忍び寄る魔の手

 小さな皿の上には無数のアイス棒とゴミだけがひしめいていた。雲村が最後の一切れを名残惜しげに飲み込み、棒を皿に入れた。


「犬飼の兄貴はファングを辞めた。岸風もシルバーバレットのボスと交渉して、連中はやっと狼煙のろしを上げるのを思い留まってくれた」


「そこから、魔壁はどうやってファングを乗っ取った?」


「その辺は俺にもさっぱり。俺はその後もファングに残って、岸風の事件について色々調べてたんだけど、その矢先に殺されかけた」


 犬飼が組織を去り、魔壁が介入してくるまでの空白の期間。それを知る者は、こちら側には一人もいない。

 だが、今の一言ではっきりした事がある。


「君は岸風の殺人を調べている最中に、殺されかけた。つまり、殺人の真相を暴かれたくない人達の怒りを買った訳だ」


「おっ、炯眼けいがんだねぇ、十成さん。なんだか探偵っぽくてクールじゃない?」


「カッコつけたいならこんな地味な仕事しないよ。それで、心当たりは?」


「アイドンノー、って感じだね。だからこそ──これは俺の仮説だけど、シルバーバレットの構成員を殺したのは、多分岸風じゃない」


 より声のトーンを低くして囁く。


「……と、いうと?」


「確かに岸風はあの構成員を半殺しにしたのかもしれない。けど、最後にトドメを刺したのは別のヤツなのかもしれないって仮説さ。そうすれば、色々とピースが埋まっていく感覚がない?」


「具体的に言ってくれ」


「言わなきゃわかんない……? まぁいいよ。説明してあげる。岸風はバーの裏手で構成員をボコボコに叩きのめした。ここまでは真実だ。けど、もしもその時まだ構成員が生きていたとしたら? 岸風はあくまでそいつをボコボコにしただけで、殺人そのものは、その後現場にやってきた別の誰かによって行われたと仮定すれば、辻褄は合うって、俺はそう思うけどね」


「つまり戦争をけしかける為だけに、その構成員は殺されたって推理してるのか?」


「いい線行ってると思わない? そして、どっち道犬飼は責任を負わされて組織を脱けていたかもしれない。そうなったら、誰がその後釜を狙うと思う?」


「それが……魔壁宗浩とでも?」


「イグザクトリー。つまり、全ての黒幕は魔壁だ。確かに困るよな。もしも殺したのが、岸風でも犬飼でもない第三者だとしたら、犬飼が組織を去った意味がなくなっちまう。そうなりゃ、犬飼がまたリーダーになるのを望む声だって出てくる」


 確かにその通りだと考えて、十成は「だが」と、まだ辻褄の合わない部分を指摘する。


「君は監視カメラの映像を観てたんだろ? だったら、シルバーバレットの構成員を殺した男の姿だって見てるんじゃないのか?」


「ところがどっこい、俺の観た監視映像には、妙な小細工がされた痕跡があってね。それを解析しようと思ってた矢先に殺されかけて、今に至る。逆に言えば、それだけあの映像は魔壁にとってはインポータントなのさ。……さて、そろそろ依頼の話と洒落込もうか」


 雲村は緩んだ相好を整え、仕事の顔を覗かせる。


「隣人倶楽部に仕事を頼みたい。依頼内容は、岸風の殺人事件に関する再調査。当然、俺も全面的に協力させてもらう。請けてくれるよな?」


 口調に、いつもの戯けた調子はない。真剣そのものだ。

 元々、ファングとAWAKEアウェイクの謎は、岸風から切り崩していくつもりだったので、十成にとっても好都合だ。


「いいよ、今回だけは無料タダで」


「岸風は今、さっきの裏路地でチンピラと話してる。なんか街全体がピリピリしてるから、後を尾けたいなら注意しなよ」


「幸いにも、おじゃま虫が現在休み中だからね。同じヘマはしないよ」


 十成は真上──上階の医務室で応急処置を施されている犬飼を指差して、そのままNEIGHBORネイバーで床に潜り、消えた。

 雲村は「ニュルって消えるのなんか気持ち悪いなぁ」とぶつくさ呟きながら、アイスの棒とビニールが溜まった皿を処理する。

 十成が嵐のように立ち去ってから、雲村は再びパソコンの画面にある情報の山の処理に没頭していた。

 やがてコンコン、とドアをノックする音が鳴り、雲村の許可もなく開かれる。


「……人として最低限のマナーを守って欲しいね、頓野さん」


「ちゃんと守ってるわよ、入る前にノックしたじゃん? それとも、なんかやらしいサイトでも見てた?」


「全部知ってんでしょ? ずっと探知機が反応してるかと思ったら、頓野さん……なんて、バッドな趣味してんねぇ」


 頓野が部屋を出た時から、ポケットの中のスマホが『探知機に反応あり』とバイブレーションで密か通知していた。まさかこの隠れ家をファングに見破られているとは、考え難い。そんな中で自分と十成の対話を、わざわざ盗聴してまで聞き出そうとする人物は頓野ぐらいしかいない。


「いいじゃない、私だって情報を集めるのが仕事なの。それにプライスレスな情報なら、盗んでも無料タダ、でしょ?」


「……俺のクエスチョンに答えてくれ、頓野さん。アンタ全部知ってるのか?」


 三割増し真面目な口調で問い詰めると、頓野は煮え切らない表情で口籠くちごもる。それだけで、雲村は大体を察した。


「知らないみたいだね、オーケイ」


 素直に知ってるなら、はっきりそう態度に出せばいい。だが今の反応で、恐らく後半の話──犬飼がファングを追放された本当の理由までは、聞き取れなかったのだろう。十成と至近距離の小声で話して正解だった。


「うう……わかったわよ、私の負け。別にいいじゃない、ファングの秘密の一つや二つぐらい。私は悪いようには使わないわよ」


「悪いように使わないんだったら、盗み聞きなんてしないで素直に情報プリーズって言えばいいのに」


 頓野はフイっとそっぽを向いて、部屋を出ようとして──ふと、異変に気付いた。


「ねぇ……なんか、変じゃない?」


 頓野が不安げに天井を見上げる。

 なんか変と急に同意を求められても、雲村にはそれがよくわからなかった。だが天井を見上げて、確かにどこか変な気持ちになるのを感じた。

 一見、真っ直ぐに張られているように見える天井の梁。それが、妙に歪んでみえるのは、目の錯覚だろうか。


「確かに、ちょっと天井の梁がストレンジな形をしてるかもね、けど……」


「いや。そうじゃないの」


 頓野は頭痛を抑えるように眉間みけんを摘み、その気配に押し潰されそうになるのこらえる。


「そっか、アンタは異能じゃないから、この重圧が伝わらないのね。これは多分、『死の世界』の匂いってやつ。さっきからそれが妙に強いっていうか──


 そう、何気ない対話の最中だった。

 グシャリ──と、何かが捻じ曲がるような異音が響き、雲村は咄嗟に天井を睨みつける。

 老朽化ゆえの、ちょっとした家鳴りだろうか。

 一瞬そう思ったが、グシャリ、グシャリと続く二度の音で、それが間違いであると知る。

 やがて、天井の梁がたわんで、木の粉と砂が部屋に降り注いだ。

 瞬間、渇いた血のように赤黒いものが、天井を突き破り──二人を捕食するべくその手を伸ばした。

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