第4話 大場

 久々に会う松井は、作業着姿でファミレスのテーブル席に腰かけていた。大手引っ越し会社名が印字されている帽子をかぶり、そこからパーマを当てた長髪がはみ出している。肌は浅黒く、小柄ではあるが筋肉質で、どことなく最近はやりのアイドルを彷彿とさせた。

「待たせたかしら」

 私は彼の向かいに座る。スマートフォンをいじっていた彼はぱっと顔を上げ、口元をほころばせながら帽子を取った。

「全然。お久しぶりです」

「今は休憩中なの?」

「いえ、勤務は夕方からなんで、しばらくは空いてます」

「運送関係だと体力的に厳しいんじゃない?」

「そうですね。今日も夜を徹してトラックを動かしますよ」

 しばし、お互いの近況報告を重ねる。その間に、私の注文したカフェラテが運ばれてきた。松井はコーヒーをお替りする。

「私からも連絡してみたんだけど、やっぱり桜庭さんから返事はなかったの。力になれなくてごめんね」

 松井は目を丸くして「そうですか」と言った。

「どこで、何をされてるんですかね」

「詳しくは知らないけど、どこかの島で調査をしてるらしいよ。もちろん、『ミズカラ』のね」

 松井としては、自分たちを置いて桜庭さんがどこかへ行ってしまったのが不服なのだろう。もっと頼りたかったという思いと、もっと頼ってほしかったという思いがないまぜになっているのが分かる。

 松井はコーヒーで唇を湿らせ、本題を口にした。

「その、『ミズカラ』のことなんですが」

「うん。何があったの?」

「洞窟のルールが変わったかもしれないんです」

 私が目を見開く番だった。

「ルールが変わった?」

「ええ」

 松井も、どう説明すべきか考えあぐねているようだ。ひとまず、先を促す。

「前提として、僕らが『呼ばれ』た人を助ける際の取り決めがありますよね。あの洞窟を定期的に確認したり、毎回そこへ出向いたりするのはリスクが大きすぎる。だから、基本的には『呼ばれ』た人たちが自分たちで解決するか、助けを求めるしかない。ノートを見れば、適切な行動も書いてあるし、僕らの連絡先も書いてある」

「ええ、助けを求められたら助ける。そうでなければ、手を出さない。自分たちの身を守る意味も込めてね」

 その取り決めには、私も関与していた。すべての人を助けることは難しい。私たちは、手の届く範囲で、できるだけのことをするしかないのだ。

「だから、最近、僕らの世代が出動することはなかったんです。なんでも、生き残った人たちが自分の連絡先をノートに追記してくれているみたいで」

 私たちの世代は、松井を中心に、桜庭さんに助けられた人間で構成されている。もう長いこと顔を合わせていないが、後進が育つまでは幾度となくともに活動していた。

「知らない間に世代交代らしきことが行われていたわけね」

「はい。それはもちろんいいことだと思うんですが、先日久々に僕の方へ電話が掛かってきて。話を聞くと、どうやら洞窟の様子がおかしいらしい。複数の世代をさかのぼって、結局僕まで話が上がってきたようなんです」

 私はうなずき、「経緯は分かった」と口にする。

「それで、実際にどうおかしいのかしら」

「今『呼ばれ』ている人たちは、洞窟を怖がっているらしいんです。いや、それは当然なんですけど。でも怖がり方が違くって。彼らが怖がっているのは『ミズカラ』じゃない」

「『ミズカラ』じゃない? 何を怖がるっていうの?」

 松井は困ったような顔で頭を掻く。

「なんでも、洞窟内に殺人鬼がいるって言うんです」

 殺人鬼。突然のパワーワードに私の頭は混乱する。『ミズカラ』のことをそう呼称しているのだろうか? しかし、それでは「怖がっているのは『ミズカラ』じゃない」という松井の言葉と矛盾する。

 結局私は、「殺人鬼?」と聞き返すことしかできなかった。

「僕も耳を疑ったんですが。複数人の参加者から、同じ話を聞いたんです。洞窟に『呼ばれ』ると、毎回一人ずつ、殺人鬼に襲われるんだって。ノートに書いてあるとおりに洞窟を攻略しようとしたら、いつの間にか一人殺されているんだって」

「それは人間なの?」

「ええ。少なくとも『ミズカラ』ではないようです。黒い大柄なジャケットを着ていて背格好もはっきりしないし、顔も隠していたから分からないそうですけど」

 私たちの助力とノートの継承によって、洞窟の攻略が進んだ。世代交代も始まり、生存率が急激に上昇した。そのため、何かの力が介入を始めたのだろうか。生存率を下げ、『ミズカラ』たちの入り込める肉体を用意するために。

「なんとも言えないわね。生存率が上がりすぎたせいで洞窟のルールが変わったのか、それとも危険な人間が外部から入り込んでしまったのか」

 それから私たちは、考えられる可能性を話し合った。しかし結局は仮説でしかなく、根本的な解決を図るには洞窟へ乗り込むほかないのだ。

「やっぱり、桜庭さんの力がいるわね」

 松井が深くうなずく。

 私は時計を確認し、講義への時間が迫っていることを認めた。

「今日はここまでね。悪いけど、調査を継続してもらえる? たとえば、今『呼ばれ』てる人たちの素性とか」

「任せてください」

 こういうとき、この男は頼もしい。決して負担の軽くない仕事も、嫌な顔一つせず背負ってくれる。

「私は私で、桜庭さんを見つけ出してみる」

「あてはありそうですか?」

「分からないけど、私より桜庭さんと仲のいい人がいるから」

 桜庭さんと仲のいい人。というより、桜庭さんにとって、あらゆる行動の動機となるほど大切である人。私の脳裏には、君野梨歩、という名前が浮かんでいた。

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