下話 くもがくれにし

    一、片道切符



 宮沢賢治は汗を流して、乱暴に抱きかかえたカムパネルラの細い体重を意に介すこともなく、まるで誘拐犯のように山を一気に駆け下りていた。そしてそのまま大通りへと抜け出していた。

 乗り遅れた汽車へ向かうように急いで、ついぞぱらぱらと降って来た雨が斜めに落ちて行く。

 「(与謝野さん!)」

 抱えられたカムパネルラは賢治の表情を間近で見ていたが、その痛々しいまでの険しい顔に、感情がようやっと追いついたのである。ゆさゆさと縦に揺れて少し苦しかったが我慢した。


 赤く彩られた武装探偵社のところへとたどり着いた時、鎮火は済んでいた。

 警官や消防の職員が賢治に気が付いて駆け寄るよりも先に救急車のところへと向かっていた。

 「与謝野さんは?」

 救急隊員が担架からベッドに移す時だった。多少の火傷を抱えて横たわった与謝野晶子は意識があったが、その様子はどこかおかしかった。目は虚ろで覇気がない。

 「賢治さん!」

 警察がようやっと賢治に追いつくと、息を整えつつ賢治と情報の共有をした。

 「ああ、警察の方ですか。一体何が……」

 「賢治さん、驚かないで聞いてください……与謝野晶子さんは、自分で火を放ったようです。恐らく、自殺しようとしたのではないかと……」

 「そんな……」

 「犯人らしき人物は目撃されず、どう考えても自分が放火する以外にあり得ない状況でして。幸いにも小火ぼやから毛が生えた程度で済みました。そこら中に飾ってあった笹の葉やら短冊やらが燃料となって大袈裟おおげさに燃え広がっただけのようです」

 「ちょっと待ってください。『小火から毛が生えた程度』って、大きな火の手が上がっていたじゃないですか!」

「? 何を言っているんですか。燃えたとしても部屋の一角だけですし、そこまで燃え上がっていませんよ。……ですが与謝野晶子さんは治療後、放火犯として逮捕状がでるでしょう。なにせほとんど現行犯逮捕でしたから……」

 混乱する賢治の目には虚ろな与謝野晶子と、確かに焦げた程度で鎮火された武装探偵社ビルが映っていた。何が起きているのかさっぱりわからなかった。

 「賢治……?」

 カムパネルラは賢治の袖を引っ張った。あまりに賢治が落ち込んでいたからである。

 はっとした賢治はカムパネルラの頭を撫でた。

 「大丈夫。少し混乱しているけど、与謝野さんはそんなことするはずない……だから今は回復を待ちましょう。小火とは言え大事になったんだから、きっとすぐに別の任務に行った仲間も、帰ってくるはず」

 電気会社、瓦斯がす会社の立ち合いが終わり、書類やら説明を受けた賢治は皆を見送った。崩落の危険はないらしい。皆が帰ると夜も遅くなっており、カムパネルラはうとうとしていた。

 賢治らはビルの一階の廊下で座っていた。表の通りは雨ですっかり往来が少なくなり雨よけに当たる寂しい雨音だけが賑わいをみせていた。

 待てど暮らせど一向に帰ってこない探偵社の仲間と、賢治の膝で寝てしまったカムパネルラ。賢治ですら夢うつつであった。よわい十四の賢治にとっては遅いくらいの睡眠時間であった。


 「夜遅くまで、健気けなげですこと」


 賢治はハッと目が覚めた。カムパネルラに気を取られて気が付かなかったとでもいうのか一切の気配を感じ取ることができなかった。

 「どなたですか?」

 「ごきげんよう。私は紫式部と言います。いやなに、私はただ人を探しているだけですから、そのままで構いませんよ。ここに福沢諭吉はおりますか?」

 和装で身をつつみ、色白の肌にくっきりと映える紫色の唇は不気味に笑っていた。

 「居ません」

 「そうですか……まだ帰ってきていませんか、ではまた日を改めて来ます」

 「ちょっと待ってください」

 「なにか?」

 「『まだ』というのはどういうことですか? まるでさっきも来たみたいじゃないですか」

 「ふふふ、言葉のですよ。では……」

 背中で笑う紫式部。カムパネルラの頭を静かに降ろすと賢治は引き留めるために肩を掴んだ。

 するとどういう訳か掴んだはずの肩はそこに無く、それどころか天上が逆さまに映っていた。

 そしてこの奇術とも言うべき技に、賢治は覚えがあった。


――それは、福沢諭吉の体術であった。


 「女子おなごに対して、結構なご挨拶ですこと。男勝りな女医誰かさんと似ていますね」

 「……あなたは一体」

 「さあ。なんでもいいでしょう? 先生が現れるかと思っていたけれど、どうやら臆病に拍車が掛かっているようね。あなたを見せしめにすれば現れてくれるかしら」

 「そうはならない。そして社長も現れない」

 「さてね。やってみてからのお楽しみにしましょう。もっとも楽しむまでに至るかしら」



    二、酔狂



 ――おい聞いているのか紫式部。戦闘においてもっとも必要なのは……


 福沢諭吉は心ここに在らずの紫式部に対して苦言を呈していた。

 「はいはい、わかっているわ。『戦闘において最も必要なのは戦闘を避けること』でしょう? 一対一なら戦え、多対一なら逃げろ、多対多なら殿しんがりを作って備えろ。もう何回目かしら?」

 「私は何回でも言うぞ。それにお前の説明では足りん、端折はしょり過ぎだ。『一対一で戦うのは同じ戦闘条件だった場合のみ』だ。武器の有無や性能は大きく戦況に……」

 「あーあー、わかったわよ! あなたって本当に心配性ね。少しは褒めたらどう?」


 ――お前はあの時、そう言ったな。私の教えを、忠実に守ったな。


 「おい、何を勝手な……殿は私が……おい、扉を開けろ! 開けるんだ!」

 「『駄目よ。私、先生を置いて逃げるなんてできないわ』」

 「阿呆、それが戦いだ! くっ……」

 「『先生……いや、ゆきちゃん……』」


 ――さようなら


 雨は湿気を残して止んだ。水はけの悪いコンクリートの地面が二名の乱闘を映していた。

 いや、乱闘というにはいささか一方的にいるようであった。

 「(攻撃が当らない……まるで攻撃を読まれているようだ!)」

 紫式部は涼しい顔をして最小の動きでその攻撃の数々を避けていた。

 「あらあら、そんな大振りが当ると思って? 全部バレバレよ」

 「(くっ……これじゃあ子供の癇癪かんしゃくにもなりやしない!」

 体力だけが消耗するだけの攻撃をし続けるわけにはいかない。それは賢治を焦らせるには充分であった。ただの素手同士に、喧嘩にすらならない圧倒的な戦力差を感じていた。

 そして蹴り上げた時に飛ぶ飛沫さえも避けられ、軽く足を払われる。

 「もう終わりかしら、先生は武術を教えることを辞めたの? そうじゃないならよっぽど覚えが悪いか教えが悪いのね。そんなんじゃ女の子独り守れやしない」


 ――誰かと同じようにね


 賢治は再び蹴り上げる。

 「単純な手を何度やっても……」

 その蹴りは街燈をへし折った。そしてそのまま間髪入れずにそれで薙ぎ払う。予想外の出来事に思わず両手で防ぐ。カーンという鈍い音を立てて壁の方へ吹っ飛ばされた。

 ようやく有効打が入ったのだ。

 「(なんていう馬鹿力!? 高いと思っていたけれどまさか鉄柱をへし折る程とは……)」

 小木をへし折って、路肩に止められた車のフロントガラスに叩きつけられた紫式部。

 「(一対一での戦い……戦力差多少有り……)」

 「ようやく手を使ってくれましたね」

 「しょうがないわ。そっちがなら私も攻撃させてもらうわね」

 そして紫式部は車を蹴って助走をつけ、連打をしてくる。軽々しく鉄柱を振り回す賢治は何とか防ぐので精一杯であった。

 「(この人、痛覚とかないのか!?)」

 その時ひとつの殴打が賢治の脇腹を捉えた。それは貫いたと形容しても遜色のない痛み。

 僅かに生まれる上段の隙を逃すことなどなく、紫式部は賢治の首に手を鎌のように引っかけて足払いをし、上下逆さまにひっくり返すと足で横腹を蹴り上げた。

 賢治は鉄柱を手放し、先ほどの彼女のように飛び、郵便ポストにその腰を打ち付けた。

 痛みで伏せた目を開けた時、そこには膝があった。野性的な動きで瞬間的に回避した賢治は、へこんだ郵便ポストを目の当たりにした。

 「惜しい」

 「危ない!」

 「あくまで有効打か否かの問題よ」

 そうして逆の足で賢治を蹴る。それをなんとか両手で防ぐと後方へと受け流し、距離を取る。

 「はよう血祭りに上げたいところだけど、その様子だと……とんでもなく硬いようね」

 「(いや、さっきから痛いんですけど! ……と、武器があんなところに)」

 「死線での際で、ぼーっとしていたらいけないわよ」

 目線をほんの少し外しただけで、その間合いを詰められていた賢治は動作が遅れた。

 「死っ……」

 飛ぶように放たれた拳は賢治の目の前で留まった。そしてそのまま紫式部は


 ――遅くなった


 地面に叩きつけられた紫式部は完全に不意を突かれていた。

 「し、社長!」

 「賢治、油断するな。敵はまだ動く」

 「敵だなんて……人聞きの悪い」

 体制を立て直す紫式部はすぐさま攻撃に転じた。

 しかし先ほどの賢治の攻防が嘘のように紫式部の攻撃は傘に弾かれる水滴のように受け流されていくのであった。

 「先生らしくない。そんなに受け手ばかりのどこに勝算が?」

 「あるとも、君の隙を探している」

 「探すだなんて……知っているで……」

 そう言いかけた時、右下腹部に打撃が入る。まるで流れる雨水が地の一点を穿つようにそこへと打ち続ける。

 やがて体制は崩れ、追い討ちの足払い。加えてさらに強く蹴飛ばした。

 「容赦ない攻撃ですこと。仮にも愛弟子に対してでもそんなことができるのね」

 「死体風情が……かたるな」

 「あらあら……私は、先生に忘れ去られてしまったの?」

 「残念だが、君は君じゃない」

 「何を言って。私は紫式部……」

 「残念だが、君を人間は紫式部彼女に騙されているようだ」

 「は?」

 「君はいつだって私のいうことなんか聞きやしなかった。私を『先生』と呼びなさい、と言ってもな」

 「……!」

 「だから言ったろう。死体が

 そのまま追い打ちをかけるように走り出す。

 「しょうがない……!」

 懐から二枚の手鏡を取り出す。


――パリンッ


 「私の眼前でをさせるとでも?」

 走りながら蹴飛ばした小石は手鏡に直接当たり砕け散った。

 「莫迦ばかね、先生。さようなら」

 片手の手鏡を空中に投げた。割られまいとしたのか、それは回転していた。

 宙を舞う一枚の手鏡が紫式部を捉える真下の角度になるとその鏡には、まるで開け放たれた無限に等しいふすまに映るようにして、十重二十重とえはたえの彼女の姿が露わとなっていた。


        ――――『源氏物語‐友鏡ともかがみ


 天と地、両のに映った彼女のその眼は、自身を見つめていたのであった。

 突如、紫色の放射体オーラを放った彼女は明らかに様子が変であった。それを前に苦虫を嚙み潰したような福沢諭吉が賢治の前に立った。

 「賢治、立てるか?」

 「はい!」

 「逃げろ」

 「え? ふ、二人でなら」

 「いやだめだ。あいつは、曲がりなりにも元は私の弟子だ。それに異能を使っている状態のあいつはよもや人ではない!」


——水鳥を、水の上とや、よそに見む。我も浮きたる世をぐしつつ


 そう言うと、紫式部は突進とも言うべき攻撃をしてきた。しかし、その初速は人はおろか動物のそれですらなかった。ただの怪物であった。

 咄嗟に足蹴りをし、賢治を射線から外すとその怪物は遊ぶようにして福沢諭吉を乱打した。

 「(受け流しきる前に次の一打が飛んでくる……!)」

 「先生、先生、先生……!」

 先ほどとは逆に、やがて隙を突かれた福沢諭吉は左下腹部へと直撃した。

 「ぐっ」

 そこへさらに回し蹴りをし、吹っ飛んだ。先にあった電柱にめり込む。その時の音が骨が折れた時のものなのか、電柱の一部が打ち砕かれた時のものなのかはわからなかった。

 「彼女もさこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかるなり……」

 口から血と胃液を垂らしながらもそう呟いた。

 「煩い……貴様に何が分かるというの?」

 ゆっくりと近寄る。

 「判るとも……君が、私を心配させまいとしていることはね」

 紫式部の動きが一瞬止まったのである。その静止した隙間を逃すほど福沢諭吉の身体は打ち砕けてはいなかった。

 「君らしいところが君にもある。足元に注意を払わないところだ」

 足払いをし、体勢が崩れた彼女は一時空中に身を任せた。しかし、彼女はその足を振り上げ続け柔らかい体幹でそのまま縦に一回転したのである。

 「なぜ私が足元を疎かにするか思い出したかしら?」

 「……ああ」

 そしてそのまま彼女は着物の隙間から青白い生足を振り上げ、福沢諭吉の頭へと下ろした。



    三、永訣の夜



 振り降ろした足は福沢諭吉のすぐ隣の地面に突き刺さっており、土煙が立ち上っていた。

 「賢治……なぜ逃げない!」

 「社長を置いて、逃げられるわけないでしょう!」


——私、先生を置いて逃げるなんてできないわ


 「逃がさない」

 咄嗟に賢治がその全身でもって突進したのである。その結果、着地点がややずれたのである。その刺さったままの足を再び振り上げそれを今度は賢治の腹に向かって放った。

 「先生はどうせ動けないでしょう? 無力を恥じて、仲間の死を見届けなさい……あの時と、同じようにね」

 飛ばされた賢治の元へと歩いていく紫式部の姿をただ見守ることしかできなかった。

 「さてと……鉄より頑丈な男の子、宮沢賢治。何回叩けば死ぬのかしら?」

 「さあね、むしろ頑丈になっていくかも」

 「日本男児……いや鍛治だんじってとこかしら」

 しかし、待ち受けているのは蹂躙じゅうりんにほど近い超暴力だった。

 賢治に技の型や構えは知識に無い。が、その獣に近い動体視力と反射神経により寸でのところで防ぐことができていた。しかし、いくら頑丈な賢治と言えど先ほどまでとは比にならない威力の拳や脚蹴りによって、じりじりと体力が削られていた。持久力勝負というにはあまりに一方的であった。

 すでにボロボロの賢治は追い詰められていた。壁際で、それこそサンドバッグのように殴り蹴られること数分。腕の骨は軋み、肉は悶えていた。

 「いくらあなたでももう立てないでしょう?」

 「(足が動かない……手も痺れて感覚が無い。無造作に殴っているようで、避けても受けても満遍なく痛みが行き渡って、器がいっぱいになるみたいにもう受けきれる気がしない!)」

 「これで終わりにしましょう……案外あっけなかったわね」

 「(せめて一撃、一矢報いたい!)」

 「さようなら。青い人」

 腰を深く落とし、放射体オーラを集めているように、その妖しい光は拳へと集中していく。


——さようなら


 打たれた拳は亜音速となって、僅かに衝撃波を産んだ。それは賢治に当たった。

 ……かに見えた。


 「同じ過ちは……繰り返さん!」

 賢治と紫式部の間で、福沢諭吉は腹と両手でその衝打を受け止めていた。

 「あくまで受け止めたのね」

 「ああ、効いた……ぞ」

 福沢諭吉がよろめいた。これを機にと賢治が脇から飛び出す。

 「あなたの攻撃なんて効かなくてよ!」

 そう叫ぶも、受けにも攻撃にも転じれなかった。何故なら福沢諭吉は彼女の手を掴んだままであったからだった。彼女に振りほどく時間は無い。

 「うおおおおお!」

 そう言いながら、賢治は渾身の攻撃をした。その攻撃のすぐあとに、福沢諭吉の手から逃れた紫式部は間髪入れずに再びその手に放射体オーラを集めた。

 「(くそ……これでも効いていないのか……)」

 賢治はもう一度攻撃をするために拳を振り上げる。しかし、その攻撃よりも前に彼女の打撃が飛んでくるということは考えなくてもわかることであった。


         ――――

             ――――能力名「     」。


 何が起きたのか賢治には皆目見当もつかなかった。当たることはないかもしれないが攻撃の手を止めなかった賢治の勝利ということか、紫式部の攻撃は全くの痛みを伴うことはなかった。

 賢治の目には口から黒いもやの様なものを吐き出しながら倒れゆく紫式部の姿だった。


 その場に立っていたのは賢治ただ一人となった。先ほどの異変を「たまたま」で済ますほどお気楽な脳ではなかった。そしてその原因を突き止めてしまった。

 「カムパネルラ!?」

 動かないと思っていた足は驚くほどに動いた。いつの間にか表に出ていたカムパネルラは地面に突っ伏していたのである。

 「どうして……な、なにが……」

 即死であった。なんの疑いようもない死がそこに突っ伏していた。

 足は複雑に曲がり、腹部は異様にへこんでいる。そして顔面は……それがカムパネルラだと分かる判断材料はあまりに少なかった。

 その華奢きゃしゃな身体を抱きかかえた。あまりに突然の死に、涙も、声すらでないありさまであった。しかし返って冷静な頭はその答えを冷酷にも導き出した。

 「もし……かして、君が……代わってくれ、たの……?」

 まるで頷くように、また腕から逃れるかのように、もたげた首がだらりと下がる。

 そっと抱き寄せる。際限なく押し寄せる哀しみの感情のままに手に力が入った。

 「ありがとう、僕の為に。僕は君のためになんにもしてやれていないのに」

 その時、カムパネルラの懐からことりと何かが落ちた。絵馬である。

 賢治が落ちた絵馬を見た時、カムパネルラという名が偽りであることに気が付いたのである。

 「僕は、真っすぐ進めるだろうか……君のように純粋で、清らかに幸せを願えるだろうか」


——『賢治のお腹がいつもいっぱいでありますように O・ヘンリー』


 伝った涙が雨のように絵馬へと降り注いだ。しかし傘のようには弾いてはくれずただその絵馬にじっとりと、じんわりと濡れ広がっていくだけなのであった。



 福沢諭吉は紫式部に這い寄った。吐き出しきったのか痙攣する全身を何とか抱きかかえた。

 「ああ……ゆきちゃんやっと……会えた、ね。でもごめんなさい、私……」

 「何も言うな。わかっている」

 「私、ゆきちゃんに……なんて酷いこと……」

 「いいや、お前はよくやった。たった独りで敵を欺き、被害を最小に抑えた」

 「……っと、褒めて……れた……嬉し……」

 「紫……私は……」

 「名前で……んでくれ……なんて、雨が降る……わね」

 「もう、戦いは終わった。あの時は、済まなかった」

 「いい冥途、げに……ったわ。私の……様、だいす、き……よ」

 「…………そんな顔で死ぬな。最後まで私を騙す気か」

 紫色の唇はそれから動くことはない。彼女は一切の曇りのない笑顔で逝ったのであった。



 ヨコハマの街は七月七日を越えていた。永い永い戦いが終わりを告げる。

 一年に一回の一夜が終わりを告げる。一期一会の祭日は、星空の幕で閉じたのだ。

 そこら中を、かくも静かな笹の葉の鎮魂歌が優しく無秩序に包んでいた。

 さそりの火によって燃えた探偵社の窓に飾られたいくつもの短冊の内、カムパネルラの短冊が葉の一片ひとひらのように落ちて、二人たちの間に落ちてくる。

 賢治の短冊だけは「最後の一葉」になろうと、そこに懸命に残っていたのであった。


      O・ヘンリー――――

                ――――能力名「最後の一葉」。

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