今日も眠れない
「あーあ。やっちゃったね綾我ちゃん。僕、依頼人に謝らなきゃいけないの、今から億劫なんだけどさ」
「……不満をぶつけたいなら鏡の前でやってくれない? そもそも場所を決めたのは暁夜だったと思うけど」
「えー、僕だってバレるなんて微塵も思ってなかったんだもーん。しくしく」
愛らしく嘘泣きを駆使してご機嫌を取ろうとする暁夜だが、十成にとっては苛立ちを加速させるだけだった。
十成と暁夜は、池袋の隣人倶楽部に戻っていた。犬飼はいつまでも豪を煮やしたままだったので、即刻家に帰した。帰り道の途中、何度も怒鳴り上げていたので、十成としても邪魔だった。
依頼は、半分失敗だった。
ライトバンに乗ってやってきたのは政治家の手駒ではなく、ファングの構成員だった。彼らは十成達を急襲し、そのドンパチに乗じて他の構成員が三野塚の身柄を回収して、そのまま撤退した。彼らの耳にはメンバーの象徴である牙の形をしたピアスがぶら下がっていたのを、十成は今更になって思い出した。
何故ファングに倉庫の場所まで割れていたのかは、未だに原因不明である。暁夜が情報を流したのかとも思ったが、そこまで不義理ではない……と信じたい。
「まぁいいじゃんいいじゃん。なんか全員無傷で生き残れたし。ていうか綾我ちゃんはなんで普通に生きてるの? 僕はひーちゃんが護ってくれたけど」
まるで他人事みたいに暁夜は訊ねてくる。ひーちゃんとは犬飼の呼び名で、下の名前の
「僕? ああ、別に大した芸じゃないよ」
十成は身にまとった革ジャンを一度、バサリと両手ではためかせた。すると革ジャンの裾のから、まだ焦げ臭い鉛玉が床に落下した。
どこからともなく現れた銃弾に、暁夜は驚いて「おー」と軽く拍手していた。
「
NEIGHBORは池袋の街中ならどんな物体にでも適応できるが、反面、街の外だと使えなくなってしまう。その弱点を埋める為に、十成は街の外に出る際は必ず革ジャンを着込んでいる。
十成の革ジャンの中には、NEIGHBORを応用したいくつもの仕掛けがある。そのうちの一つに、革ジャンに触れた物質を、NEIGHBORの能力で問答無用で潜らせるというものである。生きている物質(例えば、人間の拳や蹴り)には通用しないが、飛んできた銃弾ぐらいなら、能力発動中は触れるだけで簡単に革ジャンの中に潜らせることができる。
もっとも、これが完全な不意打ちだったら話は別である。例えばさっきのように、歩いている最中に突然脇腹を刺されてしまうと、咄嗟に反応して能力を発動できない。
「たまーに思うけどさ、綾我ちゃんの能力ってチートじゃない? 池袋の建物全部出入り自由だしさ、銃弾も刃物も呑み込む無敵の革ジャン付きでしょ? これのどこに弱点あんのって感じ」
「頭か下半身を撃たれたら流石に死ぬよ。あの時は胴体しか狙われてなかったのがラッキーだっただけ」
「またまたご謙遜を」
暁夜は十成がくれたコーヒーを飲みながら、殺風景な事務所を無邪気に物色する。入り口にアロマを焚き、レコードプレイヤーから流れるボサノバのお陰で穏和な空気感があるが、それは単なる演出でしかない。
見る人が見れば、この事務所のオーナーは相当に無欲な人間であるとわかるだろう。探偵事務所として必要なものは卒なく揃っているが、そこには人の営みには必ず存在する一定の余分がない。
無趣味とか潔癖とかではない、必要最低限の淡白な部屋。それを眺めながら、暁夜は十成に質問した。
「綾我ちゃんさ、いつまで昔を引き摺ってるつもりなの? いいじゃん、あんなの。綾我ちゃんは自分が殺したって勘違いしてるのかもしれないけどさ、ちゃんと無罪判決受けたんだから気にしない方がいいよ?」
十成のコーヒーを飲む手が、一時停止した。
ほとほと無神経な慰めに、胸中に猛烈な不快感が湧いてくる。声色にそれが出るのを抑え込んで、十成は振り返った。
「簡単に言ってくれるね、ホント」
それでも、言葉に棘が残っているのを、十成は感じた。
十成の返答を聞いた暁夜の頬が、一気に吊り上がった。
「お、やっぱ良い顔するじゃん綾我ちゃん。ねえねえ、差し支えなければ今の気持ちを教えて欲しいんだけど……」
「帰りたいならどうぞ出入口が空いてるけど?」
こめかみが怒りに力むのを、十成は我慢する。暁夜が人の心の最もデリケートな場所を刺激して遊ぶ癖があるのは、いつものことだ。
暁夜もこれ以上彼をからかうのは限度があると踏んだのだろう。「うぇ〜、張り合いないなぁ全く」と項垂れながら、暁夜はてくてくと出入口まで足を運ぶ。
「そうそう、成功報酬は最初の話通り、半分ね。あ、それと……」
「ほら、とっとと帰った」
肩を押して無理矢理部屋から押し出そうとする十成に、暁夜はその華奢な肉体で抵抗する。
そして、部屋に対して抱いていたもう一つ疑問を十成にぶつけた。
「──綾我ちゃん、本当は生きたいの?」
十成の腕が、一瞬だけ止まった──とおもうと、そのまま彼は事務所の外へと突き飛ばされ、鍵をかけられる。形としては、十成に閉め出されたという状態だ。
十成の顔色が変わったのかどうか、暁夜は確認できなかった。それがかなり不服だったようで、舌を出して残念そうな顔をする。
「ちぇっ、リアクション見たかったのに……けど、なんかわかる気がするな。あの人が綾我ちゃんをすぐに殺さない理由」
時計の針が十二を通り過ぎても、夜の池袋はまだまだかき入れ時だった。ロマンス通りや西一番街のバー、飲み屋はまだ仕事盛りの男達でごった返しており、東口駅前の広場に出ると夜遊びに繰り出している男女が多くいた。
深夜までやっているハンバーガーショップで、十成は遅めの夕食を摂りながら街を見下ろしていた。
人間が、掃いて捨てるほどに街を埋め尽くしている。少し遠くに目線を向ければ、ネオンの厚化粧をまとった繁華街がみえる。
どれだけ美味いご飯を頬張っても、脳裏から暁夜の言葉が離れることはなかった。
綾我ちゃんは自分が殺したって勘違いしてるのかもしれないけどさ、ちゃんと無罪判決受けたんだから気にしない方がいいよ?
綾我ちゃん、本当は生きたいの?
生きたい。
一度死にかけ、同時に初めて人を殺したあの日から、十成はそんな願いを懐いたことなど一瞬もなかった。
だが、それは自分が勝手にそう思い込んでいるだけなのか。
ふと、三野塚の顔を思い出した。今日十成がみてきた人間の中で、最も生きたがっていた人間。そして、実際に生き延びた人間。
三野塚にあって、自分になかったもの。それは生への執着なのだろうか。
「……馬鹿馬鹿しい」
考えながらどんどん理屈がこんがらがってきて、十成は思考を放棄した。人工的なビーフの味が、鼻奥まで沁み渡る。
「別に生きてなきゃいけない訳じゃない。どうせ僕には、死ぬ権利だってない」
小さく独り言をこぼしても、それに聞き耳を立てる者はいない。池袋に限らず、日本人は隣に座る人間にさえ無関心だ。自分も、相変わらず隣人には優しくできない。
自嘲しながら、十成は栄養摂取の為だけに、ハンバーガーに齧り付いた。
今日も、長く眠れそうにはない。
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