探偵の寝覚めは悪い



 断末魔だんまつまのような自分の絶叫に起こされた頃には、事務所の時計はもう九時を回っていた。

 暖房もつけ忘れて寝たにもかかわらず、来客椅子は寝汗でしっとりと濡れている。肌に服が張りつき、ブルリと震える。


「寒っ……シャワー浴びよう」


 十成となりは、独り呟いた。

 汗を落とした後、淹れたてのコーヒーを飲みながらデスクに座る。昨日、岸風の吸った煙草タバコの悪臭が、椅子に染みついていた。

 十成はテレビをつけ、適当に地上波のニュース番組を流しながら、スマホで岸風の動向を確かめる。

 岸風のジャンパーに埋め込んだGPSは問題なく作動しており、池袋内での岸風の動きを記録していた。

 犬飼がファングに誘拐されたと知らされてから、十成は岸風の動きを追って犬飼の居場所を突き止めようとした。岸風に突きつけられた犬飼の写真以外に証拠を持たない十成には、この手段しかない。

 一つだけ、不審な点を発見した。

 岸風が東池袋一丁目の明治通りから北の住宅街に入った瞬間、毎回GPS反応がパタリと途絶え、数時間後に同じ場所で復活するのである。

 まるで、その場所だけ地上から切り離された空間かのように、GPSは東池袋一丁目のみで途絶える。

 十成は犬飼の写真を思い出しながら、通りのストリートビューを確認した。窓から見える信号機やコンビニの角度は写真と一致している。つまり犬飼が監禁されているのは、この廃ビルの確率が高い。


「ま、そうは問屋とんやおろさないか……」


 肩を落として、椅子に深く寄りかかる。

 廃ビルの存在を知った十成は、すぐにその場所へと向かい、NEIGHBORネイバーでビル内をくまなく探り尽くしたが、結果は言うまでもない。

 奇妙なのは、そもそも人が居た形跡すら全く見当たらない点だった。コンクリートが打ちっぱなしの空き屋の中は埃まみれで、まるで時間が止まったままのように寂れていた。

 周辺のビルも調べ倒したが、どこにも犬飼はおろか、岸風の気配さえない。出てきた岸風をシメて吐かせる手もあるが、組織主義の岸風は簡単に自白しないだろう。何より、簡単に勝てる相手ではない。

 岸風の言うタイムリミットは三日。今日か明日中に結論を出さねば、犬飼は死ぬ。

 やはり暁夜をこの際売るつもりで、魔壁の要求を呑むべきだろうか。

 正直、ファングが殺人級の危険ドラッグを流通させようが、平和なチンピラ集団であろうが、十成にはどうでもいい。仕事が来たから請ける。ファングと戦った理由はただそれだけだ。意地を張って真っ向勝負する動機もない。

 決めあぐねていると……テレビのアナウンサーの声が思考を遮った。


『昨日未明、豊島区池袋の劇場通りを走行していた乗用車が時速八十キロで暴走し、運転していた男性他、一名が死亡、五名が重軽傷を負いました』


 乗用車が──

 暴走し──

 死亡──

 それらの言葉が、耳朶じだに貼り付く。

 スマホを机に起き、深呼吸をする。

 横隔膜おうかくまくが酷く震えて、息がつっかえる。

 頭皮に玉のような汗が滲み、首の裏をつうっとなぞった。


「よし……よし、大丈夫。平気だ。僕は……」


 十成綾我。

 僕の名前は十成綾我。

 目を閉じて、心と口でそらんじる。

 念仏を唱えるように繰り返して、瞼を開けた。

 汗は引いていた。平静を取り戻したらしいが、それでも胸に鉄の塊を入れたような不快感がある。

 画面が現地中継のライブ映像に切り替わる。事故から一夜経ち、無惨に腹をさらしたワゴン車の姿は道から消えている。ひしゃげたガードレールの側に、簡易的な献花台けんかだいが備え付けられている。

 十成はテレビを消して、仕事に取り掛かる。スマホを開いて、他の同業者にでもアドバイスを頂こうと連絡先を開く。





 お前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した。





 乱暴にスマホをソファに投げて、自身も同じように向かいのソファに身を放り投げる。ドサリと、大きなゴミ袋を投げ捨てたような音がした。


「……花の一本でも備えにいくか」


 どの道こんな精神状態では、まともに仕事なんて出来やしない。せめて花を手向たむけるぐらいはして、自分の心に折り合いをつけるしかないだろう。十成は重い腰を上げて、上着を手に取った。

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