談話 よはのつきかな

 せわしないヨコハマの朝。すっかり空は澄み渡り、湿り気のない清々しい日を迎えていた。

 社長こと福沢諭吉はあらかたの要件ふしまつを国木田独歩と共に片付けていた。

 「与謝野君。体調はどうだ」

 「ああ社長。なんとかね……ああまだ頭が痛いねえ。脳みそをほじくり出されたような気分の悪さだよ。それでも医者が寝てるわけにゃあいかないからね。さっさと出てきたよ」

 「頼もしい限りだ。与謝野君も知っての通り、今回の件に関しては既に乱歩と早期解決に向けて動くことになっている。O・ヘンリーという謎の少女、死体を動かす異能力者……そしてその死体の提供者も、だ」

 「まさか僕の推理を欺くとは……相当キレるやつだね」

 回転椅子を回しながら鼻と唇の間にペンを挟んで不服そうにそう呟いたのは江戸川乱歩だ。

 「『あたらずといえどとおからず』だ。乱歩の推理は確実に犯人を捕らえている。お前の頭脳があれば、時間の問題だろう」

 「そ、そおかなあ~」

 ペンが落ちた。頬は緩み切っており、いろいろのびている。

 「それにこの件において太宰は最強だ。帰ってき次第、私たちとの同行を命ずるつもりだ」

 「その間の敦や国木田はどうすんだい?」

 「その他社員に関しては谷崎を筆頭に武装探偵社こちら側の諸々を片付けてもらおうと思っている……そういえば賢治はどうした」

 「賢治はそこだよ」

 福沢諭吉の居た位置からは丁度見えなかったのだが、のびた乱歩の座る椅子の奥の窓に頬杖をついて物憂げにしていたのであった。

 「ありゃ駄目だね……かれこれ四十五分は経ってるよ」

 「そうか、無理もない。が、賢治も重要な戦力だ。世話ケアを忘れないように」

 「はいはい」


——チリリン、チリリン


 「私が出よう」

 福沢諭吉はオフィスの玄関へと向かう。一件で建付けが少し悪くなっていたのだ。

 力いっぱい取っ手を握り開けた。そこには痩せた老人が立っていた。

 「ああ、どうも……えーと、昨日助けていただいたものですが」

 力を込めた反動で鬼のような形相を浮かべた福沢諭吉に完全に委縮していた。

 「?」

 「あー、その、話すと長いので仕組みはともかくとして……ちょっと待っててください」

 そうするとどこからともなく、名刺がその老人の手に吸い込まれていく。

 「やっぱりここだ! ……ああ私、こういうものです」

 「……太陽の小箱……貿易商ですか。うちの社員がお世話になったんですか?」

 「いえいえ、逆です逆! 間一髪のところで誘か……あいやいや、まあその厄介な状況を助けていただいたんですよ! その説はお世話になりました」

 そうして老人はそそっかしく大きな革の鞄の中を探った。やがてひとつの小箱を取り出した。

 「これは名前の知らないその人に渡してください。ほんのお礼です。つまらないものですが……いやホントに詰まってないんですがね」

 「なんですこれ」

 「箱です。ええ。ただの……いや、実はそれはただの箱ではないんです……知ってました? ああそうですか。まあこれは……あなたを含めてご本人以外の方は開けないでください。これは忠告と思っていただいて構いません。いいですか? 振りじゃあないですからね」

 「開けるとどうなるんです?」

 「それは開けてからのお楽しみでしょう。ああ、勿論爆弾とか毒とか、そういうんじゃあありませんからご安心を」

 「(一体、このご老人のどこに安心を覚えろと……?)」

 「その箱はね……私のおまじないが掛かってるんです。このお呪いはとてもとても危ない」

 老人は少し歩いて勝手に話し始めた。

 「その箱を開けたらば、大抵の人は砂漠で太陽に焼かれる廃人のようになってしまう。かと思えば中には極寒に射す一筋の陽の光に活力を見出す人間もいる。さて、当人はどちらか……。私は後者だと思っています。彼ならば使い方ができると信じています」

 「はあ」

 「かくして、人が求めているものを与える欲望の箱パンドラボックスとなるも、それに光を見出すも自由です。自由ですとも! ああ、それでは私はこれで……」

 老人は敬礼をし、踵を返すとエレベータの方へと向かった。

 「人は幸福を求めるのか……いいえ充実を求めるのです。それが愛ならば見つめ合っている内は幸福でしょう。しかし、思うに愛は互いに同じ方を向くことだと思うのですよ……若き人ら。きっとそこに充実が待っている。振り返ってはいけない。前を見るんです。先へ進むには、ね」

 ウインクするとその老人はエレベータへと乗り込んで、見えなくなったのであった。


 「賢治、先ほどご老人がこれを持って来た。心当たりはあるか? 太陽の小箱とか言ったか」

 「……ああ、昨日の、無事だったんですね。よかった」

 意図は通じているもののどこか心のこもっていない空返事をすると虚ろな目でその小箱を受け取った。

 「これ、なんです?」

 「あー曰く……『人が求めているものを与える欲望の箱パンドラボックス』らしい」

 「はあ」

 そうしてそれを少し開けてみた賢治の眼の光は急速に灯っていくのが傍から見てもわかる。

 突然走り出した賢治は一応ある自分のこざっぱりとした大机デスクに座った。

 「……なんだい? 藪から棒に、あの箱は?」

 「言ったとおりだ。まあ何はともあれ、きっとだったんだろう」


 賢治は箱を少しだけ空けて小声で語り掛けていたのであった。

 「ね、ねえ君……もしかして……」

 その小箱の中には小さい少女が座っており、箱の中から賢治を見上げていたのであった。

 「そうだよ。私はカムパネルラ……じゃなくてO・ヘンリー」

 「ううん、君はカムパネルラだ」

 「そうだね、私は……カムパネルラ」

 「そんな小さくなって、どうしたんだい?」

 「言い残したことだらけで、戻ってきちゃった」

 「そうだね。何も言わずにいくんだから、心配していたんだ」

 「ごめんなさい。ありがとう」

 「同時に言うやつがあるかい」

 「そうだね、そう。私は嬉しかったんだよ。尽くしてくれて、思ってくれて……それだけで」

 「「十分」」

 「! 驚いた、同じこと思ってたなんて、やっぱり賢治は私の……」

 「…………『私の』なんだい?」

 箱へ伸ばした賢治の指へとほおずりするカムパネルラ。感覚はごくごく小さくあまりに僅かであったが、その暖かさは太陽のように暖かであった。



 「さてさて、一年一夜とは言わず。再び会うことができた二人は果たして二人のなんなのか。私はただの老人で……語り部だからこれ以上はわからない。彼が彼女を必要としなくなるまで、忘れてしまうまでこの幸せは続くだろう。だが本当の愛とは、幸いとは、分にたされることなんだ、若き人らよ。……おおっともうこんな時間か。私はこれで失礼するよ、読者諸君。え? 私かい? 私は……みんなにとっての……」


     A・サン=テグジュペリ――――

                    ――――能力名「星の」。


 

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契リキナ 椹木 游 @sawaragi_yu

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