第2話

「ふむふむ。なるほどね~」

 さらに五分後。リビングにはちゃぶ台を囲む三人の姿があった。俺、ミケ、円だ。ミケはTシャツワンピースを整え、借りてきた猫のように静かに座っている。

 俺に再び裸を見られたミケはまたも荒れ狂ったが、スマホを手にして通報しようとしている円と、それを必死に宥めすかす俺を見て、ことの重大さに気づいたらしい。一気にしゅんとして、成り行きを見守る側に回った。

 一方の俺は、ミケの身に起きた不可思議現象を円に正直に話した。ダメで元々。とても信じてもらえるとは思っていなかったが、この幼馴染み、俺の言うことを簡単に信じてくれてしまっていた。

「自分で言うのもなんだが、俺の言うこと本当に信じられるか?」

「まあ、いきなりこんなこと言われたら、いくらミノくんの言うことでも簡単には信じられないよね」

「じゃあなんでそんな納得した風に……」

「実はいきなりじゃないのさ、これが」

 円は意味ありげにニマニマ笑うと、話題を唐突に変える。

「さて、ミケちゃんはこうして人間の姿になってしまったわけだけど、いつまでもミノくんの服でワンピースしているわけにもいかないよね?」

「もちろん、コイツの前でこんな危なっかしい格好続けられるわけないわ。さっきだってどさくさ紛れに私の裸を見られたわけだし」

 事が落ち着いたと見たのか、ミケの口調がトゲを帯びてきた。借りてきた猫はどこかへ行ってしまったらしい。

 というか……

「裸も何も、そもそも猫はいつも服を着ないじゃないか」

 うっかり心の声を漏らしてしまった俺。一瞬で後悔した。

「はあ?」

「はぁ……」

 獲物を殺すようなミケの目と、呆れたような円の目。どうやら言ってはいけないことだったようだ。

 考えてみればネコ科は捕食動物。不用意に怒らせないほうが身のためだろう。

俺は口をつぐんだ。

「無粋なミノくんの発言は置いておくとして、ミケちゃんとしてはお洋服がないと困っちゃうよね。外にも出られないし」

「そうね」

「そこでなんだけどさ、ボクが昔着ていた服を貸そうかなって思ったんだけど、どうかな?」

「いいの!?」

「もちろんさ。このままミノくんに任せていたら可哀想だからね~」

「助かったわ。これでコイツの服を着なくて済む!」

 ガッツポーズをとるミケ。

 円の服だったらいいのか……

「さ、そういうことだからさ。ミノくん、今からボクの家までお洋服取りに来てよ」

「こうなったら仕方ないな。じゃあ、ミケはお留守番頼むぞ」

 立ち上がる俺を、ミケは不満そうに睨む。

「私は連れて行ってくれないの?」

「そりゃ、そんな格好じゃまだ外には出られないだろう」

 高校生の男女二人が『ペット』と称して、見た目中学生くらいの女の子を半裸で連れ回していたら、それこそワイドショー沙汰である。

「今日洋服貰ってきたらちゃんとした格好できるから。そしたら一緒に出かけような」

「アンタと二人で?」

「嫌なら円にも付いてきてもらうけど……」

「ふんっ!」

 うまく宥めたつもりだったが、ミケは不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。

ダメだ、ミケの心が全然読めない。

 猫の姿の頃はもっと可愛げがあったんだけどなぁ。どうしてしまったんだろうか。

「確かにそれはどうしようもないわね。よろしく頼んだわよ」

 ミケからの許しが出たので俺と円は玄関に向かう。

「ついでにミノくんに見せたいものもあるのさ」

「なんだ?珍しい文房具でも入荷したのか?」

 円の家は、駅前の商店街の文房具さんだ。

「チッチッチッ。そんなもんじゃないよ」

 続きを待ったが、円はそれ以上詳細を語ろうとしない。どうやら見るまでの秘密ということらしい。

「へー、楽しみにしておくよ」

 円のことだ。大したものでもないだろう。

「それじゃあ行ってくるぞ~」

 部屋を出るとき振り返ってミケに声をかけてみたが、完全に蚊帳の外にされたミケはますます機嫌を損ねてしまって、返事は返ってこなかった。



 駅に向かう道を円と二人で歩く。さっき下校で通ったばかりの道だ。

 異なるのは、時間と人数だけ。

「ミケのやつ、感じ悪くてごめんな。猫の頃はあんなでもなかったと思うんだけどなぁ」

「ふふ、ミノくんに対しては前からあんな感じだったと思うよ」

「いやいや、抱いたり撫でたりしてもあんなにキレなかったぞ」

「うーん、まあ、そうかもね~」

 何だか歯切れの悪い返事だ。まさか、俺が気づいていなかっただけで、以前からあんなキレッキレだったと思っているのだろうか。失礼な話だ。

 大通りに出て信号を曲がる。それから俺らの間には沈黙が流れた。クラスの奴の前であればどうにか話題を繋ごうと努力するところだが、円だったらまあいいか、という気持ちになる。

 静けさを、西日の橙が彩っていた。ときどき思い出したように、車道を走る車の音が響く。

「しかし、こうして二人で歩いていると、なぜか昔を思い出すな」

「そうだね~ 昔はよくお互いの家で遊んだもんさ」

 懐かしい話だ。小学生の頃は「ミノくん」「マドちゃん」と呼び合って、仲良く遊んでいたのだ。さすがに中学に上がってしばらくすると、お互いそうも言っていられなくなって少し距離ができてしまったが、高校生になって円がときどき家に来るようになり、また最近ではこうして良好な関係を築けている。この点では、「思春期特有の微妙な距離感」に鈍い母親の、息子の世話を同い年の女子にテキトーに押しつけてしまうような図々しさに、感謝していなくもない。

「ふふ、去年ボクが久しぶりにミノくんの家に行ったとき、ミノくんボクのことなんて呼んだか覚えてる?」

 その話を持ち出すか!

「真宮さん……」

 俺は不満げに答える。

「いや~あれはビックリしたね。あんな他人行儀なの面白すぎるのさ」

 結局、その他人行儀な呼び方を円が嫌がり、今の『円』呼びに落ち着いた。

 ひとしきり円が笑うのを待つ間、俺は仏頂面を続ける。

「ビックリしたと言えば、久しぶりに真宮家に行ったときに、店先に犬がいて驚いたな」

 露骨に話を逸らしたがバレなかったらしい。

「ハナを飼い始めたのは、あんまり会ってなかった中学生の頃だもんね~ ミノくん、あのときハナにたくさん吠えられてたね」

 今も会うと吠えられるけどな。

 ハナは、真宮家で飼われている看板犬である。円にめちゃくちゃ懐いているし、基本的に人懐っこい犬なのだけれど、何故か俺には懐かない。

 悲しくはない。俺にはミケがいるからな。



 そうこう喋っているうちに、円の家に着いた。

 駅前から続く商店街の真ん中のあたりに、真宮家の文房具屋さんがある。今日は店先にハナは出ていないようだ。助かった。

 店頭で常連さんと談笑する円のお父さんに軽く会釈し、店の隣にある玄関へと向かった。円がインターフォンを鳴らすと、家の中からドタドタと人の走る音が聞こえ始める。円はまたニマニマ笑うと

「ミノくん、ビックリしないでね」

 と意味深なことを言う。

 そして、ドタドタとした足音が玄関の向こうで止まったかと思うと、勢いよくドアが開き、見知らぬ人影が飛び出してきた。

「ごっしゅじーん! お帰りなさいませ~」

 その人物はパッと見で俺らと同い年くらい。金色の髪の毛に淡い碧色の瞳をした少女だった。あとはだいぶ胸が大きい。

 目立つものに目が惹かれるのは、性別問わず人間の性で。だから、思わず少女の胸をじっと見つめてしまったけれど、それは俺のせいではないと、ちゃんと主張したい。

 その少女は、幸いなことに俺の視線には気づくことなく、というかそもそも俺の存在にすら気づかないようで、そのまま真っ直ぐに円へと抱きついた。

「ただいま、ハナ。まったく元気なんだから」

 円は少女を撫でる。

 あー、なるほど。

 さっきまでの円の言動にいろいろ納得がいった。

 つまり、真宮家の飼い犬であるハナも、人間の姿になってしまっていて。目の前のメイド口調の少女こそが正にハナだというわけだ。だからこそ円は、「ミケが人間になった」という俺の談も疑わずに信じてくれたわけだ。腑に落ちたぜ……

 いやいやいや! そんな簡単に受け入れられるか! ミケだけでなくハナまで人間の姿になるとは、そんな偶然あってたまるかよ。

 あまりの驚きに脳内一人ノリツッコミをしている俺に、円が満足そうに振りかえる。

「驚いてる驚いてる~ 紹介するね。こちら、人間の姿のハナちゃんなのさ。ハナも、今日私が学校行っている間に人間の姿になっちゃったんだよ」

「さっき言ってた見せたいものってこれのことか。まさかこんなことになっているとはな」

 円の胸に顔をうずめていたハナは、そこでやっと俺の存在に気づいたようだった。顔を上げ、俺を睨む。

「あら、三神さんもいらしていたんですか」

 声の温度が一気に下がる。さすが、俺に懐いていないだけはあるな。

 とはいえ俺も大人なので、ここは素直に挨拶する。

「どーも」

「ご主人。どうして三神さんをお連れになったんですか?」

 なんかすごい警戒されているな……

「実はミノくんの家のミケちゃんも、人間の姿になっちゃったみたいでね。着る服とかないだろうから貸してあげようと思ったのさ」

「あらあら、なんと。わたくし以外にも人間の姿になった方がいらっしゃるんですか…… それはお互い難儀なことですねぇ」

 まあミケはそんなに困ってなさそうに見えたがな、たぶん。

「しかし流石、お優しい我がご主人でございます! 三神さんも感謝するのですよ」

 ハナは再びじゃれつくように円にしがみつく。さすが、円にデレデレなだけあるな。

「いやそんなそんな、言うほどのことはしてないのさ」

 褒め殺された円は少々困り顔だ。しかし、言われてみればちゃんと円にお礼を言っていなかった気がする。親しき仲にも礼儀はあるべきだ。

「いいえ、とても助かりました。ありがとうございます、円様」

「えぇ、ちょっとミノくんまで乗っからないの~」

 ふざけた俺の礼にも本気でテレる円。良いものが見られた。

「と、とにかく、今すぐ出せそうな洋服持ってくるから待っててね」

 円はハナの手をほどくと、逃げるように家に入ってしまった。

 俺とハナの間に気まずい沈黙が流れる。

 うーん、共通の話題が見いだせない。

 ちらっとハナのほうを見ると、ハナは俺を無言でじいっと睨んでいた。

「な、なんだよ……」

「いえ、別に。覇気のない顔をしている、と思いまして」

 ずいぶんな物言いである。

 不満の意を込めて肩をすくめてみたが、ハナは意に介さない。

「三神さんは、一体いつからそんな風に過ごすようになられたのですか?」

 質問の意図が分からず俺は目で聞き返す。

「いえ、別に深い意味はありません。そんな辛気くさい顔している方と仲良くされていては、ご主人の評判まで落ちてしまいかねないと、心配になっただけでございます」

 ハナは俺の何がそんなに気に障っているのだろうか。てっきり飼い主と仲良い俺にやきもち焼いているだけかと思っていたのだけれど……

 他人の考えることはよく分からないものだ。

 それからまたしばし沈黙。

 沈黙が辛くなってきた頃、円が紙袋を持って家から出てきた。

「お待たせ~ 二人とも何か話したりしたの~?」

 残念ながら、円に話せるようなことは何も話していない。

「辛気くさい顔した人間があまりご主人に近づいていただきたくはない、とお話していました」

 コ、コイツ、そのまんま言いやがった。

「こら、ミノくんのことそんな風に言っちゃダメなのさ。確かに、死んだ魚みたいな目をしているミノくんだけど、根はとっても良い子なんだから」

 円も大概失礼なことを言う。

 それ以上ハナも何も言わなかったので、円はこっちに向いて、紙袋を手渡した。

「はい、これがお洋服だよ。とりあえずすぐ見つかったものだけ入れてきたけど、一週間分くらいはあるはずさ。また足りなくなったら言ってね~」

「うん、助かるよ」

 俺は受け取って中身を確認しようとしたが、

「見ちゃダメ!!」

 円はすばやく俺の手を押さえる。

 柔らかい手の感触が手の甲を覆った。

 心臓がドクンと跳ねるのが分かる。俺は慌てて手を下ろした。

 何かまずいことをしてしまっただろうかと思って、同じくすぐに手を引っ込めた円のほうを見ると、

「その、下着とかも入ってるのさ……」

 円は顔を真っ赤にしていた。

「ご、ごめん!」

 俺も釣られて頬が熱くなる。

 なるほど、それは確かに考えなしに見ようとしてしまって申し訳なかった。いくら昔のとはいえ、他人に自分の下着を見られたくはないだろう。

 俺はそのまま紙袋を右手に持つと、冷静を装う。

「改めて、ありがとうな。大事に使わせてもらうよ。そ、それじゃあ」

「う、うん。またね~」

 何だかぎこちないやり取りだ。俺らを見るハナが、呆れた顔をしている。



 そうして、帰途に着いた俺だが、ふと気づく――

 ミケが着た服を洗濯するのは俺なのだ。今見なくたっていずれ……

 しかし、俺は努めて考えないことにした。

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