第12話
「いやいやいや、待ってくれよ、どうしてそうなるんだ?」
ベッドから起き上がって、つい身構えてしまう。
夢に起因する感傷的な気分が、完全にどこかへと消し飛んでしまった。
一方のハナはと言えば、頬を赤子のように真っ赤に染めて、俯いていた。
一緒に寝るってそんなアホな。
さっきまで俺に風呂を覗くなとか言っていた人間の言動かこれが?
あ、人間ではなかったか。
めちゃくちゃ混乱しているな、俺。
「か、勘違いしないでくださいよ!」
キッと顔を上げて睨んでくるハナ。
勘違いも何も、俺だって字義通りにしか解釈していないが。それにしたってこれはマズいだろう。仮にも人間の少女の姿をしているハナと、同じ部屋で寝るなんて!!
「私としても、三神さんと同じ部屋で寝るくらいなら死んだほうがマシなのですが」
「じゃあ、なおのこと――」
「しかし、死んでしまうとご主人のご命令を果たせなくなってしまいますし。こうなっては他に選択肢がないのです」
「いやいや、寝る場所ならいくらでもあるだろ? リビングとか」
俺からの真っ当な指摘に、ハナの口の動きが止まる。
再び俯いて、ハナは何かに耐えるように肩を震わせた。
たっぷり十秒ほどの空白の後。絞り出すような声が聞こえた。
「ね、寝られないのです……」
「え、何だって?」
普段の嫌味を言うときの生き生きとした様子とは比べものにならないほどの、小さな掠れ声を。つい聞き逃してしまい、問い返す俺。
それを聞いたハナは顔を上げて、心底嫌そうな眼で。そして恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ないと言った様子で、俺のほうを睨んだ。彼女は自棄になったように大きな声で言い直す。
「ひとりだと……寝られないのです!!」
……。……。なるほど。
そういうことなら、今しがたの言動には一応、合点がいく。
今現在、この家には俺とハナしかいない以上、独りでは寝られないハナは、俺と寝るしかないわけだ。
「……バカにしていますね」
「いやいや、そんな、滅相もないな」
「してますよね、それ?」
ジトっとした目を向けられる。
そのまま、聞いてもないのに言い訳を始めた。
「違いますよ。何も最初からそうだったわけではありませんでして。ただ、ご主人と一緒に暮らすようになってから、同じ部屋で寝る癖がついてしまっただけでして」
円とハナは文字通り、寝食を共にしてきた、というわけだ。
ハナは円に対して強く忠誠を誓っているように思われるし、円もハナに愛情を持って接しているのは傍から見ても分かる。ときにはそれが暴走してコスプレとかさせているみたいだが……
そんな彼女らの絆を、バカになんてするわけないだろう。
「別に、ただ意外と可愛いところもあるもんだなって思っただけだよ」
「か、かわ……! やっぱりバカにしているではないですか」
まるでタコのように、頬を膨らませたハナだった。
ハナの習性上仕方なく。お互い大変不本意なことこの上ないが、他にどうしようもないため。
俺らは同じ部屋で寝ることになった。
正直まだ微塵も眠くなかったが(ただでさえ夜型であることに加えて、先ほどまで昼寝をしていたのだから当然だ)、ひとまず寝るための身支度を調えることにした。
俺らは交代で洗面所に向かうと歯を磨き、ハナはさらにドライヤーで髪を乾かしたり。
その他いくつかの準備を終えて、俺とハナは俺の部屋で、それぞれ布団に入った。
念のため言っておくが、もちろん異なる布団に入っている。俺は自分用のベッドに転がっているし、ハナは来客用の敷き布団を敷いて、そこに寝ている。
部屋の電気は消してあるし、スマホには翌朝のアラームを設定した。明日は、午前中から真宮家を訪問しようと思っているので、アラームは日曜日の朝にしては早めの設定だった。
暗くなった天井を見上げる。
少し離れた隣の、下の方からは、ハナが静かに呼吸をしている音が聞こえた。
夜目の利かない人間にはとてもお互いの表情が見えるような距離感ではない。しかし、それが故に、気兼ねせずに自分の考えを言葉にできそうな気がした。
話の続きをしながら寝落ちしよう、というのはハナからの提案だったが。これは会話をする上でかなり有難い状況設定になっているのではないだろうか。彼女は狙ってやったのかもしれない。
「……そういえば」
俺の呟きに、ハナがこちらを向いたような音が聞こえる。
犬って夜目が利くのだろうか。まあどちらにせよ、床に敷かれた布団からでは、ベッドの上の俺の顔は見えまい。
「円も、ハナが独りでは寝られないことを知っているんだよな?」
「ええ、それはもちろん」
「だろうな」
それはつまり、ハナを俺の家に泊めたら、今のこの状況が生まれてしまうというのは、円だって承知の上ということになる。
まあ、ハナはあくまでも犬であるわけだから、そこの一点だけを取れば、こうして俺と一緒に寝ても倫理的な問題は何もないわけだが。とは言ったって、人間の姿をしているのだから、もうちょっと配慮するべきではなかろうか。
それだけ、俺のことを信頼してくれているということなのだろうか。
俺の質問の意図を察したのか、ハナが続けて言う。
「ご主人は、三神さんが私に良からぬ事をするわけないと、信頼なさっているのでしょう」
「やっぱりそう思うか?」
「はい。他人に踏み込むことができない臆病者が、そんな大層なことできるわけありませんからね」
――言いやがったなテメー。
臆病さにおいて信頼を頂くというのは、なかなかプライドの傷つく話だが。身に覚えしかないので、強いて不満を言うことはできない。
俺は彼女からの煽りを華麗に受け流して、また別の問いを口にする。
「今の円は、俺のことどう思っているんだろうな」
「それを私に聞いてどうするのですか」
それもそうだ。
本当に知りたいのであれば、覚悟を決めて、本人の心に踏み込むべきなのである。
「では反対に、三神さんはご主人のことはどう思っているのですか?」
「どうって……言われてもな……」
他人に対して、どういう感情を抱くべきなのか、正直よく分からない自分がいる。
俺から答えらしい答えが得られないことを察してか、あるいは端から期待していなかったか。ハナは続けた。
「私から申し上げられる確かなことが一つあるとすれば」
ハナの発言に、耳を傾ける。
「ご主人は、今回のミケさんとの一件を、三神さんが早く、そして良い方向へ解決できることを、願っているはずです」
「……」
「三神さんが他者との関係において再び傷つく姿を、ご主人は見たくありませんでしょうから」
「……そうか」
人間関係に疲れるようになってしまった俺にとって。
自分の家でのミケとの交流が、大きな心の拠り所になっていたということは。
改めて主張するまでもないことだ。
この関係が崩れたら、俺はきっと。深く傷つく。
――。
一時は俺に古い記憶を思い出させた、この説教じみた議論は。こうして、グルりと大回りを経て、当初の問題へと還ってきていた。
「俺は、ミケと、仲直りをしなくてはならない」
「……はい」
俺が自分の生き方について悩むのは、それが丸く収まった後にするべきだ。
「はあ」
そう思って、ここ数日の言動を思い返して、俺は溜息を吐いた。
「俺は、そんなつもりはなかったんだが。でもやっぱり、人間の姿になったミケのことを、無意識のうちに避けていたのかもしれないな」
ハナは、俺の思考を邪魔しないためか、特に返答を寄越さなかった。
独りごちるように、俺は続ける。
「周防のオカルトマシンガントークも、円からの楽しいことのお誘いも、普通に断って家に帰ってもおかしくなかったんだよな」
そうしなかったのは、家に人間の姿をした存在がいることに慣れずに、それを避けたくなってしまったからだったりして。
「ここ数日、ミケが考えていることが分からないなって思うことが何度もあったんだよな。やっぱり、俺は人間が嫌いというか、他人とのコミュニケーションが苦手なんだよ」
寝てしまったかのように、ここまで俺の独白を静かに聞いていたハナが、ついに口を開いた。
その声音には、他人を馬鹿にしたような忍び笑いと、他人を気遣うような優しさが同居していた。
「寝言は寝てからおっしゃってくださいよ、三神さん。ミケさんは猫であって、人間ではありません」
まるで揚げ足を取るかのような屁理屈に、俺は困惑する。
「はあ。いやまあ、それはそうなんだけど、人間の姿をしていて、人間のように振る舞うじゃないか」
問題の本質は、そこにあるわけで。
「それでも、猫ですよ。貴方が今まで大切に世話してきた猫に、違いはありません」
「――!」
俺は、言葉を失った。
「むしろ今までは人間の言葉を喋らなかったのだから、考えてることなんて今よりずっと分からなかったのではないですか? それでも貴方はそれを怖がったりせずに、毎日楽しく暮らせていたはずです」
「……ああ」
「繰り返しますが、ミケさんは猫です。だから、三神さんは今まで猫に接してきたように、ミケさんに接すれば良いのではないですか」
「見かけに騙されるなってことか?」
「そうとも言えましょう」
「……。そういうものか?」
何だか、うまく言いくるめられているだけのような気がする。詭弁も良いところだ。
しかしまあ、相互理解という意味において、ミケが猫のときより今の方が進んでいるというのは、当然の話ではある。だったら怖がる理由がないのも、それはそうだ。
思案する俺に対して、ハナは畳みかける。
「今度からは、猫の頃のミケさんにしていたように、文字通り猫可愛がりしてあげましょうよ」
「えっ!」
猫可愛がりというのは、猫可愛がりである。
人間の姿相手にそれをするのは、なかなか危ない絵面にならないだろうか。
……まあ、猫だからいいのか?
「いやでも、それはミケが嫌がったりしないかな」
「もし嫌がるのだとしたら、それは猫の頃から嫌だったということになりますから、諦めてください」
「……それはツラすぎるな」
というか、そうやって拒絶されるのが怖いから踏み込めないわけなんだが。
「まあまあ。猫可愛がりというのは極端な例ですよ。それくらいの気持ちでミケさんにぶつかってください、と申し上げたいのです」
俺はもっと遠慮せずに。彼女のパーソナルな領域に踏み込んでしまっても良かったということなのだろうか。
怖がらずに、彼女からちゃんと、望みを聞きだして。俺とミケの間で、これからの生活の妥協点を導き出す。俺に、それができるのだろうか。
いや、やらなくてはならないのだ。そこまで行けたら、今まで通りとは違うかもしれないが、新しい日常を構築することができるだろう。
「ありがとうな、元気付けてくれて」
覚悟が決まってきたところで、俺はハナに礼を言った。
「三神さんからそんな言葉を聞くことになるとは思いませんでしたね。明日は槍が降るかもしれません」
「それは困るな。ミケに謝りに行かないといけないんだから」
俺とハナは、声を合わせて、小さく笑った。
「――念のため申し上げますが」
話が終わってしばらくの沈黙の後。もう寝た頃かなと思っていたところで、ハナの声がした。
「なんだ、まだ起きていたのか?」
「はい」
「俺と一緒じゃおちおち寝ていられないってか?」
「そのことなのですが」
そのこととは、一緒に寝ていることを指しているのか。漠然とした指示語に首を傾げていると。
「今晩のことは、ミケさんには言わないでくださいね」
はて。一緒の部屋で寝たことを言わないでほしいということか。
「こうして一緒に寝ていることをか?」
「はい」
「どうしてだ?」
ハナのほうから、呆れたような溜息が聞こえた。
回答がないので、俺は自力で考える。
ああ、そうか。
「独りで寝られないことをミケに知られるのが恥ずかしいんだろ?」
ハナは絶句しているようだった。
どうだ、図星か。
「はあ、もうそういうことにしておきましょうか。とにかく、言わないほうが良いですよ」
面倒くさそうに、ハナが話を切りにかかる。
図星だからって、そんな態度を取らなくても良いのに。
「……これは、三神さんの他者理解への道が思いやられますね」
ハナが、小声で何か余計なことを言った気がした。
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