episode31

 いま私が戦っているこの狼は異常過ぎる。

  

 第1フェーズの獣化態では第2フェーズの獣人態に勝つ事は決して出来ない。

 これは個人の戦闘力の差の話ではなくそう決められた絶対の性能差による決まり。

 例えるなら一匹のアリがどう頑張ったところで一匹のゾウに勝てないのと同じ。


 だというのに……狼は諦める様子を欠片も見せない。


 それどころか致命者になる攻撃だけを回避しかすり傷だけ受ける事は許容し効きもしない攻撃を続ける始末。


 私が負けることは万に一つもないのに。


 でも……私は怖い。


 あの嬉々として死へと飛び込んでいく様な姿が心底恐ろしくてしかたない。


「なんなんの!?どうして向かってくる!?本当に死ぬよ!?」


 殺すつもりだったくせに私は気づかぬ間に叫んだ。しかし狼は一言も答えずただ駆けてくるその姿は一層増して恐ろしい。


「っ……」


 迎撃し距離をとらせた後も変わらず突っ込んでくる姿を目の当たりにしていくうちについに私は後ずさる。

 

 どうする?どうしたらこいつは止まる?

 いや、まず命を奪ったとして本当に止まってくれるの?


 少し考えればそんな事はないと分かっている。でも、それでも自分が負けるのではないかと疑念が過り勝てる姿がまるで思い浮かばなくなる。


「っ、どうすればこいつをーー!」


 放った気配の一つが戻って来る。

 という事はあれを首尾よく確保できたということ……それにタイミング良く上の気配も消えた。これは利用しない手はない。


 攻撃の手を一旦止めて飛び上がる。

 すると狼は当然追いかけて来る。


「追いかけて来るといいよ。自分の墓穴までね」


〜〜〜〜〜


 攻撃の手を止めた鈴森はその場から飛び上がると建物の屋根に着地し何処かへ向かって移動し当然ながら俺はそれを追いかける。


 体の至る所にダメージがあるせいで速力が大幅に低下している。中、近距離の戦闘ではどうにかこうにか回避するだけの余力はあるが長距離移動となると追いつくのは無理そうだ。


 しかし正直な話そんな事はどうでもいい。

 

 いま俺が思っている事はどうして俺を殺さない事の一点にあった。


 どうして途中で攻撃をやめてまるで逃げる様に離れる?勝っていたのはお前の筈だろう?どうして命を取らない?どうして生殺しの様な手を取るんだ?


「なあ!どうして俺を殺してくれないんだ!?それだけの力があるのにどうしてなんだよ!?」

 

 前を走る鈴森に叫ぶが鈴森は返事をくれずただ何処かへ向かって走り続ける。


 状況から考えれば何か目的があっての動きなのは明白。だが俺はこの時それすら分かってなくこう思い叫ぶ。


「俺なんて、殺す価値すらないとでも言うのかよ!?」


 追いかけること20数秒後、鈴森はある建物、人が居なくなった佐々部達のアジトへ入っていた。

 俺も10数秒遅れて壊れた外壁の穴から中へ飛び込む。


 穴が空いた空気の入れ替えは出来ているだろうにまだ血の匂いが濃く残っており鼻腔を満たしていく。


「やぁ、来たね」

「……」

「正直、こんな手を使うのは不本意だよ」

「……なんのつもりだよ……それは」


 噛み合わせた牙が軋む。


 鈴森がその手持っているのはぐったりと疲れ果てている名無しの胸ぐら。


「っ……」

「真ちゃんてばこんなに疲れ切っちゃって本能に飲まれた影響かな?ねぇ、君はどう思う?」


 知るはずない。

 何故なら今そんな事を一々考えるほどの思考力は今の俺にはないからだ。


「聞こえてなかったのか?俺はなんのつもりかって聞いてんだよ!?」

「見てわからない?人質だよ」

「わかるから聞いてるんだ!そんな事をしてなんの意味があるんだよ!そんな手を使わなくても俺を殺せるだけの力がお前にはあるだろう!?」


 これは侮辱だ。


 強い奴が自分より弱い奴に勝つために卑怯な手を使っているなんて俺にとって許される事じゃない。

 しかも疲れ切っている名無しを使っている事が尚の事気に入らない。


「そうかもしれない。けどそうじゃないかもしれないと思った……本当に情け無い話だけど私は君が怖いから確実に殺させてもらう」

「ふざけるな!!」


 損傷がある事など忘れて俺は激情のまま鈴森に飛び掛かる。


 激情に任せたわりにスピードが遅い。

 完全に力を出し切る途中で右後ろ足が砕けたからだ。

 普通ならこの時少なからず、しまったなど思うのだが本当にどうしようもない事に今の俺は何も考えられていない。


 いつもなら気づく異物の接近を許すほどに。


「やれ」


 鈴森がそう言ったと同時に宙にいた俺の体に突然鋭い痛みが走り地面へと押し倒される。


「ぐっ……し、死獣!」


 俺を地面に押し倒していたのは死獣だった。


「まさかこうも上手くいくなんて、予想以上ね」


 本当に心から驚いた様子の鈴森。


 俺はどうにかして死獣の牙から逃れようとするが怪我の不幸というやつか蓄積していたダメージと脆くなっていた装甲が噛み砕かれフレームへ牙が食い込んでいるせいだ振り解けない。


「あ、これなら殺せそう!一時はどうなるかと思ったけど作戦勝ちってやつね!」

「っ!ふざ、けるな……!」


 尻尾で地面を叩いて噛みついている死獣諸共跳ね上がる。

 そして宙で身を捩って死獣を下敷きにする形で地面へと叩きつけ拘束を解くと間髪入れず死獣の喉ぶえを噛みちぎる。


 っ、死獣を始末出来たのはいいけど噛まれてた箇所が食いちぎられた。痛くてしかたない……。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「……ほんと、異常だわ。あの状態から逃れるなんて」

「ふん、鈴森……お前に言われたく、ないね……変な組織の人間で、人を騙して、操って……殺して、おまけに死獣なんて、化け物を操ってるような奴に……」

「そう?でも私から言わせてもらえばやっぱり君の方が何倍も異常だけど?」


 鈴森は片手に名無しを持ったまま倒れた俺の首を掴んで持ち上げる。


「そういえば君、どうして私の名前知ってんの?君に名乗った覚えないんだけど」

「……薄情者……コンビニの中から、助けてやった……恩人も、わからないか」

「……コンビニ?恩人?」


 鈴森は中々思い当たらない様子だったがコンビニの事を口にした途端名無しは直ぐに分かった様だった。


「静希、くんなの?」

「ああ……黙ってて、悪かった」


 色々秘密を打ち明けてくれたのに俺は電獣である事を打ち明けていなかった。

 いくら名無しが電獣だったと知らなかったとはいえ今思えば平等さに欠ける。


 だが名無しは俺の謝罪に首を振る。


「私、だって自分が電獣である事を、黙ってました。それに病院で助けてもらったお礼も言えてなかった、私の方が悪いです」


 悪い事なんて何一つない。


 なのに自分こそが悪いと言って笑う。

 まったくどこまで人が良いのやら。


「あーぁ!君、静希くん!え、電獣だったんだ!へぇー!全然気がつかなかったよ!でもそうか……君が静希くんなら尚更このまま殺すのは惜しい……な・の・で」


 そう言って鈴森は俺と名無しを掴んだまま外壁穴近くの通路へと出る。


 そこに変わらずボロボロの通路がある筈だと思っていた。だがそこにはたった一つだけ違うモノがあって俺や名無しは言葉を失う。


「相談といこうか真に静希くん。このどうしようもないクズを殺されたくなければ……わかるよね?」


 そこに倒れていたのは顔以外全身包帯ぐるぐる巻きの男、名無しの父親だった。

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