心の壊し方


 目が醒めると、一帯を闇が覆い尽くしていた。

 口が息苦しい。焦りを押さえながら、鼻で酸素を吸い込む。頬を撫ぜるような小さいざらつき。ファストフードの香り。

 現実がよくわからない。まだ寝ぼけた脳が事実を誤認してるだけなのか。そう思い込み続けた。


「朝だぞー、ねぼ助!」


 声と同時、全身を冷たい水が襲いかかってきた。濡れて肌にひっついてきた紙袋が、更に呼吸を困難にする。必死で鼻呼吸をすると、その紙袋も脱がされた。

 両手脚は、結束バンドの束で椅子に固定されていた。開けた視界の真ん中には、探偵の十成綾我となりりょうが犬飼氷実いぬかいひさね

 そこで──は、ようやくことの顛末を思い出した。

 仲間の一人がドラッグをなくして、来た道を戻った。そうしたら、殺した筈の十成が、どうしてか生きていた。BENDYベンディで戦ったが、そのまま意識を失い、今に至る。


「お前ら……なんだよこれ。どうなってんだよ」


「どうなってんのか、これからどうなんのか。そんなの君自身よくわかってるだろ。三野塚達音」


 十成の冷淡な警告が、三野塚の肝を冷やした。殴られる寸前、声の底に途方もない闇のようなものを感じたのを、三野塚は思い出した。

 言葉の真意はわかる。自分は今から拷問を受けるのだろう。

 だが、十成がどこまでやる気なのか、一切の見極めがつかない。殺すところまでやりそうだし、そこまでは行かないかもしれない。生き残れるか、死ぬのか。その間にある闇を推し量れないのが、余計な恐怖心を煽った。

 ふと、後ろにいた犬飼は何気なく質問した。


「おい、テメエなんでもいいからポケモン言ってみろ」


「は?」


 腹が探れない以上、その質問の意図も掴めない。単なる雑談なのか揺さぶりなのか。

 否、本能では理解しているが、心がソレを拒んでいた。その意味を受け入れられるほどの器量は、三野塚にはない。


「何でもいいから早く言えよ、好きなポケモンだよ」


 口をきっと結び、沈黙の意を貫いた。余計な口を開くと、何を吐くか自分でもわからない。犬飼が「十、九、八……」と秒読みをしても、言葉は出さなかった。


「ゼロ。じゃ、とりあえずピカチュウな」


 途端、全身が爆けるような衝撃が走った。

 数秒の間、意識が宙を飛んでいたような気がすると、すぐに正気に戻った。衝撃に遅れて、痙攣と激痛が神経を襲った。喉がゼエゼエと音を鳴らしている。自分が叫んでいたことにも気づかなかった。


「お前の能力に合わせて、血の出ない拷問方法選んでやったんだから感謝しろよ。ホラホラ、痛いの嫌ならとっとと吐けよ」


 いつの間にか背後にいる犬飼が、背筋にスタンガンを押しつけてくる。明らかに法外な電圧のソレが背筋を襲うたび、全身が自分のものじゃないように弾み、全ての感覚が奪われる。暑いとか、痛いとかいう問題ではない。何度もやられる毎に、少しずつ心の壁が剥がされていく。


「──ッハァ、ハァア、ァァ……!? やめ、やめろ。やめてくれ!」


「んだよ、もう壊れんのか? 最近のおもちゃは乱暴な扱いNGってか。なぁ、おい」


「やめろっつってんだよ、ふざけんなクソが! 離せよ、こっから出せこの野郎!」


 にわかに三野塚の脳に血が巡ってきた。いつもそうだ。ファングから外注の仕事が来たかと思えば、やらされるのは下働きの汚れ仕事。それでも我慢してきたが、ここまでの貧乏くじを引かされては、怒りの一つや二つも湧く。

 叫びが虚しく反響する。それでようやくここが倉庫だとわかった。闇に目が慣れると、周囲に様々な道具が散乱しているのがわかった。


「出たいなら構わないよ。条件付きだけど」


「知ってる事全部吐けってか? お前らだってわかってんだろ、俺は何も知らねえよ! 俺はただ下働きさせられてるだけで……」


「お前はファングの幹部が直接雇った傭兵だ。何も知らされていないなんて理屈は通らない。このドラッグの製造元も、作ってる目的も聞いた筈だ」


 十成は銀色の小さな袋を至近距離で見せつけた。AWAKEアウェイクという名前で、袋裏面には吸入の仕方が書いてあった。具体的な成分表示や適量などは、規制を避ける為に書かれていない。


「AWAKE……今、池袋のストリートじゃ一番危険なクスリなのは知ってるね。だったら、これを吸って人が死んでいるって事実も知ってるだろ」


 問い詰める十成に、あくまで三野塚はやかましく吠えた。弱みは、少しでも見せてはいけない。


「そんなの買った奴の自己責任だろうが。俺らだって誰にでも売ってる訳じゃない」


「つまり選ばれた顧客にしか売らないんだな。その基準は?」


「俺が知るかってんだ、俺は運んでるだけ──


 続く言葉は、電撃によって遮られた。背筋が大袈裟に痙攣し、全身が焼けつくような痛みに見舞われる。

 また気を失っていたのか、先刻にもまして水浸しだった。潮っぽい水の香りを鼻に感じながら、三野塚は十成と向き合った。


「潮水とインクはよく電気を通すらしいけど、どうする? そろそろ吐く?」


「俺は……本当に知らねえ。頼むよ。なんで俺がこんな目に遭わなきゃなんねえんだよ。俺はただの雇われで、何も知らされてねえんだ。頼む、頼むから……」


 三野塚は両眼に涙を湛えながら、必死に助けを乞うた。

 犬飼がもう一度スタンガンを三野塚に近づけるが、十成はそれを止めさせる。十成は顎に手をやりながら、どうやってこの硬い口を割ろうか黙考している。

 永い沈黙が、三人の間を横たわる。拷問はやられる側よりもやる側の方が精神を試されるという言葉を、十成は聞いたことがあった。

 自分は今、三野塚に試されている。そう、強く自戒した。


「ちょっと休憩。犬飼、休んでいいよ」


「は? オイ勘弁しろよ十成。俺にとっちゃこれが休憩なんだが?」


「休憩は休憩。ほらそれ置きな」


 犬飼は舌打ちしてスタンガンをポイ捨てする。二人は三野塚に背中を向けて、倉庫の外にある自販機に向かった。

 それを見届けて、三野塚は冷たい笑みを浮かべた。


BENDYベンディ、やれ」


 小声で呟くと、頬を伝う涙が漆黒に変色した。

 BENDYは、体外に出た体液を黒いインクへと変え、自在に操る能力。そしてそれは何も血だけではない。尿や汗、涙でさえも例外ではないのだ。

 三野塚は黒い涙を操り、鋭く尖らせる。それを脚まで移動させ、結束バンドを断ち切ろうとした。十成達に立ち向かうよりも、今は逃げるのが先決だ。

 だが──インクがバンドへと到達する直前、


「────があああああああああッッ!?」


 三度目の電撃が、三野塚の愚行を諌めた。

 今度は単なる電撃ではない。身体を覆った潮水のせいで、その衝撃は数倍にも跳ね上がっていた。異常な電気ショックが、三野塚の心身を真っ向から破壊しにきた。

 筋肉は絶叫するように弛緩し、暴れている。十成が背を向けて油断していた心の隙間に、そのショックは容赦なく入り込み、三野塚を心底までズタズタに引き裂く。

 僅かに残っていた三野塚の自尊心は、そこで音を立てて決壊したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る