episode4
獣から逃れるために屋上七階へと走る。
今は三階か……後四階もあるしそろそろ不味いな。もう二、三分経つしあいつが追って来てもおかしくない。
意識を集中する。
耳を澄ませろ。
自分の呼吸音や足音に惑わされるな。
感覚を研ぎ澄ませろ。
此処に来るまでの危機察知が偶然だったにしろ一度は出来たんだ。ならもう一度やれ。少しでも生存率を上げるために。
だがどういう訳か集中出来ない。
感覚を研ぎ澄まそうとすればする程
まるで深い深い谷底から聞こえてくる音なのか声なのか分からない何かが。
これはなんだ?幻聴か?いや、それにしてもこれから何か無視してはいけない何かを感じる
「静希くん」
「なんだ」
「少し言いそびれた事があった。聞いてくれる?」
「出来る限り手短に済ませてくれ」
「OK」
今はあまり無駄話をしてる状況でもないけどもしかしたらあの獣関係の事かもしれないし一応聞いておこう。
「人間の、生物の魂はどこに宿ると思う?」
言った通り手短ではあるが獣は関係ない。予想の斜め上をいくものだった。
魂、ってあれだよな。命てきなやつ。
どこに宿るって、そりゃあ心臓……いや、脳かな?臓器移植で心臓を移植された人がドナーの人格になる訳じゃないし。
集中しなくてはいけないと考えていた矢先にこれだ。だが質問の内容が面白かったためか割と本気で考えて俺は答えてしまう。
「脳、だと思う」
「その答えだと問いの意味が変わるからハズレだね」
「じゃあ答えはなんなんだよ。心臓か?」
「体だよ」
「それって……全身って事か?」
「そう、頭の天辺から爪先を含めた全身」
魂が宿るのは体。
なるほど一部分ではなく一個体というのは納得できる話だ。
しかしそうなると脳だと問いの意味が変わるとはどういう事なのだろう?
と、そんな俺の考えを呼んだのか隣を走る星宮は言う。
「脳が宿すのはね。人格なんだよ」
「人格?」
「ようは今話をしたりしている私達自身のことだよ」
「いや、そんな難しい話じゃないみたいに言うけど、さっぱり分からないぞ?」
「ふふ、もうすぐ分かるよ」
楽しそうに笑う星宮。
まったくもって意味が分からず無駄話をしたと思っていると俺の耳はある音を捉える。
「下で何かが崩れる音……破られたか」
音の正体は獣。
予想通り二、三分程で壁を破壊。
この調子だと俺達の居場所を直ぐに捉え、追いつき、殺すのに二分とかからないだろう。
「はぁ……」
ほんと、勝ち筋のない詰みゲーだ。
やつが壁に穴を開けた時……いや、最初に見た時から勝敗なんて分かっていた。
なのにどうして俺は勝てはしないが負けもしない、生存率のあるかもしれない最善手を取らなかった?
なぜ此処に逃げ込んだ時やその前に逃げながら警察に電話する事をしなかった?
なぜ港に居たであろう誰かに助けを求める事をしなかった?
なぜ死ぬ確率を下げず上げずの博打の様な行動ばかりをしたのだろう?
いくら考えても答えが出ない。
すると横を走る星宮は突然言うのだ。
「楽しそうだね」
「……え」
「楽しそうだね。静希くん」
雑念に溢れた思考が星宮の言葉で寸断される。
星宮は何を言っている?
楽しそう?俺がが?
そんな筈ない。むしろ今の俺は楽しいなんて感情とは真逆だ。
「……俺の何をどう見てそう思ったんだよ。こんな状況で楽しい訳ないだろう」
そう言うと星宮は不思議そうな顔をする。
「何をって、君の顔を見てに決まってるじゃないか?走り出してからずっと口が笑ってるよ」
「何を言って……」
確認のために伸ばした指で頬に触れる。
あれ?
口角が上がっている。
つまり星宮の言う通り俺は、笑っている。
自覚した途端ある事が頭をよぎる。
それは先程悩んでいた俺が最善を選ばなかったのは何故かということ。
まさか、俺が最善を選ばなかった理由ってーー。
「危機的状況下でさ」
「っ!」
「笑っちゃうのって、本質的にある事を求めてるんだよ」
「求めるって、何を?」
恐る恐る問いかける。
すると星宮はまるで子供の様に笑った。
〜〜〜〜〜
階段を駆け上がり何とか屋上に辿り着く。
呼吸は乱れ足がだるい。
地面にへたり込みそうになるを必死に我慢して屋上に通じるただ一つの扉を周囲に置いてあった物で封鎖する。
「これでしばらく時間が稼げるね」
「……そうだな」
「どうしたの怖い顔してさ?もしかしてさっき言った事を気にしてるの?」
「違う。気にしてるのは別のことだ」
まあ、全然気にしてないわけでもないのだが。
「あの犬、壁を壊して直ぐに追ってくるかと思ったのに全然襲ってこなかった。こっちを見てる様な気配はするのに」
正直不気味だ。
嫌な予感とも言ってもいいが……まさか、俺達をわざと此処まで逃げさせたなんて事ないよな?
「……星宮。今すぐ警察に電話してくれ」
俺はそう言うと星宮は頷いて電話をかける。
電話はしたしこれで近場の警察が助けに来るだろう。
後は来てくれる警察の質と数だ。
来てくれてもあの犬に即やられるようでは状況は何も変わらない。
欲を言えば暴徒鎮圧位の勢いで来てくれると安心なのだが……。
「静希くん」
「ん、どうした?警察はなんて?」
「……」
「?」
無言。
そしてスマホを耳に当て背中を向けたままだった星宮はゆっくりと俺の方を向く。
「……電話、繋がらない」
苦笑いを浮かべながらそう言った星宮。
そして俺に見せるスマホの画面を凝視した。
画面左上に小さく圏外と表示された部分を。
「っ!?」
慌てて俺はスマホ取り出して確認する。
しかし……いや、やはり同様に圏外。
「ありえない……こんなタイミングでなんてーーっ!?」
悪寒!来やがったか!
俺は慌てて扉の方を向いて身構える。
しかしその瞬間ある事に気づいた。
気配が一つだけじゃなく三つ増えている事に。
「そういう、ことか……」
悪い予感というのどういう訳か当たってほしくないと思えば思うほど当たってしまう。
そして嫌な事に大概その悪い予感とは自分の考えを超えた状態で目の前に現れるのが世の常。
ほんと、最悪だ。
「……群れだったのか」
辺りを見まわすと俺達は囲まれていた。
追って来ていた奴同様の陽炎の獣に。
1匹でも手に負えないのに3匹追加か。
スマホは使えず助けは呼べない。
万が一呼べて助けに来たとしてもこの数ではどうしようもない。
もう終わりだと心の中で認めようとした。
しかしーー。
「まだ終わりじゃない」
横にいる星宮は突然そう言って俺の腕を掴んだ。
「まだ終わりじゃない」
「いや……もう終わりだろう」
状況がもう好転することは無い。
俺のせいでこんな終わり方を迎える星宮には悪いがもうダメなんだ。
そう思っていると星宮は俺の方を向きその手を俺の胸に、心臓のある方の上に添えた。
「君の心臓はまだ高鳴ってる。高鳴り続けてる」
「……死ぬのが怖くて心拍数が上がってるだけだろう」
「いいや違う。これは恐怖の心音じゃない」
顔を見上げるその諦めなど微塵もない気高い意志を宿したルビーの様に赤い瞳が俺を真っ直ぐ捉える。
「この心音は、未知と危険に直面しても尚スリルを楽しんでる人間のものさ」
星宮は笑みを浮かべながらそう言った。
既視感だ。
その笑みは此処へ辿り着く前、階段での会話の時に見たものと同じ。
そしてそのその言葉もまた星宮が俺に言ったものと同じであった。
『求めるって……なにを?』
『決まってるじゃないか……誰しも子供の時に持っているモノ、未知と危険へ挑むスリルさ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます