遺産
「取り立てに動いている連中がヤバいの。理屈が通じる相手じゃないの。だから私は夫と一緒に身を隠すから」
「わかった。多くは聞かない、元気でね」
彼女もそれを望んでいる。そう悟ってできるだけあっさりと答えた。
「そうじゃないって言ってるじゃない。借金は百二十億なの」
「だから極度額は十万だって……」
「亡くなった父親に実質上限なしの連帯保証人になってもらっていたの。だから四人の相続には百二十億の借金が加わって、差し引き六十億の負債が残るの。だからあなたはすぐに相続放棄して! 手続きの邪魔をされないようにヤバい連中から身を隠して。いいわね!」
それだけ言い切ると電話は切れてしまった。すぐに折り返したが、もうつながらなかった。
つまりこの相続で誰かが連帯保証の相続を隠していたということになる。そして連帯保証契約の際、浮かれていた私はその負債全容を把握せず十万の極度額だけでえ安心していたということだ。
部屋の隅には驚いた顔の彼、そして自虐的に頬が緩んでいった。
「聞いたか? 負債六十億の相続……」
「聞いた。すぐに相続放棄しろって」
お互いそれ以上口にする必要はなかった。彼の持ってきた投資話に相続した金の一部を使ったため、二人とももう相続放棄ができないことを自覚していたから。自暴自棄だった頃だったと言い訳しても迂闊な行動には違いない。
どうしてこう悪いことは重なるのか。でも私が逡巡している間に彼は動きだす。
「俺は身を隠す。このスマホも電源切ったら捨てる。ここからは別行動だ」
「わかった」
彼には悪いが私にはあてがあった。昔の仕事の仲介をしてくれる元カノとは最近連絡があって新しい仕事を受けたばかり。結婚前の裏稼業、闇医者に戻ることはその時に決めていた。彼女は裏社会にも通じている。借りを作るのは嫌だけど、今回のギャラで匿ってもらうしかない。
彼が席を立った瞬間、唐突に数人のやくざ者がなだれ込んできた。そいつらは容赦なかった。私も彼も抵抗する間もなく取り押さえられ、猿轡をかまされると表に停まっていた黒塗りで窓も真っ黒な中の見えないバンに押し込まれた。そして頭から黒い布を被せられると後頭部を殴られて気を失った。
……
次に私が太腿の痛みで目が覚めたその場所は、私が勤めていた田舎の病院の手術室だった。そして私は裸で手術台に固定されていた。唯一猿轡だけは拉致された時のままだ。
「ほら、内腿には神経が集まってるんだ。一発で目を覚ましたろう」
声の主は真っ赤なプラスチックの頭をした画鋲を指先でくるくる回しながらそう自慢していた。そしてそいつは一緒に拉致されたはずの養子の男だった。
「あれぇ? 訳が分からないって顔だな」
そう言って下卑た笑いを浮かべたその顔で頭に血が上った。無駄だとは思っても拘束を外そうと手術台の上でもがいた。
「おいおい、大事な体なんだ。全て教えてやるから、それまでに麻酔を使わせないでないでくれ」
そしてそのクソ野郎は私の胸に手を置いた。すると不意に後ろのほうから声がかかる。
「その汚い手をどけなさい」
周りからは先ほど私を拉致したやくざ者の姿はなく、ガタイに似合わない黒服たちが占めていた。その間から見える黒服に黒い帽子、おまけに黒メガネの優男がその声の主で、彼はスマホを操作しながら近づきつつ、その台詞をクソ野郎に向けていた。
「へいへい、スポンサー様には逆らいません」
そう言いながらクソ野郎は顔の前で両掌をひらひらと回した。
そして改めて私に視線を寄越す。
「俺は相続放棄ができるんだ。でもあんたはできない。確かに投資はしたさ。でも俺はこちらのお兄さん方から借りた金をつかった。つまり親の金に手を付けたのはあんただけってことだ」
こいつ、はめやがったのか。人が落ち込んでいるところに付け込んで。確かに投資については全部任せた。結果を確認しただけだった。
「あとは実子の二人だけど一人はとっくの昔に相続放棄してるんだ。あ、ごめん、俺も放棄済みだったわ。あの時の電話は俺の指示で連中に掛けさせたものだったんだ。ちょっと間違えて変な名前で登録してたけど」
悔しさから猿轡をかみ切ろうとしたがどうにもならなかった。
「これからあんたの内臓を全部取り出して、世界中の病気の人のために役立てることになっているんだよ。金を返せないクズでも最後に役に立てるんだから光栄に思うんだな」
そう言って笑いだすクソ野郎。
「あれぇ、観念したのかな。まあいい。じきお医者様がお越しになるからもう少しお待ちください」
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