Chapter1-隣人-

始まりの依頼

『あなたの隣に隣人倶楽部! 相談・見積もり無料、浮気調査から家事のお手伝いまで、なんでもご相談下さい!』



 池袋駅の近隣でありながら、目白のように長閑のどかな西池袋二丁目。その閑静な住宅街の中に、隣人倶楽部のポスターは色褪せながらも佇んでいた。

 小さなビルの二階に構えられた、調査業と何でも屋を兼ねた事務所。これまでも近隣住民のトラブルを幾つか解決してきた成果もあってか、評判はぼちぼち。

 お盆の時期には墓掃除や地元の祭りの雑用などの依頼で引く手数多。秋になると商店街の掃き掃除や草むしり、他にも、何故か池袋の旅行ガイドの依頼もあったりする。

 そうした忙しい時期が過ぎ去って、隣人倶楽部にとっては特に厳しい冬に入ろうとしていた。


「あ〜、マ〜ジでだ〜れも来ねえ〜。十成、コーラある?」


「お前が買いに行けばいいじゃん。暇だろ?」


「嫌だよ外寒いし、めんどくせえ」


 来客ソファから一ミリも動こうとしない唯一の従業員に溜息を吐きながら、十成は冷蔵庫を開き、適当に缶コーヒーを投げつける。犬飼は「ウェイ」とだけ言ってそれを受け取り、すぐにがぶ飲みする。さっきコーラを飲みたいと言っていたのだが、もう忘れたらしい。

 十成は額縁に入れて飾った『探偵業届出証明書』の裏に溜まった埃を掃除していた。来客がない日が続くと、事務所の掃除ぐらいしかやる事がない(ちなみに犬飼はトイレ以外の掃除は全く手伝わない)。せめて調査依頼でも来れば、それで一週間は潰せるのだが。


「なんかねえのかよ依頼。俺もう退屈で死にそうなんだけど」


「だったらエアコンのフィルター掃除してくれると助かるんだけどさ」


「はいざんねぇ〜ん、給料の発生しないお掃除はしませ〜ん」


「クビね」


「やります」


 姿勢良く起立すると、犬飼はキャタツを取りに押し入れの中へと行方を眩ませた。

 その様子を見届けた十成は胸を撫で下ろしながら、かつて埃まみれだった額縁を再び飾り直す。この証明書がないと、そもそも探偵業を営めない。

 後はトイレの掃除か、と考えながら時計を見やると、既に午後一時を過ぎていた。絶賛開店休業中とはいえ、そろそろ昼休憩を済ませておいた方がいいだろう。空腹のぼんやりとした頭では、草むしりすら億劫になる。

 そう考えて、出入口に身体を向ける。

 ポケットのスマホが震えたのは、丁度そんなタイミングだった。

 十成はぼんやりとした気分のまま、傷んだジーンズの尻ポケットからそれを引っこ抜き、耳元に当てる。


「こんにちは、隣人倶楽部です。ただいま電話に出ることが出来ま──


『やっほ、綾我ちゃん。のお仕事来たよん』


 その能天気な声が、十成の脳を否応なく目醒めさせた。

 番号を確認する。非通知設定。大体この番号からかかってくるのは怪しい詐欺電話かこの情報屋の二通りしかない。

 そしてそれが意味するのは──これが異能絡みの依頼という事だ。


「どこで待ち合わせる?」


『ロマンス通りのマーシー、奥の個室で予約してあるから。なんか飲む?』


「要らないよ。すぐに向かう」


 十成は考えるよりも先に行動していた。ハンガーにかかった革ジャンを羽織り、帽子を目深く被り、伊達眼鏡をかける。

 これは単に変装しているだけではない。帽子や眼鏡一つ外すだけでも、見た目の印象は大幅に変わる。人混みを歩きながらアクセサリーの着脱をすれば彼を尾行つける者を混乱させられる。そのまま撒くのも難しくはない。

 要するに、これは他者に悟られてはいけない部外秘の依頼。

 『異能絡みの事件を解決するトラブルシューター』という、隣人倶楽部のもう一つの本業である。






 人混みを選び、道を迂回したりを繰り返しながら、十成は『mercy』と筆記体で書かれた店名まで辿り着いた。

 入店すると小洒落たチャイムが鳴り響き、エスニックな店内のムードを支えるジャズのBGMが緩やかに流れている。周囲にいる若い客は寡黙にウイスキーを堪能している。この辺の飲み屋にしては珍しく、客の民度がとても良いと評判だ。

 尤も、この店の裏の顔を知っている十成からすれば、それにすら薄気味悪さを覚えるのだが。


「いらっしゃい、何にする?」


 店の奥のカウンターを通りすぎると、丁度グラス磨いていたマスターが声をかけてきた。身長と体格が普通の男性より一回り以上大きく、隆々たる筋肉の稜線りょうせんがバーテンダー服の下からも主張している。まだ三十代というが、頭髪は早くも白が半数を占め、彼の激務を連想させてしまう。

 十成はカウンターに腰掛けず、立ったままマスターに答えた。


「バランタイン、まだ残ってる?」


 マスターは刹那、目を細めた。


「悪いね、切らしてる。代わりに何がいい、十成君?」


「ディアブロ、十五年で」


 マスターはその意味を理解し、含み笑いで十成を一瞥した。

 彼に無言で促されるまま、十成はトイレに続く廊下の突き当たりにあるバックヤードまで案内され、階段を降りる。

 長い階段は途中から赤い灯りしかない闇へと姿を変え、踏み締める足音が耳に喧しい。

 階段を降り切り、突き当たりの真っ赤な扉を開く。瞬間、激しいスモークと香水を混ぜた異臭が、十成を頭から呑み込んだ。

 下品な音響で流れる下品なダンスミュージック。それに合わせてステージで腰をくねらせ、ストリッパーが艶を振りまいている。それを眺めながら、脂ぎった男達が大枚を叩いている。

 迫り上がる不愉快に気を立たせながら、十成は早歩きで店の奥にあるVIPルームに辿り着く。開いているドアを覗くと、既に待ち人はいた。


「お疲れー綾我ちゃん。ハハッ、相変わらずクソみたいな面構え」


 電話で十成を呼んだ情報屋──暁夜あけよ奏多かなたが、無邪気な声色で開口一番に暴言を吐く。

 黄と緑のグラデーション鮮やかな前下がりマッシュ。中性的な顔立ち。灰色のパーカーと黒いパンツはどちらもぶかぶかだが、線の細い体格なのは間違いない。


「遅すぎー、時間十分も経ってるし」


「そりゃ迂回してたらこの時間にもなるよ。んで、仕事って何」


 年齢、性別共に不詳の彼(便宜上、暁夜を彼と呼んでいる)の軽口をかわしながら、十成は適当な丸椅子に座り、本題を切り出した。暁夜は一番いいソファで寝っ転がりながら飴をしゃぶっている。

 机に放り投げたのは、一人の男の写真だった。テレビでも観たことのある若手の国会議員だった。


「ターゲットはこいつにクスリを売ってる半グレ組織の『ファング』ってヤツら。連中が最近池袋に出没してるのはわかってるから、居場所を特定してヤツらのメンバーを拉致って、なんでドラッグを流してるのか聴き出して欲しいんだけど、どう? 行けそう?」


「……あのさ、もうちょっと具体的に頼むよ。どのエリアに出没してるとかさ」


「なんだよ、ガッついちゃって、みっともないぞ綾我ちゃん?」


 文句を言いながら、暁夜は地図アプリを開き、十成の横に移動する。鼻先にかすむ体臭が妙に色っぽい。


「僕も全部把握してる訳じゃないんだけど、最近ファングのメンバーが頻繁に出入りしているのは、トキワ通りの裏にある『Simonサイモン』って名前の雑貨ショップ──ていうかヤク売り場。ちょくちょく場所変えるから追うのめんどくさいんだよね」


 ファング。池袋を根城にして活動している半グレのグループの総称である。

 と言っても十成は、半グレという言葉の定義もよく知らない。知り合いのルポライター曰く、暴対法によるヤクザの衰退とともにその頭角を表した反社会グループらしい。

 その構成員は十代〜二十代が多く、彼らは安価なドラッグの売買や特殊詐欺で小銭を儲けている。ドラッグの密売に関しては近年の麻薬の包括規制などが大きな向かい風となり、このような小売店は減少しているが、例外的にファングだけはその勢力を拡大していた。


「随分キナ臭くなったね、ファングも。犬飼が居た頃ってもっとマシだったの?」


「うん、数年前までは可愛げのあるヤンキーだったのにね。今じゃヤクザ顔負けの犯罪集団ってワケ。おっかねえおっかねえ」


 ひえ〜、と慄くような仕草をしながら、暁夜はソファに戻って転がる。それだけの情報網を得ている彼も恐ろしさでは同等かそれ以上なのだが、十成はつっこまない。一介の便利屋である自分が考えるものでもないと思ったのだ。


「それで、僕が呼ばれたってことは異能が敵に混ざってるって事?」


「お、ご明察。運び屋チームの中に二人、異能がいるんだよね。この二人」


 暁夜はまた戻ってくる。いちいち忙しいなと十成は思った。スマホの画面をいじりながら、暁夜は二人の写真を見せた。

 片方はニット帽を被った金髪の少年で、見るからに人の悪い目付きをしている。もう片方は凛とした目鼻立ちのツインテールの少女で、ぱっと見ただの女子高生にしか見えない。だが、眼孔に灯るくらい光が不気味な女だった。間違いなく男より実力は上だろう。


「巷じゃ『蛇』って名前で通ってる二人組の何でも屋。ま、綾我ちゃんと違って暗殺や死体遺棄までやるガチの屋だけど。今はファングに雇われて、ドラッグの流通経路を守っているみたいだね」


「いつも二人で行動してる?」


「それは自分で調べてにゃん。まあいつもどっちか片方は輸送についてるって思った方がいいかな」


 大体の情報をまとめて、脳内で整頓する。

 相手はドラッグの密売グループ。店にドラッグを運ぶのにも一工夫するだろう。例えば普通の雑貨は車で輸送して、ドラッグは全く別のルートから運ぶ。最も考えられるのは、通りに人の多い時間帯に群衆に紛れて運ぶことだった。街の雰囲気に馴染むのは、地元のカラーギャングが母体である彼らには容易いだろう。

 一先ず、彼らがどのようなルートで輸送しているのか。それを長くても一週間かけて密偵する必要がある。

 実際の探偵のお手並みは、小説や映画ほど鮮やかじゃない。砂利を数えるように地道だが、やるしかなかった。

 忙殺されていた方が、マシだった。

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