頓野黄黎

 一応変装して道を迂回うかいしながら、劇場通りまで歩いてきた。ファングに狙われている以上、警戒はしておくべきだった。

 道中で適当にガーベラを数本買い、献花台けんかだいに備えて手を合わせた。今自分が何に対して手を合わせているのか、十成自身にもわからなかった。

 数秒手を合わせていると、すぐ隣に女性が座り、同じように花を供えているのがわかった。十成は黙祷を終えて、隣の人物に聞こえよがしに呟いた。


「……僕に用があるなら、事務所にいる時にしてくれると助かるんだけど」


 側に座る女が異能なのは、瞭然だった。隠すこともなく、自ら誇示するように死の匂いを撒き散らす彼女に目も合わせず、立ち上がる。


「ふぅん、ちゃんとわかるんだ。やっぱ現場に出るタイプの探偵さんはレベルが違うわね」


 嫌味っぽく言いながら、女も同時に立ち上がる。十成はその顔を横目に一瞥いちべつする。

 どこか幼さの残る小顔に、紅と茶色のグラデーションが鮮やかなショートヘア。身長は一六〇前半ぐらいで一回り小さく、真っ赤なトレンチコートを羽織っているお陰で体格は確認できない。


「しかし奇遇ね。こんなところで邂逅かいこうできるなんて。お陰で事務所に行く手間が省けた」


 狙ってここまで来た癖に、あくまで偶然出会ったという体裁で話すつもりらしい。その低いハスキーボイスは、彼女の可愛らしい見た目を知らなければ男性の声のようにも聞こえる。


「君は暁夜の使いっ走り? それにしては、ここらじゃ見ない顔だけど」


 十成はいつでも革ジャンの中から武器を出せる構えで素性を問う。女は宝石のような瞳を向けて、十成を頭から爪先まで吟味すると、口元に笑みを浮かべる。

 市場に並んだ魚をチェックする卸売業者のような目付きで、品定めされている。あまりいい気分ではない。

 女は慣れた手つきで、コートのポケットから名刺を取り出した。


頓野とみの探偵事務所所長の、頓野黄黎とみのきれい。名前だけなら聞いたことあるでしょ、同業者さん? 私はあまり表立って活動しないから、君とは初めましてって感じね」


 頓野探偵事務所──池袋内でも知る人ぞ知る何でも屋の一つで、十成と同じく異能絡みのトラブルシューターとして、裏社会でも顔が通っている。

 その業務形態は、十成のような直接手を下す仕事とは違う。彼女は書籍やネットでの検索や、様々な人脈から手に入れた情報を基に、トラブルの原因となっている人物を情報戦で追い詰めていくのがもっぱらで、部屋から出て直接調査に赴く事はまれである。

 隣人倶楽部がシャーロック・ホームズなら、頓野はオーギュスト・デュパン。行動型の探偵というよりは、安楽椅子探偵とでも呼ぶべきか。


「十成ちゃん……って呼んでもいいよね。単刀直入に訊くけど、君、これからどうするつもりなの? 犬飼氷実を人質に取られて、明日までにファングか暁夜、どっちに味方するのか決めなきゃいけないんでしょう?」


「話が早いね。悪いけど、僕は犬飼氷実を確実に助けられる方向で動くよ」


 吐き捨て、逃げるように去る。しかし頓野はニヤリと表情を歪めて、十成の後をついてくる。


「ねえねえ、ちょっと淡白すぎない? 私がせっかく犬飼氷実がいるかもしれないビルを突き止めたのに」


「こっちもとっくに突き止めてるよ。そして調べた。収穫はなかった筈だ」


「うっ、図星……それでも協力者は必要でしょ? 十成──いや、遠野とおのちゃん?」


 そう、かつての名前を言い当てられた瞬間。

 十成の早足が、まるで映像が止まるように固まった。


十成綾我となりりょうが……旧姓、遠野綾我とおのりょうが。確か今は母方の性を名乗っているのよね? 港区出身で、父は弁護士の遠野謙二とおのけんじ。慶応義塾大学の法学部を卒業して司法試験を一発合格、そのまま父親のコネで法律事務所に就職。──ここまであってる?」


 無言の背中に、頓野は真実を浴びせ続ける。


「けど二〇一六年六月六日、『清水佳明しみずよしあき殺人事件』の裁判で弁護人を務めたものの、裁判所に向かう途中で二百メートルにも渡って暴走運転した挙句にガードレールに追突。同席していた秘書の矢崎美穂やさきみほが死亡。アナタ自身も重傷を負い、警察病院に入院し、刑事告訴される。……けどアナタは持病の精神疾患による情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地が認められ、無罪判決を勝ち取り、今ものうのうと生きている」


 十成の背は、頑として彼女の言葉を拒絶していた。頓野は十成の前に回り込み、彼の曇りガラスの瞳に、自分の顔を覗き込ませる。


「アナタが協力しないなら、今言った事実を近隣に吹聴してやれって暁夜に言われたの。でもその様子じゃ、あんまり効いてないみたいね?」


「……お前は何がしたい」


「私もこう見えて必死なの。すぐにでもファングのばら撒いている麻薬の正体を突き止めたい。アイツらの麻薬売買を止めたいって考えているのは、何もアナタだけじゃないって事よ」


「興味ないね。僕がファングの密輸の現場を取り押さえたのは、暁夜から請けた仕事ってだけだ」


「でも犬飼氷実は助けたいと思ってる。もう自分のせいで誰かが死ぬ事に、アナタは耐えられない筈。まぁ、なんでアナタが犬飼にそこまで入れこんでるのか知らないけど」


 頓野は微笑を浮かべ、意味深な流し目をする。

 彼女に敵意はないのはわかる。ファングと敵対しており、利害も一致している。あくまで互いの利害の為に、持ちつ持たれつ利用し合いましょうと、彼女は訴えかけている。

 ──どの道、今の僕にはファングとうまく交渉できる切札カードなんて一枚もない。このままファングに犬飼を返せと叫んでも、向こうの裁量次第でどうとでもなる。

 冷静に考えれば、そんなのはすぐに導ける結論だった。それでも辿り着けなかったのは、やはり冷静さを欠いていたからだろうか。

 十成は決心して、返答がわりにポケットから名刺ケースを出し、中から乱暴に投げ渡す。頓野はタイミングよく受け取り、


「交渉成立ね。これから宜しく、遠野ちゃん?」


「その名刺通りに名前を呼ばないなら、協定は御破算になるけど?」


「わかってる。十成となりちゃん」


「……ちゃん付けも辞めてくれ」


「いいじゃない、私のアイデンティティなの。こうやって気さくに距離をつめるのも探偵に必要な素質でしょ、十成ちゃん?」


 キラン⭐︎という擬音が似合いそうなウインクをしながら、頓野は十成の腕を組んで一歩先を進む。


「ほらおいでよ、私の事務所。お互いに情報交換しといた方がいいじゃない? お仕事仲間同士、これからどう難攻不落のチンピラ城を攻め落とすか考えよっか」


 頓野は鼻歌を歌いながら、わざとらしく腕を胸に押し付ける。ダッフルのように分厚いトレンチコートの温もりと、その下にあるささやかな女の柔らかさを感じながら、頓野に連行される。

 ふと、背後から自分自身を見つめられているような、言いようのない悪寒を背に受けて振り返る。

 しかし、そこに自分を見つめる視線はなく、死を嘆く人々の姿があるだけだった。

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