第5話 桜庭

 この島にも、『ミズカラ』の巣くう洞窟がある。

 その洞窟を見てみるか、という問いかけに一も二もなく僕はうなずいた。

 飲み会の席で権蔵から洞窟の話を出された際、僕が明け渡した情報は次のようなものだ。

 一部の青少年は、睡眠中に洞窟へ『呼ばれ』ることがある。そこには真っ黒な何かがいて、もし捕まってしまえば自分の中に入り込まれることになる。そうなった人間は、現実世界で殺傷事件を起こす。しかし、洞窟にはゴールがあり、そこまでたどり着けばもう『呼ばれ』ることはない。そして自分は、この件に関わったと考えられる人間に面接をしている。

 これらの情報を、今までの臨床経験から僕が推察したものとして提示した。その時点で、権蔵や院長ら、その場にいた島民は僕のことを信用に値すると判断したらしい。

 院長は「お一人でそこまで調べられているとは」と言っていた。その横で、権蔵が「ここの洞窟を見てみるか」と言い出したのだ。

 どうやらこの島では、ほとんどの島民が洞窟の存在を知っているようだ。そこで何が起こるのかも。洞窟の経験者や島内の有識者でチームを作り、新たに『呼ばれ』た者たちを救い出す。そんなシステムがすでに構築済みであるらしい。明らかに場違いな権蔵があの席にいたのは、彼がそのチームを率いているからに他ならなかった。

 一方で、僕が隠した情報もある。

 僕自身が、過去に『呼ばれ』た経験のある人間であること。『ミズカラ』に入り込まれても、それを抑制できる人間が存在すること。ほかならぬ自分がそうであること。

 二つ目の情報を黙っていたのは、島内の人間がどれだけの情報をつかんでいるのか把握できていないからだ。もしこれを皆が知らなかった場合、無用な混乱を起こす可能性がある。一つ目と三つ目を黙っていたのは、僕の保身のためだ。もし危険視されれば、この島の情報を得られないどころか迫害を受ける可能性まで出てくる。良くも悪くも狭い島なのだ。

 そんなわけで、僕は今軽トラックの荷台に乗っているのである。

 荷台には権蔵と院長――今日は休暇を取ったらしい――が同じように座り、トラックのハンドルは村の若者が握っている。

 トラックはゆったりとしたスピードで山道を登っていく。なんでも、ここは村長の私有地だそうで、だからこそ荷台に乗るという芸当も可能なのだ。

「想像以上に危険な場所だからな、気を引き締めて行けよ」

 煙草をふかしながら権蔵が言う。

「ええ。余計なことをしないように気を付けます」

 返事をしながら、僕の脳裏を『ミズカラ』と戦った記憶がよぎった。洞窟の恐ろしさは、嫌というほど知っている。

「カゲは強いし、どこから出てくるか分からんからな。慣れてくると、ある程度パターンもつかめるようになるんだが」

 この島では『ミズカラ』のことをカゲと呼んでいる。名称が土地によって異なるのは予想の範囲内だが、洞窟内部はどうなのだろうか。僕はそこに強烈な興味をもっていた。もし内部が同じだった場合、それは「同じ洞窟」なのだろうか、それとも「同じ構造の洞窟」なのだろうか。内部が異なっていた場合、それは全国にいくつくらいあるものなのだろうか。

「洞窟のことが、島内でこれほどはっきりと伝承されているのには驚きました」

 僕の言葉に、権蔵は満足げにうなずく。

「狭い島だからできることだ。少なくとも、俺は自分のじいさんから『思春期になると危ない洞窟に呼ばれるかもしれん』と聞かされて育った。今でも、村の若者から年寄りまで、特に洞窟を経験した連中は、子どもたちに洞窟の話をして育てていく」

「だから生存率を高く維持できているんですね」

「どこかの子どもが『呼ばれ』たと聞けば、すぐにチームのメンバーが集まって助けに行く。子どもらも、昔からよく聞かされて育っているから、『呼ばれ』ても助けが来るまで落ち着いていられる。先生のいるような都会ではなかなか難しいだろう」

「まず信じてもらえるかどうか」

 島のシステムは興味深い。人間関係が狭いからこそ、これだけの情報共有を図ることができている。島全体で子どもたちに洞窟の知識と対応方法を伝え、何かあればチームで動く。後進を育てるだけでも一苦労だった僕らからすると、理想と言えるシステムだ。

「ただ、デメリットもあるわけだよ」

 院長が言う。

「怪しげな洞窟。そこを徘徊するカゲ。好奇心旺盛な子どもや、粋がりたい年頃の連中にとっては、格好のスポットなわけだ。だから、肝試しの感覚で洞窟に踏み込んでしまうやつらも一定数いる」

 権蔵もうなずいた。

「何度か大きな被害が出た。今日先生に会ってもらった患者は、そのうちの一人だ。ここ最近はそんなこともないがね」

 院長も「やっと『洞窟はシャレにならない場所だ』ということが浸透してきたわけだね」と言う。

「ここの他にも、同じような場所はあるんでしょうか」

 尋ねると、権蔵は僕のことを指さした。

「先生が地元で洞窟の話を聞いていたのが何よりの証拠だ。ここ以外にも洞窟はある。どこに、どんな条件で発生するのか、全くもって不明だがな」

 片手に持ったコーヒーの缶に吸殻を落とし込みながら、権蔵は「でも」と言った。

「先日、村長のところに国から電話があったそうだ。なんでも、この島にある山の所有権について、調査をしたいってさ」

「所有権の調査、ですか」

「そう。で、詳しい内容がファックスで送られてきたらしいんだが、それを見てびっくりだ。調査したい場所が、洞窟への入口とその近辺に固められてやがった」

「なるほど」

 権蔵の言わんとしていることを僕は理解した。おそらく、ここ、そして僕の住む場所以外にも、洞窟は存在するのだろう。そして国もそれに気付き始めた。混乱を引き起こさないよう秘密裏に、洞窟の調査に乗り出したというところか。

 権蔵は「理解が早くて助かる」と笑い、二本目の煙草に火を点けた。

 『ミズカラ』に関わった患者の面接を許可してくれる、それどころか島のシステムを教授し、洞窟まで見せてくれると言う。僕にここまでしてくれるのは、他の地域にある洞窟の関係者と結びつきを作っておきたいという打算もあるのだろう。国は得てして無理な要求を突きつけるものだ――たとえば、この島のシステムを国のモデル事業として扱わせろだとか。そのときこの島の平穏を守るために、協力してくれる人間、あるいは肩代わりしてくれる人間が必要だ。すなわち、それが僕に期待されうる役割というわけである。

「もうすぐ到着するわけだが、先生には一つお話ししておかねばならん」

 権蔵が再び口を開いた。

「昨日は他の連中もいたから黙っていたが――これは、俺と院長、村長をはじめとする一部の人間しか知らない情報だ」

 ぐっと身を乗り出してくる。僕は目の前いっぱいに広がった権蔵の強面を見つめた。

「カゲに憑りつかれると、人を殺したくなる。だが、そうでない場合があるんだ」

 僕は唾を飲み込んだ。これは、『ミズカラ』を抑え込めた人間の話だ。

「洞窟で命を落としてカゲに憑りつかれたともしても、その衝動を耐えきれる人間がいるんだ。そいつは人を傷つけることもなく、それまでどおりに生活できる。だが、時に人並み外れた力を発揮する」

 目を離さず、僕は小さくうなずいた。ほかならぬ僕のことだ。

 院長の「この島では、そういった人を『戻ってきた者』と呼ぶ」という声が聞こえた。

 この島では、その情報もすでにつかんでいたのだ。そして、チームで共有されている。ここへ足を運んだ甲斐があった、と思った。

 権蔵の全身からふっと力が抜け、眼前から少し引いた。僕の動揺を見定めていたのかもしれない。

「この場でこれを言ったら警戒されるかもしれんが、あんたなら大丈夫だと判断する。俺を信用してもらうほかないわけだが」

 権蔵は新しい煙草に火を点け、紫煙を吐き出した。

「俺はその『戻ってきた者』なんだよ」

 僕は何も言えず、うなずくしかなかった。自分ではよくつかめない感情が胸の奥を占めていた。きっとそれは、大場スミと出会ったときと同じものだったはずだ。

「つきましたぁ」

 運転席から、間の抜けた若者の声が響いた。

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