第7話 桜庭

 車を降りて獣道を進むと、三体の地蔵が見えてきた。ずっと昔からあると見えて、顔が識別できないほど、凹凸が削れてしまっている。

「普通は、こいつらを動かしたところで何もないんだがな」

 言いながら、権蔵が地蔵を持ち上げる。確かに、地蔵の下はのっぺりとしたコンクリートの台座で、洞窟への入口など見当たらない。

「手順があるんだ」

 権蔵は一番左手の地蔵を動かし、山の頂を向く格好を取らせた。次に、真ん中の地蔵も同様に動かす。最後の地蔵は、向きを変えてはならないらしい。代わりに、首を一回転させる――よく見ると、首が根元で割れており、胴体に乗っているだけの状態だった。

 手際よくそれらをこなし、権蔵は改めて真ん中の地蔵を持ち上げる。

「ほら見ろ」

 そこには、今までなかった細い空洞が開いていた。中肉中背の大人が何とか入り込める、といった穴だ。奥は暗くて見えないが、縄梯子が下げられている。

「早速だが、入ってみよう」

 言うが早いか、権蔵は縄梯子を伝って降りて行ってしまった。院長に促され、僕も後に続く。

 見た目通り穴は極めて狭く、僕は何度か肘やひざをこする羽目になった。下を行く権蔵と、上から降りてくる院長の動きで縄梯子は不確かな動きを見せる。権蔵が地下に到着し、足音が聞こえたときには、安堵のため息を漏らしていた。

 地下に降り立つと、そこは僕が想像していたよりも近代的な造りだった。洞窟と言うよりも、地下トンネルといった風情だ。壁や天井は漆喰壁となっていて、所々に蛍光灯の明かりさえ灯っている。権蔵によると、数年前に島の有志で整備したのだそうだ。

「ここまではカゲもやって来ないからな。ちょっと奥に進むと、本来の洞窟が見られるわけよ」

 どうやら、エレベーターのようなものは存在しないらしい。やはり洞窟の内部は異なっているのだ。

 院長の到着を待ってから、僕らは進み始めた――車を運転していた若者は、地蔵の前で僕らの帰りを待つのが仕事だそうだ。何かあれば救助に駆けつけることもできるし、それをあきらめて島内に危険を知らせることもできる。些細な点にも、島のシステムは行き届いていた。

 権蔵と院長に続いて進むと、やがてごつごつした岩肌や苔で覆われた地面が現れた。ここからが、整備されていない『本来の洞窟』というものなのだろう。

「たまにこの辺にもカゲが出張って来るからな。用心しろよ」

 トンネルと洞窟の境目に、木箱が置いてあった。権蔵はそれを開け、竹刀を取り出す。それはこの上なく様になっていた。

「先生は何か得物があった方がいいか?」

 権蔵には、説明のつかない頼もしさがある。僕が武器を持とうが持たなかろうが、彼は全員を守り抜くだろう。そう考えて断りかけたのだが、思い直した。

 木箱の中に金属バットを見つけたからだ。これであれば手になじんでいるし、僕の気も引き締まるだろう。

「いい趣味してるな」

 権蔵に言われながら、バットを一本拝借した。院長は普段から何も持たないらしい――自分は非力だから、危ないと思った瞬間にダッシュで逃げた方が結果的によいのだ、と彼は言った。

 洞窟の中へ踏み出すと、中は想像以上に暗かった。権蔵らが整備したのであろうランプが点在しているが、オイルの切れているものも見える。しっとりと濡れた岩壁に苔が生え、所々で青いキノコが光っている。幻想的な眺めだった。

「キノコは絶対食うなよ。即死だぞ」

 権蔵に言われ、苦笑いする。

「食べようとは思いませんよ。試した人がいたんですか?」

「俺と同時に呼ばれたやつらの中に、ヤジローってあだ名のバカがいたんだ。そいつはみんなの目の前でそいつを食って、一秒も経たない間に泡吹いて死んだ」

 どう返事をすればよいか分からず、はあ、と相槌を打った。どの洞窟も、長きにわたる犠牲の上でシステムが編まれているのだと痛感する。

「それにしても暗いですね」

 そう口にしたところで、闇の中から一匹の『ミズカラ』が躍り出た。僕の目は瞬時にその動きをカウントする。右に二歩、それから左に一歩。蛇行して接近するタイプの『ミズカラ』だ。『ミズカラ』の性質には大きな違いがないらしい。

 このタイプを前にしたときには、動線を先読みし、頭部を狙い撃ちするのに限る。しかし権蔵はずかずかと歩み寄っていった。それは数多の経験を重ねてきた猛者の動きだった。

 竹刀が甲高い音と共に空気を裂き、そいつの頭を潰した。それで終わり。権蔵がこちらを振り返るのと、『ミズカラ』の身体が崩れ落ちて水に還るのが同時だった。

「今のがカゲだ。初めて見たときには面食らうかもしれんが」

 僕は初見を装い、「まさかあんなものが本当にいるなんて」とこぼした。権蔵がにやついているのが見える。僕の三文芝居はとうの昔に見破られているのかもしれない。

 僕の横で院長が身を震わせた。

「何回見ても面食らいますよ。いきなり出てくるから嫌になります」

 確かにそうだ。慣れることはないだろう。何度戦地に送り込まれても、初回には初回の、十回目には十回目の、百回目には百回目の恐怖がそこにはあるのだ。

「確かに暗すぎるな。ランプを新しいのに取り換える時期かもしれん」

 権蔵は言いながら、歩を進めた。

 やがて岩壁から苔が消え、のっぺりとした様相となり始めた。同時に、洞窟全体もさらに薄暗さを増す。天井からはひどく滑らかな突起が垂れ下がっていた。

 ささやき声で「鍾乳洞みたいですね」と言うと、権蔵がうなずく。

「そうだ。つまり水気が多い。ここからは気を抜くなよ」

 暗闇の中で、かさかさと音がする。『ミズカラ』たちが跋扈しているのだ。しかし、様子をうかがっているのか、すぐには現れない。

「隠れられる隙間が多いんだ。だが広さがまちまちで、内部も入り組んでいる。カゲたちは隙間に入り込んだまま、うまく出られないんだ。だからさっさと通り過ぎちまえば、まず捕まらない」

 権蔵の言葉で安心する。物陰に隠れるということは、ある種の知性を感じさせた。しかし、それはあくまで狭い迷路に入り込んでしまった――あるいは迷路内部の水から出現した――ことによるものらしい。やはりここの『ミズカラ』たちも、一定のパターンで移動する以上の行動は見せないようだ。

 僕らの前方から二体ほどの『ミズカラ』が躍り出た。有無を言わさぬ腕力で、権蔵が退ける。複数体が相手でも、彼は怯みもしなければ、焦りもしなかった。ただ二発の打撃を繰り出しただけだ。

 鍾乳洞の一角がぼんやりと光っている。権蔵はたった今潰したばかりの『ミズカラ』たちを踏み越えて、そこへ歩き始めた。僕と院長も何度か滑りやすい地面に足を取られながら、離されまいと付いていく。

「ここが『マリアの横顔』だ」

 ぼんやりと光っていたのは、鍾乳洞の奥にある一つの岩板だった。言われてみれば、凹凸が女性の横顔にも見える。岩の周囲にはフェンスが張られ、手が触れられないようになっていた。ということは、誰かがここまでフェンスや道具を運び、設置したということだろう。

 院長が額の汗をぬぐいながら深い息を吐いた。

「ここに来ると安心感が違いますね」

「どういうことですか?」

「ここ一帯には、なぜだか分からないけれど『ミズカラ』が寄ってこないんだよ」

 僕が見たことも聞いたこともないものだ。ゲームか何かであれば、レアアイテムとでも言うのだろうか。

 権蔵が院長から説明を受け継いだ。

「と言っても、この岩に特別な力があるわけじゃねえ。ここから取り外すと、あっという間に光が失われて、カゲたちの餌食だ。この岩のある、この場所が特別なんだ」

「ずっと以前、これを持って逃げようとした中学生たちがいたねえ」

 僕の頭に去来したのは、『幽閉の牢』だった。あれも、僕たちの『呼ばれ』た洞窟の、レアアイテムと言えるのかもしれない。もし全国にこのような洞窟があるとしたら、それぞれにこういった特徴があるのだろうか。

「さて、休憩は終わりだ。今まで逆順をずっとたどってきたわけだから、さっさと始まりの部屋を見てしまおう。昼ドラを見なきゃならん」

 権蔵が竹刀をパシパシと叩き、歩き始めた。周囲に『ミズカラ』の気配はない。

 鍾乳洞を抜け、曲がりくねった一本道を進む。これといった特徴のない道だ。僕らの洞窟とほぼ同一と言っていい。異なるのは、アップダウンが少し激しいことだけだ。

 二度ほど曲がり角で『ミズカラ』と遭遇したが、もちろん権蔵が叩きのめした。彼と一緒にいると、『ミズカラ』に対する恐怖心が麻痺してしまいそうで怖い。権蔵にとっては何の脅威でもないかもしれないが、そうでない人間にとっては命を脅かす存在なのだ。

 始まりの部屋は白い立方体で、不釣り合いな鉄の扉が備えられていた。こちらはどの洞窟でも共通なのかもしれない。

「中も見てみるか」

 ポケットから取り出した鍵束で、権蔵が南京錠を開ける。外側から施錠することで、『呼ばれ』た人間が勝手に外へ出られないようになっているのだ。これもまた、助けに向かうことがシステム化されたこの島ならではの方法だろう。

 部屋の内部も、僕らの洞窟とほぼ同じと言えた。大きなテーブルと燭台、これらはきっと当初からあったものだろう。テーブルの上には、島の人々が持ち込んだ備品が所狭しと並べられていた。大量の文庫本や漫画本、紙とペン、クロスワードパズル、毛布、使い捨て歯ブラシ、ラジオ。

「ラジオなんかは、やっぱり使えなかったけどね」

 院長が苦笑して言う。『呼ばれ』た人々は助けが来るまでここで待つのだ。

 ここまでの流れを整理する。誰かが『呼ばれ』たという話を聞くと、救助チームが動く。始まりの部屋でチームと参加者が合流し、一本道を進んでいく。ここで現れる『ミズカラ』はおそらく二、三体。チームメンバーが撃退する。その次に鍾乳洞へ至る。『マリアの横顔』で休憩をはさみ、『ミズカラ』が岩々の隙間から這い出てこないうちに急いで鍾乳洞を抜ける。青いキノコのある暗い道が難関だ。暗闇の中で、どこに何匹の『ミズカラ』がいるのか見当が付きにくい。ランプの明かりを駆使してそれらを退けながら、トンネルまで逃げ込む。後は縄梯子をのぼるだけだ。

「これだけの設備を見ているだけで、この島のシステムがいかに完成されているのかが分かりますね」

 率直な思いを伝えると、権蔵はまんざらでもなさそうに笑った。

「実はもう一つ秘密があるんだがね。これはおいおい話そう」

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