第3話「サーディスの継承者」
旋風を捲き上げ突き出した槍は、敵の雑兵の胸甲を打ち砕いた。
硬い手応えが腕に走る。
なるほど、敵国は装備だけは良いものを使ってるらしいな。それを末端の兵にまで配備させるとはその裏にある経済の豊かさを象徴している。
だが、サーディスは槍を捨て、双剣を引き抜いて距離を詰める。その速さに瞠目の顔を浮かべた敵兵は、それが最期となった。
「九十八!」
サーディスは高らかに宣言した。
するとサーディスに負けじと傭兵隊が突出し始める。
本当は討ったのは五十にも満たない数だった。サーディスは発破をかけたのだ。動かない戦場に嫌気がさしていた。
これが唯一無二の戦友と認めるローランドと並んでいたのなら二人は功を競い合い敵陣を大いに掻き乱しただろう。
奴は元気だと良いがな。俺は。
胸の辺りにせり上がって来る感覚を覚え、口に手を当てる。
激しく咳き込んだ。手のひらには鮮血の海が広がっていた。
後、何年生きられるだろうか。どう生きようか。この少ない生の中で俺は何を成し遂げただろうか。ただ武を磨き、戦場を走り、多くの者をその手で屠ったに過ぎない。
空っぽの人生だな。
だが、ローランドの奴が俺の分まで幸せに生きてくれるだろう。結婚か。幸せにな。
サーディスはフフッと笑い、再び戦場に目を向ける。
傭兵に功を取られるなと、焦り出した騎士達が指令を出し積極的に戦い始めた。
戦場が俺の手で踊っている。
サーディスは哄笑した。
その時だった。
「バッフェル卿! 出過ぎだ!」
騎士達が叫んだ。
サーディスは目を向けようとしたが、あまり背の高くない彼にはせめぎ合う兵士達の背が見えるだけだった。
俺の手の中から零れ落ちた奴がいたか。
若干の責任を感じた彼は乗り手を失った馬を見つけ、傭兵達の間を抜け、敵兵の中を双剣で切り開きながらその背に跨った。
戦場が良く見える。
まだまだ敵は大勢いる。味方もだ。後方には新手が出番を待ち構えている。
死と刃が煌めき最前線は生命の脈動を打っているようにも、あるいは波の如くうねって見えた。
あれか。
右手の方に突出し、包囲され壊滅寸前の騎士と従士隊がいた。
兵が、従士が主を逃すために身を盾にし、四方八方から来る凶刃と打ち合っている。騎士も積極的に剣を振るっているかのように見えたが、サーディスには分かる。恐怖だ。恐怖に支配され、やたらめたらに得物を振るっているに過ぎない。
一人、また一人と、騎士を守りながら兵士が従士が斃れてゆく。
「ちいっ、そこどけええっ!」
サーディスは咆哮を上げると馬腹を蹴った。
俺の作り出した戦場だ。俺が動かした戦況だ。そうだ、今、俺は責任を感じている。一人の未熟な騎士をけしかけ、その結果、忠実な配下達を幾つも失わせるという失態を招いている。
俺は俺自身が許せんのかもしれんな。
敵味方の間を馬で躍り出て疾駆させ、グングン窮地の騎士へと迫って行く。
騎士の郎党はもう二人しかいない。
「手を貸すぜ! さっさと主人を逃がすんだ!」
騎士に合流するとサーディスは馬上からたちまち三人の敵兵の首を刎ね、残った二人の郎党に言った。だが、言葉を失った。二人とも満身創痍だ。鎧は割られ、片腕を失い、それでも戦い続けている。
「黒い戦士、我が主をフレデリカ様を託したぞ!」
そう叫ぶと二人の郎党は敵兵の中へ駆け込む。たちまち姿を見失った。
この機を逃すな。
「おい! 退くぞ!」
だが、騎士は遮二無二刃を振るう。
その腕を横合いからサーディスは掴んだ。
面頬の下りた兜で表情は見えなかった。
「良いか、退くぞ! 聴こえてるのか!?」
返事は無かった。サーディスはもう一度怒声を張り上げた。
「退け! お前を守って死んでいった者達のためにも生き延びろ!」
「退く? あれ? 兵達は? 他の皆は?」
悠長に戦場を見渡しながら相手は呆けたように言った。
「散ったよ、華々しくな。奴らのためにも俺がお前を連れ帰る」
「ああ!」
そう言うと馬上で騎士の身体が傾いた。
サーディスは支え、その横っ面を手甲で殴った。
甲高い鉄の音がした。
「退けと言っているんだ! 道は俺が作る!」
「わ、分かった」
騎士は頷いた。
サーディスは手綱を咥え、左右の手にそれぞれ血に濡れた剣を握った。
背後を封鎖する敵兵目掛けて突っ込んだ。
我武者羅に刃を振るった。
何としてもこの騎士だけは生還させる!
何故だ?
俺は本当に俺が戦場を動かしたと思っているのか?
多くの忠勇の士を失った罪滅ぼしのためにこうして剣を振るっているのか?
「戦士殿!」
背後から騎士が追い付いて敵の刃を受け止めた。
「おい、俺の仕事を取るな!」
サーディスは敵の首を刎ねつつ、騎士を振り返る。
「心配いらん。俺一人で充分だ」
「だ、だが、私には」
「良いか、黙ってついて来い!」
サーディスは再び手綱を咥え、左右の剣で次々血路を開いていった。
サーディスの威勢に慄き、敵兵が遠巻きになり始めた。
道が開いた。
「一気に駆けるぞ!」
騎士を振り返る。サーディスは相手が頷くのを確認すると、馬腹を蹴った。
「どけどけどけ!」
サーディスは咆哮を上げて剣を陽光に煌めかせ、味方陣営に飛び込んだ。
「バッフェル卿、無事であったか!」
フレデリカとか言ったな。フレデリカ・バッフェル。それがこいつの名前か。
兵士達の間を抜け、同じく騎士の男がそう言った。
「私は無事だが、多くの大切な、皆を失ってしまった」
死地から連れ帰って来たフレデリカ・バッフェルは悔やむ声を出すと、兜を脱いだ。その姿は白金の流れるような髪をした若い女性だった。いや、若くも無いのか。二十二、三といったところか。だが美しかった。それだけだ。
ひとまず役目は終わったな。後は満足ゆくまで剣を振るうだけだ。
空を見上げる。今は晴天だった。これが夜になれば多くの星々が輝くだろう。月という旗印のもとに集結する剣持つ戦士達が。
サーディスは陣幕から去り戦場へ戻るべく歩み出した。
「待たれ、貴公!」
背に声を掛けられた。
フレデリカ・バッフェルがこちらへ駆けてきた。
「私に! 剣を! 戦いを教えてくれ! 頼む!」
サーディスはその思わぬ申し出に驚いた。
自分よりも年若い、美しいそれも騎士が言っている。懇願している、時期に死を迎える夜空よりも黒いこの傭兵に。
こいつに戦い方を教えてくれる者達を皆死なせてしまった。俺が戦場を動かしたせいで。いや、馬鹿な、たかが一人の木っ端傭兵の一声で戦場全体が動くものか。思い上がるなサーディス。
だが、この罪悪感は何だろうか。
真剣な眼差しを向ける相手にサーディスは頷いた。
思ったのだった。俺はもう長くない。だが、それでもそんな生で培ってきたものがある。戦場、武術。それを教えることで俺の生きた証を残して行けるのではないか。
それは俺にとって幸福なことだ。「子」では無く「弟子」に伝える。
俺がこのお嬢さんを国中に、いや大陸に鳴り響くサーディス流の使い手として育て上げる。
残された時間がどれほどかは分らない。どこまで行けるか楽しみだ。
「だったら後悔している暇なんかねぇぞ。せっかくの学びの機会だ、すぐに出る。まずは戦場の雰囲気を掴め。恐怖を払い退けることから始めるぞ」
「分かった」
フレデリカは、いやサーディスの弟子は頷いた。
悪くない。お前を最強の戦士にしてみせるぞ、フレデリカ。このサーディスの継承者として共に現世に後世に名を轟かせよう。
「遅れるなよ!」
サーディスは決意を固めると馬を走らせた。背に続く弟子の気配を感じながら、戦場へと舞い戻ったのだった。新たな希望と役目と共に。
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