実験に関する情報を調べていたようです。それを調べ終えるまで、そう易々と街を出るとは思えません。きっと今もどこかで身を隠して、機をうかがっているでしょう。十成綾我はああ見えて、かなり執念深い。引き際を弁えるようなお利口さんじゃないって事ぐらい、よくわかってます」


 直感だが、岸風は確信していた。そもそも街より外じゃ、お得意のNEIGHBORネイバーも使えないのだ。寧ろこの池袋の街に潜んでいた方が安全だと判断するだろう。岸風側としても、テリトリー内の方が探し易い。


「逃げたのは大塚駅方面です。そっちに人員を割いて捜索を……」


『それだけわかれば、いい』


「はい?」


 意味深にそう呟くと、魔壁は一方的に電話を切った。

 意味がわからず、岸風はもう一度コールするも、返事はない。何やら魔壁の方ではアテがあるらしい。何もかも置き去りにされているような不快感が胸に溜まり、思わず拳を鋼鉄化して、壁を殴っていた。

 コンクリートの粉塵が顔にかかる。魔壁にも、十成にもコケにされて、頭に血が昇っているのがわかる。


「あの、岸風の兄貴。まだ動けるやつはどうしますか?」


 弟分の一人が質問してきて、ようやく岸風は頭を冷やした。


「いちいち俺に聞かなきゃわかんねぇのか、テメェら。八十人を大塚方面に回せ。残りは池袋駅周り、椎名町周りを徹底的に洗い出せ。なんでもいい、奴らの尻尾を捕まえろ、いいな!」


 全員が「はい!」と合唱して、背を正しながら次々と己の持ち場へと向かっていく。妙に統率の取れた動きで、逃げるように彼らは裏路地から消えていく。

 岸風は一人残されたまま、まだ震える右手で煙草タバコの箱を懐から出し、左手のライターで火をつける。

 特大の溜息と同時に、紫煙が哀しく宙に漂っていた。

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