第2話
僕は高校三年生になった。高校生活の二年間は本当に一瞬で、気がつけば残り一年で卒業になっていた。
楽しい思い出も悲しい思い出も何一つ得られずに無駄な時間を過ごしてしまった気がする。
今は始業式前だ。
月曜日の朝ということで
だから、僕はどうしても休み明けは憂鬱だった。
学校という社会から解放された三週間ちょっとの自由時間。勉強も人付き合いも苦手な僕にとってはその時間がとても好きだった。だから春休みが終わった初日の学校ほど憂鬱なものはない。
「はあ……」
皆が和気藹々と談笑を楽しんでいる中、僕は一人自分の席に座って机に突っ伏す。
当然、僕が話しかけられることはない。そのくせ輪に入れない気まずさが心を蝕んで行って早く帰りたいな、そんな事を思っていると――
「なあ、ちょっといいか? 」
後ろから肩をちょんちょんと優しく叩かれた。
(え、僕怒らせるような事したっけ……)
まだHRは始まっていないし、学校に来てからは真っ先に黒板を確認して席に着いたので変な行動はしてない。まあ、先生には教室の場所を教えて貰ったのだが。
恐る恐る肩を叩かれた方を向くと男数人が僕を囲むように立っていたが、その顔色はあまり芳しくなかった。
どこか不安がるような顔をしていて僕は首を傾げてきょとんとしてしまう。
「どうしたの? 」
「蓮って俺の事……その覚えてるか? 」
中でも一番背丈の小さな幼い顔立ちの男子が言う。
その言葉に僕は――
「ごめん。忘れちゃったみたいなんだ。だから……また一週間、仲良くして欲しいです」
作った微笑みを向けることしか出来なかった。
「そっか。また仲良くやろうぜ!今年で俺達卒業するしな」
僕に話かけてきたクラスメイトがそう言うと周りの人達の暗かった表情も少し穏やかになり「よろしく」と声をかけてくれて思わず口元が緩んでしまう。
僕がこくりと頷くのと同時にチャイムが鳴り、名残惜しそうにそれぞれ席に戻っていく。
まだ担任は紹介されておらず、教師は誰も来ていない。
そのため席に着いてもクラスが静かになる事はなく後ろからは「お前卒業出来んのかよ! 」「うるせー! 出来るに決まってんだろ! ……多分」
そんな楽しそうな声が聞こえてきて安心した。
僕はまた、このクラスに迷惑をかけるかもしれないけどやっていけるってそう思うのと同時に朝のことを思い出していた――
「蓮はね。記憶を一週間しか保持することが出来ないの」
朝起きて気づかない間に模様替えされた自分の部屋に驚きつつ、リビングに行くと母親が締め付けられるような顔でそう言った。
僕は突然言われたその言葉の意味が分からなかった。
だって、僕は中学三年生で――
友達もそれなりにいて学校でも上手くやれてて――
春からは高校生で――
「ほら、こんなにも僕は自分の事を知っているよ? 」
「蓮は中学三年生の記憶までは覚えてるけどそれから先、高校生活の事は何も覚えられていなくて……本当はね? あなたは今17歳で高校三年生なの」
僕はお母さんの言っている事が信じられなくて眉を寄せる。
そんな事も見据えていたのか、お母さんは僕の目の前にスマホを差し出すと微笑んでリビングから出て行ってしまった。
訳が分からなかったけど、とりあえず、ソファに座って見ることにした。
スマホは僕ので、画面を覗くとスラッと伸びた背と整った前髪が好印象の少年が出てきた。
「これって僕……? 」
それは見間違えるハズもなく、ちょっと雰囲気は違うけど紛れもなく僕だった。
画面の中の僕はお辞儀をしてから話を始めた。
動画の内容はこうだ――
僕は生まれた時からこうではなかった。中学三年生の頃、突然原因不明の記憶障害に合った……らしい。画面の中の僕も覚えてはいないようだ。両親や医者は過度なストレスなどが原因ではないかと睨んでいるらしいが、僕が記憶障害を自覚出来ていなかったり、何が脳に負担をかけたのかが分からなかったりと、色んな事が重なって対処法も分からないそうだ。両親は僕が記憶を無くす度この話をしていたのだが、記憶を無くした僕が信じてくれないことが何度かあり、一年ほど前にこの動画を撮ったそうだ。
蓮の記憶は中学校三年生で止まってるの、なんて母親に言われて信じられる訳がないと思っていたけど動画を見てちょっと考えが変わった。僕の両親はこんな手の込んだドッキリはしないし今の自分を鏡で見れば一目瞭然だった。
「本当に僕は記憶を失っているのか」
不思議な感覚だった。
目の前にいる男は顔や声、仕草や性格すら自分だというのに誰かに乗っ取られている感じがして気味が悪い。
――だってこいつは僕の知らない記憶を持っているんだから。
そんなことを考えていると最後に、と真剣な表情に変えた画面の中の僕が咳払いする。
『この動画を見ている君はきっと心配なことがたくさんあると思う……けど大丈夫。どんな時だって君を支えてくれる人がずっと横にいてくれるはずだから。記憶は一週間しか持つことができないけど……それでもきっと楽しかったことは絶対に思い出せるようになるって信じて生きていこう』
画面の中の僕が微笑むとスマホの画面が真っ暗になって動画は終わった。
最後に見た自分の顔が今にも泣きだしそうなのに必死に笑顔を作っていて……何も映らない液晶を見る事しか出来なかった。
気づけば教壇にいた教師の話が終わって皆が別室に移動するところだった。
まずい……何も話を聞いてなかった。
慌てて立ち上がり人の流れに沿って付いていく。
まだ学校の構造を理解してなくてどこに向かってるのか分からずおろおろしていると腕に柔らかい感触があった。
「体育館はこっちだよ」
「あ……」
見慣れないブレザーの袖を見ると僕の掌を握って引っ張ってくれる華奢で細い掌があった。
僕は握り返すことも振り払うことも出来ずに、ただその小さくて優しそうな女の子の背中を追いかけることしかできなかった。
「ありがとう。学校の構造理解しきれてなくて……」
「大丈夫だよ。蓮君の事だからきっと自分の事でいっぱいだと思うし、先生の話全く聞いてなかったでしょ」
「ご、ごめん」
どうやらこの子にはバレバレの様だった。
僕は苦笑いをしてそっと掌を握り返すと、その子は驚きつつも僕の方を見て嬉しそうに微笑んでその小さな掌によりいっそう力を込めた。
その顔は初めて見たのに、頭のどこかでは会った事があるような気がして仕方がなかった。
体育館では始業式が行われた。
長いと思われた校長の話は案外早く終わり、歌詞の知らない校歌にあたふたしながらも口パクでやり過ごして始業式はあっさりと幕を閉じ、ぞろぞろとまばらに教室へ向かう生徒の中に僕は目を凝らしてさっきの子を探していた。
どうしても彼女にはお礼がしたかったし話も聞きたい。
これは勘でしかないけど、彼女はきっと僕と仲の良い友達の一人だったと思う。
歩きながら周りを確認するもあまり女子の方を見て誤解されるのも嫌なので半分諦めていた。
「なんだか暗い顔してるね。なんかあった? 」
「あー気にしないでください。人を探して――」
後ろを振り向いた瞬間言葉が詰まった。
目の前にいるのは僕が探している人だったからだ。
肩まであるその黒髪は綺麗に揃えられたミディアムストレートを際立たせてつやつやとした光沢が見える。
「誰を探しているの? 」
彼女は顎に人差し指を添えて首を傾げ、ぱっちりとした二重の瞳が僕を見据えた。
一瞬その仕草にドキッとしたが表に出ないように彼女から視線を逸らす。
「じ、実は君を探していて」
「え。私? 」
彼女は一瞬驚いて目をぱちくりさせていたが、すぐに口元に笑みを浮かべる。
「さっきは案内ありがとう。君の言う通り僕、先生の話聞いてなくてさ。本当に助かったよ」
「い、いいよ。私がしたくてしたかった事だし。それに……」
「それに? 」
「また仲良くしてほしいから……」
彼女は消え入りそうな声でそういうと僕の肩を掴んで後ろを向かせて押してきた。
僕が困惑しているともう体育館から出ないと先生に怒られるよ、と小声で言われ気づけば周りに三年生はいなく二年生が退場するところだった。
この子には迷惑をかけてばっかりかもしれない。
始業式が終わればHRをして下校。
先生の話を聞く限り明日は進級お祝いテストがあるらしく、それを聞いた瞬間クラスがざわつくが担任の咳払い一つで静かになる。
去年と担任は同じらしくこしょうより塩の多い頭で眼鏡のよく似合う優しそうな五十代くらいの男性だ。
きっとほんとはすごい怖い先生なんだろうなんて考えながら僕は少しだけ姿勢を正した。
「明日はテストですし話は短めにしたのでこれで下校とします。真っ直ぐ帰って勉強するように……それでは起立。礼」
先生が挨拶をし教室から出ると張り詰めていた空気も和やかになった。
颯爽と帰る人、友達とじゃれ合ってる人やスマホを触っている人。
そんな人達を横目に僕は先生に渡されたプリントを見ていた。記憶が残らない僕にとって義務教育でない高校は勉強が命だ。
まあ、一週間したらまた忘れちゃうけど。
授業自体は態度も取り組みもいいらしいから、テストで点を取れということだろう。今日だけで問題集をやって解けというのは流石に無理があるので僕だけは明後日にやることとなった。
それに明日は病院に行かなければならないので学校は休む。それも考慮してくれたのだろう。
現在の時刻は正午を過ぎたところ。
早く家に帰って問題を頭に詰め込めるだけ詰め込もう。
僕は素早く手提げバッグにファイルや教科書を入れそそくさと逃げるように教室から出た。
取り残された感じがして居た堪れなかったからだ。
――そんな僕に話しかけようとしていた人がいたことは知る由もない。
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