中話 みしやそれとも、わかぬまに

    一、七夕祭の夜



 曇の厚化粧を施したヨコハマの空は夕方をすっかり飛ばして一足早いとばりを降ろしていた。労働者の残業くろうの灯りと街燈が静かに、しかし賑やかにぼうっと街を照らす。

 武装探偵社前の十字路に面した広い通り道は、今日ばかりは往来を人のみに限定していた。

 あらゆる露店が、そこら中から聞こえる笹の葉と雪駄、下駄の音が七夕を彩る。

 「わああ……」

 言葉が口角から小さく漏れ出るように、カムパネルラは目線をせわしなく動かした。

 「残念ですが、あまり持ち合わせていないので見るだけになるかもしれませんが」

 宮沢賢治もまた口角からひねり出すように、苦い顔をしてそう言う。

 二人はこの場にそぐわない素朴めな見た目をしており、時折往来する人々の目線が注がれる。もっともそれはを知らない人達であった。

 「おう賢ちゃん! なんだい兄弟がいたのかい?」

 立ち並ぶ出店でみせのひとつの店長は賢治を見つけると藪から棒にそう尋ねた。

 「ああその……私の地元イーハトーヴォ村から遊びに来た親戚の子なんです」

 「そうかい! 楽しんでってくれよ。はいこれ、今日会えたのも何かの縁ってね」

 「ええ! いいんですか?」

 「なぁに賢ちゃんにゃあいっつも世話になってるからな!」

 その店長はたっぷりとケチャップの乗ったフランクフルトを二本二人に手渡す。

 カムパネルラは、そのフランクフルトをじっと見たままぺこっとお辞儀をし、笑われていた。頬を赤くして頬張る姿をみて賢治や店長はまた笑ったのであった。

 

 賢治には行きたいところがあった。その大通りを二度曲がった先にある山であった。

 この低山の参道は都会らしく舗装されており登るのには苦労しない。その中腹には神社があり七夕祭りらしく大量の笹の葉と短冊が飾られており、そこからの町の眺めもまた壮観なのだ。

 しかしその道中、何度も「賢ちゃん!」と声を掛けられその度に何かしらを手渡されるため、通りを歩ききって山のふもとに辿り着くだけにもかかわらずその両手は一杯になってしまった。

 「いやあ、時間がかかってしまいましたがたどり着きましたね。早く行きましょう!」

 大量の荷物を持ちながらすたすたと駆け上がる賢治にカムパネルラはついていくのがやっとであった。そしてあっという間に中腹の神社にたどり着いた。

 「ここで少し休みましょう。一気に駆け上がり過ぎました」

 早い呼吸のカムパネルラを近くのベンチに座らせた。あたりには浴衣を着た老若男女がお参りに来ていた。そして想い想いの願いを短冊や絵馬に込めている様子が見て取れた。

 「短冊に何個も願い事を書くのは不躾ぶしつけですね。でも、絵馬ならいいかもしれません。神様に祈ってから絵馬を頂いて願い事を書くんです」

 二人は手水舎で洗い合い列へと並んだ。そう長くはなく、息を整えるには丁度良い待ち時間であった。

 「あれ、賢ちゃんじゃない。やだもしかして彼女さん!?」

 「ち、違いますよ!」

 「あらそう? でもそっちの子、顔真っ赤にしちゃって可愛いわ!」

 「ちょ、カムパネルラも……!」

 「私は……別に……」

 「!?」

 「ほぅらね! いやあ春ねえ。いいわねえ、おばさん元気になっちゃう!」

 「もう……二人とも僕をからかわないでくださいよ!」

 「おう、なんだい、賢ちゃん彼女かい?」

 「そうなのよ、彼女なのよ!」

 「違いますって!」

 待っている人ですら揶揄からかって、終いには真っ赤になって黙り込んでしまった辺りでやがて順番が回ってきた。

 改めて二礼二拍手一礼をする。お賽銭の持ち合わせくらいはあったため投げ入れる。一連の動作をカムパネルラは見様見真似みようみまねで行ったため、半歩遅かった。

 ちらちらと横目でみやる賢治の口角は、やはりというべきか少し上がっていた。

 「よくできました。この祈りは神様だけにこっそりお話しましょうね」

 こくりと頷くと今度は絵馬を受け取りに行った。

 「私は見ませんので願い事を書いてみてください。短冊に書いたものと違っても大丈夫です。あそうそう……この絵馬は飾っても持ち帰ってもいいので、お土産としてもいいですね」

 再びこくりと頷くとなにかを書き始めた。それを見て賢治も書き始める。

 そうして二人は懐にそれぞれの書いた自分の絵馬を入れ、持ったのであった。

 「目的はここではなくこの山の天辺です。とはいってもすぐ着くのでもう少しだけ、がんばれますか?」

 カムパネルラはまだ多少息が上がっていた。それもそのはず、与謝野晶子が行った簡易的とはいえ検診で栄養失調と診断したのだから、彼女に余る体力や回復する力など到底なかった。

 賢治は少し考え、見つめるカムパネルラに幾つか荷物をもってもらい、ひょいとおんぶした。

 まるで自転車に乗っているように、或いは低速の機関車に乗っているように風を切って、七月の湿った空の中を駆け抜けていた。

 「さあ着きましたよ! 山の天辺、と言っても何もないのですが……私の知る限り来やすくて一番空に近いん場所なんですよ。お気に入りです」

 一本だけ設置された電燈には蛾がひらひらと舞っており、その近くの大きな掲示板に映る二人の影法師が大きくなったり、薄くなったりしながら動いていた。

 「ここにベンチがありますから、ここに座ってゆっくりしましょう。ほらあそこに見えるのは武装探偵社……さっき私たちが居たところですよ」

 眼下に広がる電燈の点々が星々のように光っており、大通りはまるで天の川の様であった。

 この空間がずうっと続けばいいのにと、カムパネルラは賢治との会話を楽しんでいる自分の姿を俯瞰で見るように、そう感じていた。



    二、紫紫累累ししるいるい



 ――ごめ……んね


 謝るな。謝るのは私の方だ


 ――わたし。きっと地獄に、行くの……ね。多く、殺した……もの


 何処にも行くな。行くなら私だ。


 ――怖、いよ……先……生


 なんで、こんな時に『先生』と呼ぶ


 ――そんなか、お……しないで。私の……


 逝くな。本当に逝くべきは私の方じゃないか


 福沢諭吉は、それ以来の名前を呼ぶことを拒絶してしまっていた。



 研究室じみた医務室兼自室に響き渡るキーボードの音色は文字通り、外界の幻想的な演奏とは違い機械的極まりない単調な音であった。

 与謝野晶子は集中し、食い入るように画面を見ていた。

 「ありゃ一体なんだい?」

 独自のを最大限利用して、カムパネルラのことを調べていた。

 先程、彼女を風呂に入れた時に見えてしまったのだ。裏首筋に焼き印が施されているのを。

 「七〇七〇、四三九一……七〇七〇、四三九一……」

 繰り返し呟き、調べているうちにひとつの結果が訪れた。

 「……これは、なんておぞましい」

 言葉にするのもはばられるほどに惨い実験と称した地獄がありありと綴られている。

 何を隠そうその地獄には、多数の異能力研究が行われているらしいのだった。

 「カムパネルラ……該当はない。当たり前っちゃあ当たり前か」

 与謝野晶子のネットワークではこれが限界で在りこれ以上はその手の者に手を借りる他ない。

 「しょうがない、社長に報告するかいね。どやされたら溜まったもんじゃないけれど……まあそんときゃあ賢治をこき使ってやろうかね」

 

 ――プルルル、プルルル


 いつから鳴っていたのか、その時初めてオフィスの方の電話が鳴っていることに気が付いた。

 慌てて画面を閉じて、小走りにオフィスへと駆けつける。すっかり暗くなった探偵社のフロア照明を点け一直線に電話へと向かった。 

 「もしもし」

 「ああ、与謝野君か。丁度いい、今すぐ武装探偵社そこから離れろ」

 「は、はあ? 離れるって」

 「詳しくは追って話す。照明を落として、兎に角離れるんだ」

 「ははん厄介事ですか。丁度こちらも報告事が幾つかあってねぇ。それに付随して賢治は今、ガールフレンドとデート中だから今は居ないよ」

 「? あ、ああ分かった後で話を聞こう……与謝野君だけなら話が早いな。一刻も早く……」

 「ああ出りゃあいいんだろう? わかったってば。後でこっちからかけ直すから……」


 ――ガン!


 背後からけたたましい音が鳴る。扉がけ破られる音だとすぐに分かる。

 危険を察知した与謝野晶子はすぐさま臨戦態勢に入る。

 「与謝野君、なんだ今の音は……おい、与謝野君! どうした!」

 その言葉が与謝野晶子の耳に届くことはなく、受話器は落ちているのだと分かった。

 「『お前は……?』」

 「『名を名乗る時はまず自分からではなくて?』」

 「『ッチ……アタシは医者の与謝野よ』」

 「『あら、下の名前はないのかしら?』」

 「『本名を教える阿呆がいるかっての』」

 「『用心と礼儀はわきまえた方がよろしくてよ』」

 「『へえ、扉を破壊してくれてありがとうございます。これでいいのかしら?』」

 「『ふっ、面白い人。あなたは先生の……福沢諭吉先生の恋人かしら?』」

 「『は? んなわけないっての。あんたこそ社長のなに?』」

 「『あなたには関係のないこと』」

 「『あそう。なら無理やり聞くまでよ!』」

 ただ一方的なやり取りに思わず奥歯に力が入る。福沢諭吉はただ聞くことしかできなかった。 

 「『よしなに、与謝野先生?』」

 そして次の瞬間どさりとが倒れる音が聞こえ、ぶつりと音声は途絶えた。

 「くっ! ……ああ、地獄から私を罰しに来たんだろう―――むらさき



      紫式部――――

             ――――能力名「源氏物語」。



    三、そこは忘れじの王国ふしぎのくに



 一頻ひとしきり会話を楽しんだ二人は、もう帰ろうかという話に移ろうとしていた。

 「楽しかった。その……カムパネルラは、楽しかった?」

 「うん。楽しかった」

 「よかった。それでは、そろそろ帰りましょう!」

 もうすっかりと暗くなり、街は海底の闇に佇むお宮の景色のように灯り、山の下……或いは街から聞こえる子供らの歌声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞こえてくるようになった。

 風は遠くで鳴り、野草のそよぐ涼しさは二人の宴による汗を冷やした。


 「ねえねえ、君たち楽しそうだね。僕も仲間に入れてよ」


 賢治の背中に急激な悪寒が走る。瞬く間にその汗は冷や汗へと変化していった。ただの一般人相手にならそんなことにはならなかっただろう。賢治の野生の勘が身体にそう告げたのだ。

 そこには長い前髪の隙間から賢治らを捉える目が不気味に弧を描いている青年が立っていた。

 「誰ですか?」

 「やだなあ。僕はただの通りすがりさ」

 「通りすがりにしてはここは行き止まりですが」

 「おっと、言葉のですよ! 私には分かる。「分かるは見える」し「見えるは分かる」これがあなたにはもちろん分かりますね? つまり、私にはあなたが見えている」

 「? 一体何を……」

 「俺はお前ら見てぇな輩にゃあ興味ねえんだ。あるのはひとつ」

 「……」

 「……えー『あるのはひとつ』……なにがです?」

 「…………僕が見たいのは忘れじの王国ふしぎのくにさ」

 様々な声色と話し方で、まるで壊れたラジオのように切り替わる。

 「忘れじの王国ふしぎのくに?」 

 「ええいかにも。そこには遍く民が忘れている『幸い』があるんですよ! それに失われた『時間』さえも! 時間が首をはねられたからだ! ああ、失った時間は大きい」

 「はあ」

 「だからよぉ、このヨコハマには『幸い』があると思ったんだがよ……。どうやら、この世界にも『幸い』や『時間』は無かったんだ! ああ哀しいこった!」

 とても哀しんでいる様には見えないものの、賢治にはこの常軌を逸した青年の言葉には、何か親和性を感じるものがあったのだ。それは賢治にとっても驚くべきことであった。

 「で、僕は君に言うことがあったんだ。『いま何時?』とね」

 「あ……えーと、二〇時になるかどうかといったところですが……」

 「そうですか。ありがとう、ありがとう。どうも時計が狂っていてね。それも『時間』が死んだからなんです。これならバターを塗らずに油を塗っておけばよかった!」

 そういうと懐から文字盤のない懐中時計を取り出して眉毛を掻きながら間近にそれを見た。

 確かにバターの香りが辺りに漂っていた。

 「最高級のバターでね。気になるかい? ちなみにこの文字盤はパン切ナイフで取ったんだ。我ながらいい感じでしょう? そうでしょう」

 「は、話しが見えてこないのですが、用が無いなら私たちはこれで」


 「オー片鱗が残っているじゃねえか! なんてこったぃ、ちきしょう!」


 少し距離を取って横を通り過ぎたところで青年は叫んだ。カムパネルラはびくりとした。

 「まあそう言わずに、きっと為になる。がそう言っているんだから違いない」

 「アリス……?」

 「ああ、僕の異能だよ。失礼……名前を名乗らなければならなかったね。それが礼儀だ」



 ルイス・C――――

          ――――能力名「地下の国のアリス」。



 賢治はすぐに腰を落とし、その背後にカムパネルラを隠した。

 「おやおや……そんなに怖がらないで! 言っているじゃないですか『仲間に入れて』って! ただそれだけですよ。あっはっは!!」

 その凶器のように鋭い笑い声は分厚い曇をも引き裂くようだった。

 「ああ、ただちょっと前から見ていたんだ。とても楽しそうだった。愛を感じた。そこに『幸い』を感じた。君を君が想い合う形の幸せを」

 ごくりと唾を飲み込む賢治は逃走の隙を伺う。なおもルイスは言葉を紡いだ。

 「おいおい! こんな相性いいんだったら早く――――(自主規制)しちまえよ!」

 「ああ、だめだめ。だめだ。もうみんな落ち着くときだ。お茶会ならまたしよう。今はにことを進めたいんだ」

 「しょうがないですねぇ。 ―――ああしょうがねぇ。 ―――ああしょうがありませんね」

 「よしよし、やっと話せるね。、僕とも愛し合おうよ」

 よだれを垂らすように口をだらりと開け、両手を伸ばして死霊のように歩み寄ってくる。その身体からは卑しい匂いフェロモンが出ており、妖美すら感じるほどだった。

 「我慢ができないよ……君のことを食べてしまいたい。アリスより前にね……おや『どういうこと?』って顔をしているね。賢治君にだけは教えてあげるよ……教えたら、ね?」

 ルイスとの一定距離を保ちつつ、賢治はカムパネルラを抱き寄せている。

 「妬けちゃうな……いいさ、どうせ君は死ぬし」

 「ルイス、それはどういう意味……」

 「僕のアリスはねえ。小さな生物であり大きな生物なんだ。穴から入って、脳みそを侵して、そうして心が通い合って……やがて僕のになる。でも君だけはアリスに奪われるわけにはいかないんだ。だって、なにより僕が一番に食べたいから……。専ら死んだ人間を食べさせているから最近機嫌が良くなくてね……」

 「(実力行使しかないか……? ルイスの言うことが全て本当なら僕には何もしてこないって信じていいのか? こんなイカれたやつのことを?)」

 「あれ? いいねその眼。獣のようなぞくぞくする目。ほら、来ていいよ」

 「(だめだ! 怪しすぎる上にカムパネルラを少したりとも独りにすることはできない!)」

 「来ないの? じゃあ僕から行くね」

 そうしてじりじりとにじり寄られて行く賢治はついに追い詰められた。カムパネルラを鑑みるにこれ以上は引けないところに来たのだった。

 しかしルイスは歩みを止めた。賢治には髪の間の僅かな隙間から見えた目が、眼下の街に向けられたことに気が付いたのであった。


 ――さそりの火はなぜ燃える 海底の楽園バルトランドを照らすため?

           大きな灯りは 自分以外の誰かの為に 名前も知らない誰かの為に    


 突然歌い始めたルイスは、その意味ありげな言葉を賢治に向かって投げかけたようであった。

 賢治はその目線の先を盗み見た。そこには眼下の町の一角が煌々と燃え盛っていた。意識すると、遠くの方で半鐘が鳴っていることに気が付いた。


 その場所とは、武装探偵社のビルだった。


 賢治はカムパネルラを抱えてすぐに走り始めた。ルイスはそれを止めることをしなかった。

 「オーマイ……ああ賢治君。大好きだよ。でも君には哀しみが足りない……ああでもまあ、気にすることはないか。だってすぐに哀しみに暮れるんだから。そうしたら、その隙間に僕という存在をうずめればいい。そうしよう。そうしよう」

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