第6話

 学校からの帰り道、俺はそのままの足で円の家の前に来ていた。昨日の夢の話を聞いてみるというのがその目的の一つ。ただそれがなくとも元々円の家には行くつもりだった。それは、円がこの前に家に手料理を届けてくれたときのタッパーを、返しに来るためだ。

 円はたまに俺の家に来るから、タッパーを回収しがてら新しい料理を持ってくる、なんてことも多い。けれど、いつも来てもらってばかりでは申し訳ないので、ときどきは僕のほうから円の家に返しに行くこともあるのだ。そうして、さらにまた新しい料理を貰って帰るときもままある。

 そんなこんなで、俺が真宮家のインターフォンを鳴らすというのは、それほど珍しい行為ではないのだけれど、それでもやっぱり、他人の家に自分から訪れるというのは勇気がいるものだ。インターフォンに伸ばした手が、ボタンまでもう少しというところで止まる。しかし、インターフォンのある塀は、文房具屋真宮のすぐ隣。円のお父さんの視線を背中に感じた俺は、今度こそインターフォンに手を伸ばす。

 ガチャ、

 そこで、偶然玄関が開いた。見ると、玄関には目を丸くした円が立っている。

「すごい、ホントにミノくんがいる!」

 状況が飲み込めずポカンとする僕に、円は胸を張る。

「いまハナちゃんが、玄関のほうからミノくんの足音がするって言うから見に来たところだったのさ。犬の聴覚ってやっぱりすごいねぇ」

 犬、流石すぎるな。人間離れしている。

「こんな怪しい足音を、この私が聞き間違うはずがございません」

 円の肩の後ろからハナが顔を出す。

 ハナ、俺のこと嫌っているわりにはいつもちゃんと顔を見せるんだよな。縄張りに入ってきた外敵を追い返す的なノリなのだろうか。犬って番犬に利用されたりするくらいだし、そこら辺の意識は高いのかもしれない。

「それはさておき、死んだ目をした三神さんは、今日はご主人に何のご用ですか?」

 相変わらずの棘を隠しもしないハナの物言いだ。

 円は、コラまたそんなこと言って……と窘めているが、ハナはまるで聞く耳を持っていない。

 俺は鞄の中からタッパーを取り出す。

「えーっと、この間のタッパーを返しに来たんだけど。ありがとうな。今回も美味しかった」

 後半は円に向けての言葉だ。

「それはボクの手料理だからね。美味しくて当然なのさ」

 ドヤる円。実際、円の手料理で美味しくなかったものはないので、異論はない。

 ハナがタッパーを受け取りに玄関から出てきた。てっきりハナは俺に近づきたがらないと思っていたので少し意外だ。

 そのまま、ハナは俺の手からタッパーをひったくった。

「はい、確かにいただきました。これでご用件は済みましたね」

「お、おう。……いや、もう一つあってな?」

 ハナから感じる謎の圧に思わず押されて、切り出し損ねるところだった。

 俺は、昨日見た影の夢らしきものの話をする。

 話している途中から、円とハナは何か察したような表情をしていた。

「ミケちゃんとは、まだそれについてちゃんと話してないのかな?」

 玄関のドアから数歩出てきた円は、俺の説明が終わった途端、そんなことを確認してくる。

「ああ、朝は誤魔化されちゃってな」

「それなら、ちゃんと話したほうが良いよ~。ボクたちも、今朝ゆっくり話したのさ」

「……と、いうことは?」

「はい。ご主人と私もそのような夢を見ましたよ」

 やはり、ミケやハナが人間と化したのと、この夢のようなものは関係があったということだ。

 ミケのやつ、何か都合が悪いことがあって誤魔化したんだな……?

「その上で、ボクらはひとまずその神様に協力することにしたのさ!」

 円は、人差し指をビシッと立てた。

 え?? あの怪しい話に乗ったということか? ハナが人間でいるために?

 俺の頭に浮かぶハテナに、円が曖昧に笑って答える。

「ハナちゃんと色々話してね。少しの間、ハナちゃんに人の姿でいてもらったほうが良いかなって思ったんだよ」

「そ、そういうもんか?」

「ええ、ご主人には納得していただきました」

「でもその『ケガレを祓う』ってのは危なくないのか?」

「それはやってみないと分からないけれど。でも、ハナちゃんがどうしてもって言うからね」

 まあ、余所様の都合に口に出すものでもないだろう。

 彼女らがそうするというなら、そういうことでいいのか。

「なるほどなぁ」

「で、ミノくんたちも、ちゃんと話し合ってどうするか決めるんだよ?」

「ああ。ただ今朝の様子だとミケが納得してくれるか分かんないなぁ」

「はあ」

 ――ハナから聞こえよがしな溜息が聞こえた気がする。

「……何だ今の?」

「いえ、別に?」

 助けを求めて円のほうを見れば、困り眉で薄く笑顔を浮かべていた。

「とにかく、今度こそこれで話はお終いでしょう?」

「ああ、そうだな」

「それでは早く家にお帰りください。ミケさんとの相談もしなくてはいけませんし、そうでなくとも今日も二人でイチャイチャするのでしょう?」

 ハナは俺を回れ右させて、家の敷地の外へとぐいぐい押してくる。コイツ地味に力強いな。

 そして、何故だか随分と強引だ。

 まるで、ハナもこの場に限って何か都合の悪いことを隠しているみたいな……

 というか、

「別に、家に帰ってもミケとイチャイチャしたりしないけれど!?」

「ふーん、でも昨日はミケさんをデートにお誘いになったとか」

「え、なんでそんなこと知ってるんだ!?」

 しかしそれは決してデートでは(以下略)。

 俺の悲鳴に近い問いに、急に抑揚をなくした声で答えたのは円だった。

「実はさっき、ミケちゃんから電話があったのさ。明日ミノくんと二人で水族館行くんだけど、着ていく服がないから貸して欲しいって」

 え、なんで急に冷めた声音に。円さんまで怖くなったら俺の逃げ場がない。

「明日の朝、ミケちゃんだけ早めにボクの家に来て、お洒落してから出かけることになったから、明日は駅で集合することにしておくといいと思うのさ」

 なぜだか突然、弁明しないといけない義務感に苛まれ、俺は円とハナに、ミケと水族館に行くことになった経緯を説明した。

 要は、ミケの願いを叶えて人間に戻したいという話についてだ。

「なぁんだ。なるほど~ 納得したのさ」

「ミケさんが電話口でウッキウキの声で話すものですから、すっかりデートなんだとばかり」

「ついに飼い猫に手を出してしまったのか~って二人で嘆いていたのさ」

「俺、そんなに信用ないのかよ!」

「三神さんは節操なさそうですからね」

「前々から猫ちゃん好きすぎなところあるからね~ あり得なくはないと思っちゃうのさ」

 確かに猫は好きだし、ミケも好きだ。でも、それはあくまでペットとしてというか、家族としてであって、それ以外の何かでは決してない。

 それにしてもミケのやつ、そんな楽しみにしてくれているのか、やっぱり可愛いところあるな。そんなに水族館に行きたかったなんて。

「ミケのわがままでまた迷惑かけちゃって悪いな」

「ボクとミノくんの仲じゃないか。気にしないで欲しいのさ。それに、女の子のお洒落をわがままなんて言っちゃいけないよ~」

 円は肩をすくめる。

「むしろ、初めの相談相手がボクじゃなくて、見知らぬオカルト研だったとは不満だな~」

 うっ…… 確かに、円たちもペットが人間化してしまった当事者なわけだし、話に巻き込まなかったのは失礼だったかもしれない。

「別にコソコソやっているつもりはなかったんだけどな。ごめん」

「まあいいのさ。ボクたちはミケちゃんに全面協力する約束をしたからね。明日のミケちゃんを楽しみにしておいて欲しいのさ」

 人間の姿のミケは、客観的に見ても美少女と言える風貌をしている。円がそこまで張り切っているなら、集合場所に現れるミケはすごい美少女になっているかもしれない。少し期待が高まってきた。

「三神さん、顔がニヤニヤして気持ち悪くなっておりますよ」

 呆れた様子のハナである。

 いけないいけない、妄想が顔に出てしまっていた。

「明日、ミケさんには気を付けるように言っておいたほうがいいかもしれませんね」

「何をだよ!」

「何をでしょうかね……」

 ハナはイヤミな笑みを浮かべる。誤解を生むような言動はよして欲しい。

「まあまあ、そういうことですので、明日のためにも今日は早くお帰りください」

 再びぐいぐい俺を押し出すハナ。隙あらば帰らそうとするなコイツ。

 痛い痛い、肘が脇腹に入ってるから!極まってるからぁ!

 実際、用件はもう済んでいるし、今日は早く帰るかと思ったところで、

「そういえば!」

 円が思いついたように声を上げた。視界の端でハナが「しまった」という顔をする。どうやらハナには、俺に知られたくないことが本当にあったらしい。

「ちょっとこれから楽しいことを始めるんだけどさ、ミノくんも見ていかない?」

 ニマニマしている円と、顔を青くするハナ。

 これは、見ていかない手はなさそうだった。



 というわけで、円の言う「楽しいこと」に混ざるため、俺は真宮家にお邪魔することになった。玄関の前までは高校生になってからも何度か訪れていたが、家の中に入るというのは小学生のとき以来だ。正直、女子の家に入ることにはかなり抵抗感があったが、ハナの青い顔を思うと好奇心のほうが勝った。

 円の家に入るのはもう五年ぶりとかになるんだな。

 そんな感慨に浸っている俺をリビングまで案内すると、円はハナを連れてどこかへ行ってしまう。出ていくタイミングで「ゆっくりくつろいでてね」なんて言われたが、いくら幼馴染みの家とはいえここは女子の家だ。俺は何することもせず、二人が出ていった扉をじっと眺めて座っていることしかできなかった。

 何しているんだろうな……と疑問に思っていると、扉の向こうから、もみ合うような音がしてきた。そして、ときどきハナの悲鳴も混ざる。「ご主人!」とか、「ひぇぇ!」とか。

 ――本当に、何をしているのだろうか。

 流石に様子を見に行こうかと腰を上げようとしたところで、扉の向こうの音が止む。

 扉が少しだけ開いて、隙間から円の顔が覗いた。満面の笑みである。

「よし、ミノくん。いよいよ楽しいこと始めようか」

「お、おう……」

 ただならぬ雰囲気に圧倒される俺。

 円はそのまま扉を押すと、ハナの手を引っ張ってリビングに再び登場した。

 そして空いているほうの手でハナを指し示すと、一言。

「じゃーん! メイド服ハナちゃんなのさ!」

 そう、円に無理矢理手を引かれて姿を現したハナは、メイド服を着させられていたのだった。黒地に白いフリルのあしらわれた、絵に描いたようなメイド服である。しかも胸元が開いていて、かなり扇情的な格好だ。

 呆気に取られる俺を他所に、円は満足そうに頷く。

「うんうん、さすがハナちゃんだね。すごい可愛いのさ!」

 当の、ハナ本人はと言うと、羞恥で顔が真っ赤に染まり、「うう……」といううめき声を漏らすばかりだ。

 ちょっと可哀想ではあるが、いつも高圧的なハナがこうもしおらしくしているのはぶっちゃけ面白すぎる。折角なので俺も乗っかることにした。

「そうだな、金髪がメイド服に映えているよ。これは素直に可愛い」

 俺が真っ向から褒めたのが意外だったのか、ハナは上目づかいで俺のほうをチラッと見た。

 なんか本当に可愛らしいな。

「ハナちゃん、それじゃあ撮影会始めるよ~」

 円のほうを見遣ると、彼女はどこから持ってきたのか、手にゴツいデジカメを掲げている。

 ハナはビクリと体を震わせるが、そこからはもう円のなすがままだった。

 円はハナをリビングの中央まで移動させると、四方八方からバシャバシャと写真を撮りまくる。とにかく撮りまくる。シャッター音に混じって、「いいよ~、かわいいよ~」と変なかけ声も聞こえてきた。

「…… 円って、よくこういうことやるのか?」

 普段使いしないのならば、あんな本格的なカメラは持たないだろう。

「うん、そうだねぇ。前々からハナちゃんには色んなお洋服を着せて写真撮ったりしてたのさ」

 なるほど。確かにペットの写真を撮るというのは、飼い主としてそれほど珍しくはない趣味だろう。ペットにペット用の服を着せるというのも、よく聞く話だ。

 しかし、それが人間の姿相手になると、こうもいきなり変態チックになるものなのだな。

「ハナちゃんが人間の姿になっちゃったときは、今まで買ったお洋服着せられなくなっちゃう!どうしよう!と思ったけれど、我ながら名案だったのさ。それなら人間用の服を着せてしまえばいいじゃないかってねぇ」

 円の頬は興奮ですっかり紅潮している。鼻血とか出さないだろうか。心配だ。

「ということで、昨日Amaz○nでコスプレ用のメイド服をポチって、ついさっき届いたというわけさ」

 Amaz○nが一晩でやってくれました。流石の迅速さである。

 被写体となっているハナは、涙目だ。

「前から、服を着せられて写真撮られるのは苦手でございまして…… うう……」

「そんな勿体ないよ。ハナちゃんは可愛いんだから」

「そ、そうでしょうか……」

「だよね、ミノくん?」

「あ、ああ……、そうだな」

「せっかくならミノくんも写真撮ったら良いのさ。ボクのハナちゃん写真は門外不出だから、相当レアものだよ~」

 ハナはさらに絶望的な顔をする。「断ってくれ」と目が訴えかけてくるが、むしろそれは逆襲のチャンスであることを雄弁に物語っていた。

「じゃあ遠慮なく」

 俺はポケットからスマホを取り出して、ハナを画面に収める。パシャリ。

 目に涙を湛えつつこちらを睨む、器用なハナの姿が切り取られていた。

 あれ、意外とこれ楽しいかもしれない。

 正直、さっきまでは円のテンションにドン引きしていた俺だったが、いざ始めてみると自分のテンションも上がってくるのが分かった。

「ハナちゃん目線プリ~ズ」

「ハナこっち見て!」

 我先にと激写する二人と、グルグル目を回しながら真ん中でポーズを取らされるハナ。

 二人にちやほやされて、だんだんその気になってきたのか、途中からハナは俺たちの要望に率先して応えるようになってきた。

 お祭り騒ぎはそのまましばらく続いて、最後にはハナは床にへたり込んでヘトヘトなようだった。円は肩で息をして、興奮冷めやらぬといった感じだ。

「どうだいミノくん。撮影会の楽しさが分かったかな?」

「いや~、まさか写真撮るだけでこんなに盛り上がるなんてな。俺も今度ミケにお願いしてみようかな」

「どうなっても知りませんよ……」

 最後のセリフは、虫の息なハナのものである。

 しかし、かなり長居してしまった気がする。

 カメラ機能で充電がすっかり赤になってしまったスマホを何気なく見てみると、もう六時前だった。やばい、そろそろ帰らないと。二日連続でミケを待たせたらご機嫌取りが大変になってしまう。

「悪い、急だけどもう帰る時間だ」

「そうだねぇ。家でミケちゃんが待ってるもんねぇ」

 変な言い方は止してくれ。

「じゃあちょっと待っててね。今日もお裾分けするものがあるのさ」

 円は家の奥にパタパタと駆けていく。

 そうして、俺は慌ただしく真宮家を後にするのだった。

 帰り道にて、そういえばハンバーグのことを相談し忘れていたことに気づいた。だが、まあ良いだろうと思い直す。どうせ明日水族館行ってそれでミケが猫に戻ってくれるなら、ハンバーグを食べる時間はないわけだからな。そんなことよりも急いで家に帰らねば。

 ミケへの言い訳を考えつつ、俺は帰途を急いだ。

 



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