第3話

 翌朝。体が揺すられる感覚とともに、意識がまどろみから浮上する。家に住んでいる人間は俺一人だけなはず。揺すられて起こされることなんてないはずなのだけれどな…… 俺は揺れから逃れるように寝返りを打った。

 まったく、変な夢を見たものだ。ミケが人間になるだなんて。非現実にも程があるだろう。新学期のストレスがかなり精神に来ているのかもしれない。俺はゆっくりまぶたを開く。ぼやけた視界は、しかし部屋の天井を映さなかった。おかしいな。

 徐々に世界が像を結ぶ。果たして、俺の目前にあったものは。

 ――美少女の顔だった。

 その瑠璃色の瞳は、俺のポカンとしたマヌケな顔を映している。

 夢じゃなかった。やはりミケは人間になっていたのだった。

「そんな呆けた顔していないで。朝ご飯の用意できてるわよ」

 ミケが言う。あきれているような口調だが、彼女の目には優しい光がともっていた。

 ようやく思考が本調子を取り戻してくる。

「と言っても、まだ目覚ましが鳴る前だろう?」

 枕元の目覚まし時計は七時三分前を指している。目覚ましの設定は七時半。まだ三十分も早い起床だった。

「あんたいつも家出る三十分前に起きて、準備にバタバタしちゃって朝ご飯食べる時間もないじゃない。そんなんじゃ体に良くないわよ」

 う…… それは痛いところを突く話だ。一人だとわざわざ朝ご飯用意するのとか面倒なんだよな。それに朝はギリギリまで寝ていたい派だ。

「これからは毎日私が朝ご飯用意するから。しっかり食べてから学校行きなさい」

 お前は俺の母親か。

 思っても口には出さないことにする。

 実際、これはありがたい申し出だった。朝ご飯を食べなくなってから、午前中の眠気が増した気がしていたのだ。

「ありがとうな。俺のために」

「べっ、別に、あんたのためじゃないわよ! あんたが朝ご飯用意しないんじゃ、当然自分で作らなかったら私のご飯もないわけだし? 一人分作るなら二人分作ってもそんなに手間変わらないし?」

 早口でまくしたてるミケ。

「いや、それでも嬉しいよ」

 撫でようとミケの頭に手を伸ばすと、

「ふんっ!」

 そっぽを向かれてしまった。流石に無理か。

「じゃあ早く下に来なさいよ」

 そのままミケは、すたすたと部屋を出て行ってしまった。

「下」というのは、一階のことだ。今いる俺の自室は二階にある。二階には、俺の部屋の他に、両親の寝室(過去形)と物置部屋もある。ミケは昨晩から両親の寝室を、自分の部屋として使っていた。ベッドも二つあるし、俺の部屋よりも普通に広いのだからズルい。勝手に入るなと散々釘を刺されたので覗きにはいかないが、どれだけ気ままな生活をしているのかはちょっと興味が湧く。覗きにはいかないが。

 俺はベッドから這い出て、すぐにミケのあとを追った。階段を降りてリビングに入ると、パンの焼ける芳ばしい香りが漂ってくる。……芳ばしいというか、焦げ臭いというか……。ちょっと嫌な予感がしてきた。

 そして、ちゃぶ台には朝食が並んでいた。食パン。目玉焼き。焼いたベーコンに、数枚のレタス。なるほど、品目だけ見れば完璧に、よくある洋風の朝食だ。

 しかしそれは、あくまでも品目だけを見た話。その内容を見て、俺は喉がゴクリと鳴った。

 全部が、火を通しすぎなのである。目玉焼きに関しては、まあ黄身の固さにも好みがあるものだし、これくらいよく焼いたもののほうが好きだという人もいるだろう。白身も多少焦げているくらいで、許容範囲内だ。しかしベーコンのほうはと言うと、完全に焼きすぎで、表面に所々黒く固まった焦げがこびりついていた。油分も出切ってしまって、カチカチになっている。

 パンに至っては、表面が一面の真っ黒。オーブンに入れっぱなしにして忘れていたという感じだ。

 ミケがキッチンから麦茶を持ってきて食卓の品が揃ったようなので、二人して向かい合わせに座る。

「ミケ、これは……」

 恐る恐る、俺は問うてみた。

「朝ご飯だけど……?」

 ミケは俺の疑問の意味が分かっておらず、逆に首を傾げている。

「ちょっと、焼きすぎじゃないか?」

「生だとお腹壊しちゃうって聞いたから、どれもちゃんと火を通したのよ」

 薄い胸を張るミケだった。

 どうやら、ミケは料理を焼けば焼くだけ良いものだと思っているらしい。

 まあ確かに初めての料理なのだし、そういう勘違いがあってもおかしくないのかもしれなかった。

 せっかく朝ご飯を用意してくれて、しかも上機嫌そうにしている中で大変申し上げにくいのだが。とはいえ、どちらみち自分の口に入れれば分かることでもあるので。

「ミケ、明日からは、朝ご飯は一緒に作ろうか」

「な、何かこれに文句でもあるっていうの?」

「実はな、一般的に言って……料理っていうのは。火を通しすぎると美味しくなくなるんだよ」

 ちょうど合掌しようとしていたミケの手が、ピタリと止まる。

「……これ、もしかして、焼きすぎなの?」

「大変残念ですが」

 彼女の顔色を窺ってみれば。ほっぺたを真っ赤にしながら、瑠璃色の瞳を潤ませていた。そして、ぷいっとそっぽを向いてしまう。

「だ、だって、そんなの知らなかったんだもの! 嫌なら、食べなくていいわよ」

 膨らんだ風船のように。今のミケには何を言っても機嫌を損ねてしまう気がしたので、俺は彼女の言葉には取り合わず、手を合わせた。

 小声で「いただきます」と断ってから、ミケお手製の朝食に手を付ける。

「た、食べなくて良いってば」

 俺はまず固焼きの目玉焼きを頬張った。まあこれはそういう風に作ったんだと言われれば信じられるくらいの火加減だ。美味しく食べられる。そしてそれを咀嚼している間に、今度はバターナイフ使って食パンの焦げた表面を削り取る。すぐ内側には、軽くきつね色に焼けた層が眠っていた。

 目玉焼きを飲み込んで、俺は表面を削ったパンを、ミケに見せた。

「嫌ってことはないよ。どれもまだ全然食べられる」

「そ、そう……?」

 そっぽを向いたまま、ミケは流し目でこちらを見ていた。

 俺の言葉を受けて、彼女はパンを手に取る。

 そして、焦げを削り取ることなく、ミケはパンを一口かじった。

「うへぇ、これは確かにまずいわね」

 しかめっ面のミケ。でも、飲み込んだ後に、苦笑のようなものを少し浮かべた。

 何とか、機嫌を損ねずに済んだかもしれない。

 しばらく二人で、焦げと格闘しながら、朝ご飯を食べた。

 そして、時間に余裕を持って、学校に行く準備を整える。

 玄関に向かうと、ミケが見送りについてきてくれる。靴を履いたところで、思わず笑ってしまった。

「な、何よ……」

 困ったようにミケが顔をしかめる。

「いや、なんかこうしていると夫婦みたいだなぁって」

「莫迦!何恥ずかしいこと言ってるのよ!」

 バシーンと背中を叩かれる。おおう。痛い……

 『行ってらっしゃいのキス』ならぬ、『行ってらっしゃいの張り手』だな。

「じゃあ、行ってきます」

「うん」

 ドアを閉じるとき、ドアの隙間から、頬を赤らめて腕を組んだミケの姿が見えた。なんだ、あの可愛い生き物。

 家に自分以外の人がいるというのも良いものだなと、思った。



 今日も今日とて、俺は歩いて学校に向かう。登校も基本的に一人だ。円も同じ学校に通っているので、別に一緒に登下校しようと思えばできるのだけれど、お互いそんな話にはなったことはない。まあ、一緒に登校して周囲から勘違いされるのも円に悪いし、これで良いのだろう。

 学校に着いたら、部活もやっていない俺はまっすぐ教室に向かう。二年三組だ。

 俺は積極的には人と話さないタイプなので、教室でも一人でいることが多い。もちろん、たくさんの友達に囲まれて送る学園生活というのにも憧れがないわけではないけれど、まあ俺向きではなさそうだ。周りに人が多ければそれだけ気を遣うことも増えるし、他人の気持ちをくみ取ることが苦手な俺にはそれが苦痛だ。

 というか、たまに「空気を読むのが得意」「他人の立場に立ってものごとを考えられる」と主張する人もいるけれど、俺は本当の意味でそういうことができる人が実在するのか、疑わしい気持ちでいる。結局、人が知りうるのはその人の主観の範囲内のみであるから、他人の主観なんて原理的に知り得ないはずなのだ。

 そんな俺ではあるが、だからといって人嫌いというわけでもないので、もちろん話しかけられれば普通に会話もするし、必要とあればちゃんとコミュニケーションも取る。

 そう、たとえばコイツなんかは、教室に一人でいる俺に、たまに話しかけに来てくれる。

「よう、稔。機嫌良さそうだが、何か良いことでもあったのか?」

 コイツは、去年から二年連続同じクラスの高橋大河。野球部所属で交友関係が広い、爽やかイケメンだ。そんなやつが何故俺と仲良くしようとするのか不思議で、一度理由を聞いたことがある。彼曰く、誰ともつるまずに自分というものを強く持っているのがカッコいいそうだ。そんな大層なものでもないと思うが、彼も変わり者である。だからこそ、多くの友達を持てるのかもしれない。

「なんだよ、機嫌良さそうって」

「いつもの死んだ魚の目が、今日は死にかけの魚の目くらいになってるからな」

「俺の目は魚じゃないぞ」

 しかし、今日はちょうど大河に話したいことがあったのだ。話しかけてくれて助かった。

「そういえば、大河の顔見知りの多さを買って、聞きたいことがあるんだけれど」

「なんだ?」

「この学校で、超常現象とかに詳しい人に心あたりないか?」

「超常現象?これまたどうして……」

 心底不思議、と言った顔をしている。

「まあちょっと調べたいことがあってね」

 昨日、ミケやハナが人間になってしまった。そしてそれは今朝になっても戻っていない。これはあまりにも非現実的であり、どう考えても異常事態だ。何かしらの対策を講じて、速やかに原状回復する必要があるだろう。

 だが、あいにく俺はその手の知識には疎いので、誰か専門家みたいな人の意見が欲しかった。大河に素直に全部伝えないのも少し悪い気もするが、猫が人間になったなんて言ったら正気を疑われかねないし、必要が生じるまでは黙っていても許してもらえるだろう。

「うーん、流石にそういうのに詳しい知り合いはいないなぁ」

「いくら大河でもキツいか」

 まあそんな知り合いはそうそういるものでもないだろう。

「ああ。でも、オカルト研の噂なら聞いたことあるぞ」

「オカルト研?うちの高校にそんな同好会あったっけか?」

 いくら部活に所属していないとはいえ、去年には部活の新歓も受けたし、俺だって部活や同好会の種類くらいある程度は把握しているつもりだ。そんな怪しい同好会があったら記憶に残っていそうなものだけれど……

「もちろん、そんな名前の同好会はない。作ろうと思っても、そういう活動目的の怪しい同好会は、そもそも学校側が認めてくれないだろうしな」

「存在自体がオカルトなオカルト研ってか?」

「いや、しっかり存在している。だが、公式には別の名前を名乗っているんだ」

「ふーん…… その名前は?」

「数学研究会だ」

 数学研究会を隠れ蓑にしたオカルト研究会か。余計に胡散臭くなってきた。

 不信感が顔に出てしまったのだろう。大河は続ける。

「俺も話に聞いただけだからよく分からないさ。ただ、去年まで在籍者数ゼロで廃部の危機だった数研に、今年一年生が数名入って何とか存続された、というのは本当らしい。気になるなら今日の放課後、部室に行けば分かるんじゃないか?」

 ごもっともだ。他に行くアテがない以上、とりあえずは数研を訪ねてみるのも悪くないだろう。

「悪い悪い。別に疑っているつもりはないよ。そうだね、今日の放課後行ってみようかな」

「本当なら俺もついていけたら良いんだが、放課後は部活があるからしんどいなぁ。申し訳ない。」

「いや大河にそこまでしてもらうことはないよ。ありがとう」

 これでひとまずの行動方針は決まった。

 目指すは数研の部室だ。



 放課後、俺は数研の部室である生物準備室の前にやってきた。いつもなら一日の学校生活が終わり、ヘトヘトになりながら帰っている頃だけれど、今日はまだ仕事が残っている。なんとかしてオカルト研究会(そんなものが実在すればだが)とコンタクトを取って、ミケのことを相談しなくてはならない。そもそもこの案件はオカルト研究会の領分なのかという問題もあるが、そこは藁にもすがる思いである。

 俺は、よし、と気合いを入れると、教室のドアに手をかけた。この中にいるのは、数研を隠れ蓑にしてまでオカルト研を運営しようという変人かもしれないのだ。ドアを開ける手が力むのが分かる。

 ええい、ままよ。思い切ってドアを開けると、広がっていたのは正に『オカルト研』と名乗るのにふさわしい光景だった。

 入り口から正面に見える、校庭側の大きな窓には暗幕がかかっていて、複雑な魔方陣が描かれた模造紙が貼ってある。おかげで室内は昼にしては少し暗い。さらに、左右の壁に並んだ棚にもところどころに、見たこともない文様が記された色紙や、どこぞの部族のお面のようなものが並んでいる。生物準備室ということで、カエルや魚のホルマリン漬けとか人体模型が並んでいるのも、妖しさに拍車をかけていた。

 そして、物であふれて狭い教室に一つだけある実験机に向かって、何か書き付けている少女の姿があった。こちらからでは完全に背中しか見えず、様子はよく分からない。

「すいません~」

 ここはオカルト研で間違いないだろうと確信しつつ、俺はその少女に声をかける。

 すると、少女は突然声をかけられて体をビクリと振るわせた。書き物に熱中していてドアの開く音にも気づいていなかったようだ。

 少女は振り向いてこちらの姿を認めると、慌ただしくペンを置いてこちらに向き直り、手を顔の前に翳しながら仰々しく出迎えた。

「さあ、我がオカルト研究会へようこそ。そろそろ来る頃だと思っていましたよ」

 いや今お前めっちゃビックリしてただろ。

 少女は黒髪を二つに結び、黒縁のメガネをかけている。左目の目元には泣きぼくろがあった。制服の胸のピンの色から、一年生だと分かる。

 翳した手の奥で少女は不遜な笑みを浮かべ、真っ直ぐに俺を見つめていた。

 すでに面倒くさい匂いがぷんぷんしてウンザリしてきたが、ここが唯一の頼みの綱なので、回れ右して帰るわけにもいかない。

「どうも。三神稔と言います。ここは数研の部室ということになっていたと思うんですが……?」

 少女は翳していた手を横にビシっと伸ばす。気取った仕草だ。

「ふふふ、数学研究会というのは世を忍ぶ仮の姿…… 我が団体の真名はオカルト研究会というのですよ。超常現象を隠蔽しようとする様々な権力から逃れるためには、このように姿を偽らざるを得ないのです」

 こういうのを何て呼ぶのか俺は知っている。そう、中二病だ。高校生にもなって何と痛々しい……

「それはさておき、三神稔氏。貴方は数研に如何なご用件で? 多少は数学も嗜んでいるので、ご期待に沿うことはある程度可能だと考えますよ」

「いや、実はオカルト研のほうに用があるんですよね」

「ほう……?」

 彼女の目が妖しく光る。

「最近、超常現象に悩まされているんですよ。オカルト研なら、その手の話題に明るそうですし、相談させてもらえないかなって」

「超常現象について相談ですって!? 是非話を聞かせてください!!」

 すっごい興味を示してきた。目が爛々である。でも君、素が出ているよ……

 少女は、一瞬「あっ」という顔をしたが、咳払いをして何事もなかったように振る舞う。

「私の真名は周防瑠理。あなたはピンの色から二年生とお見受けします。わざわざ敬語を使うこともありませんよ」

「それじゃあ、そうさせてもらうよ。君も別に無理して敬語にしなくても良いんだよ?」

「いえ、優れた人物ほど礼儀は重んじるものですよ、先輩」

 そういうものだろうか。

「それで、相談というのは?」

 わくわくが抑えきれないといった様子で、周防が促してくる。

 俺は昨日のミケとハナの話をした。オカルト研を名乗るだけあって、俺の突拍子のない話も否定せずに、素直に聞いてくれている。

「というわけで、ミケやハナが元の姿への戻るための方法を調べたいんだ」

 と、俺は話を締めくくった。

 そこまで話を聞いていた周防は、うんうんとうなずいた。

「なるほど。それはおそらく、川住市の七不思議の一つですね」

 川住市とは、俺が住んでいる市の名前であり、この学校があるのも川住市内だ。

「川住市の七不思議? 今まで暮らしてきてそんなのがあるとは知らなかったよ。他の六つはどんな不思議なんだ?」

「それは……」

 周防が勿体つけてニヤりと笑うので、俺もつい引き込まれるように先を促してしまう。

「それは……?」

「まだ調査中です」

 ズッコケそうになった。おいおいおい。それは七不思議と言えないだろう……

「調査中ですが、私はこの古くから栄える川住市には、多くの不可思議が眠っていると信じていますよ。我がオカルト研は、その調査のために設立されたと言っても過言ではありません」

 本人は至って真面目な様子だ。何が彼女をそこまで奮い立たせるのかはよく分からないが、俺が立ち入る話でもないだろう。とにかく、彼女は七不思議の調査がしたくて、俺は超常現象の解決を望んでいる。利害は一致しそうだ。

「まあ、とりあえず七不思議の話は置いておくとして、この超常現象を解決する方法に、心あたりはないか?」

「そうですね…… 動物が人間の姿に化けるというのは、物語や伝承においてよくある型と言えるでしょうね。『鶴の恩返し』はその良い例ですが。今回の件では、他の動物についても同様の事例は起きているんでしょうか」

「少なくとも俺は知らないが、あったとしても知りようがないだろうな」

 動物が人間になったなんて話を言いふらす人が居たとしても、冗談だと流されて終わりだろう。俺の耳に届くはずがない。

 周防は眉をしかめる。

「現段階では仕組みからアプローチすることは難しそうです。ひとまず、理由から考えることにしましょう」

「というと?」

「私は常々考えているのですが。『どうして超常現象が起きたのか』という問いには二通りの方向からの回答が可能だと思っています。それは、『How、どのような仕組みで』と『Why、どのような理由で』です」

 周防の表情は、真剣そのものだった。

 日頃から、本当に真面目に超常現象と向き合っているらしい。

「今回の場合、ミケさんやハナさんは普通のペットなわけですから、初めから自力で人間に化ける能力を持っていたとは考えにくいでしょう。キッカケがあって、何かの仕組みが作用して、人間に化けたと考えられるわけですが。現時点での情報ではこれ以上突き詰めることはできません。そこで、理由からのアプローチをしてみるのです。仮にミケさんやハナさんを人間にすることができる何らかの仕組みがあったとしても、それが作用する理由がなくては、実際に人間になるとは考えられません」

「……作用する、理由?」

 長々とした説明を曖昧にしか理解できず、俺は首を傾げる。

「ずばり、誰かがそれを望んだから、ミケさんやハナさんは人間になったのではないかと思われます」

 周防が短く、重要な要点をまとめてくれた。

 日常から逸脱する非日常的な出来事。超常現象は、それが望まれる理由が何か存在しなければ、起こるはずがないのではないか。

 自然には発生しないからこそ不自然なわけで。周防の真面目な表情も相まって、この主張には妙な説得力を感じてしまった。

「先輩には、そのような望みに心あたりはありませんか。その望みさえ叶ってしまえば、超常現象には存在し続ける理由がなくなります。望みを叶えることで、超常現象を解決することができるはずです」

「なるほど……?」

 根拠は希薄だが、筋は通っているような気もする。

「だが、残念ながら俺にその心あたりはないな……」

「うーん、それなら、ミケさんのほうかもしれませんね。今日家に帰ったら、ミケさんと一度ちゃんと話し合ってみてください。何かミケさんに望みはないのか。あったとしたら、それは叶えることができないかを。そうすれば、今の状況を打開する方法が見えてくるんじゃないでしょうか」

「ありがとう。助かるよ。早速聞いてみる」

 ただの痛い奴かと思ったが、どうやらこの周防という後輩は、なかなか頼りになる存在かもしれない。

 そうと決まれば長居は無用。すぐに家に帰ることにしよう。周防にも迷惑だろうしな。

 俺は踵を返し、教室の出口へ足を向ける。

 しかし、体は動かなかった。周防が俺の制服の裾をガッチリ掴んでいたのだ。

「え……?」

「先輩、用件だけ済ませたらもう帰ってしまうんですか。ここは来客が少なくて退屈なので、せっかくいらしたならもっとお話したいです」

 周防の目が再び輝いている。

「いや、でも、さっきまで周防も何か作業していたんだろう? そっちは続けなくて良いのか?」

 俺は、実験机の上の、謎の記号が羅列された紙に視線を遣る。

「ああ、シローの定理の証明を思い出していただけなので気にしないでください。そんなことよりほら座って」

「シロ……?」

「さあ先輩、何の話が聞きたいですか? そうだ、このお面についてなんてどうでしょう?」

 聞き慣れない単語に首を傾げる俺に、周防は棚から一つのお面を引っ張り出してくる。

「いや、俺は、」

「そんな遠慮しないでくださいよ、先輩」

 すごい強引だ。

 コイツは頼りになるかもしれないが、面倒くさい奴でもあるらしい。

 俺は結局、下校時刻になるまで、彼女のオカルト話に付き合わされたのだった。




 

 

 

 



 

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