episode23

 体を洗い終わって湯船に浸かる。

 なんともまぁ、新鮮な気分だ。

 自宅のなら基本一人、無理をしてたらギリギリ二人入れなくない風呂と違いこの手足を好き放題伸ばせる感覚は本当に新鮮だ。


 湯自体も良い匂いで白濁色。

 ザ温泉ですみたいで嫌いじゃない。

 いゃぁ、極楽極楽〜。


「ーーて、それだけを思える様な聖人や坊主みたいな精神してないんだよなぁ俺は」


 後ろの離れた流し場の方で体を擦るスポンジの音にシャワーの音が聞こえてくる。

 香川が現在進行形で体を洗っている。


 ヤケクソ気味で入ろうって言ってみたはいいけど実際ここまでくると、あれだ……ヤバいな。恥ずかしさで頭が、脳、はちきれそうだ。


 微かな声だったり匂い。 

 普通だったらそれらは感じないのだが電獣として強化された五感がそれらを人より高精度で拾ってしまいより生々しく意識してしまう。


「こんな事だったら星宮か望月さんに来てもらえばよかった……」


 その発言は自爆だった。


 呟いた後、星宮がこの場に居た場合の姿を想像してしまった。

 

「……風呂が濁っててほんと助かった」


 白く濁った湯の中に姿を隠した愚息の事を思い俺はため息をつく。


 すると俺の横でちゃぷんと水音がした。

 水滴が落ちたのではなく何かが湯船に浸かった時に聞くあれだ。


 俺はもしやと思い音のした方を向く。


「ーー」


 この時俺の頭に浮かんだのはかぐや姫だ。

 竹から生まれて絶世の美女で求婚してくる連中に無理難題ふっかけて最後は月へとんずらする。

 

 その中で誰だったか湯浴びをするかぐや姫を見て天女だと思うシーンがあるのだがその気持ちがよく分かる。


「あ、あんまりジロジロ、見ないでください」


 赤面しながら顔を逸らす香川。


 布面積なんてほんどないほんのり赤く蒸気した肌に滴る水滴に濡れた髪。

 こんな普通じゃ見れない条件下で見る美人は正しく天女と表現して過言ない。


「わ、わるい……で、でもなんでわざわざ俺の隣に?」


 見惚れていた事を誤魔化すように出た言葉だったが数秒後、あれ?となる。


 そういえばこの広い風呂に対してわざわざ俺の横に腰を下ろす必要なんて皆無だし特におかしい事は言ってないな俺。


「す、すみまんせん……迷惑、ですよね」

「いや、迷惑とかじゃなくて、恥ずかしくないのかと思ったから」

「は、恥ずかしいです……でも」

「でも?」

「は、話をするなら、離れてするのは失礼だと、思ったんです」


 耳まで真っ赤になった顔を伏せながらそう言った香川。


「話、か……」


 いや、普通に考えたら香川の理由は至極まともでおかしい事なんて何一つない。

 むしろおかしいのは俺の方だ。

 俺はもう香川と何かを話す理由がないから自分から話そうとすら考えていなかったのだから。


 ほんと、自分のことばっかりだな。

  

 自己中な自分に内心苦笑いを浮かべていると香川はそんな事など知らず続ける。


「貴方は、どうして私を助けてくれたんですか?」


 どうして助けたか。

 改めて聞かれると返答に迷う。

 どう言葉に出したものだろうか……。


 趣味のためだ!正義の心に目覚めて!

 どれも違う。

 趣味のためだというなら姿を隠さず香川を連れて逃げずあの場で佐々部達相手に大暴れをすればいい。

 正義の心に目覚めて、というのは我ながら臭い発想だが結局やる事は前述と大差ない。


 結局考えても分からない。

 なのであの場面、助けに入った時の事を思い出し、感じた事を素直に口にしてみる事にする。


「面白くないと思ったから」

「面白くない……それは、どういう意味ですか?」


 んー、我ながら短く分かりやすい返答だと思ったんだが、少々言葉足らずだったか。


「あー、結論を言うと価値観の押し付けだな。俺は誰かを自分の都合に巻き込んだりするのが嫌いだ。だからあのガラの悪いオッサンや佐々部達のやってる事が面白くなかったから香川を助けたんだ」

「た、たった、それだけの理由で?」


 香川は信じられないとでも言うように驚き口を半開きにする。


 さて、次は何を話したものか……あ。


 佐々部やガラの悪いオッサンの話をしてたからか俺はある事を思い出した。


「そういえばあの爆発したコンビニに香川の父親がいたんだな」


 あの日、派手に爆発して燃え盛るコンビニから俺が助け出した被害者達や加害者の中に香川の父親が居たなんて俺は今の今まで知らなかった。

 なにせ警察に見せてもらった名簿の中に記載された中に香川という姓は香川真のものだけだったのだから。

 

 チラリと一瞬視線を香川に向けるが水面を見つめたままピクリとも動かない。


 しまったな。

 つい勢いで聞いてみたがこれは香川にとって地雷だったか。

 

 言ってから遅いが気をつかってこの話題を止めようとする。


「私……お父さんのこと、嫌いなんです」


 そう言った声は消えそうなほど弱々しくて抑えきれないのかほんの少し憎悪が滲み出ている。


 普通ならもう聞かない方がいいのだろうが返答をした時点で問題ないのだろうと考えこの話題のまま会話を続行する。

 

「それは、借金が関係してるのか」

「その話も聞こえてたんですね。なら佐々部が私のことを名無しと呼んでいたのも……」

「ああ、聞こえてた」


 香川は顔を上げると抑えていた何かを外に吐き出すように深いため息を天井に向かって吐いた。


「私は、存在しない人間なんです」

「存在しない?それはどういう……」

「戸籍が、ないんです」

「ーー」

 

 俺は思わず息をのんだ。


 世界秩序が一度崩壊してしまった今の世界とはいえ戸籍がないなんてありえないに等しい。いや、一度崩壊したからこそ秩序回復のために戸籍なんかを含む自国民の個人情報は徹底的に管理されている。


 しかしそれも完璧じゃなかったという事なのだろう。

 

 香川真は誰がどう見ても女。

 しかし学校、それと心底信じられないが病院や警察にも男で通っていた。

 それはつまり今言った香川の言葉が正しいという証拠。


「ならお前は誰なんだ?」


 そう質問を投げる。

 すると上ばかり見ていた香川は悲しそうな顔をして言った。


「私は香川真の、兄の身代わりです」

「兄?」

「はい……香川真というのは私の実の兄の名前。そして……」


 香川の瞳から水面に涙が落ちる


「実の父によって殺されもうこの世に居ない人間の名前です」

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