Chapter2-狂犬と狩人-

四人



「……で、どうする? この三野塚クソの後始末」


 十代の少女と思しき声が、特殊な形状のマスクを着けた三野塚を糾弾した。

 意識が覚醒すると、三野塚は何故かファングの根城に戻っていた。朦朧とする気分の中で、試しに両腕を動かし、手を握ってみる。

 確かに動く。それでもどこか、ゲームのキャラを動かしているように空虚だ。人は一度でも死の領域を超えると、こうなってしまうのだろうか。


「オメーの話してんだよ三野塚クソやろう。おててにぎにぎしてねえで謝罪しろゴラ」


 横合いから思い切り殴られたが、ズタボロにされた口の中が多少傷むぐらいで、それ以外何も感じない。

 三野塚は周囲を見回す。車椅子に横たわった自分に、ファングの四人の幹部が、それぞれ炯々けいけいとした眼光を向けている。

 この場所はファングが新宿に持つ根城の一つ。魔壁がフロント企業の名義で借りてる、とある高層ビルのオフィスの一角である。

 三野塚を殴った、ボサボサとした長い黒髪の少女──貴羽雅たかばみやびは、片手でスマホゲームをこなしながら、三野塚を更に追い詰める。


「オメーさ、自分が何したかわかってんの? 私がどんッッッッだけ苦労してこのを作ってったか知らねえだろ。今の今まで一度も警察マッポにも麻取にも掴ませたことねえのに、その辺の探偵にバレましたー、ってか? お前マジで社会舐めてんじゃねえぞ、オイ」


 貴羽は、ファングの中でも特に麻薬の流通ルート管理を任されている。国内は勿論のこと、中国や南米の工場、バイヤーとも直接のパイプがある。ドラッグは複数のルートに散開して運ばせたのも、彼女だ。

 三野塚は真顔で罵詈雑言を受け流す。そもそもすぐに調べれば発覚するようなルートを提案したのは彼女だ。バトンリレーみたいに徒歩で周到に繋ぐのではなく、シンプルに車で輸送すれば良かったのだ。

 しかし、失敗しくじった自分には発言権はないだろうと思い、三野塚は黙ったままである。


「そいつの処遇よりも、今はやる事があるんじゃねえか?」


 割り込んだのは、壁に寄りかかった青年だった。

 背丈は百八十前後で、切れ長の三白眼が鋭く二人を牽制する。背に白虎を彩った青スカジャンに白のアンダー、ジャラジャラと物騒な小物がぶら下がったジーンズに黒いスニーカー。極め付けは金髪のオールバックと、絵に描いたようなカラーギャングそのものの風態だった。


「オメーは関係ねえだろ、黙ってろ岸風きしかぜ


「黙るのは手前てめえの方だ、貴羽。そいつを痛ぶる様子をお披露目する為に俺らを呼んだ訳じゃあねえなら、さっさと本題に入ったらどうだ」


「右に同じだ、貴羽。お前が暇かどうかは知らねえが、俺はこの後大事な接待があるんだからよ」


 下卑た声で岸風誦きしかぜよみに賛同したのは、最新のオフィスチェアに腰を据えた、肥えた大男だった。スカジャンにジーンズと、岸風とそう大差ない不良の装いをしているが、どっぷりとした贅肉に、黒光りする顔と二重顎が、彼とは印象を異にしている。

 宮崎伊佐仁みやざきいさひと。岸風と共にファングの下っ端の半グレ達を束ねている総長である。

 岸風は、宮崎に同意されたのが不服だったのか、舌打ちして窓に視線をやる。

 その態度も意に介さず、宮崎はそのまま議会の舵取りをする。


「今議論すべきなのは、あの十成綾我とかいう異能の探偵が、誰の指示で俺たちの輸送ルートを嗅ぎつけたかだろ? 俺の聞いたところによれば、先代のカシラ──いや、犬飼氷実いぬかいひさねの野郎も居たそうじゃねえか」


 犬飼氷実は隣人倶楽部に転がり込むより以前は、ファングのカシラ、即ちボスとして、その頂点の座に君臨していた。その犬飼が一枚噛んでいることの方に、宮崎は酷く気を揉んでいる様子だった。

 三野塚がなんとなくそう観察していると、丁度宮崎の視線がこっちへ向けた。


「お前さん、そこんとこ思い出せねえのか? そろそろ一言ぐらい、弁明があってもいいだろうが」


 三野塚は茫洋とした瞳のまま、宮崎と向き合った。うろを孕んだ黒い目に、逆に宮崎が飲み込まれそうになった。


「……暁夜だ」


「暁夜?」


「あの時、俺の背にスタンガンを押し付けたのは暁夜だった……多分、間違いない」


 宮崎と貴羽は呆れたように項垂れた。かなり嫌な相手が敵に回ったのを知り、げんなりしてる。

 暁夜は常に値段以上の上質な情報を仕入れてくれる代わりに、情報屋の中ではかなり自由奔放なきらいがあった。彼の気まぐれ一つで壊滅した極道や半グレもそれなりに居るらしい。

 もっとも、それらの情報も風評の域を出ていないが、彼なら平然とやりかねないのも事実だ。


「要するに暁夜が私達を潰そうとしてるワケ? マジふざけんなあいつ。ちょっと前まで普通に協力してたのに」


「それで、お前はどこまで吐いたんだ。三野塚」


 ずっと夜景を眺めていた岸風が、不意に議論に混ざった。声は冷たいが、そこに咎めるような意図はない。

 そして三野塚は、何を吐いたのかをありのままに喋った。

 AWAKEの真の効果、流通させている目的、そして、魔壁の野望。


「……それだけか?」


 ふと、今まで黙っていた白いスーツの男が、その重い口を開いた。

 途端に、ただでさえ息苦しいオフィスの空気がより閉塞感を増す。

 イタリアのブランドらしい白いスーツに、十万以上はするだろう黒革のビジネスシューズ、紫のシャツに青いネクタイに身を包んだ男は、その威圧感とは裏腹に、死体のように青白い肌をしていた。

 幽鬼の様相で三野塚を睨むこの男こそが、魔壁宗浩まかべむねひろ。ファングの幹部の一人にして、実質的に全てを取り仕切っている男だ。


「ああ」


 息を呑んで、三野塚は答えた。魔壁の目付きはまるで獣の牙のように、三野塚を捉えたまま離さない。

 やがて、魔壁は頬を僅かに吊り上げ、


「よくやった」


 と、三野塚から目線を外した。

 自分が冷や汗を掻いてることに、初めて三野塚は気がついた。一度肩の力を抜いて、深呼吸をした。

 魔壁の労いの真意は、三野塚には分かり切っていた。

 そもそも魔壁が政治家の後ろ盾で動いているなど、三野塚のでまかせである。三野塚は、もし拷問されるような目に遭っても、それだけは吐くなと釘を刺されていた。

 しかし苛烈な責を受け、心が摩耗しても尚口を割らなかったのは、魔壁への忠誠心からではない。

 結局のところ、三野塚は魔壁に逆らえないのだ。

 それは幹部だからとか、弱みを握られているからという次元ではない。魔壁という男には、そこに佇むだけで他人を屈服させるだけの何かがある。その白い相貌の裏で湧き上がるものを察せないほど、三野塚は鈍感ではない。

 だから、本当のことは喋れなかった。拷問の恐怖よりも、魔壁への恐怖の方が勝っただけの理屈だった。


「と、ともかく当面の課題は」


 魔壁が議論から降りたのを察した宮崎は、すぐに議題の舵を取り直した。


「十成綾我と犬飼氷実の二人を止めるのと、暁夜奏多の狙いを探ることだな。俺と岸風の方では……」


「あ、言っとくけど。もうこっちは犬飼とっ捕まえる為に浪川海砂なみかわみさを動かしたから。オメーらは下手に手出しすんじゃねえぞ」


 貴羽がそう言うと、宮崎は眉間を険しく寄せて食いかかった。魔壁の手前、自分が犬飼や十成を捕まえると公言して信頼を得たかったのを、急に横取りされた気分だった。


「お、おい貴羽! 何を勝手に動いてやがる!」


「テメーらがチンタラしてっからだろうがよ。こっちは薬の道を隠すのに命賭けてんだよ豚野郎」


「ガキのくせに調子づいた口利きやがって、てめえ……!」


「浪川一人で、犬飼をとっ捕まえるなんてできるのか?」


 議論に横槍を入れたのは岸風だった。相変わらず一人だけ座らずに、壁際に寄りかかっている。輪の中から独立した一匹狼のような佇まいだった。

 浪川海砂。『蛇』と呼ばれる何でも屋の片割れで、三野塚達音の相棒に当たる女性である。三野塚が雑務をやらされているのに対して、彼女は不穏分子の排除といった、実質的には専属ヒットマンとして動いていた。

 その彼女が、犬飼氷実という野良のチンピラ一人を捕らえる為だけに駆り出されるというのは、かなり大胆な判断とも言える。──もっとも、それは犬飼の実力を知らない者の発想だが。


「言われなくても、ファングのチンピラ共も何人か一緒だよ。特に血に飢えてる奴らを使った」


「そいつらは俺の手下だろうが! 貴羽、テメエ勝手に使いやがって!」


「文句はとっとと行動しない自分に言えよ。テメーの判断待ってるほど暇じゃねえんだよタコ」


 貴羽は相変わらずスマホの画面から目も離さずに罵倒し、宮崎の顔がみるみる気色ばむ。しかし、ここでこれ以上彼女に詰め寄っても、魔壁の中での自分の印象が悪くなるだけだろうと打算したのか、宮崎は舌打ちをして引き退った。


「わかったよ。今度からは、俺の連中を使いたきゃ一言いいな」


「わかってるっつーの、くっせえ口閉じろ……ん?」


 急に貴羽はスマホの画面に釘付けになった。デイリーミッションと素材周回をスタミナ限界までこなし、惰性で無料十連ガチャを引いたところ、画面に映った扉が一瞬金色に光った。星四以上確定演出である。


「きた! ねえきた! マジで、これマジで入ってるって!」


 年相応な無邪気さではしゃぐ声が耳障りで、宮崎は不快そうに目を閉じた。

 貴羽は興奮で息を荒げながら、ガチャ結果を見届ける。丁度五連目で、星五の武器が画面いっぱいに表示された。今しか手に入らない限定アイテムらしい。


「ッッシャアアアやったああああ!!」


 勢いよく立ち上がり、勝利のガッツポーズを見せつける。無邪気に笑いながら岸風や宮崎に「凄くない!? 無料で当てたの初めてなんだけど!」と自慢してくる。常に苛々しているかと思えば、すぐ上機嫌になる彼女の躁鬱気質には、二人ともげんなりしていた。


「それで……暁夜の尻尾は掴めたのか?」


 ふと、楽し気に振る舞っていた貴羽の顔が、表情を失った。

 地を這うような声で、再び魔壁が議論の舞台へと登壇したのだ。

 貴羽は椅子に戻って、スマホを着ている部屋着の裾にしまった。魔壁の前となると、流石の彼女も牙を抜かれたようになる。


「それは、その……あんま成果が出てないっていうか。連絡も取れないんで」


 暁夜の番号は解約済みだった。それ以外にも暁夜を呼ぶ手段は幾つかある。街に暗号を残すか、彼の行きつけの店に連絡を入れるか。その他諸々も試したが、全ては空振りだった。

 そもそも、情報屋という危うい立場にいる人間なのだ。一度雲隠れすれば、足跡は掴めそうもない。

 魔壁は掌を机の上で組んだまま、熟考している。薄暗い蛍光灯に照らされる顔は、石の彫刻のように無機質だった。誰も彼の思考を遮らないよう、口を閉ざしていた。

 少し経って、魔壁は貴羽に目をやった。その眼力に、彼女の肩が僅かに硬直した。


「十成を追えば、暁夜は必ず現れる。それまでは新宿、池袋、渋谷で暁夜の隠れ家を探れ……そして見つけても、しばらく泳がせろ。あの情報屋は他にも駒を持っているかもしれん。それもまとめて暴く」


「他の駒って、十成以外にも、って意味ですかい?」


 分かりきったようなことを、宮崎はしどろもどろに訊ねた。魔壁は静かに首肯して、


「……俺の周りを嗅ぎ回っている気配が、まだ幾つかある。俺が暁夜ならば、それらの駒で一斉に攻めたりはしない。周囲に堅陣を敷き、少しずつ首を絞めるようにして、ファングを滅ぼす」


 魔壁の言葉に、全員が押し黙った。魔壁の声はは決して低くはないが、心の隙間に風を吹かすような怖さがある。そしてその声で警告されれば、誰でもぎくりとしてしまうのだ。

 魔壁は全員の顔色を確かめると、気紛れに席を立った。


「まずは犬飼を捕まえる。浪川海砂は、できるだけ単独行動させろ。身柄を抑えた後、それを使って十成綾我と交渉する……岸風」


 呼ばれて、岸風は三白眼で魔壁を睨み返した。僅かに怯えの色はあるが、矜持を持った眼光だった。


「抑えた後の犬飼の処遇は、貴様に任せる……やれるか」


 岸風は目を逸らしたい欲求を必死に堪えながら、首肯した。すると魔壁が一拍置くように溜息を吐いて、


「やれるか……と言っている。俺の言葉はわかるな」


 岸風は、背筋に蛇が蠢動するのを感じた。

 自分は、組織への忠誠心を試されていると悟った。ここにきて曖昧な返事をするのを、この男は許しはしない。

 岸風は踏ん切りをつけるように息を呑む。その三白眼を揺らしながらも、魔壁に向き合い、その試練といかけに応じた。


「はい。俺がやってみせます」


 それでも魔壁にとっては心許なかったのか、頬を不服そうに歪めた。

 だが、ここでそれ以上追い詰めることもなく、背を向けた。


「……用心することだ、岸風誦」


 魔壁は朧げな背中で、オフィスを後にした。部屋の中を厳粛に見張っていた空気が、弾むように弛んだ。まるで最初からここに魔壁は存在しなかったかのような、不思議な実感があった。

 溜息のような深呼吸をする。岸風は、自分の呼吸が半ば止まっていたのに初めて気がついた。

 しかし未だ岸風の心には、どこまでも続く樹海のような、懊悩の迷路が広がっていた。

 ファングという組織に情がないと言われたら、それは嘘である。しかし今のファングを好きでいられるかどうかは、岸風にはわからない。

 自分は、腹を括って戦うべきか。だとしたら、それは誰なのか。

 結局その日、その答えが出ることはなかった。

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