追跡


 陽光よりもネオンの方が目立つ時間帯になると、十成は行動を開始した。

 まずは店の周辺に張り込み、従業員の出入り、その行き先を尾行しながら確認する。

 回りくどく裏路地を進むと、朽ちたアパートを一軒見つけた。ツタがのきを覆い尽くし、庭には雑草どころが林まで生い茂っている有り様である。中々の幽霊屋敷だが、半グレの隠れ家にはうってつけだった。

 どうして暁夜はそこまで教えてくれなかったのか──考えようとして、十成はやめた。ファングはファングで彼の顧客なのだろう。情報屋がコウモリ外交なのは、何も彼に限った話ではない。

 その他三、四軒の隠れ家を見つけて、今度はその周辺を犬飼と共に張り込んだ。が、流石にここから先は蟻の巣のように広がって掴めない。どれだけ近づこうと思っても、街の雑踏に擬態して消息を絶ってしまう。

 仕方がないので、十成はSimon⇆隠れ家の行き来だけに絞り、構成員を洗い出した。一週間もの間、何時間も夜風に吹かれて犬飼は不満気だったが、収穫はあった。

 ファングはSimonに品物を入荷させる際、時折三野塚を同伴させている。そしてそのときだけ、彼らは殊更に街に溶け込むように四方へ散らばる。

 異能と同時に行動しなければいけない。尚且つ、普段より注意を払わなければならない。その理由は、そう多く思い浮かばない。


「えーっと、要するによ。この隠キャと露出狂と不審者を悪魔合体させて一週間腐らせたみてーな見た目のヤツが動く日が“アタリ”ってワケだ」


 盗撮した三野塚の写真を前に散々な言いようだが、十成は頷いた。


「けどよ、問題はどうやってドラッグとバイヤーを押収するかだな。アイツの能力知ってる?」


「僕も知らないよ。暁夜にも聞いたけど」


「じゃどうすんだよ。無勢な上に初見殺しじゃん俺ら」


 頭に血の上りやすい犬飼にしては冷静な疑問だが、ごもっともだった。ここ数日の尾行でも、三野塚が能力を行使している姿は確認できなかった以上、真っ向勝負は悪手である。

 だからこそ、十成は相手に能力を使わせずに目的を達成する手段を考えていた。


「そんな無理に三野塚を倒さなくてもいいんだよ。運び屋は他にも何人もいる。そのうちの一人だけでも捕まえて、さっさとトンヅラすれば問題なし」


 提案すると、犬飼は不服そうな顔になる。


「は? そこは空気読んで真正面から殴り込めよお前」


「うん、話聞いてた? 逆になんでやろうと思ったんだよ」


「えーだってそんなん俺がつまんねーじゃん! 殴り合いやらせろ殴り合い!」


 突っ伏して子供のように駄々を捏ねる犬飼。深夜のバンの運転席で暴れる痩躯は、一見すると人畜無害な少年である。

 もっとも、彼がどうしようもない喧嘩魔だと知っている十成はため息を吐くしかないのだが。


「ハァ……わかった。それじゃあ捕まえるのは三野塚ね」


「え、いいの?」


「どうせ止めたって聞く耳持たないだろ、お前は」


「うん」


 犬飼は無邪気に首肯する。基本的にケンカ最優先で動く彼を御するには、こうするしかなかい。仕事の難易度は上がるが、犬飼が無秩序に暴れ出すよりはまだマシだった。




   ──────────◇◇◇──────────


 数日後。夜中の十一時。

 三野塚が隠れ家から出たという犬飼の報せを受けて、十成もトキワ通りのカフェから出た。

 十一月も後半に差し掛かり、肌寒さも増していたが、その晩は特に冷える北風が鎮んだ街を闊歩していた。今に思えば、これも予兆だったのだろうか。

 十成は黒い服に身を包みながら、周りの酔っ払いに擬態して視線を配る。斜め上に臨む雑居ビルの屋上では、犬飼がKOMBATコンバットで生成した氷の橋を渡っていた。音もなく夜空を渡り歩く姿は、童話のピーターパンに似てなくもない。

 それを確認すると、十成はイヤホンを耳に押し付ける。


「そっちから見えた?」


『ファングのガキが二、三……六人、最後尾に三野塚だな。うわーすっげ、上からだと一定の間隔で離れてんの丸見えだな』


 六人に三野塚。それは十成の目算と誤りはなかった。後は連中が店に入る前に一人捕まえて掻っ攫う。

 道をあちこち揺れながら、その瞳はしっかりと最後尾を歩く三野塚を捉えている。この為に少し酒を煽ったのが功を制していた。

 三野塚が少し奥に入りこみ、後に続く。居酒屋の看板が更に多くなる。相変わらず一定の距離は埋まらない。


「?」


 不意に、三野塚は脚を止めた。十成もそれに合わせて、千鳥足で壁に寄りかかった。

 三野塚は周囲を怪訝そうに窺っている。同族の気配を肌で感じ取ったのだろうかと、十成は横目で観察しながら思った。

 口を動かしながら、三野塚はこちらに向かってくる。他の部下に警戒を強めるよう連絡したのだろうか。十メートル以上離れていると会話の内容もわからない。


『十成、あいつお前に薄々勘付いてるぞ。チャンスだ、チューしろ』


「少し黙ってろ」


 三野塚は恐らく勘を頼りに向かってきてるので、こっちの位置は把握してないだろう。

 十成は、寄りかかったビルの壁に手を触れ──

 そのまま、壁の中を通り抜けるようにして、姿を消した。


「ん?」


 三野塚は、突然同族の臭いが途絶えたことに違和感を覚えたらしく、首をかしげた。

 さっきまで十成が居た場所を見渡しながら、腑に落ちなさそうに三野塚は路地の奥へと消えた。


『もーいいかい。まーだだよ』


「それマジでくだらないから黙っててくれる?」


『場を和ませる為だろーが、ったく。もーいーよ』


 十成は半ば本気で呆れながら、何もない壁の中から幽霊のように現れた。

 少し長い間物体の中に潜っていたせいか、少し目眩がする。眼前の景色に現実感を得るまでに、数秒を要した。

 NEIGHBORネイバーと、十成は呼んでいた。

 その手で触れた物体の内部に、そのまま潜り込むことができる能力で、これを応用すれば壁や柱の中にその身を隠したり、それらを幽霊のように擦り抜けられる。探偵にとってはこれ以上ない強みを備えた能力だが、池袋の街中、もしくは彼の私物でないと能力自体が使えない点と、潜っている間は全く外の様子が掴めない上に、呼吸もままならないところが玉に瑕である。

 三野塚はさっきよりも警戒が解けている。気のせいだと片付けたのだろう。十成には都合のいい展開になってきた。

 そのままの距離を保ちながら、十成は街の色に合わせて尾行した。池袋の街は通り一つ曲がるだけで、風情が大きく変わる。上着を脱いだり、歩き方を変えたり、臨機応変に工夫した。

 しかし歩き始めて数分、十成は心のどこかに引っ掛かるものを感じた。

 トキワ通りから裏に入って、Simonまではそこまで遠くない筈だが、時間が必要以上にかかっている。わざと迂回しているとしか思えない道筋だった。


「犬飼、これちょっと怪しくない?」


『ああ、さっきから他の六人も同じような場所グルグル回ってんな。多分気づいてないだけで怪しまれてるぞ』


「……わかってたんならなんで早く言わないんだよ」


『黙れっつったのテメーだろうが、バーカ』


 ちらりと斜め上を一瞥すると、犬飼がこちらに向けて中指を突き立てていた。なんとも可愛げのないピーターパンである。十成は聞こえよがしに舌打ちした。


『そんでどーするんだよ。このまま根比べするなら、俺もう帰りてえんだけど』


「そんなんしてたら朝が来るよ。それにアイツらの気分次第では、今日はこのまま現地解散しかねない。そうなったら今度は僕たちにも捕まえられないぐらい、厳重な警戒下で運ぶだろうね」


 探偵は、あくまで相手に勘付かれないことが命である。疑心をターゲットに与えてしまった時点で、もう次などない。ファングも少しでも疑問があれば、店を丸ごと撤退させるぐらいはする組織だ。

 つまり、今を逃せばもう二度と好機はない。

 十成は舌を巻いた。同族の臭いを嗅ぎ取っただけでここまでの周到さを見せるのは彼ぐらいだった。根がかなり臆病なのか、もしくは賢明かのどちらかだろう。

 その、強すぎる警戒心を逆手に取る方法はないかと模索し、十成は一つの結論を導き出した。

 三野塚達が、こっちが動くまで逃げるというなら、逆に自分から動けばいい。

 賭けにも等しい果断だが、やるしかない。


「ちょっと作戦変更。もう少しアイツらに近づいて様子を見る」


『あ? そんなんもっと怪しまれるに決まってんだろ?』


「今の時点で充分怪しまれてるよ、僕たち。その疑心を利用する。僕がわざとらしく接近すれば、あいつらの動きも乱れる筈だから、そこをついて──」


 続く言葉が、ぶつ切りにされた。

 腹の奥に冷気が染み渡る。徐々にそれは温もりを帯びて、十成の意識を紅く侵食していった。

 何故か脚が耐えきれず、膝が崩れ落ちる。

 耳に届く犬飼の怒号さえ、まるで自分に向けた言葉じゃないように聞こえる。

 左。

 左の脇腹。

 そこから垂れる血液を、十成は左手で受け止めていた。

 呼吸もままならない。振り返った三野塚の顔は、闇の中で輪郭だけが浮かんでいた。笑っている。勝利宣言の笑みだった。

 十成は誰もいない路地に背中を預けた。呼吸のたびに自我が溶けていく。生と死の境界を平均台のように渡り、身体が死の方へと傾いている。

 自分達でさえ見落としていた、もう一人のファングの構成員が、自分にナイフを刺した。気がついたのは刺された瞬間だった。

 それでも咄嗟にNEIGHBORを使って、彼の懐にあったドラッグ──『AWAKEアウェイク』とラベルに書かれたソレを手に入れることができた。作戦は辛くも成功したのだ。

 後は、あいつらを捕縛するだけ。

 他人事のように冷めた視点で、十成は今の状況を理解して、そのまま目を閉じた。

 死ぬのは、この世界じゃ珍しいことじゃない。それに、どうせ自分は今回も死ねないだろう。

 腹の奥がこわれる音。

 そこで、意識は消えた。

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