探偵の悪寒


 女子高生を家の前まで送り届けている最中も、常にその気配はあった。

 それでも十成は敢えて振り返らずに、ずっと少女を庇うようにして、人通りの多い街道を選んで、彼女とマンションの前まで散歩した。十成としては、泳がせて様子見したかった。

 そして案の定、少女を帰した後も、その男はついてきた。

 普段は他人の背中を追うばかりだっただけに、尾けられるのは不思議な気分だった。すると何故だか無性に後ろめたさが湧いてきて、十成は失笑した。

 後ろめたい過去など、幾らでもある。

 気付かないふりを続けたまま、池袋駅に入り、東口と抜けて、幾つかの路地を曲がりながらサンシャイン60通りまで来た。道中のミラー越しに背後を一瞥すると、男は鋭い視線を向けたまま迫ってくる。

 執拗な追跡を掻い潜りながら、十成は一つの確信を得ていた。

 十成は道を迂回する際に、何度かNEIGHBORネイバーの能力を使い、壁をすり抜けながら進んでいた。それでも男は、見失わなずに後を追っている。

 要するに、あの男も十中八九だ。NEIGHBORのような能力がどうやって逃げるのかを、肌で理解している。そうでなければここまでの追跡は不可能だろう。

 また、異能同士は第六感で互いの存在を察し合う。十成も、同族の臭いをずっと感じている。

 男は、少しずつ距離を詰めている。尾行していることを隠そうともせず、凶暴な威圧感が、ずっと背筋に刺さっている。


「……少し、人から離れるか」


 人通りの多い場所を歩けば撒けるかと思っていたが、認識が甘かった。お望み通り、この男とは一旦直接話し合うべきだろう。

 再び裏路地に戻り、十成は適当な雑居ビルの柵をすり抜けると、外側の非常階段を登って屋上へと出た。

 フェンスの前で、しばらくスマホを弄りながら待っている。すると屋上のドアが開き、男と真正面から相対する形となった。

 黒いキャップに黒いジャケット、ナイフのような獰猛な切れ目は、下卑た笑顔で歪んでいた。絵に描いたような典型的ヤンキーだ。普通のヤンキーと違うところは、その耳のピアスが、彼らがもっと危険な存在だと刺し示している点だろうか。


「ピッキング、手馴れてるね。なんの用?」


 スマホを弄るフリをして、十成は訊ねた。


「なんの用かはわかってんだろ、十成? 犬みてえに俺らの縄張り嗅ぎ回って、なんのつもりだ」


「ノーコメント。守秘義務は探偵の基本だよ」


 男は煙に巻く十成に苛立っているのか、その目をより鋭くした。冬の北風が、十メートル離れた二人を遮るようにして吹き荒ぶ。

 男はタンを吐き捨てる。目付きはそのまま、口元だけで笑ってみせた。


「面白え。俺が誰かわかった上で口を割らねえつもりなら……俺に殺される覚悟があるってことだな」

 

 男は両掌を、交互に力ませる。すぐに熱が集中し、五百度近い熱を放つ。鉄じみた光が拳を包み込んだ。

 案の定、男は異能だった。しかしそれを知って、十成は寧ろ安堵を覚えていた。もしもあのまま外で一戦交える羽目になったら、自分だけならまだしも、その周囲まで被害を被っていたかもしれない。

 そこまで考えて、十成はやっと己が苛立ちの真意を悟った。


「……そうだな。君に殺されても文句は言えない」


 十成は寄りかかっていたフェンスから腰を上げた。

 男は、灼熱の拳を十成に突きつけ、身構えた。いよいよ喧嘩に臨む体勢になったと思ったのだろう。

 しかし、男は経験で培った直感から、奇妙なものを感じ取った。

 十成の直立しただけの構えには、一見隙がない。無闇に仕掛ければ、どこからでも反撃を喰らうのは必至に思えた。

 しかし、それにしても敵意がない。防戦にしても、戦いに応じるということは、それなりの敵意を以って挑まなければならない。

 男の困惑をよそに、十成は語り続けた。


「そこでなんだけどさ、君。もしも僕が彼女を送り届けてる間に気がついたら、どうするつもりだった?」


 追い詰められたこの状況で、粋がっているのか。もしくはそれなりの策があって悠然としてるのか。男には判別できない。

 少しでも判断材料リアクションが欲しかった男は、律儀に質問に応じた。


「ヘッ、わかりきったことを。そん時はお前も女も、まとめて焼き尽くして、コンクリートにでもしてやるよ」


「──」


 その言葉が鼓膜に伝わった頃には、十成の心は決まっていた。

 自分や犬飼だけなら、まだいい。危ない仕事に首を突っ込んで、報復されるのには慣れている。

 だが、彼女が何をしたというのか。ただ普通に学業に勤しみ、普通に生きている彼女を、自分を誘き寄せる為だけに危険に曝した意味はあったのか。

 それぐらいなら、最初から自分だけを狙えばよかったというのに。


「決まった」


 十成の拳は震えていた。もう、それを抑えようとも思わない。その必要もない。

 ここから先の領域は、もう自我はいらない。

 撃鉄を下ろした心が、その銃口を眼前の男へと向けた瞬間、

 十成の脚が跳ね上がり、彼我の距離をゼロにした。


「なっ……!?」


 男は、反応するのがやっとだった。

 信じられない光景だった。まるで電源が引っこ抜かれ、機械が強制的に停止させられるように、十成の表層を覆っていた殻が破れ、抜き身の殺意があらわとなったのだ。

 一歩後退し、目と鼻の先で拳が止まった。その風圧で、肝が冷えた。当たっていれば間違いなく鼻骨はへし折れ、意識も飛んでいただろう。

 回避できたのは、半ば偶然と言っていい。

 男は一歩引き、熱した腕をその拳へと近づけた。摂取五百度を超える高温をまとった掌は、人間の手を握ればあっという間に骨ごと燃え滓にしてしまう。

 チャンスだ、と思った。しかし、十成は空を翳めた拳を離すと──そこから、さっきまでなかった筈のナイフが姿を現した。

 それを見切り、腕を引っ込めようとした瞬間には、もう遅かった。


「あああ、ぐああああっ!?」


 右の手首にナイフが刺さり、男は悶絶して地面に蹲った。右に滞留していた熱は、みるみるとその光を失った。

 男が立ち上がる前に、十成は左の手首も踏みつけた。ゴギリ、と関節が毀れる鈍い音が鳴り、左手の熱も同様に冷めた。

 手から炎や氷、熱などのエネルギーを放つ能力は、大抵は手の握る力によって出力を調整させている。つまり手に力が入らない状態にすれば、無効化できるのだ。

 十成は冷たい目線で男を見下ろしながら、話を切り出した。


「あの子を巻き込んだのはこの際不問として……どうして僕を追ってきた?」


 男は口籠ろうとしたが、それを咎めるように左手首を強く踏み躙られる。それを三度ほど繰り返すと、三野塚に比べたら、男はあっさりと口を割った。


「う、上の指示だ。宮崎から十成を相手しろって命令が出て、それで俺が出る羽目に」


「相手しろ? 捕まえろとか、そんなんじゃないのか」


「捕まえろだなんて、俺は一言も指示されてねえ。ただお前と戦えって言われただけだ」


 男はそれきり、殺したければ殺せとでも言いたげな態度で黙秘を決め込んだ。左手を踏んでも、苦悶の声が漏れるだけだ。

 十成の脳裏に不穏な予感がよぎった。最初の推理では、単に先週のお礼参りで襲ってきたのかと思っていたが、どうもそのような気配はない。そもそも本気で叩き潰すのであれば、一人だけじゃなく、もっと異能をたくさん寄越す筈だ。

 おかしいと言えば、あの少女を利用して十成を炙り出したのも奇妙だ。事務所が割れているのであれば、そのままカチコミした方が手っ取り早い。

 無関係な堅気を利用してまで、ファングは十成“だけ”を外へと誘き寄せた。それは何を意味しているのか。


「……まさか」


 二つ、線があった。

 一つは、自分が居ない間に隣人倶楽部に侵入し、何かしらの資料を盗むという算段。

 もう一つは、自分と犬飼をできるだけ引き離した状態にする、という算段。

 一つ目に関しては、有り得ない。今の隣人倶楽部に、ファングが欲しがるような情報は一つも転がっていない。そもそも暁夜の依頼で使われていただけなのだから。

 だが二つ目の算段は、否定できる判断材料がない。

 十成はすぐに犬飼へと電話をかけた。その間にNEIGHBORで地面をすり抜け、瞬く間に壁へと移動する。壁伝いに着地して、犬飼のいた住宅街へと向かっていく。

 敵の狙いは、自分ではなく、犬飼。

 確信めいた焦燥に駆られ、十成は池袋の街の中へと消えていった。

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