不意打ち

 三野塚みのづか達音たつねは焦っていた。

 そもそも、簡単な仕事の筈だった。AWAKEアウェイクを指定の場所まで運び、そのまま現地解散するだけの簡単な仕事。組織の中でも下っ端のやる雑用を任されたのは不服だが、自分は外様である以上、文句は言えなかった。

 しかし、ずっと心奥で、の気配を感じていた。自分と同じ異能が、すぐ近くにいる。そしてその気配は音もなくこっちを捉えている。そう本能が警鐘を鳴らしていた。

 それでも動揺はしなかった。辛抱し、相手が堪えかねたタイミングで仲間に不意打ちさせればいい。実際にそれは成功し、追ってきた探偵は下っ端が始末した。こんな深夜の路地裏で、死体の発見者なんて現れる筈もない。

 しかし、肝心の刺した本人のポケットに忍ばせていたAWAKEが紛失してからは状況が一変した。

 あの薬は外部に持ち出すなと強く釘を刺されていた。それを奪われたとあっては、どんな責めを受けるが分かったもんじゃない。


「クソッ……クソ、クソ、畜生! どこやったのか覚えてねえのかよテメエは!」


「し、知らないですよ……ちゃんと落ちないところにしまったのに、なんで」


「お前が知らねえのに俺が知るか、いいからとっとと探せ! まだ雑草とか溝のとこに落ちてるかもしんねえだろ!」


 三野塚は吠えながら、必死になって探している。自分の能力を使って探すという冷静な判断すらできないのだから、その切羽詰まり方は尋常じゃない。

 深夜の路地裏は、大通りの喧騒とは雰囲気を異にしていた。遠くに聞こえる酩酊に便乗して馬鹿騒ぎする群衆の声が、今の三野塚には耳障りだった。


「クソ、ここにもない……ああもう何処だよマジで!」


 地べたを這いつくばり、三野塚は悪臭のする側溝を電灯で照らしながら、更に狭い曲がり角を過り、



 重い一撃が、彼の思考を遮った。



「────ん、ぐッ!?」


 全身が地面へと引き寄せられる。痛みで景色が明滅して、何が起きているのか分からなかった。

 そして鼻から垂れ下がる温かい液体が、ようやく彼に現実を思い知らせた。

 不意打ちを受けた。しかも揺らぐ視野の中にいるのは、犬飼氷実とかいう探偵の駒と──さっき殺したばかりの探偵、十成綾我だった。


「奇遇だなクソ野郎。一日に二回も会うなんてよ」


 血がベットリとこべりついたサッカーボール大の氷塊を持ちながら、犬飼が見下ろす。奴は氷を生成する能力か、と判断してる間に、もう一撃叩き込まれる。今度は脇腹だった。


「いやー、一日に二度も出会うってなんか運命感じちゃうよな。なぁ、俺らいい縁があると思うんだけどさぁ、そこんとこどうかなぁ三野塚クンよぉ!!」


 三野塚は痛みに堪えながら、意識だけは手放すまいと五感をフル稼働させていた。視界の外で仲間の喚き声が聞こえると、すぐにそれは消えた。十成が片っ端からシメたのだろう。

 これで残るのは自分一人。増援なんて期待できそうもない、八方塞がりの状況。さっきまでの順調さが嘘のような窮地。

 しかし、いっそ清々しいまでの不条理に、三野塚は一周回って落ち着いていた。窮鼠猫を噛むという諺の意味を、今、彼は心で理解する。

 ならばこそ、考えるべき事柄はひとつしかない。

 どうすれば、この二人をここで殺せるかだけだ。


「そろそろやめな犬飼。死ぬよ、こいつ」


「死ぬ訳ねえだろバーカ。俺はちゃんと加減して……」


「イライラしてるのはわかったから、さっさとバン持ってきてくれ。後で幾らでも蹴らせてあげるから」


 十成が彼の肩を強めに掴むと、犬飼は軽く舌打ちし、名残惜しそうに脚を退けた。その手慣れた様が狂犬を飼い慣らす猛獣使いみたいで、三野塚は苦笑した。

 血は鼻だけでなく口からも出ている。蹴られて内臓が割れたとかではなく、ただ口内を切っただけだが、それでも血は出てる。──それでいい。と、心の中で呟く。


「別に死んでなきゃいいんだろ? そんなカリカリすんなよ、ったく」


 とっくに動けなくなったとたかを括って、犬飼は三野塚に完全に背を向けた。

 うずくまっていた三野塚は、その顔にほんの一瞬、冷酷な笑みを浮かべる。

 そして小さく呟いた。


「やれ、BENDYベンディ


 普段から汚れ仕事に慣れているが故なのか。犬飼は無防備に背を晒したままだった。

 次の瞬間、三野塚の鼻から垂れた血液が、

 血が変化した黒液インク。それがしなる鞭のような軌道を描くと、ゆっくりと二人へ迫る。

 その殺気が、すぐ真上まで迫った瞬間だった。


「犬飼!」


 間一髪でそれを察知した十成が、犬飼の肩を突き飛ばす。その二人の間を、風切り音を伴う斬撃が走る。

 極限まで圧縮された鞭状の液体が地面に叩きつけられ、コンクリートに細長い線を刻んだ。


「フッヒヒヒヒ……惜しいなぁ、もう少しで首を落とせたってのに」


 よろけながら立ち上がった三野塚は、止めどなく溢れ出る鼻血──否、黒い液体を右手に受け止める。

 三野塚は手に溜まったインクを宙に放り投げる。本来ならそのまま重力に負けて散らばる筈のインクは、魚のような軌跡を描いて空中を泳いでいた。全長二メートル以上にも達する巨大なインクの塊が、蛇が巻きつくように三野塚の周囲を巡っている。


「けど、もう勝負はこっちのもんだ。まとめて刺し殺せ、BENDY!」





 、それが裏社会での彼らの通称である。

 読んで字の如く、彼らは自らの意思の力を、そのまま超常現象として発現させる能力を持つ。

 能力は千差万別。糸世のDEATHデスのように死んだ人間の魂を無理矢理肉体に定着させて生き返らせる能力もあれば、三野塚のBENDYベンディのような凶暴なものもある。

 見た限りでは、三野塚のは血液を黒いインクにして、自由に操作するという能力なのだろうか。十成が分析している最中、その巨大なインクの群れは収縮し、小さな球と化す。


「犬飼!」


「お、おう!?」


 インクが圧縮されているのを見て、何が起きるのか判断した十成は、咄嗟に後方へと下がる。


「遅え!」


 だが、黒球の爆発が二人の逃避に先んじた。

 ドブン、と鈍い破裂音が轟く。次の瞬間、飛び散った飛沫は棘へと姿を変えた。

 壁際に追い詰められ、二人は凶器の雨を真正面から浴びる形となった。


「──ッ!」


 狙いが甘かったのが不幸中の幸いだった。細かい棘は腕でガードして、それ以外も紙一重で避けるか、当たってもかすり傷だった。過去には銃撃戦にも巻き込まれたことがあるが、その経験も活きた。

 無論、それで済むほど現実は甘くはない。


「……ッ、やられたね、こりゃ」


 不敵に笑いながら、十成は地に膝をついた。

 左の脛と左脇腹が裂け、血が滴り落ちていた。特に足首は痛みで上手く力が入らず、立ち上がるのには気合が必要だ。

 十成は犬飼の方を見やる。掌から氷の盾を展開していた分、怪我は十成よりかは多少マシな状態だった。

 見事に二人を止めた三野塚は、獲物を仕留めた猟師のような余裕の微笑を浮かべている。


「オイオイオイオイ、マジで雑魚ザコじゃねえかよお前ら! さっきまでの威勢はどこいっちゃったんだよ、マジで」


 身動きの取れない二人を前に、三野塚は冗長な足取りで近づく。血に飢えた鬼のような笑顔が闇に浮かぶ。目の焦点があってないのに、何故か正気に見えるのが不気味だった。


「うわやっべ、イっちゃってるわあの顔。俺ってそんな怒るようなことしたか?」


 こんな状況でも空気読まずに戯言たわごとを洩らす相棒が、十成は嫌いじゃなかった。緊張感がない方が、こっちもリラックスできる。

 お陰で、この窮地でもそれなりに冷静でいられた。


「どうするよ十成。俺たちこのままじゃ天国直送ルートよ」


「そうだね」


「そうだねじゃねえよ。なんかあんだろ」


「ああ。大体の癖は掴んだ。だから……」


 十成は思考を巡らせ、出来事を推理する。どんな手品にも必ずタネがあるように、一見隙がないように思える能力にも何かしらの癖や弱点があるのは経験で理解していた。

 今の一連の戦闘で理解できたのは一つ。

 あの能力には、『自動』と『手動』の二つのモードが存在する。

 彼が戦ってきた流動体を操る能力が、概ねそうだった。そもそも固体じゃない物質を完璧に操れるほど、人間の脳は賢くない。

 まず最初、二人の首を断とうとして、コンクリートに線を残した一撃は、動きを察知して追跡する『自動』タイプである。十成が犬飼を突き放した途端に一気に動きが加速したのは、標的の移動速度に合わせたからだ。

 そして消去法で考えて、標的の速さとは関係ない今の攻撃は『手動』となる。

 こうしてタネが割れれば、やるべきことは明白だ。


氷柱つららを一気にぶちかまそう。こっちも出血大サービスで」

 

「よしきた!」


 犬飼は特に考えもせず、十成のアイデアに乗った。

 すぐに拳に力を入れ、犬飼のKOMBATコンバットの氷を生み出す能力で、掌から連続で氷柱を精製すると、三野塚に解き放った。


BENDYベンディ!」


 三野塚が能力名を叫ぶと、周囲に散っていたインクが再び集結し、触手を形作って氷柱を掴んだ。言葉でモード切り替えるタイプだと看破した十成は、インクが大量の氷柱の相手をしている隙に、脚の痛みも押して、素早く三野塚の懐へと迫る。

 十成が最後の力を振り絞ってまで襲ってくるとは思ってなかったのだろう。三野塚は額に汗を滲ませる。


「なっ……!? 守れ、BEN……!」


 と、『自動』から『手動』に切り替えようとする。

 だが、その言葉を最後まで言い切る前に、


「いいから、しばらく黙ってな」


 この死線において、まるで機械のように冷徹な声が耳奥まで響いた。


「……あ」


 その、底なしにうつろな声色に狼狽えた一瞬。

 声の持ち主の拳が顔へと突き刺さり、そこで三野塚の世界は暗転した。

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